ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第四章 仲間

 

 翌朝。

 

 東方司令部の執務室には、いつもと変わらない時間が流れていた。

 

 書類をめくる音。

 

 通信機器の作動音。

 

 軍人たちが行き交う足音。

 

 ただ一つ。

 

 ヨキの席だけが空いていた。

 

 リザは時計へ目を向けたあと、静かに口を開く。

 

「ヨキ中尉が、まだ出勤しておりません。」

 

 机へ向かっていたマスタングは、書類から目を上げなかった。

 

「遅刻か。」

 

「現在のところ、無断欠勤です。」

 

「昨日は非番だったはずですが。」

 

 リザの声には、わずかな呆れが含まれていた。

 

「昨夜も飲みに行っていたのではないか。」

 

 マスタングは面倒そうに息を吐く。

 

「放っておけ。」

 

「出勤してきたら始末書を書かせろ。」

 

「承知しました。」

 

 リザは手元の書類へ視線を戻す。

 

「それと。」

 

「鋼の錬金術師がお見えになっています。」

 

 マスタングが、ようやく顔を上げた。

 

「青の団の件か。」

 

「そのようです。」

 

「やれやれ。」

 

 マスタングは椅子から立ち上がる。

 

「彼に借りを作るのは、気色が悪いな。」

 

 そう言いながら、執務室を後にする。

 

 リザも資料を手に、そのあとへ続いた。

 

 室内へ、再び仕事の音が戻る。

 

 その中で。

 

 ハボックだけが、何もせずにヨキの空席を見つめていた。

 

 昨日の酒場。

 

 俯きながら、推測を語っていたヨキ。

 

『俺の考えすぎかもしれないな。』

 

 無理に浮かべていた、ぎこちない笑顔。

 

 ハボックは何かを考え込むように、静かに目を細めた。

 

 

 冷たい床の感触で、意識が浮かび上がった。

 

「……う。」

 

 ヨキはゆっくりと目を開く。

 

 薄暗い部屋。

 

 鼻を刺す薬品の匂い。

 

 頭が重い。

 

 視界もまだ揺れている。

 

 身体を起こそうとしたが、手足がまったく動かなかった。

 

「……何だ。」

 

 両手首と両足首には、分厚い金属製の拘束具が嵌められている。

 

 さらに、その拘束具は床へ固定されていた。

 

 身体の下へ視線を落とす。

 

 複雑な線。

 

 円。

 

 記号。

 

 幾重にも重なる図形。

 

 巨大な錬成陣。

 

 その中心に、自分は寝かされていた。

 

(……やられた。)

 

 記憶が蘇る。

 

 タッカー宅。

 

 応接室。

 

 確認。

 

 穏やかな笑顔。

 

 背後から回された腕。

 

 薬品の染み込んだ布。

 

「起きましたか。」

 

 暗がりの向こうから、声がした。

 

 ショウ・タッカーが、ゆっくりと姿を現す。

 

 いつもと同じ穏やかな顔。

 

 まるで、昨日起きたことなど何でもなかったかのように。

 

「そろそろ薬が切れる頃だと思っていました。」

 

 タッカーは床の錬成陣へ目を落とす。

 

「本当は。」

 

「あなたが目を覚ます前に、すべて終わらせたかったのですが。」

 

 困ったように笑う。

 

「準備が間に合いませんでした。」

 

「ニーナちゃんと……アレキサンダーは。」

 

 ヨキは乾いた喉から声を絞り出した。

 

「二人は、どこにいる。」

 

「しばらく知人の家へ預けています。」

 

「あなたがいくら叫んでも、聞こえませんよ。」

 

 ヨキは、わずかに息を吐いた。

 

 少なくとも。

 

 今、この家にはいない。

 

 それだけは救いだった。

 

「俺を……どうするつもりだ。」

 

「分かりませんか?」

 

 タッカーは錬成陣の外側へ立つ。

 

「あなたは、私がしたことに気付いた。」

 

「そして。」

 

「これから私がしようとしていることにも。」

 

「そのような軍人を、このまま帰すわけにはいきません。」

 

「口封じか。」

 

「それだけでは、もったいないでしょう。」

 

 タッカーの口元が、静かに緩んだ。

 

「あなたには、材料になっていただきます。」

 

「俺を使って……合成獣を作るのか。」

 

「ええ。」

 

「以前よりも、良い成果が得られるかもしれません。」

 

「査定にも間に合う。」

 

