第三坑道の崩落事故から半年。
ユースウェル炭鉱は、以前とは見違えるほど活気を取り戻していた。
市場には人が集まり、店先には笑い声が響く。
子どもたちが駆け回り、炭鉱夫たちも仕事帰りに談笑する姿が珍しくなくなっていた。
「ヨキ中尉!」
市場を歩いていると、八百屋の店主が笑顔で手を振る。
「今日もご苦労さまです!」
「あ、ありがとうございます。」
ヨキは少し照れくさそうに頭を下げた。
以前なら石を投げられていた道だった。
今では挨拶が返ってくる。
その変化が、少しだけ誇らしかった。
◇
執務室へ戻ると、副官が紅茶を差し出した。
「どうぞ、中尉。」
「あ、ありがとう。」
一口飲み、ほっと息をつく。
「最近は穏やかですね。」
副官がぽつりと呟いた。
「そうだね。」
「町も落ち着きました。」
「皆さん、中尉を信頼しています。」
その言葉に、ヨキは苦笑する。
「最初は嫌われてばかりだったのにな。」
「ええ。」
「正直、私も驚いています。」
「最初は何か企んでいるのかと思っていました。」
「ひどいなぁ。」
「申し訳ありません。」
二人は思わず笑った。
穏やかな時間だった。
ヨキは窓の外を眺める。
煙突から立ち上る煙。
元気に走り回る子どもたち。
笑顔で仕事へ向かう炭鉱夫たち。
(……もう十分かな。)
前世では、平凡な人生だった。
この世界へ来て、最初はただ生き残りたかった。
けれど。
(こんな毎日も悪くない。)
(この町で静かに歳を取って。)
(それで人生が終わるなら、それも幸せかもしれない。)
そんなことを、本気で考え始めていた。
◇
同じ頃――中央司令部。
一冊の報告書が机へ置かれる。
「失礼します。」
「ユースウェル炭鉱の定期報告です。」
報告書を受け取った男は、静かにページをめくった。
住民の反乱件数。
採掘量。
事故件数。
収支。
どの数字も、以前とは大きく変わっていた。
「……妙だな。」
低い声が部屋へ響く。
「ヨキに、こんな真似ができるとは思えん。」
部屋の隅で報告を待つ軍人が答える。
「住民との関係も改善しているとのことです。」
「以前のような暴動も確認されておりません。」
男は静かに書類を閉じた。
「あの町は、あのままでなければならん。」
淡々とした口調。
だが、その言葉には絶対の意思が込められていた。
「人は憎しみを抱き続ける。」
「憎しみは土地に沈み、やがて大きな力となる。」
「それが、予定だ。」
「はっ。」
報告役の軍人は、それ以上何も尋ねなかった。
「ユースウェルは予定通り維持する必要がある。」
男は短く命じる。
「ヨキ中尉を中央管理下へ移せ。」
一拍の静寂。
そして、冷たく言い放つ。
「……監視を付ける。」
「了解しました。」
誰も、その命令の意味を口にすることはなかった。
◇
一週間後。
「ヨキ中尉。」
副官が一枚の封筒を持って執務室へ入ってきた。
「中央から辞令です。」
「辞令?」
嫌な予感がした。
封を切る。
そこに書かれていた文字を見て、ヨキは固まった。
『リオール地区への転属を命ずる。』
「…………え?」
何度読み返しても内容は変わらない。
「うそ……。」
ようやく落ち着いた。
ようやく、この町で生きていけると思った。
それなのに。
「なんで……。」
思わず机へ突っ伏す。
副官も言葉を失っていた。
「……急な話ですね。」
「うん。」
「何か理由でも……。」
「さあ。」
ヨキは力なく笑う。
「きっと偉い人の気まぐれだよ。」
そう言ったものの、自分でも納得はしていなかった。
◇
転属の日。
町の入口には、多くの住民が集まっていた。
「中尉!」
「元気でな!」
「ありがとうございました!」
あの日、石を投げてきた炭鉱夫が帽子を脱いで頭を下げる。
市場の店主たちも手を振る。
副官も、馬車のそばで静かに敬礼していた。
「中尉。」
「うん。」
「どうか、お元気で。」
「……ありがとう。」
ヨキは困ったように笑う。
「君も、町を頼むよ。」
「はい。」
そして、小さな男の子が人混みをかき分けて走ってきた。
「ヨキさん!」
息を切らしながら立ち止まる。
「また来てね!」
その一言に、ヨキは胸が詰まった。
それでも笑った。
「ああ。」
「必ず。」
馬車がゆっくりと動き出す。
小さくなっていく町並みを眺めながら、ヨキは静かに呟いた。
「……せっかく、好きになれたのにな。」
しばらくして、大きくため息をつく。
「俺はただ、静かに生きたいだけなんだけどなぁ……。」
馬車はユースウェルを後にする。
◇
中央司令部。
一枚の書類が静かに机へ置かれる。
そこには、短く一行だけ記されていた。
――観察対象 ヨキ
本人だけが、まだ知らない。
静かに生きたいという願いが、その日を境に誰かによって見つめられ始めたことを。
『鋼の錬金術師』という素晴らしい作品への敬意を込めて、この物語を紡いでいきます。
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