ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

17 / 49
第三章 旅立ち

 

 翌朝。

 

 リゼンブールには、穏やかな朝日が降り注いでいた。

 

 窓を開ければ、澄んだ空気が部屋いっぱいに流れ込む。

 

 遠くでは風車が静かに回り、鳥たちがさえずっている。

 

 昨夜までの重苦しい空気が嘘のような、穏やかな朝だった。

 

◇

 

「ほらほら、冷める前に食べな。」

 

 ピナコの声が食卓へ響く。

 

 焼きたてのパン。

 

 温かなスープ。

 

 採れたての野菜。

 

 豪華ではない。

 

 それでも、どこか心まで温かくなるような朝食だった。

 

「いただきます!」

 

 ニーナが元気よく手を合わせる。

 

「わふっ!」

 

 アレキサンダーも嬉しそうに鳴いた。

 

「いっぱい食べな。」

 

 ウィンリィが笑顔でパンを差し出す。

 

「うん!」

 

 昨日まで見せていた怯えた表情は、もうほとんどない。

 

 ニーナは嬉しそうにパンを頬張っていた。

 

 その姿を見て、ヨキは自然と頬を緩める。

 

(よかった。)

 

(本当によかった。)

 

 その思いだけで胸が満たされる。

 

◇

 

 朝食を終えると、エドワードが立ち上がった。

 

「そろそろ行く。」

 

 その一言で、場の空気が少しだけ引き締まる。

 

「もう行くの?」

 

 ウィンリィが少し寂しそうに尋ねる。

 

「ああ。」

 

「やることがある。」

 

 エドワードは短く答えた。

 

 アルフォンスも静かに頷く。

 

「僕たちも、立ち止まってはいられないから。」

 

 ヨキは二人を見つめる。

 

 昨夜。

 

 マルコーから聞いた話。

 

 そして中央図書館第一分館。

 

 二人は、また危険の中へ飛び込んでいく。

 

 それでも、その瞳には迷いがなかった。

 

◇

 

 荷物をまとめ終えた頃。

 

 家の前には、見送りのため全員が集まっていた。

 

 風が優しく吹き抜ける。

 

 どこまでも青い空だった。

 

「それじゃ。」

 

 エドワードが肩へ荷物を担ぐ。

 

「行ってくる。」

 

「ああ。」

 

 ピナコが頷く。

 

「機械鎧を壊したら、また帰ってきな。」

 

「壊す前提かよ。」

 

「毎回壊してるじゃないか。」

 

 ウィンリィが笑う。

 

「……返す言葉もねぇ。」

 

 エドワードは頭を掻き、苦笑した。

 

 その様子に皆が笑う。

 

 ほんの短い時間だったが、その笑いが緊張を少し和らげてくれた。

 

◇

 

 ヨキはゆっくりとエドワードたちへ歩み寄る。

 

「エドワード君。」

 

「あ?」

 

「昨夜も言ったけれど。」

 

「中央へ着いたら。」

 

「研究資料の確認を最優先にしてほしい。」

 

「ああ。」

 

「分かってる。」

 

 エドワードは真剣な表情で頷いた。

 

「証拠は。」

 

「待ってはくれない。」

 

 ヨキは静かに続ける。

 

「人の手で消えることもある。」

 

「事故で失われることもある。」

 

「だから。」

 

「少しでも早く動いてほしい。」

 

「……ああ。」

 

 短い返事。

 

 だが、その重みは十分伝わった。

 

 アルフォンスも力強く頷く。

 

「必ず確認してきます。」

 

「頼んだよ。」

 

◇

 

 少しだけ沈黙が流れる。

 

 やがてエドワードが、小さく息を吐いた。

 

「ヨキさん。」

 

「ん?」

 

「昨日は。」

 

「ありがとな。」

 

 その一言は、とても小さかった。

 

 照れ隠しのように視線も逸らしている。

 

 ヨキは一瞬だけ目を丸くした。

 

 そして、優しく微笑む。

 

「こちらこそ。」

 

「ありがとう。」

 

「君たちと出会えたことは。」

 

「私にとっても、大きな意味があった。」

 

 エドワードは少しだけ照れくさそうに鼻を擦る。

 

「……そういう真面目な返しされると。」

 

「調子狂うんだよ。」

 

「はは。」

 

 ヨキは穏やかに笑った。

 

◇

 

 エドワードは歩き出す。

 

 アルフォンスもその後を追う。

 

 数歩進んだところで。

 

「……ヨキさん!」

 

 エドワードが振り返った。

 

「ん?」

 

「あんた。」

 

「あんまり無茶すんなよ。」

 

 一瞬だけ静寂が流れる。

 

 ヨキは少し驚いたように目を見開き。

 

 それから、静かに笑った。

 

「ああ。」

 

「ありがとう。」

 

「君たちもね。」

 

「必ず。」

 

「生きて帰ってくるんだ。」

 

 エドワードは照れ隠しのように片手を上げる。

 

「あったり前だ。」

 

「俺たちは。」

 

「まだ終われねぇからな。」

 

 その言葉に、ヨキは力強く頷いた。

 

 ――きっと大丈夫。

 

 そう信じたいと思えた。

 

◇

 

 エドワードとアルフォンスの姿が、小さくなっていく。

 

 やがて一本道の向こうへ消えるまで、ヨキは黙ってその背中を見送っていた。

 