 その声には、喜びも怒りもなかった。

 

 ただ、研究内容を説明するような平坦さだけがあった。

 

「……狂ってるな。」

 

「よく言われます。」

 

 タッカーは少しも気にした様子を見せない。

 

「ですが。」

 

「研究者とは、そういうものではありませんか。」

 

「未知を知りたい。」

 

「手の届かなかった場所へ進みたい。」

 

「そのために必要な材料を使う。」

 

「それだけのことです。」

 

「自分の家族でもか。」

 

 タッカーの動きが、わずかに止まる。

 

 しかし、すぐに笑顔へ戻った。

 

「人間は皆、都合よく命の価値を決めます。」

 

「家族ならば尊い。」

 

「他人ならば仕方がない。」

 

「敵ならば殺してもいい。」

 

 ゆっくりとヨキへ近付く。

 

「軍人であるあなたなら、よくご存じでしょう。」

 

「イシュヴァールでは。」

 

「あなた方軍人が、何万人もの命を奪った。」

 

「国家錬金術師を人間兵器として投入し。」

 

「子どもも。」

 

「老人も。」

 

「罪のない者たちも殺した。」

 

 タッカーは肩をすくめた。

 

「私は。」

 

「ほんの数人ですよ。」

 

「違いは。」

 

「国の命令か。」

 

「私の意思か。」

 

「それだけではありませんか。」

 

 ヨキは黙ってタッカーを見つめた。

 

 イシュヴァール。

 

 この国が行った蛮行。

 

 否定できる話ではない。

 

 軍の人間が、多くの命を奪ったことも事実だ。

 

 それでも。

 

「違う。」

 

 ヨキは、はっきりと答えた。

 

「何が違うのです?」

 

「軍がしたことを正しいなんて言わない。」

 

「国の命令なら、何をしても許されるとも思わない。」

 

「それでも。」

 

 拘束具へ力を込める。

 

「目の前の子どもを。」

 

「自分を信じて笑っている娘を。」

 

「研究材料にする人間を、俺は認めない。」

 

 タッカーは静かに首を傾げた。

 

「感情論ですね。」

 

「そうかもしれない。」

 

「軍人らしくありません。」

 

「かまわない。」

 

 ヨキは苦笑した。

 

「俺は、立派な軍人になりたいわけじゃない。」

 

「助けられる人を、見捨てたくないだけだ。」

 

 タッカーはしばらくヨキを見つめていた。

 

 やがて、残念そうに息を吐く。

 

「あなたなら。」

 

「もう少し、私のことを理解してくださると思ったのですが。」

 

「理解したから止めに来たんだよ。」

 

「そうですか。」

 

 タッカーは錬成陣へ視線を落とす。

 

「では。」

 

「始めましょう。」

 

 ゆっくりと床へ手を伸ばす。

 

(まずい。)

 

 ヨキは必死に身体を動かそうとする。

 

 拘束具は、びくともしない。

 

(誰も来ない。)

 

(俺は誰にも相談しなかった。)

 

(ハボックには推測を話しただけだ。)

 

(ここにいることすら伝えていない。)

 

 タッカーの手が、錬成陣へ近付いていく。

 

(考えろ。)

 

(何かないか。)

 

(時間を稼ぐ方法は。)

 

「タッカー。」

 

 ヨキは声を張った。

 

 タッカーの手が止まる。

 

「何でしょう。」

 

「俺が消えたら。」

 

「本当に誰も気付かないと思ってるのか。」

 

「突然の異動を繰り返している軍人です。」

 

「誰も不思議には思わないでしょう。」

 

「そうかな。」

 

「俺は昨日。」

 

「君のことを、一人の同僚に話した。」

 

 タッカーの笑みが、ほんの少しだけ固くなる。

 

「資料の内容も。」

 

「俺の推測も。」

 

「全部だ。」

 

 嘘ではない。

 

 ただ、ハボックが助けに来る保証など何もなかった。

 

「俺が消えたら。」

 

「同僚は君を疑う。」

 

 タッカーは静かに答えた。

 

「疑うことと、証明することは違います。」

 

「あなた自身が言ったのでしょう。」

 

「証拠はない、と。」

 

 ヨキは歯を食いしばる。

 

 その通りだった。

 

「それでも。」

 

「人間は、気になったら調べるものだよ。」

 

「少なくとも。」

 

「あいつは、そういう奴だ。」

 

 タッカーは、しばらく黙っていた。

 

 しかし。

 

 やがて、再び穏やかな笑みを浮かべる。

 

「では。」

 

「その方が来る前に終わらせましょう。」

 

 再び、床へ手を伸ばす。

 

 その瞬間だった。

 

 ――ドンッ!!

