好感度が反転したヤンデレ達の記憶が戻ったが、壊れてしまった関係値が元に戻ることはありません 作:かにくい3
「ロア、本当に私はどうかしていたの……っ。あなたのことを、もう傷つけるような真似は絶対にしないと誓うわ」
擦り切れた声を絞り出したのは、ミアだった。
ミアは僕の幼馴染で、僕と同じ平民だ。正直、僕には勿体ないくらいの少女だった。
学園でも頭一つ抜けて可愛らしく、艶やかな黒い長髪はいつも綺麗な光を弾いていた。少し目つきは鋭いけれど、笑うと目尻がふにゃりと下がるのが堪らなく愛らしかったのだ。座学だけが取り柄の僕とは違って、文武両道な彼女は、座学も魔法も優秀だった。
彼女たちの中で、僕が一番長い時間を一緒に過ごしてきた相手。
――だが、今の彼女に当時の面影はどこにもなかった。
自慢だったはずの黒髪は光沢を失い、パサついて荒れ果てている。
落ち窪んだ目元には濃い影のような隈がこびりつき、その奥にある黒い瞳だけが、血走り、ギラギラと異常な熱を帯びて僕を射抜いていた。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……!」
本当は僕との距離を詰めたいのだと、痛いくらいに伝わってくる。
けれど、自分が近づけば僕が恐怖で怯えることを理解しているのだろう。彼女は近づこうとせず、その場に崩れ落ちるように膝をつくと、冷たい床に額を強く擦り付けた。
ドサッ、と痛々しい音が響く。土下座の姿勢のまま、ミアは酷く震える声で叫んだ。
「許されるなんて思っていない……! 私がロアに死ぬ以上の苦痛を与えたことくらい、分かってる……っ! でも、私は……どんな形でもいいから、もう一度ロアの隣に戻りたいの! そのためなら何でもする! 例えば――
「え……?」
「私の爪を剥いで! 肉を削ぎ落として! 骨を叩き折ってよ!! それ以上の激痛を味わうことだけが、私の罪滅ぼしなの! お願い、ロアの手で私をグチャグチャに酷く痛めつけてよ……っ!!」
床に擦り付けた額から血が滲んでいるのも気にせず、ミアは頭を酷く振って乞うてくる。
歪んだ罪悪感と、狂気じみた愛執。
――ミアにされた拷問の記憶が、一瞬で脳裏に蘇った。
皮膚が焼けるような痛み、骨が軋む音、絶望的な恐怖。
全身の毛穴が開き、寒気が背筋を駆け抜ける。身体が勝手にガクガクと震えだし、胃の底から込み上げる吐き気で涙が溢れそうになる。
恐ろしい。憎い。殺したいほど憎いはずなのに、それ以上に震えが止まらない。
僕だって聖人じゃない。やり返してやりたい、同じ激痛を味わわせてやりたいと思う夜だって何度もあった。
だけど――。
「……そんなこと、できるわけないだろ……っ」
声が震えて、うまく出ない。
「確かに、僕はミアに酷いことをされた。いくら『何かに操られていた』と言われても、すぐに許すなんて絶対に無理だ……。……だけど、だからって、僕がミアに同じ拷問をするなんてできるはずがない」
どんなに恐ろしい目に遭わされたとしても、楽しかった思い出まで全部消えたわけじゃない。僕は彼女たちのことを、心から『大切な友達』だと思っていたのだから。
「じゃあ……じゃあ、私はどうすればロアともう一度笑い合えるの!? 昔みたいになれるの!? 私……私は、どうすればいいのよぉっ!?」
ミアが勢いよく顔を上げた。
ぐちゃぐちゃに顔を歪め、涙と血と汗で汚れた顔。
その血走った瞳が、縋るように、執拗に、逃がさないとばかりに僕を捉える。
「ねぇ!? 私、嫌だよ……! 世界中の誰もが私を嫌おうが、蔑もうが、殺そうとしようが、どうでもいい! でも、ロアにだけ拒絶されるのだけは死んでも嫌!! 嫌われたくないの! 私を置いていかないで!! 勝手なのは分かってる……でも、ロアと離れるくらいなら、今すぐここで殺してよぉッ!!」
ヒステリックに感情を爆発させながら、ミアが四つんバイの姿勢で僕の方へと這い寄ってくる。
瞳の奥に宿る生々しい狂気。愛憎の重圧。
「絶対に嫌! ロアの隣は私の居場所なの! これからもずっと、私が一番近くにいるべきなの!! 私は操られていただけなのよ!? 信じてよロアぁッ!!」
