好感度が反転したヤンデレ達の記憶が戻ったが、壊れてしまった関係値が元に戻ることはありません 作:かにくい3
「………」
目を覚ますと、そこは見慣れた自室の天井ではなかった。
健康だった頃のように起き上がろうとするが、ボロボロの肉体が悲鳴を上げる。肉が裂けるような激痛が走り、身悶えすることすら許されない。息を殺し、指先からゆっくりと、ほんの少しずつ体を動かして——ようやく上体を起こすことに成功した。
自分の体を見下ろす。失った右腕は塞がった痕を残すのみだが、あり得ない方向を向いていた脚はまっすぐに繋がっていた。
「……死ななかった。いや、死ねなかったのか」
僕は確かにあの時、死の淵にいた。あのまま放置されていれば確実に命を落としていたはずだ。だが、どうやら生き延びてしまったらしい。
周囲を見渡す。首を動かすだけでも鋭い痛みが走るが、見覚えのある調度品と豪奢な内装に確信する。
最後に会ってお礼だけでも言いたいという、僕の浅ましい願いを神様が拾ってくれたのかもしれない。
ここは、僕の唯一の親友——クロエの屋敷だ。
いったい何があって僕はここにいるのか。
僕を殺そうとしていたアリアたちはどうなったのか。
早くクロエに会って無事を確かめたい、お礼を言いたい、これが夢ではないと確かめたい。
混濁した頭の中にいくつもの疑問が渦巻き、胸が不気味にざわめく。
身動きが取れないため、深く息を吸って吐き出し、心を落ち着かせる。
(……これから、僕どうなってしまうんだろう)
きっと彼女たちは、今も僕へドロドロとした純粋な憎悪と殺意を向けているはずだ。もしかしたら、この瞬間も近くで虎視眈々と僕の命を狙っているのかもしれない。
ならば、僕がこの屋敷に留まることは、クロエの家に多大な迷惑をかけることになる。
ただでさえ彼女たちが狂ってしまってから、僕はクロエに助けられてばかりだ。その上、命まで救われてしまった。
『気にしなくていいよ、ロア。今更そんなこと言うなんてさ』
そう言って、いつものように困ったように笑うクロエの顔が容易に浮かぶ。
けれど、これ以上彼を巻き込むわけにはいかない。恩を返すどころか、足を引っ張るなんて絶対に嫌だ。
だが——今の僕には、返せるものなんて何一つない。
なら、動けるようになったらすぐにこの屋敷を去る。それが、今の僕にできる唯一の恩返しだ。
傷が癒えたら、すぐにここを出よう。
名門貴族であるクロエと、ただの平民である僕。クロエの両親は物凄く優しい人たちで、僕のような人間すら温かく迎えてくれたが、いつまでも甘えているわけにはいかないのだ。
覚悟を決めたその時、控えめなノック音が響き、扉が開かれた。
「おはよう、クロエ」
「おや……ロア!? 起きていたのかい!?」
入ってきたクロエに努めて平静を装って声をかけると、彼は呆れたような、それでいて心の底から安堵したような表情を浮かべた。大きなため息を吐きながら、僕のベッドサイドへと駆け寄ってくる。
「本当によかった……無事で、本当に……!」
「ごめん、心配させて。それと……本当にありがとう、クロエ。君に助けられた」
クロエは僕の体を気遣うように、そっと優しく抱きしめてきた。
男同士で抱き合うなんて、少し気恥ずかしさもある。けれど、死の淵から生還したのだ。親友同士の無事を確かめ合うハグくらい、変でも何でもないだろう。
「クロエが親友でいてくれて、本当によかったよ」
「っ!……き、急に恥ずかしいことを言わないでくれ。……まあ、親友だからな。これくらい、当然だろ?」
「あぁ。それを当然と言ってくれるクロエが親友で、僕は幸せ者だよ」
「…………君は本当に……。私も、君の親友でいられて心の底から嬉しいよ」
クロエはほんのり頬を染めながら、噛み締めるように呟いた。
僕の頬まで熱くなっていく。我ながら青くさいことを言った自覚はあるが、感謝の気持ちに偽りはない。ほんの少しでも伝わったなら、それでよかった。
互いの無事を喜び合った後、僕は意を決して本題を切り出した。
「それで、クロエ。……僕はどうしてここで寝ているのか、教えてもらえるかな? それに、どうして僕の居場所が分かったのかも」
