目の前に立ちはだかるアクジキング。
ミナモ同様にルカの顔は引き攣り、呼吸は速くなっていく。
過去のトラウマという壁は、最後の最後まで、彼女の前に立ちはだかっていた。
ガライは教祖の暴走を一瞥し、そしてまた静かに、ルカのその様子を眺め、冷淡に呟く。
「フン、また勝手なことを。しかし存外、呆気なかったな。くだらん」
ライルが顔を上げる。
「クソッ……大丈夫か……!?」
彼はルカの様子を気に掛けていた。
しかし、ルカの指示が途切れたことにより、彼女のポケモンたちの動きが鈍くなる。
そこを必死にカバーしていた。
襲い来るバンギラス、スイクン、ドドゲザン。その苛烈な猛攻を凌ぎ切り、戦線を維持するため、死力を尽くしていた。
一方。
ルカは、アクジキングを前にし、未だに体を硬直させていた。
その姿を見たシノノメは、勝ち誇ったかのように、高笑いを響かせた。
「クハハハ! まさに効果は抜群というやつだな! 家族を失うような過去のトラウマなど、そう簡単に消えるはずもない。ミナモでの戦いも、貴様はこいつを前にし、役立たずのようにただ見ていただけだったものな! タイプ:ヌルを偶然覚醒させて『シルヴァディ』にしたところで、従わせる者が木偶の坊ならば意味がない!」
(シルヴァディ……?)
その言葉に、ライルが眉を顰める。
対照的に、シノノメは愉悦に顔を歪めた。
そして、倒れたスポンサー達の近くに居たカラマネロをルカに仕向ける。
(私のカラマネロの洗脳は、動揺などによって生まれた心の隙へ入り込む。そして、私の言葉を受け入れた者ほど、深く意識を奪われていく。今の小娘なら、容易く堕ちるはずだ!)
シノノメは、自身もルカに向かって、一歩、また一歩と歩み寄り、口上を垂れ流した。
「どうだ? 喪失は辛く、怖いだろう? 貴様は同士だ、我々は分かり合えるはずだ。夢の中ならば、もう二度と辛い思いはしない。永遠に、死んだ母や妹と共に過ごせるのだ。そしていつかは、蘇生すらも叶えてやる。悪いことは言わん、我々と共にこい」
教祖はルカのすぐ隣まで近づき、その肩に、馴れ馴れしく手を置いた。
それを合図にするかのように、傍らのカラマネロが、最大出力のエネルギーを放つ。
不気味な光波が、ルカの全身を包み込んだ。
しかし——。
室内に訪れたのは、奇妙な静寂だった。
ルカは倒れ込むでもなく、意識を失うでもなく、ただ俯き、その場に立ち尽くしている。
「……どうした? カラマネロ」
カラマネロは焦り、何度も洗脳を試みるが、まるで手応えがない。
「……なんだ? どういうことだ? なぜ倒れない?」
困惑する教祖。
そして。
「……プッ」
ルカは突然、吹き出した。
「…………は?」
シノノメは怪訝な顔をした。
だが彼女の笑いは止まらない。
「……クク」
次の瞬間。
「——アッハッハッハッハッハ!!!!!」
世界の何もかもに刃向かうような、反骨に満ちた笑い声が、最奥の部屋に響き渡った。
突然の爆笑に、シノノメはもちろん、ガライすらも一瞬呆気に取られ、視線を向ける。
激戦の最中にいたライルは、その不敵な笑い声を聞いた瞬間、ふっと安堵の息を漏らした。
「ハァ……。良かった、『当たり』だな」
ルカは顔に手を当てた。
「……クックック。ハァ〜、笑えたぜ」
シノノメは未だ事態を飲み込めない。
するとルカは、自身の肩に置かれた腕をがっしりと掴み、逃がさぬよう固定した。
「ぐっ!? ……い、痛いぃっ!!?」
「情けねえ声出してんじゃねえよ、オッサン」
シノノメが目を見開く。
「何故だ!? ……一体、どうなってる!?」
* * *
この部屋に向かっている時。
ライルとルカは他にも言葉を交わしていた。
「カラマネロの洗脳はどうする? まだカラクリがわかってない」
ルカは走りながら、僅かに思考に耽った。
「……さっき『かけられて』、何となく分かったことがある。多分アレは眠ったり、動揺したりした隙に入り込んでくるんだ。あいつの言葉に『共感』したら、より力が強くなる。お前が前に言ってた通りだよ」
「なるほどな」
するとルカは、ニヤリと笑った。
