隣の芝生は青々と 作:片栗粉
対戦よろしくお願いします。
才能とは、何かに夢中になれることである。
これが俺の考えである。
これまでただの一度も本気になることが出来なかった。
勉強も運動も、遊びでだって、大抵のことは人よりうまくやれる。
けれど、
やればできるという確信は、情熱を殺す毒であった。
なんて、それっぽいことを考えて正当化したふりをするだけで。
下を見て悦に浸ることも、
上を見て絶望することも、
現状に満足することすら出来ない。
ただ徒に今を過ごすだけの俺にはきっと、
才能がないのだろう。
体育館に、甲高いシューズの摩擦音と、ボールが床を叩く鈍い音が反響している。種目はバレーボール。
サーブ順が回って来た俺は適当にサーブを打ち、適当にレシーブをこなし、試合の流れを壊さない程度に参加していた。
高く上がったボールの落下地点に移動し、ボールを迎え、流れのままにアタッカーの元へと軽くトスする。
「ナイス伊谷!」
「ん」
短い返事だけを返し、視線を相手コートへ移す。
義務的にボールに合わせていた俺の目に、奇妙な動きをする女生徒が映り込んだ。
彼女は太陽の光を吸い込んだような明るい髪を揺らし、ボールの落下点に猛ダッシュしていた。
「よっ、しゃ、こーい!」
気合だけは十分な掛け声。だがそのフォームは絶望的だった。
ボールを迎え撃つべく腰を落とし、腕を組む――その体勢は、まるで神に豊穣の祈りを捧げる巫女のようだった。
なぜか両手は固く組まれ、ボールではなく天を仰いでいる。無駄に芸術性を感じさせる姿であった。
「――おりゃぁっ!」
締まらない声と共に、ボールは彼女の組んだ腕ではなく、額に吸い込まれるように当たった。
べちん、と情けない音が体育館に響き、ボールはそのまま床に落ちる。
俺たちのチームにあっさりと点が入った。
「あうっ! ご、ごめーん! 次こそは絶対取るから!」
額を押さえながらぺこりと頭を下げる少女。
彼女のチームからは「どんまーい!」「その調子でいいぞ!」「キャッチしないだけ上達してるぞ!」と愛のある野次が飛ぶ。
これでこの試合、彼女の珍プレーによる失点が五点目。もはやこちらチームの秘密兵器だ。
鼻を擦りながら定位置に戻るその顔は既に真剣そのもので、現在進行形でミスを重ねている人物とは思えない。
その切り替えの早さは見習うべきかもしれないな、とぼんやりと思った。
☆ ☆ ☆
「ピーッ」
試合終了のホイッスルが鳴る。当たり前のように俺たちのチームの勝利だった。
「お疲れー!」
「まあ、流石に余裕だったな」
チームメイトたちが軽くハイタッチを交わしたり、笑い合ったりしている。
その輪に加わる気にもなれず、俺は一人でネットの片づけを始めていた。
「ナイス伊谷!」
「どうも」
誰かが背中を叩いてきたが、俺は振り返りもせずに返した。
「さきお疲れー!」
「あ、つむちゃん! おつかれだよー! うぅ、今日も活躍できなかったよ……」
どうしてあんなにも本気になれるのだろうか。
☆ ☆ ☆
「……はぁ」
誰に聞かせるでもないため息が、放課後の教室に溶ける。
体育の授業が終わり、気怠い午後の授業も終え、気が付けば放課後になっていた。
窓の外からは運動部のやや掠れた掛け声が聞こえてくる。
俺、
ホームルームで返却されたばかりの数学の小テストは満点だ。
教科書を読み、適当に授業を受けていれば満点を取れるような、そんな簡単な内容だった。
喜ぶようなことでもない、いつも通り当たり前の事だった。
つまらない、と心の中で呟いた時だった。
「むぁ……なんでぇ~……」
右隣の席から、小さな唸り声が聞こえた。
声の主はバレーボールで大立ち回りをしていた少女、
腰まで届きそうな明るい色のストレートヘアを揺らしながら、答案用紙とにらめっこしている。
身長は小さいが、クラスでの存在感はそれに反比例するように大きい。
彼女の手元にある答案用紙。そこに書かれた赤々としたバツ印の数々。そしてその隣に添えられた点数は四。
驚異の一桁前半であった。
彼女はこの小テストのために随分と時間をかけていたはずだ。
休み時間には付箋だらけで分厚くなった教科書とにらめっこし、昼休みには弁当もそこそこに眉間にしわを寄せ、ノートに数式を書きなぐっていた。
その姿は傍から見れば努力家そのものだったはずだ。
だがしかし。
(まあ、棚町だしな……)
入学して三カ月もたっていないというのに、そんな感想が出てしまう。
彼女がどんなに頑張っても結果が出ないのはいつものことだ。
運動神経は壊滅的で、体育のバレーボールでは珍妙なフォームのレシーブを繰り出しては相手チームに点を与える。
美術の授業で「自由な発想で」と言われれば、粘土で
そして、勉強も……ご覧の通りだ。どれだけ時間をかけても、どれだけ真剣に取り組んでも、結果はいつも伴わない。