「ああ、勿論だ。ロアには知る権利がある。……まずは、君の居場所を特定できた理由から話そう」
クロエは以前から、僕が彼女たち——聖女アリアたちから苛烈な虐待を受けていることを知っていたし、何度も止めに入ってくれていた。だが、彼が四六時中僕の側にいられるわけではない。
自分がいない間に取り返しのつかないことが起きるのを恐れたクロエは、以前誕生日にくれたペンダントに、密かに『追跡魔法』を施していたらしい。
あのアリアたちにペンダントを破壊されたのが、あの現場の近くだったのが不幸中の幸いだったというわけだ。
「すまない、勝手に追跡魔法なんてかけてしまって……親友とはいえ、私に私生活を監視されていたなんて気味が悪いだろう? 本当に……申し訳ない」
「ううん、謝らないで。そのおかげで僕はこうして生きているんだから。……でも、次からは一言教えてほしいかな」
「…………ああ、勿論だ。次からは、ちゃんと君に許可をもらうよ」
クロエは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、微笑んだ。
——いや、違う。どこか暗い影を孕んだような、薄い笑みだった。
きっと、僕のプライベートを暴くような真似をした罪悪感を気にしているのだろう。
僕は気にしていない。いつあいつらに殺されてもおかしくなかったのだから、クロエの判断は正しかったのだ。
「僕が危機に瀕していると知って、君はすぐに駆けつけてくれたんだね。……本当にありがとう」
「……ああ」
あの時は「もう死んでもいい」と諦めていた。だが、こうして命を繋いだ今となっては、もう二度とあんな恐怖は味わいたくない。
けれど、一つだけどうしても解せない疑問があった。
「あいつ……アリアはどうしたんだ? あの時、絶対に現場にいたはずだ。あいつを信奉する信徒たちも一緒に」
アリアは本気で僕を殺そうとしていた。僕を庇おうとするクロエのことも邪魔そうに睨みつけていたはずだ。鉢合わせれば、戦闘は避けられなかったはずなのに。
(……待てよ? もし戦っていたなら、瀕死だった僕は巻き込まれて死んでいたはずだ)
「あ、ああ……。確かにあいつは、あの場所にいたよ」
「クロエ……?」
彼の返答は妙に歯切れが不自然で、その顔には複雑な陰りが差していた。
「何か、あったのか?」
「……アリアは、発狂していたんだ。……彼女だけでなく、信徒たちも全員」
「……は?」
思考が停止した。発狂……?
「言葉通りの意味さ。何が起きたのかは分からない。ただあいつらはその場に蹲り、狂ったように頭を地面に打ち付けていた。額を割って血だらけになりながら……ロア、君に向かって必死に謝罪を口にしていたんだ」
クロエの目が、至極真面目な光を湛えている。彼が僕に嘘をつくメリットなんてない。
「そしてアリアは、己の魔力が尽きかけて枯渇するまで、狂ったように君へ回復魔法をかけ続けていた。君が今生きているのは……皮肉にも、あいつのおかげでもある」
意味が分からない。急に発狂したかと思えば、直前まで僕を虫ケラのように痛めつけ、殺そうとしていた僕に回復魔法を……?
アリアは『聖女』と称されるほどの治癒魔法の使い手だ。死に損ないの僕を繋ぎ止めることなど造作もないだろう。
(……まあ、その高い治癒能力のせいで、肉を削がれては治され、骨を折られては繋がれるという、終わりのない地獄を味わわされたわけだけど)
「そして私は……君にしがみついて狂乱するあいつを強引に引き剥がし、君を抱えてここへ連れ帰った。それが事の顛末だ」
衝撃的な事実の連続に、頭が追いつかない。
殺そうとしていたはずの相手が、急に発狂して、泣き叫びながら治療を施す……?
どうして……? 彼女たちに一体何が起きたというんだ……?
ぐるぐると渦巻く思考を打ち消すように、部屋の扉が静かにノックされた。
「クロエ様」
「……もしかして、またかい?」
入ってきたメイドが深々と首を縦に振ると、クロエは「はぁ……」と深々いため息を吐いた。
一体、何が起きているのだろうか——?