ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第二章 思考実験

 

 その夜。

 

 リゼンブールの夜は静かだった。

 

 窓の外では虫の声が響き、穏やかな風が庭木を揺らしている。

 

 長旅の疲れもあったのだろう。

 

 ニーナはアレキサンダーへ寄り添うように眠っていた。

 

 ウィンリィはその寝顔を優しく見つめると、小さく微笑み、そっと部屋を後にする。

 

「それじゃ、おやすみ。」

 

 ピナコも立ち上がり、

 

「年寄りは先に寝るよ。」

 

 と言い残して自室へ戻っていった。

 

 静かな居間には、ヨキ、エドワード、アルフォンスの三人だけが残る。

 

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 

 湯飲みから立ち上る湯気だけが、静かに揺れている。

 

 やがて。

 

「……ヨキさん。」

 

 静寂を破ったのは、アルフォンスだった。

 

「聞いてもいいですか。」

 

「もちろん。」

 

 ヨキは穏やかに頷く。

 

 アルフォンスは少し迷うように視線を伏せ、それから真っ直ぐヨキを見つめた。

 

「どうして、あそこまで分かったんですか。」

 

 エドワードも腕を組みながら続ける。

 

「俺も気になってた。」

 

「マルコー先生のこと。」

 

「賢者の石のこと。」

 

「尾行のこと。」

 

「全部だ。」

 

「正直、訳が分からねぇ。」

 

 ヨキは二人を見つめ、小さく笑った。

 

「そうだろうね。」

 

 湯飲みを手に取り、一口だけ茶を飲む。

 

 そして静かに口を開いた。

 

「全部は話せない。」

 

 二人の表情が僅かに引き締まる。

 

「話せない?」

 

「ああ。」

 

「話せないこともある。」

 

「ただ。」

 

「隠したままでいるのも、不誠実だと思う。」

 

 ヨキは穏やかに続けた。

 

「話せる範囲でなら、全部話そう。」

 

 エドワードとアルフォンスは黙って頷いた。

 

「まず最初に。」

 

「君たちは勘違いをしている。」

 

「俺は何でも知っている人間じゃない。」

 

「ただ。」

 

「昔から、情報を集めて考えるのが好きだった。」

 

「考える?」

 

 アルフォンスが首を傾げる。

 

「思考実験だよ。」

 

「一つ情報があれば。」

 

『もし、こうだったら。』

 

『いや、こちらの方が自然じゃないか。』

 

『なら次はどうなる。』

 

「そんなことばかり考えて遊んでいた。」

 

「だから。」

 

「今はたまたま、それが上手く当たっているだけなんだ。」

 

 エドワードは納得できないという顔をした。

 

「いや。」

 

「そんなレベルじゃねぇだろ。」

 

「俺たちの事情なんて。」

 

「あんたには話してねぇ。」

 

「そうだね。」

 

 ヨキは素直に頷いた。

 

「だから。」

 

「君たち自身を見ていた。」

 

 二人は黙る。

 

「国家錬金術師になった少年が。」

 

「軍へ仕えることより。」

 

「何かを探すように旅をしている。」

 

「しかも。」

 

「普通の研究資料では満足していない。」

 

「もっと深い何かを探している。」

 

 ヨキは二人を見た。

 

「だったら。」

 

「失った何かを取り戻すために。」

 

「賢者の石を探している。」

 

「そう考えるのが、一番自然だった。」

 

 アルフォンスが苦笑する。

 

「僕たち。」

 

「そんなに分かりやすかったですか。」

 

「普通なら分からないと思う。」

 

 ヨキも苦笑した。

 

「でも。」

 

「人を見るのが好きなんだ。」

 

「何を考え。」

 

「何を求め。」

 

「何を隠そうとしているのか。」

 

「つい考えてしまう。」

 

 エドワードが頭を掻く。

 

「敵には回したくねぇ人だな。」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ。」

 

 三人は少しだけ笑った。

 

 重かった空気が、ほんの少し和らぐ。

 

 だが。

 

 ヨキの表情は再び真剣なものへ変わった。

 

「本当に違和感を覚えたのは。」

 

「リオールで見た。」

 

「あの賢者の石だった。」

 

 居間の空気が静まり返る。

 

「錬金術は。」

 

「等価交換が基本だ。」

 

「何かを得るには。」

 

「必ず何かを失う。」

 

「それは俺みたいな素人でも知っている。」

 

「でも。」

 

「あの石だけは違った。」

 

 エドワードも静かに頷く。

 

「……。」

 

「錬金術師でもないコーネロが。」

 

「あれほどの錬成を何度も繰り返す。」

 

「代償が見えない。」

 

「それが、一番気になった。」

 

 ヨキは湯飲みを見つめながら続ける。

 

「だから。」

 

「あれは兵器だと思った。」

 

