ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第二章 帰る場所

 

 リゼンブール。

 

 昼下がりのロックベル家に、電話の呼び出し音が響いた。

 

「はいよ。」

 

 作業台から立ち上がったピナコは、腰を軽く叩きながら受話器を取る。

 

「義肢装具のロックベルでございます。」

 

『……ばっちゃん。』

 

 聞こえてきた声に、ピナコは眉を上げた。

 

「アルかい。」

 

 受話器の向こうにいるのは、アルフォンスだった。

 

 いつもの穏やかな声。

 

 けれど。

 

 今日は、その声がひどく遠く聞こえた。

 

「どうしたんだい。」

 

「またエドが、無茶して機械鎧を壊したのか?」

 

『ううん。兄さんは、隣にいるよ。』

 

「そうかい。」

 

 ピナコは、短く答えた。

 

 エドが隣にいる。

 

 それなのに、電話を掛けてきたのはアルだ。

 

 その事実だけで。

 

 良い知らせではないことが、分かってしまった。

 

『ばっちゃん。』

 

「……ああ。」

 

『落ち着いて、聞いてほしいんだ。』

 

 ピナコは黙った。

 

 聞きたくない。

 

 次に続く言葉を。

 

 聞いてしまえば、もう戻れない気がした。

 

 それでも。

 

「言いな。」

 

 アルが、息を呑む気配がした。

 

『ヨキさんが。』

 

 一度。

 

 声が途切れる。

 

『ヨキさんが、亡くなった。』

 

「……。」

 

 時計の針が進む音だけが。

 

 やけに大きく聞こえた。

 

「そうかい。」

 

 ピナコが返せたのは、それだけだった。

 

『ごめん。』

 

「何で、あんたが謝るんだい。」

 

『でも。』

 

「アル。」

 

 ピナコは静かに、その言葉を遮った。

 

「エドは、そこにいるんだね。」

 

『……うん。』

 

「代わらなくていい。」

 

 今のエドに。

 

 無理に話をさせる必要はない。

 

 電話の向こうからは。

 

 誰かの声も。

 

 物音も聞こえなかった。

 

 けれど。

 

 受話器のすぐ近くで。

 

 エドが俯いているような気がした。

 

「ちゃんと飯を食べるんだよ。」

 

『ばっちゃん。』

 

「食べたくなくても、食べるんだ。」

 

「眠れなくても、身体は休めな。」

 

「……それだけは、忘れるんじゃないよ。」

 

 長い沈黙の後。

 

『分かった。』

 

 アルが答えた。

 

『また、連絡するね。』

 

「ああ。」

 

 ピナコは。

 

 いつもと変わらない声を作った。

 

「気をつけて帰ってくるんだよ。」

 

『うん。』

 

 通話が切れた。

 

 ピナコは、受話器を置かなかった。

 

 耳元に残る無音を。

 

 暫く、聞き続けていた。

 

 やがて。

 

 ゆっくりと受話器を戻す。

 

「……まったく。」

 

 口から漏れた声は。

 

 自分でも驚くほど、弱かった。

 

 作業台へ戻ろうとして。

 

 足が止まる。

 

 指先が、震えていた。

 

 ピナコは、その手をもう片方の手で押さえた。

 

 ヨキが、この家で過ごした時間を思い出す。

 

 大袈裟な出来事ではない。

 

 食卓を囲んだこと。

 

 エド達の話をしたこと。

 

 ニーナの様子を、気に掛けていたこと。

 

「勝手な男だよ。」

 

 ピナコは、空になった部屋へ呟いた。

 

「帰ってくる場所だけ作らせておいて。」

 

「勝手にいなくなるんじゃないよ。」

 

「ばっちゃん?」

 

 幼い声がした。

 

 ピナコは、すぐに顔を上げる。

 

 居間の入口に。

 

 ニーナが立っていた。

 

 両手には、一枚の紙を持っている。

 

「電話、だれからだったの?」

 

「エドとアルだよ。」

 

「お兄ちゃんたち?」

 

 ニーナの顔が明るくなる。

 

「元気だった?」

 

「ああ。」

 

 ピナコは少し間を置いてから、頷いた。

 

「元気にしてるよ。」

 

「そっか。」

 

 ニーナは嬉しそうに笑った。

 

 それから。

 

 手に持っていた紙を、ピナコへ差し出す。

 

「見て。」

 

 そこには。

 

 何人かの人間が描かれていた。

 

 大きな鎧。

 

 金髪の少年。

 

 小さな少女。

 

 そして、その隣には。

 

 小さな口髭を生やした男が描かれていた。

 

 皆が一緒に、手を繋いでいた。

 

「ヨキおじさんも、描いたの。」

 

「……そうかい。」

 

「今度来たら、見せるんだ。」

 

 ニーナは、描かれた男を指差す。

 

「ヨキおじさん、次はいつ帰ってくるの?」

 

「……。」

 

 言わなければならない。

 

 いつかは。

 

 ヨキが、もう帰ってこないことを。

 

 ニーナが待ち続けても。

 

 玄関の扉は開かないことを。

 

 それでも。

 

 今、この子へ告げることが正しいのか。

 

 ピナコには分からなかった。

 

「……しばらく。」

 

 ピナコは、ゆっくりと口を開く。

 

「忙しくなるそうだよ。」

 

「そうなの?」

 

「ああ。」

 

「だから。」

 

「帰ってくるのは、少し先になるかもしれないね。」

 

 ニーナは、残念そうに紙へ目を落とした。

 

 けれど。

 

 すぐに顔を上げる。

 

「じゃあ、待ってる。」

 

「帰ってきたら、いっぱい見せるの。」

 

「……ああ。」

 

 ピナコは頷いた。

 

「そうしな。」

 

 ニーナは絵を大切そうに胸へ抱く。

 

「なくさないように、しまってくるね。」

 

 小さな足音が。

 

 階段の方へ遠ざかっていく。

 

 ピナコは、その背中を見送った。

 

 やがて。

 

 完全に姿が見えなくなってから。

 

 深く、息を吐く。

 

「悪いね。」

 

 誰へ向けた言葉なのか。

 

 ピナコ自身にも分からなかった。

 

 ニーナへか。

 

 ヨキへか。

 

 それとも。

 

 真実を口にできなかった自分へか。

 

 ピナコは、先ほどニーナが立っていた場所を見つめる。

 

 あの子は待っている。

 

 また、ヨキがこの家へ帰ってくる日を。

 

「……あんたの帰る場所は。」

 

「まだ、ここにあるよ。」

 

 返事はない。

 

 それでも。

 

 ピナコは静かに呟いた。

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