 

 激しい音とともに、研究室の扉が蹴破られた。

 

「動くな!!」

 

 ハボックが、扉の向こうから飛び込んでくる。

 

 タッカーが振り返る。

 

「なっ――」

 

 その一瞬で、ハボックは距離を詰めた。

 

 タッカーの腕を掴み、床へ叩きつける。

 

「ぐっ……!」

 

 背中へ膝を押し当て、腕をねじ上げた。

 

 ヨキは呆然と、その姿を見つめる。

 

 自分では振りほどけなかったタッカーを。

 

 ハボックは、難なく制圧している。

 

 その直後。

 

 赤い外套を纏った少年と、巨大な鎧が研究室へ飛び込んでくる。

 

「兄さん!」

 

「ああ!」

 

 少年は床一面へ描かれた錬成陣を一目見ると、その中へ踏み込んだ。

 

 靴底で錬成陣を踏み荒らす。

 

 さらに両手を打ち合わせ、床へ触れる。

 

 青白い光が走った。

 

「うおっ!」

 

 ヨキの手足を拘束していた金具が、音を立てながら変色していく。

 

 表面に亀裂が入り、急速に脆くなった。

 

「アル!」

 

「うん!」

 

 鎧の少年がヨキの傍へ膝をつく。

 

「少しだけ我慢してください!」

 

 両手で拘束具を掴み、一気に引きちぎった。

 

 金属が砕け、ヨキの手足が自由になる。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……助かりました。」

 

 身体を起こそうとしたが、薬の影響が残っている。

 

 力が入らない。

 

 鎧の少年が、身体を支えてくれた。

 

 そして。

 

 三人の後ろから。

 

 マスタングが、ゆっくりと研究室へ入ってきた。

 

 破壊された扉。

 

 踏み荒らされた錬成陣。

 

 床へ押さえ込まれているタッカー。

 

 拘束されていたヨキ。

 

 それらを一目見て。

 

 マスタングの表情から、わずかな笑みすら消えた。

 

「ショウ・タッカー。」

 

 低い声が響く。

 

「国家錬金術師としての権限を、一時停止する。」

 

「詳しい話は、東方司令部で聞かせてもらおう。」

 

 遅れて入ってきた憲兵たちが、タッカーの両腕へ手錠を掛ける。

 

「これは誤解です。」

 

 タッカーは、最後まで穏やかな声を崩さなかった。

 

「私は、ただ研究を――」

 

「言い訳は後で聞く。」

 

 マスタングが冷たく遮る。

 

 タッカーは憲兵に連れられ、研究室を出ていった。

 

 その背中を見送り。

 

 ヨキは、ようやく全身から力が抜けるのを感じた。

 

「……助かった。」

 

「本当に……。」

 

 その場へ座り込みそうになる。

 

 ハボックが素早く肩を貸した。

 

「中尉。」

 

「生きてます?」

 

「なんとか。」

 

「そりゃ良かった。」

 

 いつもの軽い調子。

 

 だが。

 

 ハボックの表情には、はっきりと怒りが滲んでいた。

 

「しかしまぁ。」

 

「ここまでするなら、言ってくださいよ。」

 

 ヨキは申し訳なさそうに顔を伏せる。

 

「すまなかった。」

 

「こんなことで、君に迷惑を掛けるわけにはいかなかった。」

 

 ハボックは、大きくため息を吐いた。

 

「中尉。」

 

「そういうところですよ。」

 

「俺たち、仲間でしょ?」

 

「一人で抱え込まれる方が、よっぽど迷惑です。」

 

「昨日あんな話を聞かされたら。」

 

「今日来なかった時点で、気になるに決まってるじゃないですか。」

 

「……怒ってる?」

 

「怒ってますよ。」

 

 ハボックは即答した。

 

「でも。」

 

「生きてたんで、今日はこれくらいにしときます。」

 

 ヨキは少し驚いたように目を瞬かせ。

 

 やがて、小さく笑った。

 

「ありがとう。」

 

「次からは、ちゃんと相談するよ。」

 

「絶対ですよ。」

 

「ああ。」

 

 少し離れた場所で。

 

 赤い外套の少年と、鎧の少年が二人のやり取りを見ていた。

 

