ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第三章 旅立ち

 

 翌朝。

 

 リゼンブールには、穏やかな朝日が降り注いでいた。

 

 窓を開ければ、澄んだ空気が部屋いっぱいに流れ込む。

 

 遠くでは風車が静かに回り、鳥たちがさえずっている。

 

 昨夜までの重苦しい空気が嘘のような、穏やかな朝だった。

 

 

「ほらほら、冷める前に食べな。」

 

 ピナコの声が食卓へ響く。

 

 焼きたてのパン。

 

 温かなスープ。

 

 採れたての野菜。

 

 豪華ではない。

 

 それでも、どこか心まで温かくなるような朝食だった。

 

「いただきます!」

 

 ニーナが元気よく手を合わせる。

 

「わふっ!」

 

 アレキサンダーも嬉しそうに鳴いた。

 

「いっぱい食べな。」

 

 ウィンリィが笑顔でパンを差し出す。

 

「うん!」

 

 昨日まで見せていた怯えた表情は、もうほとんどない。

 

 ニーナは嬉しそうにパンを頬張っていた。

 

 その姿を見て、ヨキは自然と頬を緩める。

 

(よかった。)

 

(本当によかった。)

 

 その思いだけで胸が満たされる。

 

 

 朝食を終えると、エドワードが立ち上がった。

 

「そろそろ行く。」

 

 その一言で、場の空気が少しだけ引き締まる。

 

「もう行くの?」

 

 ウィンリィが少し寂しそうに尋ねる。

 

「ああ。」

 

「やることがある。」

 

 エドワードは短く答えた。

 

 アルフォンスも静かに頷く。

 

「僕たちも、立ち止まってはいられないから。」

 

 ヨキは二人を見つめる。

 

 昨夜。

 

 マルコーから聞いた話。

 

 そして中央図書館第一分館。

 

 二人は、また危険の中へ飛び込んでいく。

 

 それでも、その瞳には迷いがなかった。

 

 

 荷物をまとめ終えた頃。

 

 家の前には、見送りのため全員が集まっていた。

 

 風が優しく吹き抜ける。

 

 どこまでも青い空だった。

 

「それじゃ。」

 

 エドワードが肩へ荷物を担ぐ。

 

「行ってくる。」

 

「ああ。」

 

 ピナコが頷く。

 

「機械鎧を壊したら、また帰ってきな。」

 

「壊す前提かよ。」

 

「毎回壊してるじゃないか。」

 

 ウィンリィが笑う。

 

「……返す言葉もねぇ。」

 

 エドワードは頭を掻き、苦笑した。

 

 その様子に皆が笑う。

 

 ほんの短い時間だったが、その笑いが緊張を少し和らげてくれた。

 

 

 ヨキはゆっくりとエドワードたちへ歩み寄る。

 

「エドワード君。」

 

「あ?」

 

「昨夜も言ったけれど。」

 

「中央へ着いたら。」

 

「研究資料の確認を最優先にしてほしい。」

 

「ああ。」

 

「分かってる。」

 

 エドワードは真剣な表情で頷いた。

 

「証拠は。」

 

「待ってはくれない。」

 

 ヨキは静かに続ける。

 

「人の手で消えることもある。」

 

「事故で失われることもある。」

 

「だから。」

 

「少しでも早く動いてほしい。」

 

「……ああ。」

 

 短い返事。

 

 だが、その重みは十分伝わった。

 

 アルフォンスも力強く頷く。

 

「必ず確認してきます。」

 

「頼んだよ。」

 

 

 少しだけ沈黙が流れる。

 

 やがてエドワードが、小さく息を吐いた。

 

「ヨキさん。」

 

「ん?」

 

「昨日は。」

 

「ありがとな。」

 

 その一言は、とても小さかった。

 

 照れ隠しのように視線も逸らしている。

 

 ヨキは一瞬だけ目を丸くした。

 

 そして、優しく微笑む。

 

「こちらこそ。」

 

「ありがとう。」

 

「君たちと出会えたことは。」

 

「私にとっても、大きな意味があった。」

 

 エドワードは少しだけ照れくさそうに鼻を擦る。

 

「……そういう真面目な返しされると。」

 

「調子狂うんだよ。」

 

「はは。」

 

 ヨキは穏やかに笑った。

 

 

 エドワードは歩き出す。

 

 アルフォンスもその後を追う。

 

 数歩進んだところで。

 

「……ヨキさん!」

 

 エドワードが振り返った。

 

「ん?」

 

「あんた。」

 

「あんまり無茶すんなよ。」

 

 一瞬だけ静寂が流れる。

 

 ヨキは少し驚いたように目を見開き。

 

 それから、静かに笑った。

 

「ああ。」

 

「ありがとう。」

 

「君たちもね。」

 

「必ず。」

 

「生きて帰ってくるんだ。」

 

 エドワードは照れ隠しのように片手を上げる。

 

「あったり前だ。」

 

「俺たちは。」

 

「まだ終われねぇからな。」

 

 その言葉に、ヨキは力強く頷いた。

 

 ――きっと大丈夫。

 

 そう信じたいと思えた。

 

 

 エドワードとアルフォンスの姿が、小さくなっていく。

 

 やがて一本道の向こうへ消えるまで、ヨキは黙ってその背中を見送っていた。

 

「行っちゃったね。」

 