「兵器……。」

 

 アルフォンスが呟く。

 

「人を簡単に戦わせる道具。」

 

「戦争の形を変える道具。」

 

「そんな印象だった。」

 

 ヨキは静かに続けた。

 

「なら。」

 

「これほど危険な物を。」

 

「誰が研究していたのか。」

 

「そこから調べ始めた。」

 

「そこで。」

 

「ドクター・マルコーという人物を知った。」

 

「賢者の石を研究していた国家錬金術師。」

 

「その後、消息を絶った人物。」

 

 エドワードが身を乗り出す。

 

「でも。」

 

「どうして居場所まで。」

 

「そこは。」

 

 ヨキは少し照れ臭そうに笑う。

 

「完全に思考実験だよ。」

 

「研究者なら。」

 

「追われる立場になった時。」

 

「どんな場所へ身を隠すか。」

 

「まず、自分ならどうするかを考えた。」

 

「町を転々とするか。」

 

「偽名を使うか。」

 

「いや。」

 

「研究者なら。」

 

「きっと人を救う仕事だけは、捨てられない。」

 

「大きな町か。」

 

「人里離れた村か。」

 

「軍の目が届きにくく。」

 

「それでいて。」

 

「医者として暮らせる場所。」

 

「そんな場所を、一つずつ潰していった。」

 

「さらに。」

 

「町医者として腕のいい先生がいる。」

 

「そんな噂をいくつか照らし合わせた。」

 

「だから。」

 

「マウロ先生が。」

 

「ドクター・マルコーである可能性は高い。」

 

「そう考えた。」

 

 ヨキは肩を竦める。

 

「もちろん。」

 

「外れていたら。」

 

「君たちに怒られていただろうけどね。」

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして。

 

「……。」

 

 エドワードは深く息を吐いた。

 

「やっぱり。」

 

「普通じゃねぇよ。」

 

「その頭ん中、一回見せてほしいくらいだ。」

 

 ヨキは苦笑する。

 

「ありがとう。」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ。」

 

「……でも。」

 

「ここまでの話は。」

 

「まだ序の口なんだ。」

 

 誰も言葉を発しない。

 

 ヨキは湯飲みを一口含み、静かに息を吐く。

 

「一つ。」

 

「君たちに聞きたい。」

 

 エドワードが顔を上げる。

 

「……何だ?」

 

「君たちは。」

 

「今の軍を、どう見ている?」

 

 突然の問いだった。

 

 エドワードとアルフォンスは顔を見合わせる。

 

「急にどうしたんだ?」

 

 ヨキは小さく笑った。

 

「いや。」

 

「思考実験だよ。」

 

 その一言だけで、二人は続きを待った。

 

「私がリオールへ赴任してから。」

 

「ずっと考えていたことがある。」

 

「どうにも。」

 

「この国は、不自然なんだ。」

 

 二人は黙って聞いている。

 

「私はこれまで。」

 

「町を立て直しては異動。」

 

「町を立て直しては、また異動。」

 

「そんなことを何度も繰り返してきた。」

 

「最初は偶然だと思っていた。」

 

「でも。」

 

「回数が重なると、嫌でも考えるようになる。」

 

「まるで。」

 

「平和になることを、望んでいないようだと。」

 

 エドワードが眉を寄せる。

 

「……。」

 

「戦争には。」

 

「金がいる。」

 

「兵器もいる。」

 

「食料もいる。」

 

「はっきり言って。」

 

「採算が取れるものじゃない。」

 

 少し間を置き。

 

 ヨキは静かに続けた。

 

「だから私は考えた。」

 

「もし。」

 

「この国が、本当に必要としているものの為に。」

 

「わざわざ戦争を起こしているのではないかと。」

 

「それは何なんだろう、と。」

 

「話を戻そう。」

 

「私はリオールで賢者の石を見た。」

 

「錬金術師でもない男が。」

 

「常識では考えられない錬成を行っていた。」

 

「私は錬金術には詳しくない。」

 

「だから。」

 

「兵器として見た。」

 

「軍人だからね。」

 

 ヨキは苦く笑う。

 

「兵器なら。」

 

「必ず代償がある。」

 

「そう考えるのが自然だ。」

 

 アルフォンスが静かに尋ねる。

 

「だから……。」

 

「人の命だと?」

 

「確証はない。」

 

「でも。」

 

「平和を拒む国。」

 

「終わらない戦争。」

 

「そして。」

 

「常識外れの錬成。」

 

「全部を並べると。」

 

「どうしても。」

 

「人の命が、どこかで使われているんじゃないか。」

 

「そんな結論しか出てこなかった。」

 

 エドワードもアルフォンスも、何も言えなかった。

 

 あまりにも突飛な話だ。

 

 だが。

 

 今までヨキの思考実験は、何度も現実になってきた。

 

