ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第三章 左遷

 

 第三坑道の崩落事故から半年。

 

 ユースウェル炭鉱は、以前とは見違えるほど活気を取り戻していた。

 

 市場には人が集まり、店先には笑い声が響く。

 

 子どもたちが駆け回り、炭鉱夫たちも仕事帰りに談笑する姿が珍しくなくなっていた。

 

「ヨキ中尉!」

 

 市場を歩いていると、八百屋の店主が笑顔で手を振る。

 

「今日もご苦労さまです!」

 

「あ、ありがとうございます。」

 

 ヨキは少し照れくさそうに頭を下げた。

 

 以前なら石を投げられていた道だった。

 

 今では挨拶が返ってくる。

 

 その変化が、少しだけ誇らしかった。

 

 

 執務室へ戻ると、副官が紅茶を差し出した。

 

「どうぞ、中尉。」

 

「あ、ありがとう。」

 

 一口飲み、ほっと息をつく。

 

「最近は穏やかですね。」

 

 副官がぽつりと呟いた。

 

「そうだね。」

 

「町も落ち着きました。」

 

「皆さん、中尉を信頼しています。」

 

 その言葉に、ヨキは苦笑する。

 

「最初は嫌われてばかりだったのにな。」

 

「ええ。」

 

「正直、私も驚いています。」

 

「最初は何か企んでいるのかと思っていました。」

 

「ひどいなぁ。」

 

「申し訳ありません。」

 

 二人は思わず笑った。

 

 穏やかな時間だった。

 

 ヨキは窓の外を眺める。

 

 煙突から立ち上る煙。

 

 元気に走り回る子どもたち。

 

 笑顔で仕事へ向かう炭鉱夫たち。

 

(……もう十分かな。)

 

 前世では、平凡な人生だった。

 

 この世界へ来て、最初はただ生き残りたかった。

 

 けれど。

 

(こんな毎日も悪くない。)

 

(この町で静かに歳を取って。)

 

(それで人生が終わるなら、それも幸せかもしれない。)

 

 そんなことを、本気で考え始めていた。

 

 

 同じ頃――中央司令部。

 

 一冊の報告書が机へ置かれる。

 

「失礼します。」

 

「ユースウェル炭鉱の定期報告です。」

 

 報告書を受け取った男は、静かにページをめくった。

 

 住民の反乱件数。

 

 採掘量。

 

 事故件数。

 

 収支。

 

 どの数字も、以前とは大きく変わっていた。

 

「……妙だな。」

 

 低い声が部屋へ響く。

 

「ヨキに、こんな真似ができるとは思えん。」

 

 部屋の隅で報告を待つ軍人が答える。

 

「住民との関係も改善しているとのことです。」

 

「以前のような暴動も確認されておりません。」

 

 男は静かに書類を閉じた。

 

「あの町は、あのままでなければならん。」

 

 淡々とした口調。

 

 だが、その言葉には絶対の意思が込められていた。

 

「人は憎しみを抱き続ける。」

 

「憎しみは土地に沈み、やがて大きな力となる。」

 

「それが、予定だ。」

 

「はっ。」

 

 報告役の軍人は、それ以上何も尋ねなかった。

 

「ユースウェルは予定通り維持する必要がある。」

 

 男は短く命じる。

 

「ヨキ中尉を中央管理下へ移せ。」

 

 一拍の静寂。

 

 そして、冷たく言い放つ。

 

「……監視を付ける。」

 

「了解しました。」

 

 誰も、その命令の意味を口にすることはなかった。

 

 

 一週間後。

 

「ヨキ中尉。」

 

 副官が一枚の封筒を持って執務室へ入ってきた。

 

「中央から辞令です。」

 

「辞令?」

 

 嫌な予感がした。

 

 封を切る。

 

 そこに書かれていた文字を見て、ヨキは固まった。

 

『リオール地区への転属を命ずる。』

 

「…………え?」

 

 何度読み返しても内容は変わらない。

 

「うそ……。」

 

 ようやく落ち着いた。

 

 ようやく、この町で生きていけると思った。

 

 それなのに。

 

「なんで……。」

 

 思わず机へ突っ伏す。

 

 副官も言葉を失っていた。

 

「……急な話ですね。」

 

「うん。」

 

「何か理由でも……。」

 

「さあ。」

 

 ヨキは力なく笑う。

 

「きっと偉い人の気まぐれだよ。」

 

 そう言ったものの、自分でも納得はしていなかった。

 

 

 転属の日。

 

 町の入口には、多くの住民が集まっていた。

 

「中尉!」

 

「元気でな!」

 

「ありがとうございました!」

 

 あの日、石を投げてきた炭鉱夫が帽子を脱いで頭を下げる。

 

 市場の店主たちも手を振る。

 

 副官も、馬車のそばで静かに敬礼していた。

 

「中尉。」

 

「うん。」

 

「どうか、お元気で。」

 

「……ありがとう。」

 

 ヨキは困ったように笑う。

 

「君も、町を頼むよ。」

 

「はい。」

 

 そして、小さな男の子が人混みをかき分けて走ってきた。

 

「ヨキさん!」

 

 息を切らしながら立ち止まる。

 

「また来てね!」

 

 その一言に、ヨキは胸が詰まった。

 

 それでも笑った。

 

「ああ。」

 

「必ず。」

 

 馬車がゆっくりと動き出す。

 

 小さくなっていく町並みを眺めながら、ヨキは静かに呟いた。

 

「……せっかく、好きになれたのにな。」

 

 しばらくして、大きくため息をつく。

 

「俺はただ、静かに生きたいだけなんだけどなぁ……。」

 

 馬車はユースウェルを後にする。

 

 

 中央司令部。

 

 一枚の書類が静かに机へ置かれる。

 

 そこには、短く一行だけ記されていた。

 

 ――観察対象 ヨキ

 

 本人だけが、まだ知らない。

 

 静かに生きたいという願いが、その日を境に誰かによって見つめられ始めたことを。




『鋼の錬金術師』という素晴らしい作品への敬意を込めて、この物語を紡いでいきます。
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