それを見てライルは眉を上げた。
「お前、わざと受けるとか言わないよな?」
「分かってるな、さすが魂の相棒だ!」
ライルは呆れた。
「バカ言うな!危ないだろが!」
それでもルカは引かない。
「だけどあのバカ教祖は、絶対に使ってくる。それにあいつらにはまだ、『アクジキング』が残ってる。あたしの記憶を覗いたんだ。あたしが敵でもそうするさ」
「……隙を作るってわけだな」
「そうだ」
だがライルは、まだ完全には納得していなかった。
「本当に『あいつ』を見ても、大丈夫なのか?」
「怪物の方は……少しわからない。だけど洗脳の方なら大丈夫だ。あたしは絶対に跳ね返す」
「先に『さいみんじゅつ』を使われたらどうすんだよ。おれが敵ならそうするぞ」
ライルの言葉に、ルカはまた笑う。
「そんときはお前が叩き起こせ!」
「そこはおれかよ」
「当たり前だろ!信用してるからな!」
「相変わらず無茶だな……」
「最高だろ?」
「最悪だよ!」
* * *
「何故だ!? ……一体、どうなってる!?」
シノノメは、痛みに顔を歪めて叫ぶ。
ルカは対照的に、冷酷に、しかし最高に晴れやかな笑顔で言い放った。
「どうなってるだと? このあたしが、いつまでもトラウマに勝てないような、『か弱いか弱い女の子』だと、本気で思ってたのか? てめーの戯言がトンチンカン過ぎて、こっちゃ笑い堪えんのに必死だよ! それでも宗教団体の教祖かよ、マヌケ野郎!」
「な、何故なんだ!失った者たちも取り戻すことができるんだ!妹も!母親もだ!」
その狂乱の言葉を、ルカの瞳が真っ向から拒絶する。
「……ルイも母さんも、もういねえ。あたしにとって、死ぬほど大事な家族だった。……でも、夢の中の思い出と過ごしても、本当の意味での二人はもう帰ってこない。それに、もしそんな道を選んだら、あたしが生きてきたこの人生も、母さんも、ルイさえも否定することになる」
ルカは拳を握る。
「それだけは、絶対にしたくねえ」
「……クソッ! クソッ!」
教祖は歯を食いしばり、なおも食い下がった。
「貴様もあの時、失ったのではないのか!? 私もそうだ! 『パートナー』が反転世界へ引きずり込まれるのを、この目で見た! 私は時間をかけて探し出した! だが——」
教祖の声が震える。
「それでも再び会えるのなら、それ以上のことがあるのか!?」
ルカは、その言葉を正面から受け止めた。
「あたしも、ゼンノもそうだった」
「……ゼンノだと!?」
「そうだ。あいつはあたしらの仲間さ」
シノノメの目が、驚愕に見開かれる。
だがルカは、そのまま続けた。
「あたしらも、大切な存在を亡くしたんだ。でも、それを誰かに強制したりなんてしない。どれだけご立派な理想を語ったって、他人にその痛みを強いる時点で、てめえに正義なんかねえんだよ」
シノノメは思い通りにならない現実に、まるで泣き喚くかのように慌てふためき、なおも言葉を吐き散らす。
「我々と共に来れば、何もかも望んだ通りに出来るのに! 辛い過去を消し、好きな未来が実現できるのに……!!」
「ハッ! お前ら勘違い野郎共にハッキリ言っといてやるよ」
ルカはそれを笑い飛ばす。
「いいか、あたしに起きた過去は、あたしが背負うんだ。そしてあたしの未来は、あたしがこの足で決めるんだ。現実から目を逸らして、お前らが決めたレールに乗るなんざクソ食らえだ! あたしの人生は、あたしだけが生きられるんだよ!」
ライルは、部屋中に響く彼女の言葉を聞きながら、笑った。
何者にも屈しない不屈の心。
そして、どこまでも真っ直ぐな魂。
——そうだよな、それがお前だ……!!
「お前、散々好き勝手やってくれたよなあ?」
「ヒィッ!」
「おっと、逃げるなよ。覚悟しろって言っただろ?」
ルカは掴んでいた教祖の腕を、へし折らんばかりに引き寄せ、もう片方の拳を限界まで固く握りしめた。
「今まで調子に乗ってくれた分と、それとこれは——キモい手で、可愛いこのあたしを触った分だ!」
そう言い切ると同時に、ルカは右腕を思い切り振り抜いた。
——バキィッ!!!
