好感度が反転したヤンデレ達の記憶が戻ったが、壊れてしまった関係値が元に戻ることはありません 作:かにくい3
「……ごめんなさい、ロア。私、ロアにしちゃいけないこと、たくさん……した。ごめん、なさい。本当に……ごめんなさい」
「……エリー」
いつも深くかぶっていた鍔の広い三角帽子を取り、かつて無表情だったその顔をぐしゃぐしゃに歪めて、エリーはボロボロと涙を零していた。
エリー。
貴族であり、魔法の天才。学院からも国からも破格の期待を寄せられ、彼女専用の巨大な研究室すら与えられている少女。
わずかに癖のある長い茶髪に、吸い込まれそうなほど大きな瞳。同学年の誰よりも小さな体躯。感情を滅多に表に出さないその姿は、まるで精巧に作られた美しい人形そのものだった。
人付き合いを嫌い、「面倒くさい」と僕にだけ本音を漏らしていた彼女。無口で冷淡に見えるけれど、僕の前でだけは小さく笑ったり、不機嫌そうに頬を膨らませたり、嬉しそうに目を細めてくれていた。
──そんな彼女が今、原形をとどめないほど顔を歪め、子供のように泣きじゃくっている。
「ごめん、なさい……っ。エリー、ロアを傷つけるつもりなんて、全くなかったの。あの時は本当に、頭がおかしくなってた……っ。ごめんなさい、ごめんなさい……!」
大きな瞳から溢れ出す涙が、ぽたぽたと床を濡らしていく。
彼女の視線は、縋りつくように僕から離れない。赤く腫れた瞳の奥にあるのは、自責の念と──狂気にも似た過剰な愛着だ。僕を壊してしまったことへの身を裂くような後悔と、それでも僕を諦められない執着が、濁った熱となって僕の肌を焼く。
「これからは……ロアのために生きてく。私が出した研究成果も、全部ロアにあげる。富も名声も、そんなの全部いらない……! ロアだけ、ロアだけがいればいい……っ」
「……エリー」
「ロアしかいらないの! 他のものなんて全部いらない! 私の全部をあげる……! ロアのためなら何でもする。死ねって言うなら今すぐ喉を掻き切る。誰かを殺してほしいなら殺す。何だってする……っ! そうしなきゃ、私……償いきれないよ、ロア……!」
息を詰まらせ、喉を鳴らしながら、エリーは血を吐くような声で叫ぶ。
つたない口調のまま吐き出される言葉には、あまりにも重く、歪んだ愛が塗れていた。僕のためなら世界だって滅ぼしかねない天才の狂気が、剥き出しになって僕に襲いかかる。
なんて返せばいいのか、僕には分からない。
ミアにもアリアにも返事はした。けれど、それが正解だったのかどうかは、神様しか知らないだろう。
だけど──今は、己の選択を信じるしかない。
「……アリアにも言ったけれど、僕はみんなに傷ついてほしくないんだ。自分で自分を傷つけることなんて、絶対にしてほしくない」
「……う、ん」
「だけど……正直に言うね。エリーたちと、昔みたいに元通りになれるかは分からない。……怖いんだ。頭ではもう大丈夫だって分かろうとしているのに、体と心が……僕の深層意識が、エリーたちを拒絶して震えてるんだ」
告白すると同時に、僕の指先がかすかに怯えで揺れた。エリーはそれに気づいた瞬間、まるで胸を刺されたかのように顔を蒼白にし、絶望に瞳を揺らす。
「だから……そうだな。バツとして、週に一回まとめて、僕が学校を休んでいる間の授業内容を教えてもらおうかな」
「……え? い、つの?」
「うん」
「……ほんとに? 私……側にいても、いいの……?」
エリーが縋るような、今にも崩れ落ちそうな目で見つめてくる。
トラウマが消えたわけじゃない。また僕が壊される恐怖はある。だけど、その場にはきっとクロエがいてくれるはずだ。
「うん。ほんとうに」
ぎこちないと自分でも分かる笑みを返すと、エリーは何度も何度も確かめるように首を振ったあと、ようやく少しだけ安心したように息を吐いた。
そして、胸の奥に灯ったドロリとした執着を隠すように、脱いでいた三角帽子を深く深々とかぶり直す。
「……じゃあ、来週から、教えに来るね」
「うん、待ってるよ」
「……ロア、ありがとう。本当に。……じゃあ、またね」
「うん、また」
「また、ね……ロア」
帽子を目深にかぶった影の隙間から、彼女の唇が見えた。
無表情だったはずの口角が、わずかに、けれど確実につり上がっている。
許された喜びと、再び僕の隣を手に入れた幸福感。そして──二度と僕を逃がさないという暗い誓いが、その小さな笑みに凝縮されているように見えて、僕は背筋に冷たい悪寒を覚えた。