キーキーと耳腔を刺す悲鳴のような叫び。
その瞬間、僕の記憶の中の『痛みの記憶』がフラッシュバックした。
(あ、ダメだ――)
ヒッ、と喉が鳴る。全身から恐ろしい量の嫌な汗が吹き出した。
視界が激しく点滅する。呼吸の仕方が分からなくなり、吸っても吸っても酸素が胸に入ってこない。過呼吸を起こし、心臓が千切れそうなほど激しく脈打って胸が痛む。
「ミア! それ以上ロアに近づくな!!」
鋭い一喝とともに、クロエが乱入した。
僕の方へ這い進もうとしていたミアの肩を、クロエが強引に掴んで制圧する。
「落ち着いてロアの状態を見ろ! お前のその異常な姿に、ロアが恐怖で呼吸すらできなくなっているのが分からないのか!?」
クロエの声で、僕は何とか浅い呼吸を繰り返しながら、麻痺しそうな意識を繋ぎ止めた。
はぁ、はぁ、と荒い息を吐きながら、恐る恐るミアの方へ視線を向ける。
そこにいたのは――完全に『絶望』に染まり、虚無の顔をしたミアだった。
「あ……え……あ……っ」
自分の愛するロアを、自分の狂気が再び追い詰め、過呼吸に陥らせてしまった。
その事実を突きつけられたミアの瞳から、一瞬で全ての光が消え失せた。
「ご、ごめん……ごめんなさい、ロア……っ。ごめんなさい……ちがうの、怖がらせたいんじゃなくて……仲直りしたくて……離れたくなくて……っ」
膝から崩れ落ち、ペたりと床に座り込んだミア。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ」
糸の切れた壊れた人形のように、無感情な顔で、ただひたすら謝罪の言葉を反芻し続ける。
その虚ろで狂った瞳から流れる涙を見つめながら、僕はただ、恐怖と悲痛に身を強張らせることしかできなかった。
ミアが落ち着きを取り戻し、僕も幾分か頭の整理がつき始めていた。
「ごめんね、ロア。怖がらせちゃって」
「……大丈夫」
「これ以上ここにいたら、ロアの迷惑になるよね。私、帰るね」
「……うん」
ミアは胸を掻き毟るような自責と悲痛に顔を歪め、扉へ向かう。
一歩、外へと踏み出したところで、彼女は弾けそうなほど細い声で振り返った。
「……また、お見舞いに来ても、いい……?」
「あぁ……いいよ。ただ、毎日は流石にクロエに負担がかかるから、控えてほしいけれど」
「うん、分かった……! じゃあ、また、ね?」
今日会ってから一度も綻ぶことのなかった彼女の唇が、すがりつくような歪な嬉しさに揺れ、部屋を去っていった。
正直、あれで良かったのかは分からない。何が正解なのかも、僕にはもう永遠に分からない気がしていた。
――そして、ミアの後と交差するように前へ進み出たのは、アリアだった。
床にひざまずき、固い床へ勢いよく額を叩きつける。
「ロア様……本当に、本当に申し訳ありませんでした……っ!」
アリア。
『聖女』と称されるほど慈愛に満ち、学院では「神の愛子」とまで噂されていた美貌の少女。
絹のようにしなやかだった金髪、男たちの視線を奪ってやまなかった豊満で優美な肢体。その全てが、今の彼女からは影を潜めていた。
今の彼女の髪はボサボサに荒れ、その瞳は正気を疑うほどに濁り、虚ろに僕を凝視している。
その視線には、底なしの後悔と、狂気的なまでの愛着がドロリと混ざり合っていた。
「たとえ何かに心を操られていたのだとしても……私が、かけがえのないロア様に刃を向けたという事実は消えません。自分自身が、殺したいほど憎く、許せないのです」
アリアはうわ言のように紡ぎながら、懐から『それ』を取り出した。
「ですが……ロア様は世界で一番お優しく、慈愛に満ちた方です。私のような害虫にすら、私以上の痛みを伴う報復などなさらない……。そう悟った瞬間、私は自分を責めずにはいられませんでした。だから――自分自身で、罰を与えたのです」
アリアが目の前に差し出したものを見た瞬間、猛烈な胃液の逆流が襲った。
「……っ、う、ぁ……!?」
透明なガラス瓶。
その中で怪しく揺れていたのは、溢れんばかりの『目玉』だった。
黒と薄金色の瞳孔が、瓶の中で幾重にも重なり合い、ゆらゆらと僕を見つめている。
間違いなく、アリアの目だ。