 

 ヨキの表情が少しだけ引き締まる。

 

「そして。」

 

「ここからが。」

 

「私が一番話したかったことだ。」

 

 エドワードもアルフォンスも自然と姿勢を正した。

 

「私は。」

 

「軍そのものを疑っている。」

 

 二人は息を呑む。

 

「もちろん。」

 

「証拠なんてない。」

 

「全部。」

 

「思考実験だ。」

 

「でも。」

 

「もし。」

 

「私の考えが正しいなら。」

 

「軍の上層部には。」

 

「賢者の石について知っている者がいる。」

 

「そして。」

 

「その存在を隠そうとしている者もいる。」

 

 静寂が流れる。

 

「リオール以降。」

 

「私には尾行が付くようになった。」

 

「軍なのか。」

 

「それ以外なのか。」

 

「今でも分からない。」

 

「でも。」

 

「ドクター・マルコーの場所だけは。」

 

「かなり自信があった。」

 

「だから。」

 

「私が向かえば。」

 

「尾行者にも、その場所を教えることになる。」

 

「そう考えた。」

 

「だから。」

 

「君たちだけで向かってもらった。」

 

「私は。」

 

「尾行を引き受けた。」

 

 エドワードが目を丸くする。

 

「列車で一緒だった女。」

 

「彼女だ。」

 

「話しかけた。」

 

「席へ案内した。」

 

「世間話もした。」

 

 エドワードは頭を抱えた。

 

「いやいやいや!」

 

「そこじゃねぇだろ!」

 

「尾行相手と世間話って何だよ!」

 

 アルフォンスも思わず苦笑する。

 

「兄さんの言う通りだよ……。」

 

 ヨキは照れくさそうに笑った。

 

「少しでも時間を稼ぎたかったんだ。」

 

「結果として。」

 

「君たちが先に動けた。」

 

「それで十分さ。」

 

「その女性は。」

 

「ラストと名乗った。」

 

「黒髪で。」

 

「とても美しい人だった。」

 

「胸元には。」

 

「蛇が自分の尾を喰らう。」

 

「ウロボロスの紋章。」

 

「間違いなく。」

 

「普通の人間じゃない。」

 

「そして。」

 

「私の見解としては。」

 

「彼らは。」

 

「賢者の石を持っている。」

 

 エドワードが顔をしかめる。

 

「何でそこまで言えるんだ?」

 

「もし。」

 

「リオールの石が試作品なら。」

 

「本物は。」

 

「もっと異常な筈だ。」

 

「全身を武器へ変える者。」

 

「人間離れした再生能力。」

 

「そんな存在がいても。」

 

「私は驚かない。」

 

「いや。」

 

「さすがにそれは……。」

 

 エドワードが呟く。

 

 ヨキは静かに微笑んだ。

 

「エドワード君。」

 

「私の好きな言葉でね。」

 

 一呼吸置く。

 

「――ありえないなんて事は、ありえない。」

 

「だから。」

 

「君たちにお願いがある。」

 

「もし。」

 

「軍を疑う日が来ても。」

 

「決して。」

 

「表へ出すな。」

 

「真っ直ぐな人ほど。」

 

「危ない。」

 

「まだ。」

 

「誰も信じ切らないでくれ。」

 

「そして。」

 

「必ず。」

 

「生きて帰ってきてくれ。」

 

 エドワードとアルフォンスは、静かに頷いた。

 

 少しの沈黙のあと、ヨキが尋ねる。

 

「ところで。」

 

「ドクター・マルコーとは会えたのかな?」

 

「ああ。」

 

 エドワードが頷く。

 

「いろいろあったけど。」

 

「中央図書館第一分館に。」

 

「研究資料が残ってるらしい。」

 

 ヨキの表情がわずかに変わる。

 

「そうか。」

 

「なら。」

 

「一日でも早く向かった方がいい。」

 

「え?」

 

「証拠というものはね。」

 

「永遠には残らない。」

 

「本棚から消えるかもしれない。」

 

「誰かに持ち去られるかもしれない。」

 

「事故で燃えるかもしれない。」

 

「理由なんて。」

 

「後から、いくらでも作れる。」

 

 エドワードは思わず息を呑んだ。

 

 それを見て、ヨキはニコリと微笑んだ。

 

 

 その夜。

 

 自室へ戻る途中。

 

 エドワードがぽつりと呟いた。

 

「……なぁ、アル。」

 

「うん。」

 

「あの人。」

 

「本当に考えてるだけなのかな。」

 

 アルフォンスは少しだけ考え、静かに首を振った。

 

「……分からない。」

 

「でも。」

 

「僕は。」

 

「外れてほしい思考実験ばかりだと思った。」

 

 二人は言葉を失ったまま、夜の廊下を歩いていった。

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