「行っちゃったね。」

 

 隣でウィンリィが小さく呟く。

 

「ああ。」

 

 ヨキは静かに頷いた。

 

「きっと。」

 

「また元気な顔で帰ってくる。」

 

 その言葉は、二人へ向けた願いでもあり、自分自身へ言い聞かせる言葉でもあった。

 

◇

 

「おヒゲのおじちゃん。」

 

 小さな手が、そっとヨキの服の裾を掴む。

 

 振り返ると、ニーナが見上げていた。

 

「お仕事。」

 

「行っちゃうの?」

 

「ああ。」

 

 ヨキはゆっくりとしゃがみ込み、ニーナと目線を合わせる。

 

「少しだけね。」

 

「お仕事が終わったら。」

 

「また会いに来る。」

 

「ほんと?」

 

「約束だ。」

 

 ヨキは優しく微笑んだ。

 

「ニーナちゃんは、その間。」

 

「ここで。」

 

「たくさん笑って。」

 

「たくさん食べて。」

 

「たくさん遊んで。」

 

「元気に過ごしていてほしい。」

 

 ニーナは何度も頷く。

 

「うん!」

 

「ウィンリィお姉ちゃんと遊ぶ!」

 

「アレキサンダーともいっぱい遊ぶ!」

 

「わふっ!」

 

 アレキサンダーも嬉しそうに尻尾を振る。

 

 その光景に、ヨキの表情も自然と和らいだ。

 

◇

 

 だが。

 

 ニーナは急に少しだけ寂しそうな顔になる。

 

「でも。」

 

「さみしくなったら?」

 

 ヨキは少し考え、穏やかに答えた。

 

「その時は。」

 

「空を見上げてごらん。」

 

「空?」

 

「ああ。」

 

「イーストシティからでも。」

 

「リゼンブールからでも。」

 

「空は繋がっている。」

 

「だから。」

 

「私も。」

 

「ニーナちゃんも。」

 

「同じ空を見ている。」

 

 ニーナは空を見上げる。

 

「……ほんとだ。」

 

「おっきい。」

 

「うん。」

 

「だから。」

 

「一人じゃない。」

 

 その言葉を聞いたニーナは、小さく笑った。

 

「うん!」

 

◇

 

 そして。

 

 ニーナは突然、ヨキへ抱きついた。

 

「……!」

 

 一瞬だけ驚く。

 

 だが。

 

 ヨキは優しく、その小さな身体を抱き返した。

 

「ありがとう。」

 

 その一言しか出てこなかった。

 

 ニーナは顔を上げる。

 

「おヒゲのおじちゃん。」

 

「なあに?」

 

「元気でいてね。」

 

 その言葉に。

 

 ヨキは思わず目を見開く。

 

 今まで何度も。

 

 自分が誰かへ願ってきた言葉。

 

 それを今度は、自分が掛けられている。

 

 胸の奥が熱くなった。

 

「ああ。」

 

 静かに頷く。

 

「約束する。」

 

「必ず。」

 

「元気で帰ってくる。」

 

「約束!」

 

 ニーナが小さな小指を差し出す。

 

 ヨキも笑って、小指を絡めた。

 

「約束だ。」

 

 二人の指がゆっくり離れる。

 

 その小さな約束は。

 

 ヨキにとって、何よりも重い約束だった。

 

◇

 

「それじゃあ。」

 

 ヨキは立ち上がる。

 

 ピナコへ深く頭を下げた。

 

「改めて。」

 

「ありがとうございました。」

 

「この御恩は。」

 

「必ず返します。」

 

「恩なんて返さなくていいよ。」

 

 ピナコは鼻を鳴らした。

 

「その代わり。」

 

「あんたも。」

 

「ちゃんと生きな。」

 

 ヨキは少しだけ笑う。

 

「はい。」

 

「必ず。」

 

 ウィンリィも笑顔で手を振る。

 

「また来てくださいね!」

 

「ああ。」

 

「今度は。」

 

「ゆっくり遊びに来るよ。」

 

◇

 

 ロックベル家を後にする。

 

 数歩歩いたところで。

 

 ヨキはもう一度だけ振り返った。

 

 庭では。

 

 ニーナが大きく手を振っている。

 

「おヒゲのおじちゃーん!」

 

「またねー!」

 

 アレキサンダーも元気よく吠える。

 

「わふっ!」

 

 ヨキも静かに手を振り返した。

 

「また来るよ。」

 

 その笑顔を胸へ刻み。

 

 前を向く。

 

◇

 

 リゼンブールを出る一本道。

 

 穏やかな風が吹き抜ける。

 

 ヨキはゆっくりと空を見上げた。

 

(一人、救えた。)

 

 それだけで終わってはいけない。

 

(でも。)

 

(これで終わりじゃない。)

 

 ニーナの笑顔。

 

 アレキサンダーの元気な姿。

 

 エドワードたちの背中。

 

 あの穏やかな食卓。

 

 守りたいと思えるものが、また一つ増えた。

 

(知ってしまった。)

 

(だから。)

 

(もう。)

 

(見て見ぬふりはできない。)

 

 誰かが泣く未来を知っている。

 

 救える命があることを知っている。

 

 ならば。

 

 立ち止まる理由はない。

 

 ヨキは静かに歩き出した。

 

 向かう先は、東方司令部。

 

 彼の足取りは、これまでで一番力強かった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。