ポケットモンスター Agent PLATINUM 作:ミノワ
表の世界。
ギラティナを留まらせ続ける戦いにも、反転世界で起きた変化は確実に現れていた。
地の底か、どこか遠くから響いてくるような、サイレンのような微かな重低音。
それを、表陣営の全員が敏感に捉えていた。
しかし、何よりも異常だったのは、反転世界の王——ギラティナそのものの変貌だった。
背後にいくつもの裂け目が開いた。
そして六本の触手のような翼、全身の装甲の隙間へ、黒々としたオーラを吸い込んでいく。
その影響なのか、体躯はさらに肥大化し、目は赤く血走っていた。吐き出される息の一つ一つが、居合わせる者に言いようのない恐怖を与えている。
「……なんなの、これ……っ。空気の重さが、さっきまでと全然違う……!」
ナギが声を上げた。
また、変化はそれだけに留まらなかった。
ダイゴらの奮闘によって、動きを抑制されていた反転ポケモンたち。
その彼らまでもが、ギラティナと同質の禍々しい黒いオーラをその身に纏い、パワーアップを始めたのだ。
四人の兵団員たちの間にも、動揺が広がっている。
ダイゴは目を細めた。
(彼らにとっても予想外ということか……?)
フウロも驚きの声を上げる。
「……そんな……! 反転ポケモンたちが……どんどん強化されていく……!」
「……ダイゴさん、これをどう見ます?」
カゲツが隣のダイゴに視線を送った。
メタグロスを傍らに立たせ、戦況を凝視していたダイゴは、その顔を険しく歪めた。その耳にデバイスを当てていたが、やがてそれも離れた。
「……おそらく、アジトにある『装置』に何らかの異常が起きた。蓄えられていたエネルギーが反転世界から溢れ出し、ギラティナたちにパワーを与えている……。その影響なのか、シロナと通信が繋がらない」
「そんな……じゃあ、作戦は失敗したってことですか……!? 中に突入したみんなは、無事なの!?」
ナギの悲痛な叫び。
ダイゴはすぐには答えない。
——これは、おかしい。奴らは、エネルギーを貯め込んでいたはずじゃなかったのか?
(……これではまるで、全てを——)
目の前の異様な光景を目にし、ダイゴは口を閉じた。
——しかし。
レックウザだけは、眼前の巨大な脅威を真っ向から捉え続けていた。
黒い霧が山頂を覆い尽くそうとするその中で、レックウザの体躯が、内側から激しく脈動を始める。
それは、眩いばかりに輝くエメラルド色の光となり、明滅を始めていた。
◇ ◇ ◇
反転世界内、中央広場。
天狼隊の幹部二人は不快感を露わに吐き捨てていた。
「これ、隊長が話してたやつじゃないの!? これも『クライアント様』のご意向ってわけ!?」
「チッ。あの臆病野郎がそこまで取り乱していたとはな……」
ムクロは忌々しげに最奥の方向を睨む。
(隊長も承知の上なのか? こうなると後が読めん、俺たちも身の振りを考えなきゃならんな)
ここでも、エネルギーの濁流は止まらない。メガシンカの光を纏っていたムクロのセグレイブ、リンのアブソル、そして反転の鎖に囚われたポケモンたちの肉体へ、人智を超えた暴力的なパワーアップが強制的に施されていく。
「仕方ねえ。ケリをつけるぞ」
そして再び、ヘルガー、ハッサムがメガシンカを果たした。
光から現れた二体は咆哮を上げ、反転ポケモンたちと共に、プラチナムのエージェントたちへ、かつてないほどの苛烈な猛攻撃を加え始めた。
しかし、周囲に居た無数の反転ポケモンたちは、すでに残り数十体ほどにまでその数を減らしていた。
シロナの指示通り、エージェントたちが身を削りながら、最優先で彼らの「解放」を続けてきた成果。反転ポケモンを減らしていなければ、戦況はさらに悪化していただろう。解放を優先したシロナの判断が、最悪の結果を避けていた。
——かといって、目の前の幹部たちが放つ脅威が消え去ったわけではない。
「何だってんだ!? あのサイレンが鳴り響いた後から、敵の動きがとんでもなくイカれ始めやがったぞ!!」
「……おそらく、装置に何かが起きたのだろうな……エネルギーが逆流している」
マキシの問いに、アデクが答えた。
「……そんなっ……!!」
アスナも驚きの声を上げる。
ライルたちが突入したにもかかわらず、装置は止まるどころか、蓄えていたエネルギーを吐き出し始めた可能性がある。
では、彼らは——?