 隣でウィンリィが小さく呟く。

 

「ああ。」

 

 ヨキは静かに頷いた。

 

「きっと。」

 

「また元気な顔で帰ってくる。」

 

 その言葉は、二人へ向けた願いでもあり、自分自身へ言い聞かせる言葉でもあった。

 

 

「おヒゲのおじちゃん。」

 

 小さな手が、そっとヨキの服の裾を掴む。

 

 振り返ると、ニーナが見上げていた。

 

「お仕事。」

 

「行っちゃうの?」

 

「ああ。」

 

 ヨキはゆっくりとしゃがみ込み、ニーナと目線を合わせる。

 

「少しだけね。」

 

「お仕事が終わったら。」

 

「また会いに来る。」

 

「ほんと?」

 

「約束だ。」

 

 ヨキは優しく微笑んだ。

 

「ニーナちゃんは、その間。」

 

「ここで。」

 

「たくさん笑って。」

 

「たくさん食べて。」

 

「たくさん遊んで。」

 

「元気に過ごしていてほしい。」

 

 ニーナは何度も頷く。

 

「うん!」

 

「ウィンリィお姉ちゃんと遊ぶ!」

 

「アレキサンダーともいっぱい遊ぶ!」

 

「わふっ!」

 

 アレキサンダーも嬉しそうに尻尾を振る。

 

 その光景に、ヨキの表情も自然と和らいだ。

 

 

 だが。

 

 ニーナは急に少しだけ寂しそうな顔になる。

 

「でも。」

 

「さみしくなったら?」

 

 ヨキは少し考え、穏やかに答えた。

 

「その時は。」

 

「空を見上げてごらん。」

 

「空?」

 

「ああ。」

 

「イーストシティからでも。」

 

「リゼンブールからでも。」

 

「空は繋がっている。」

 

「だから。」

 

「私も。」

 

「ニーナちゃんも。」

 

「同じ空を見ている。」

 

 ニーナは空を見上げる。

 

「……ほんとだ。」

 

「おっきい。」

 

「うん。」

 

「だから。」

 

「一人じゃない。」

 

 その言葉を聞いたニーナは、小さく笑った。

 

「うん!」

 

 

 そして。

 

 ニーナは突然、ヨキへ抱きついた。

 

「……!」

 

 一瞬だけ驚く。

 

 だが。

 

 ヨキは優しく、その小さな身体を抱き返した。

 

「ありがとう。」

 

 その一言しか出てこなかった。

 

 ニーナは顔を上げる。

 

「おヒゲのおじちゃん。」

 

「なあに?」

 

「元気でいてね。」

 

 その言葉に。

 

 ヨキは思わず目を見開く。

 

 今まで何度も。

 

 自分が誰かへ願ってきた言葉。

 

 それを今度は、自分が掛けられている。

 

 胸の奥が熱くなった。

 

「ああ。」

 

 静かに頷く。

 

「約束する。」

 

「必ず。」

 

「元気で帰ってくる。」

 

「約束!」

 

 ニーナが小さな小指を差し出す。

 

 ヨキも笑って、小指を絡めた。

 

「約束だ。」

 

 二人の指がゆっくり離れる。

 

 その小さな約束は。

 

 ヨキにとって、何よりも重い約束だった。

 

 

「それじゃあ。」

 

 ヨキは立ち上がる。

 

 ピナコへ深く頭を下げた。

 

「改めて。」

 

「ありがとうございました。」

 

「この御恩は。」

 

「必ず返します。」

 

「恩なんて返さなくていいよ。」

 

 ピナコは鼻を鳴らした。

 

「その代わり。」

 

「あんたも。」

 

「ちゃんと生きな。」

 

 ヨキは少しだけ笑う。

 

「はい。」

 

「必ず。」

 

 ウィンリィも笑顔で手を振る。

 

「また来てくださいね!」

 

「ああ。」

 

「今度は。」

 

「ゆっくり遊びに来るよ。」

 

 

 ロックベル家を後にする。

 

 数歩歩いたところで。

 

 ヨキはもう一度だけ振り返った。

 

 庭では。

 

 ニーナが大きく手を振っている。

 

「おヒゲのおじちゃーん!」

 

「またねー!」

 

 アレキサンダーも元気よく吠える。

 

「わふっ!」

 

 ヨキも静かに手を振り返した。

 

「また来るよ。」

 

 その笑顔を胸へ刻み。

 

 前を向く。

 

 

 リゼンブールを出る一本道。

 

 穏やかな風が吹き抜ける。

 

 ヨキはゆっくりと空を見上げた。

 

(一人、救えた。)

 

 それだけで終わってはいけない。

 

(でも。)

 

(これで終わりじゃない。)

 

 ニーナの笑顔。

 

 アレキサンダーの元気な姿。

 

 エドワードたちの背中。

 

 あの穏やかな食卓。

 

 守りたいと思えるものが、また一つ増えた。

 

(知ってしまった。)

 

(だから。)

 

(もう。)

 

(見て見ぬふりはできない。)

 

 誰かが泣く未来を知っている。

 

 救える命があることを知っている。

 

 ならば。

 

 立ち止まる理由はない。

 

 ヨキは静かに歩き出した。

 

 向かう先は、東方司令部。

 

 彼の足取りは、これまでで一番力強かった。

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