ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第二章 変わり始めた町

 

 炭鉱を変えよう。

 

 そう決意した翌朝。

 

 ヨキは執務机いっぱいに積まれた書類を前に、深いため息をついていた。

 

「……で、何から始めればいいんだ?」

 

 昨日までは「生き残るために改革しよう」と勢いだけで決めた。

 

 しかし、一晩経って現実を突きつけられる。

 

 炭鉱経営など経験したことがない。

 

 前世では、ごく普通の会社員だった。

 

 会議へ出席し、資料を作り、上司へ頭を下げる毎日。

 

 町一つを預かる立場など、想像したことすらなかった。

 

「ヨキ中尉。」

 

 扉を叩き、副官が入室する。

 

 まだ三十代前半ほどだろうか。

 

 真面目そうな青年士官は、両腕いっぱいに書類を抱えていた。

 

「今月分の収支報告です。」

 

「あ、ありがとう。」

 

 受け取って目を通す。

 

 利益は悪くない。

 

 いや、むしろ十分すぎるほど出ている。

 

「……ん?」

 

 ヨキは眉をひそめた。

 

「これだけ利益があるのに、何で町はあんな状態なんだ?」

 

「少し前の帳簿もございますが、ご覧になりますか?」

 

「頼む。」

 

 副官は少し驚いた表情を見せながらも、すぐに過去数か月分の帳簿を机へ並べた。

 

 一枚。

 

 また一枚。

 

 ページをめくるたび、ヨキの表情が曇っていく。

 

「……えぇ。」

 

 思わず声が漏れた。

 

 高級酒。

 

 豪華な調度品。

 

 接待費。

 

 食事会。

 

 装飾品。

 

 到底、炭鉱運営とは思えない支出が並んでいる。

 

「これ、全部……俺?」

 

「はい?」

 

「あ、いや、何でもない。」

 

 思わず額を押さえた。

 

(前のヨキ、好き放題やってたんだな……。)

 

 これでは住民に恨まれて当然だ。

 

 しばらく考え込んだ末、ヨキは静かに顔を上げた。

 

「この高級酒、全部やめよう。」

 

「……え?」

 

「接待も最低限でいい。」

 

「ですが、中尉。それは毎月の慣例で……。」

 

「そのお金で、炭鉱夫の靴は買えないかな?」

 

 副官は言葉を失った。

 

「靴、ですか?」

 

「うん。」

 

「現場を見たけど、皆ずいぶん傷んだ靴を履いてた。」

 

「歩きにくそうだったし。」

 

「その方が役に立つと思う。」

 

 副官はしばらくヨキを見つめていた。

 

(昨日まで高級酒しか口にしなかった中尉が……。)

 

 目の前にいる人物が、本当に同じ人間なのか。

 

 そんな疑問が胸をよぎる。

 

「……承知しました。」

 

 それでも、副官は静かに敬礼した。

 

 

 数日後。

 

 新しい採掘道具が炭鉱へ届いた。

 

 老朽化していた足場も補強される。

 

 休憩所へ机と椅子が置かれ、飲み水を補給する設備も整えられた。

 

 しかし。

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

「どうせ後で倍にして取り返す気だ。」

 

「信用するな。」

 

 炭鉱夫たちの目は冷たい。

 

 当然だった。

 

 今まで散々搾取されてきたのだ。

 

 数日優しくされた程度で信じられるはずがない。

 

 ヨキは反論しなかった。

 

(そりゃ、そうだよな。)

 

(昨日まで酷いことしてた奴を、急に信じろって方が無理だ。)

 

 焦らなくていい。

 

 本当に少しずつでいい。

 

 そう自分へ言い聞かせながら、今日も町を歩き続けた。

 

 

 そんなある日の昼下がりだった。

 

「ヨキ中尉!」

 

 副官が血相を変えて駆け込んでくる。

 

「第三坑道の支柱に大きな亀裂が見つかりました!」

 

「えっ!?」

 

「このままでは崩落の危険があります!」

 

「い、行こう!」

 

 二人は現場へ走った。

 

 坑道では、炭鉱夫たちが変わらず採掘を続けている。

 

 その奥には、今にも折れそうな一本の支柱。

 

 素人目にも危険だと分かる。

 

(いやいやいや……。)

 

(あれ、本当に大丈夫なのか?)

 

(絶対危ないよな!?)