最悪の懸念が再びエージェントたちの脳裏を過り、絶望が彼らを呑み込もうとした。
数人の動きが、僅かに鈍くなる。
しかし、その状況にあっても、プラチナムのリーダーは決して戦うことをやめなかった。
相棒のガブリアスと共に、周囲の反転ポケモンを解放し、強化されたメガシンカの猛威へ死力を尽くして戦い続ける。
「まだ終わっていない!!全員、立ち向かいなさい!!」
「……でも、ライルくんたちが、もしかしたら、負けてしまったんじゃ……っ」
弱気な声を、シロナは一刀両断する。
「それなら、この状況を打開して、決めていた通りに代わりの者が奥へ向かう。不測の事態が戦いを止める理由にはならない」
「でも——」
シロナは鋭く、そして美しく吼えた。
「我々が諦めれば、世界はどうなるの? 守りたいものを、理不尽な力で奪われたくないのなら、その手で……その足で! 最後まで戦い抜きなさい!!」
チャンピオンの檄が、広場に響き渡った。
動揺しかけていたエージェントたちが、再び前を向く。
疲労は消えず、敵はさらに強化された。
それでもプラチナムの戦線には、再び戦う意志が戻っていた。
◇ ◇ ◇
そして、反転世界の奥の間。
激しい余波の嵐が過ぎ去った後、戦場には重苦しい虚無感が立ち込めている。
ライル、ルカ、ロードの三人は、激痛に耐えながら何とか地面に手を突き、起き上がることまではできた。
しかし、全員が肩を上下させて息を荒げている。ライルたち同様、『まもる』の後ろにいたポケモンたちも風圧で吹き飛ばされており、ダメージは少なくない。
何より、絶対的なエースであったガブリアスとサザンドラは、戦闘不能に陥っていた。
未だに反撃の態勢を整えることすらままならず、さらに眼前の煙を裂いて、プテラとオンバーンを引き連れたカラスが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「……万事休すか……クソッタレめ……」
ロードすらも憎まれ口を叩き、ライルとルカは思考を回転させるが、この状況を覆す勝ち筋を見出すことができていない。
『敗北』、そして死の予感が体の中を冷たく這い回る感覚。
その時。
ライルの腰元で一つのボールがひとりでに開いた。放たれた白い光が、三人の前へ集まっていく。
現れたのは、鎧の戦士——タイプ:ヌル。
ヌルは銀色の前脚で大地を踏み締め、ライルとルカを守るようにカラスの前へ立ちはだかった。
その姿に、カラスが僅かに眉を動かした。
しかし、誰よりも驚いていたのは、ライルとルカだった。
「……おい、ヌル!お前、何やってんだよ……っ!」
ルカが裏返った悲痛な声を絞り出す。
その様子を見て、カラスは憐れむような声を上げながら、肩をすくめた。
「なんだぁ? まだへこたれてねえのかよ。人造の『失敗作』のくせに、態度だけは一丁前か」
「……人造……『失敗作』だと? ……何の話だ?」
ライルの鋭い声に、カラスは呆れたような顔を見せた。傍らに立つプテラの翼へ手を置き、言葉を続ける。
「何だ? てめえら。ここからそいつを連れ出したくせに、何にも知らねえで使ってんのかよ?」
カラスは笑い、そして告げた。
「——まあいいや。このまま始末してやるのもつまらねえからな。冥土の土産に、そいつの『正体』を教えてやるよ」