彼女は僕を傷つけた己の目を、己の手で何度もくり抜き、その度に回復魔法で再生させて、瓶に詰め続けていたのだ。
「ロア様を犯したこの醜悪な目を、何度も何度も抉り出しました。ですが、この程度で許してもらえるなどと思っておりません……! ですからロア様、どうか……! 私の腕でも、脚でも、皮膚でも、お望みの部位を削ぎ落してくださいませんか! この身の全てを捧げます! 私を奴隷のように扱い、死ぬまで痛めつけてください……っ!」
あまりの狂気に、声が出なかった。
思考が麻痺する。心の中がドロドロに押し潰され、整理なんてできるはずもなかった。
「アリア、それをしまいなさい。ロアはそんな異常なものを望んでいないわ」
「………………」
制止に入ったクロエに対し、アリアはゆっくりと首を向けた。
かつて慈悲の塊だったはずの顔に、底知れぬ凄惨な殺気と嫉妬が宿る。
「……あなたに何が分かるのですか? 私は、私の神であるロア様にお聞きしているのです。邪魔をしないでください」
氷のように冷え切った声。けれど、僕が口を開くと、その凶暴な気配は一瞬で霧散した。
「……クロエの言う通りだ、アリア。それを……しまってほしい。今後も、そんなことはしないでくれ。君が自分で傷つくのを……見たくないんだ」
「……………わかり、ました」
アリアは力なく項垂れ、その場にぽつりと取り残されたように放心した。
目からはボロボロと溢れ出す涙。唇からは「ごめんなさい、ごめんなさい」と壊れた人形のように狂おしい謝罪が漏れ続ける。
(……昔のアリアは、いつも眩しい笑顔を浮かべていたのに)
僕を酷い目に遭わせた彼女たち。けれど、僕は復讐がしたいわけじゃない。前のようにとはいかなくても、ほんの少しだけでも関係を修復したくて、こうして会うことを決めたのだ。
アリアがこんな風に壊れて泣き崩れるのは、僕の本望ではない。
「……アリア」
「……はぃ。何でしょうか、ロア様……っ」
「……前のように接することができるなんて、保証はできない。今だって、こうして君たちと話しているだけで……ほら、手が震えて止まらないんだ」
「…………ぁ、あぁ……っ! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ!!」
僕の手の震えを目にした瞬間、アリアは絶望に顔を歪め、正気を失ったように床へ頭を打ち付け始めた。僕に植え付けたトラウマの深さを知って、自責の念で破滅しそうになっている。
「それに……アリアに魔法で治してもらったけれど、身体もまだ重くて、思うように動かないんだ」
「ごめんなさい……っ、私のせいで、私が……っ」
「だから……もし良かったら、次もまたお見舞いに来て、僕の容態を診てくれると助かる」
「ごめんな……え?」
頭を打ち付けていたアリアが、はっと顔を上げた。
ぐしゃぐしゃに濡れた顔で、呆然と僕を見つめ返す。
「アリアは学院でも、この国でも一番の『癒し手』だろう? だから……それを罪滅ぼしだと思って、僕を助けてほしいんだ」
「……本当に、私めが……お側に行っても、良いのですか……?」
「うん。でも、ミアにも言ったけれど、毎日は駄目だよ。クロエに迷惑がかかるからね」
「…………あ……ぁ……っ」
アリアの濁り切っていた瞳の奥に、すっと、熱を帯びた怪しい光が差し込んだ。
贖罪の機会を与えられた歓喜と、僕への恐ろしいほどの愛着が、その瞳の中で混ざり合っていく。
「分かりました……! ありがとうございます、ロア様……! 必ず、必ずやロア様のお身体を元通りにしてみせます……っ!」
それから数分後。
アリアはようやく涙を拭い、ミアと同じように帰路につくことになった。
「それでは、失礼いたします。また……すぐにお見舞いに伺ってもよろしいのですね?」
「うん」
「……はい! それでは、また来ます。ロア様……本当に、申し訳ありませんでした」
「……またね、アリア」
彼女は最後に深く振り返り、かつての聖女らしい優美で、どこか執着に満ちた一礼をして去っていった。
去り際の彼女の顔は、ここへ来た時の絶望的な表情よりも――ずっと生き生きとして、怪しい熱を帯びていた気がした。