 

 鼓動が速くなる。

 

 止めなければ。

 

 でも、自分は軍人だ。

 

 前のヨキなら、採掘量を優先していたのではないか。

 

 そんな考えが頭をよぎる。

 

 それでも。

 

 支柱を見る。

 

 炭鉱夫たちを見る。

 

(……駄目だ。)

 

(あれが崩れたら、人が死ぬ。)

 

 ヨキは大きく息を吸った。

 

「あ、あの……!」

 

 坑道の音にかき消される。

 

 誰も気付かない。

 

 副官が振り返った。

 

「中尉?」

 

 怖い。

 

 喉が渇く。

 

 足も震えている。

 

 それでも。

 

「──作業を止めろーーーーーーっ!!」

 

 坑道中へ声が響き渡った。

 

 一斉に作業の音が止まる。

 

 炭鉱夫たちの視線がヨキへ集まった。

 

「全員、今すぐ外へ出てください!」

 

 副官が戸惑う。

 

「ですが中尉。本日の採掘量が……。」

 

 一瞬だけヨキは言葉に詰まった。

 

 軍人としては、それが正しい。

 

 それでも、崩れかけた支柱を見上げる。

 

 そして炭鉱夫たちの顔を見る。

 

 覚悟を決めた。

 

「命より大事な採掘なんてない!」

 

「責任は全部、俺が取る!」

 

 坑道が静まり返る。

 

 やがて、一人の年配の炭鉱夫がため息をついた。

 

「……今日は終いだ。」

 

 その一言をきっかけに、作業員たちは坑道を後にした。

 

 翌朝。

 

 第三坑道は轟音とともに崩れ落ちた。

 

 もし前日、作業を続けていたなら、多くの命が失われていただろう。

 

 その出来事を境に、町の空気は少しずつ変わり始める。

 

 

「……変ですね。」

 

 執務室へ戻る途中、副官がぽつりと呟いた。

 

「何が?」

 

「いえ……。」

 

「昨日までの中尉なら、採掘量を優先していたはずです。」

 

「それが今では、炭鉱夫の命を優先している。」

 

「正直、別人のようです。」

 

 ヨキは苦笑した。

 

「そう見える?」

 

「はい。」

 

「……まあ、人は変われるってことじゃないかな。」

 

 そう言って笑うヨキを見て、副官は少しだけ笑みを浮かべた。

 

「そういうことに、しておきます。」

 

 

 季節が巡る。

 

 市場には活気が戻り始める。

 

 炭鉱夫たちの表情にも余裕が生まれた。

 

 町を歩いても、以前のような罵声は飛ばない。

 

「おはようございます。」

 

 パン屋の店主が頭を下げる。

 

「あ、お、おはようございます。」

 

 ぎこちなく頭を下げ返すヨキ。

 

 市場を歩けば、炭鉱夫たちも軽く会釈をしてくれる。

 

(……変わったな。)

 

 町が。

 

 そして、自分も。

 

 

 夕暮れ。

 

 仕事を終えたヨキが町外れを歩いていると、小さな足音が近づいてきた。

 

「ヨキさん!」

 

 幼い男の子が駆け寄ってくる。

 

 大事そうに両手で抱えていたのは、一輪の小さな花だった。

 

「これ!」

 

「お母さんが、ありがとうって。」

 

「……俺に?」

 

 少年は照れくさそうに笑いながら、大きく頷いた。

 

 ヨキは恐る恐る花を受け取る。

 

 道端に咲いていた、ごくありふれた花。

 

 それでも、これまで受け取ったどんな贈り物より温かかった。

 

「ありがとう。」

 

 そう言うと、少年は満面の笑みを浮かべ、元気よく走り去っていく。

 

 ヨキはその背中を見送りながら、小さく笑った。

 

 この町へ来た日。

 

 自分へ向かって飛んできたのは石だった。

 

 今日、自分の手の中にあるのは花だった。

 

 その違いが、胸の奥をじんわりと温める。

 

「……悪くないな。」

 

 生き残るため。

 

 ただ、それだけのつもりで始めた改革だった。

 

 けれど、今は少しだけ違う。

 

 この町の人たちが笑って暮らせるなら。

 

 そんな未来も、悪くない。

 

 静かに生きるって、案外悪くない。

 

 そう思えた自分に、ヨキは少しだけ驚きながら、夕日に染まるユースウェルの町をゆっくりと歩き続けた。

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