「仲いいんだな。」

 

 赤い外套の少年が、小さく笑う。

 

「うん。」

 

 鎧の少年も、優しく頷いた。

 

 ヨキは、その声に気付いて二人へ目を向けた。

 

「ところで。」

 

「そちらの方たちは?」

 

 ハボックが、ようやくいつもの笑みを浮かべる。

 

「鋼の錬金術師と、その弟さんですよ。」

 

「あなたが……鋼の錬金術師。」

 

「ああ。」

 

 少年は少し胸を張る。

 

「エドワード・エルリック。」

 

「鋼の錬金術師だ。」

 

 鎧の少年が丁寧に頭を下げた。

 

「弟のアルフォンスです。」

 

「ヨキ中尉です。」

 

 ヨキは身体を支えてもらいながら、深く頭を下げた。

 

「リオールでは、本当にありがとうございました。」

 

 エドワードが、少し不思議そうな顔をする。

 

「あなたがいなければ。」

 

「私は今、ここにはいませんでした。」

 

 エドワードはヨキの顔を見つめる。

 

「礼なんていいよ。」

 

 エドワードは照れくさそうに鼻をこする。

 

「困ってる人を助けるのは、当たり前だろ。」

 

 その言葉に。

 

 ヨキは、ほんの少し目を細めた。

 

「ええ。」

 

「本当に、その通りですね。」

 

 

 その夜。

 

 ハボックの提案で、小さな打ち上げが開かれた。

 

 ヨキ。

 

 ハボック。

 

 エドワード。

 

 アルフォンス。

 

 四人は、イーストシティの飲食店へ集まっていた。

 

「今日は、中尉のおごりです!」

 

 ハボックが高らかに宣言する。

 

「勝手に決めるなよ。」

 

「命の恩人ですよ?」

 

「それを言われると弱いなぁ。」

 

 ヨキは苦笑した。

 

「しょうがない。」

 

「今日は俺が出すよ。」

 

「よっしゃ!」

 

 ハボックが嬉しそうに拳を握る。

 

 エドワードも、目の前に並んだ料理へ視線を輝かせた。

 

「じゃあ、遠慮なく食うぞ!」

 

「兄さん。」

 

「遠慮はしてよ。」

 

「今日はいいよ。」

 

 ヨキは笑う。

 

「助けてもらったお礼だからね。」

 

「中尉。」

 

「気前いいですねぇ。」

 

「君が言わせたんだろ。」

 

 全員が笑う。

 

 しばらくして。

 

 ヨキとハボックが、酒を飲みながら店の話を始める。

 

「そういや中尉。」

 

「この前の店、どうでした?」

 

「悪くなかったね。」

 

「今度は、もう少し落ち着いた所がいいかな。」

 

「女の子がいる所ですか?」

 

「もちろん。」

 

 その会話を、アルフォンスが興味深そうに聞いていた。

 

「女の子がいるお店って、どんな所なんですか?」

 

「アル!」

 

 エドワードが慌てて止める。

 

 ヨキは鎧の少年へ笑いかけた。

 

「アルくんも。」

 

「いつか連れて行ってあげるからね。」

 

「中尉!?」

 

 ハボックが吹き出す。

 

「何を教えてるんですか!」

 

 また、笑いが起きた。

 

 ヨキも。

 

 今度は心から笑っていた。

 

 

 同じ頃。

 

 東方司令部。

 

 リザは書類を抱え、マスタングの執務室へ入った。

 

「あら。」

 

「大佐は行かれなかったのですか。」

 

 マスタングは窓の外を眺めていた。

 

 街の灯りが、夜のイーストシティを照らしている。

 

「野郎だけの飲み会に興味はない。」

 

 そう言って、小さく笑った。

 

 しばらくの沈黙。

 

 やがて。

 

 マスタングが静かに口を開く。

 

「妙な男だ。」

 

「ヨキ中尉ですか。」

 

「ああ。」

 

「臆病そうに見えて、危険へ飛び込む。」

 

「人を見る目だけは、異様に鋭い。」

 

「優秀なのか、無謀なのか。」

 

 リザは少しだけ考え。

 

 静かに答えた。

 

「少なくとも。」

 

「放っておけない方ではあります。」

 

 マスタングは苦笑する。

 

「そうだな。」

 

 窓の外へ視線を戻す。

 

「東方へ来てもらって。」

 

「正解だったのかもしれんな。」

 

 リザは、その言葉に静かに微笑んだ。

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