だというのに、不思議なことに彼女は決して腐らない。
テストの結果が悪くても、体育で笑われても、「次はもっと頑張る!」と拳を握りしめ、すぐに前を向く。
その姿はある意味尊敬に値するのかもしれない。
少なくとも、俺には到底真似できない生き方だ。
などと考えていると、ふと答案用紙のとある問題の解答欄に書かれた式が目に留まった。
それは単なる計算ミスや公式の覚え間違いではなかった。
問題の意図を根本から捻じ曲げ、まるで異世界の法則でも適用したかのような、解法と呼ぶ事もためらわれるような奇想天外な文字列がそこにはあった。
「…………!」
息が詰まる。見てはいけないものを見てしまったような不快感が背筋を走った。
どういう思考の迷宮を彷徨えば、この問題からその結論に漂着するのか。
いや、そもそも棚町は何を勉強していたのか。
あの付箋だらけの教科書は一体何だったのか。
理解不能。だがそれ以上に、俺の中の何かがこの非論理的な存在を許せなかった。
俺はほとんど突発的な衝動に突き動かされ、気付けば口を開いていた。
「おい、棚町」
「ひゃっ!? い、伊谷くん? な、なに?」
突然声をかけられ、棚町は肩を跳ねさせて驚いた。大きな瞳をぱちくりさせながら、俺を見上げる。
無理もない。愛想が悪い事で有名な俺だ。話しかけた俺の方だって驚いている。
面倒なことに関わるのは御免だが、一度口を開いてしまった手前、引っ込めるのもバツが悪い。
それに何より、この不可解な解答の謎を知りたいという好奇心が勝ってしまった。
「……いや、その……なんだ、その問題」
俺は人差し指で、例の解答欄を指さした。
「これ、何があったんだ?」
俺の問いに、棚町は「え? ああ、これね!」と、なぜか少し嬉しそうに自分の答案を覗き込んだ。
そして、自信満々……いや、自信はなさそうだが、一生懸命に説明を始めた。
「えっとね、まずこのxが一人で寂しそうだったから、隣の数字と仲間にしてあげて……」
「待て待て待て」
開始五秒で理解不能な説明が飛び出し、俺は思わず制止した。
xが寂しい? 仲間? 数学の世界にそんな情緒的な概念はないはずだ。
「いや、そういう問題じゃないだろ、これは……」
「え? でも、先生が『分からない文字があったら、分かるところから考えてみよう』って……」
「……それは現国の授業だろうが…!」
「えぇ! ……まじ?」
俺は頭を抱えたくなった。
「はぁ……」
「うーん…でもxが寂しそうだったから…」
棚町はそう言って、なんとも申し訳なさそうな顔をしている。
「あー…棚町」
「は、はい!」
「何というか、考え方が独特すぎるな」
「え、本当?! えへへ」
「何故喜ぶ」
「え、だって特別って事でしょ? ありがと!」
「……ここまでくると才能だな」
「む」
皮肉混じりに、思ったままを口にしてしまった。
しまった、と思った。さすがに意地が悪すぎたか。
反射的に棚町の顔色を窺うと、彼女は案の定むっと頬を膨らませていた。
だがそれも一瞬のことで、彼女は
「私、才能って言葉、好きじゃないんだよね」
「……ん?」
「だって私が頑張ってること、その一言で全部無駄みたいにされちゃう気がして悔しいもん!」
予想外の反論に、俺は少し面食らった。もっと落ち込むか怒るかと思ったが、そのどちらでもなかった。
「時間はかかるよ? 他の人みたいに上手にも出来ないし。でも私だって、毎日鉄棒にぶら下がってたら、逆上がりだってできるようになったんだよ! だからさ、才能を言い訳にするのって…なんか、ださいじゃん!」
彼女は、
……
「……あ、明日の放課後、少し時間あるか?」
気づけば俺はそんなことを口走っていた。
「へ?」
驚いた。まさか俺の口からこんな誘い文句が出るとは。
棚町はいまいち理解ができていないのか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で俺を見ている。
「……お前のその壊滅的な間違い方を見てると、なんというか……こう、ムズムズするんだ。原因を知りたくなった。少しだけなら、見てもいい」
「…? ……? あ…! い、いい、伊谷くんに!? いいの?!」
棚町はぽかんとした後に目を輝かせ、勢いよく椅子から立ち上がり、ずいっと顔を寄せてきた。
その声と表情には隠しきれない喜びが満ちている。
「あ、あのっ、よろしくお願いします! 伊谷先生!」
「…先生はやめろ。あと、近づきすぎだ。暑苦しい」
西日が差し込む教室で、彼女の髪がきらりと光る。
たっぷりと日の光を浴びた影響だろうか。
なんだかもう、すっかりと調子が狂ってしまっていた。
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