三人がこの部屋を去り、最後に残ったのはリリアだった。
リリア・アスフォード。
クロエと同じく、この国の頂点に君臨する『三大貴族』の令嬢だ。ちなみにクロエの家柄もそれに次ぐ『八大貴族』であり、十分すぎるほどの権力を持っている。
リリアの美貌は他の三人に決して引けを取らない。それほどの立場と美しさを持ちながら、彼女は決して驕らなかった。平民・貴族の隔てなく誰にでも平等で、お淑やかで、困っている者には優しく寄り添う。
アリアが近づきがたい『天使』や『聖女』として神格化されているのに対し、リリアは誰からも愛される『親しみ深いみんなのお姉ちゃん』として慕われていた。
深い海を思わせる、吸い込まれそうな澄んだ青い瞳。
包み込むようにすべてを受け入れて甘やかしてくれる、豊かな胸と重たげな尻。
その包容力にあてられ、虜になった男子生徒は数知れない。
「ロア君、本当にごめんなさい……。ロア君のお姉ちゃんだなんて言っていたのに、こんなことして最低だよね。本当に、ごめんね……っ」
「……リリア」
目尻に涙を浮かべたリリアの顔は、去っていったミアたちと同様、目は光を失って虚ろだった。頬は痛々しく痩せこけ、まともに食事も睡眠もとっていないことが一目で分かってしまう。
「……『リリアお姉ちゃん』って、呼んでくれないんだね。そうだよね、こんなダメなゴミくずみたいな人間のこと、お姉ちゃんだなんて思いたくないよね。もしそうだとしたら恥だよね……ごめんね、ごめんなさい」
「い、いや……今はクロエもいるし、前にも言ったけど、二人きりじゃないから恥ずかしいだけっていうか……」
「大丈夫だよ、隠さなくていいから。私も……ロア君のお姉ちゃんにふさわしくないって、ちゃんと分かってるから」
あはは、と壊れたネジのように笑う。
すべてに疲弊し、この世への執着すら擦り切れてしまったかのような、乾ききった笑い声だった。
「ねぇ、ロア君。私、もうあなたのお姉ちゃんにはなれないよね? もう二度と元には戻れないよね? もう……友達にすらなれないよね? 私、もう……生きていけないよ」
リリアの首が力なく垂れる。声は次第に小さくなり、今にも消えてしまいそうなほどか細く震えていた。
僕に対してあんな酷いことをする前まで、僕を甘やかし、誰もいない二人きりの場所では僕に甘えてくれていた、かつての面影はどこにもない。
そこにいるのはただ、人生に絶望し、行き場を失った哀れな少女だった。
「私、ロア君がいなきゃ何にもできないゴミ屑なのに……恩を仇で返す屑で、ごめんね? 私、いない方がいいよね? 死んだほうがいいよね? ……死ぬね?」
「落ち着いて、リリア! 死なないで欲しい。自分を傷つけるようなことを、僕は望んでいないんだ」
「……優しいね、ロア君。あんなことした私に、まだそんな言葉をかけてくれるんだ。……でもね、私、私が許せないの。どうしようもなく自分が憎い」
リリアの瞳が、凄絶な憎悪に染まる。自分自身を呪い殺しかねないほどの鋭い色だ。
――リリアに何を言えば、自分を許せるようになるだろうか。
ミア、アリア、エリー、そしてリリア。
彼女たちは『罰』を欲しがっている。自分で自分に与える無意味な罰ではなく、僕の手から与えられる決定的な罰を。
であるのなら――たとえそれが気休めでしか無かったとしても。
「……リリア、落ち着いて。リリアの言う通り、元通りには戻れないかもしれない」
「……そう、だよね。だから、もう私……」
「でも……また、新しくやり直すことはできるから」
リリアの瞳から憎悪の毒が少しだけ抜け、元の澄んだ青色が覗く。
「で、でも……私は私を許せないよ。そんなの、ロア君に甘えているだけだもん……っ」
「だから……そうだな。リリアには、僕が歩けるように補佐を頼みたいんだ。見ての通り、僕は今、自分で歩くことができないから」
「……いい、の……?」
「ロア、大丈夫……なのか?」
傍らで見守っていたクロエが心配そうに声をかけてくるが、僕は小さく頷いた。
「あぁ、大丈夫だよ、クロエ。……だから、お願いできないかな? リリアお姉ちゃん」
僕がそう頼むと、リリアは弾かれたように目を見開いた。
やがて、かつての優しげな面影を宿した顔で、涙をボロボロとこぼしながら微笑む。
「うん……うんっ! 分かった……! ロア君の頼みなら、なんだってするよ……っ」