渾身の右ストレートが、シノノメの顔面を真正面から捉えた。
鈍い音が響く。
シノノメはその威力によって、倒れ込みながら派手に吹き飛ばされた。
そして、ちょうどガライの足元へと転がり落ちると、そのままぴくりとも動かず、意識を失った。
ライルは思った。
(……やりすぎ……)
しかし、その一連の光景を足元で見下ろしたガライは、わずかに感心したように低く呟いた。
「……大した精神力だな」
ルカが叫ぶ。
「お前ら、あたしらをみくびりすぎなんだよ!!」
◇ ◇ ◇
シノノメを吹き飛ばしたことで戦場に生じた、わずかな隙。
それを見逃さなかったライルは、ルカの元へと一気に駆け寄った。
「お前、色々ギリギリだったぞ……!」
「なんだよ、笑えたろ? お前はあたしの心配をしすぎだよ」
「心配なんかしてねえよ」
「素直じゃねえなあ」
「バカ、お前がやられるなんて思ってないって意味だよ」
ライルは当然のように答えた。
「……ふーん」
するとルカは、戦闘の真っ最中にもかかわらず、どこか満足そうに、ライルの横顔をじっと見つめた。
「おい、なにボーッとしてんだよ? 集中しろって!」
しかしルカは至ってマイペースに、ふと脳裏に何かが浮かんだかのように呟いた。
「そうだ。あたし、あの時の夢の中で、やっと分かったことがあるんだった。それをお前に言わなきゃならない」
その言葉に、ライルは首を傾げた。
「なんだそれ。任務に関係あんのか? 今、必要か?」
「いや、後でいいさ。戦いが終わってからだ」
「……お前さあ、そういうの良くないんだぜ? フラグってやつだよ」
「そんなもん、あたしに関係あると思うのか?」
戦火の只中で言葉を交わす二人に、対面に構える総大将の冷徹な声が割り込んだ。
「何をいつまで喋ってる? この俺を相手に油断など、いい度胸だ!」
ガライの号令と共に、バンギラスたちの猛攻がさらに一段と激しさを増した。
バンギラスの丸太のような剛腕が振るわれるたびに、凄まじい風圧が生じる。
スイクンは流麗な動きで戦場を攪乱し、ドドゲザンは無駄のない太刀筋で、確実にライルたちを追い詰めていった。
一方、アクジキングに対しては、メガラティオスが超速度で周囲を旋回し、その大口が牙を剥かないよう決死の牽制を続けていた。
「チッ、バケモンどもが……!」
「ああ。それに、やっぱりバンギラスは別格だ。二体とも弱ってるとはいえ、ガブとサザンドラと同時に渡り合ってる。それにあいつにはまだ、メガシンカも残ってる!」
「あの『ガマ口野郎』のタフさも厄介だぜ。なんか手を打たなきゃな……。つうかもう、あの装置ぶっ壊してやりゃ良いんじゃねえか!?」
「何言ってんだ。下手に壊せば、さらに暴走する可能性だってあるんだぞ。おれたちの解析端末は無事なんだ、それで止めるしかない」
「ならやっぱり、まずはあいつらをぶっ飛ばしてからだな!」
「ああ。問題はどうやるかだ」
——バチバチバチッ!!!
その時、ライルたちが力ずくで破った後方の鉄扉から、黄色い閃光が弾丸のように飛び込んできた。そのポケモンは電光石火の速度を維持したまま、一直線にライルたちの元へと駆け寄る。
「サンダース? ……デンジさんのか!?」
「背中に何かつけてるぞ!」
ルカはサンダースの背に素早く手を伸ばし、括りつけられていた包みを器用に解いた。
中に入っていたのは、親指ほどの大きさの、不思議な鈍い輝きを放つ『メモリ』が数枚。
そしてそこには、一通の短いメモ書きが添えられていた。
差出人の名は、ゼンノ。
ライルが前線で手持ちを指揮し、必死に時間を稼いでいる間に、ルカは寄せられた言葉を素早く読み上げる。
『そのメモリは、まだ数枚だけだが、ヌルの能力を最大限に引き出す。それが使えるようになっていることを祈る』
その言葉に、ルカは思わずシルヴァディへと視線を向けた。
「……ヌルの本当の力を引き出す……?」
そこへ、ライルが叫ぶ。
「『シルヴァディ』!こっちに戻れ!」
ライルの鋭い指示を受け、本当の名を呼ばれたシルヴァディは、敵の攻撃を躱しながら、主人たちの元へと飛び戻る。そして、二人に真っ直ぐな瞳を向けた。
「……相棒、何を——」
「ルカ! そのメモリってやつを使えるか!?」
「……! ああ、やってみる!」
ルカはその意図を即座に理解し、数枚のメモリを手に、シルヴァディへ駆け寄る。
「ちょっと……待てよ。どこだ? ……ここか?」
ルカは手にした一枚を、シルヴァディの頭部側面にあるスリットへ差し込んだ。
——カチリ。
硬質な電子音が響く。
直後、シルヴァディの身体にエネルギーが駆け巡り、その美しい白銀のたてがみ、そして鋭い瞳の色が、鮮やかな群青色へと一瞬にして変化を遂げた。
「すげぇ、色が変わったぞ……」
そして。
「ルカ、シルヴァディはお前に任せて良いか?」
「……あたしか?」
「ああ」
「でも、お前……」
彼女は一瞬だけ、驚いた様子を見せたが、ライルは続けた。
「ヌルは、お前の声に反応して、シルヴァディになったんだ。お前の方がきっと、そいつの力を引き出してやれる」
相棒の全幅の信頼が込められた言葉。
ルカは少し嬉しそうに笑い、シルヴァディと共に戦場へ向き直った。
「……ああ、わかった。いくぞ、シルヴァディ!」