中央。
軍人墓地には。
朝から、重い雲が垂れ込めていた。
雨は降っていない。
風も強くはない。
ただ。
空だけが。
今日という日に合わせたように、灰色だった。
整然と並ぶ墓標の前に。
一つの棺が置かれている。
中には。
遺体はない。
回収された軍服。
階級章。
認識票。
そして。
ヨキ中尉が軍人として生きたことを証明する、僅かな品だけが納められていた。
棺の上には。
アメストリス国旗が掛けられている。
その周囲を。
多くの軍人達が取り囲んでいた。
ロイ・マスタングも。
その中にいた。
ヨキ中尉の。
かつての上官として。
参列者の数は。
予想していたよりも、遥かに多かった。
中央の将官達。
ユースウェル炭鉱や宗教都市リオールに赴任していた頃。
中尉の下で働いていた者達。
共に任務へ当たっていた者達。
中には。
既に軍を退いた者の姿もあった。
皆。
言葉少なに、棺を見つめている。
ヨキ中尉は。
自分の葬儀に、これほどの人間が集まるとは。
きっと、考えてもいなかっただろう。
むしろ。
申し訳なさそうな顔をして。
自分のために時間を使わせてしまったと、頭を下げる姿が目に浮かんだ。
その想像が。
マスタングの胸へ、鈍い痛みを残す。
参列者の最前列には。
アメストリス軍の最高司令官が立っていた。
大総統。
キング・ブラッドレイ。
眼帯を着けた顔に。
厳粛な表情を浮かべている。
その背後には。
名の知れた将官達が並んでいた。
一人の中尉の軍葬としては。
異例と言ってもよい顔触れだった。
それだけ。
ヨキ中尉が各地で挙げた功績は。
軍の上層部にも、認められていたのだろう。
あるいは。
それ以外の理由があるのか。
今のマスタングには分からない。
号令が響く。
参列者が、一斉に姿勢を正した。
軍楽隊の演奏が。
静かな墓地へ流れ始める。
式は。
粛々と進んでいった。
ヨキ中尉の経歴。
各任地での功績。
任務への忠誠。
国家への貢献。
一つずつ。
軍の言葉へ整えられ。
読み上げられていく。
どれも。
間違ってはいなかった。
中尉は。
任務へ忠実だった。
多くの人間を救い。
軍へ貢献した。
だが。
それだけではない。
マスタングが知っている中尉は。
国家の利益を考えるより先に。
目の前の人間を見てしまう男だった。
命令に従うことより。
誰かを見捨てないことを選ぶ男だった。
軍の言葉だけでは。
あの男の全てを語ることはできない。
弔辞が読み上げられ。
黙祷が捧げられる。
弔銃が。
曇天の下へ響いた。
一発。
二発。
三発。
乾いた音が。
空へ吸い込まれていく。
マスタングは目を閉じた。
浮かんだのは。
中尉の困ったような顔だった。
それから。
東方司令部を離れる際に見せた。
僅かな笑顔。
もっと。
話しておくべきだった。
もっと。
任せるべき仕事があった。
もっと。
聞いておくべきこともあった。
だが。
今となっては。
その全てが遅い。
黙祷が終わる。
棺へ。
一人ずつ、花を手向けていく。
マスタングの番が来た。
白い花を。
棺の上へ置く。
「……中尉。」
声は、これ以上出なかった。
ただ。
胸の中で呼び掛ける。
返事はない。
当然だった。
やがて。
軍葬は静かに終わった。
参列者達が。
少しずつ墓地を離れていく。
ヨキ中尉に仕えていた者達は。
すぐには立ち去らなかった。
棺の前で足を止め。
帽子を胸へ抱き。
最後まで頭を下げている。
マスタングも。
暫く、その場を動けなかった。
「ロイ。」
背後から。
聞き慣れた声がした。
振り返る。
マース・ヒューズ中佐が立っていた。
いつもの眼鏡。
いつもの無精髭。
だが。
表情には。
普段の軽さがなかった。
「今夜。」
ヒューズは言った。
「うちに寄ってけ。」
「軍葬の後に。」
「君の家族自慢へ付き合う気分ではないのだが。」
「安心しろ。」
ヒューズは、僅かに口元を上げた。
「今日は、娘の写真だけじゃねぇ。」
その言い方で。
マスタングには分かった。
ただの誘いではない。
「……分かった。」
短く答える。
ヒューズは。
それ以上、何も言わなかった。
◇
夜。
ヒューズ家。
ヒューズの妻へ挨拶を済ませ。
眠りかけていた娘に捕まり。
結局、何枚か写真を見せられた後。
マスタングは。
ヒューズの書斎へ通された。
扉が閉じられる。
ヒューズは。
廊下を確認し。
窓の外へ目を向け。
最後に、鍵を掛けた。
「随分と慎重だな。」
「慎重なくらいで、丁度いい話だ。」
ヒューズは。
机の前へ座る。
マスタングも。
向かい側の椅子へ腰を下ろした。
「中尉から。」
ヒューズが、静かに口を開く。
「警告を受けていた。」
マスタングの眉が動く。
「いつだ。」
「エリシアの誕生日だ。」
「手紙でな。」
「手紙は。」
「もうない。」
ヒューズは即座に答えた。
「中尉の指示通り。」
「灰まで残さず処分した。」
「内容を見た者は。」
「俺だけだ。」
「お前が動いていると知る者は。」
「いない。」
「調べたのも、通常業務の範囲内だ。」
マスタングは。
僅かに息を吐いた。
ヒューズも。
遊びで軍法会議所にいるわけではない。
「それで。」
「中尉は、何と。」
ヒューズは。
手紙に書かれていた内容を話した。
軍内部に。
大きな異常がある可能性。
上層部すら。
信用できない可能性。
この国全体に関わる。
何かが進められている可能性。
そして。
ヒューズ自身が。
いずれ、その真実へ辿り着く可能性が高いこ
と。
だが。
辿り着いたと知られれば。
消される可能性があること。
安易に。
上へ報告してはならない。
一人で目立った行動を取ってはならない。
調べていると悟られてはならない。
情報は。
信頼できる人間へ。
直接。
慎重に繋ぐべきこと。
マスタングは。
口を挟まずに聞いていた。
全てを聞き終えてから。
「根拠は。」
と尋ねる。
「詳しくは書かれていなかった。」
「だが。」
ヒューズは、眼鏡を押し上げる。
「根拠のない妄想を書いたわけじゃねぇ。」
「俺も。」
「通常業務の中で、少しずつ調べた。」
「幾つか。」
「妙な記録は見つかってる。」
「どんなものだ。」
「戦争。」
「暴動。」
「各地で起きた大規模な事件。」
「年代と場所を並べると。」
「どうにも、偶然とは思えない偏りがある。」
「勿論。」
「まだ。」
「断定できる段階じゃねぇ。」
「だが。」
ヒューズは。
机の上で手を組んだ。
「今日。」
「中尉の軍葬へ出て。」
「もう、無視はできねぇと思った。」
マスタングは。
無言でヒューズを見る。
「軍の内側を警告した男が。」
「身元を確認できる四肢と大量の血だけを残して。」
「胴体ごと消えた。」
「偶然で片付けるには。」
「出来すぎてる。」
マスタングの脳裏に。
今日の軍葬の光景が浮かんだ。
整列する将官達。
大総統。
キング・ブラッドレイ。
厳粛な顔で。
棺を見つめていた者達。
あの場にいた誰かが。
中尉の死へ関わっている可能性。
あるいは。
あの場にいた者達すら把握できないところで。
軍という組織そのものが。
何かを隠している可能性。
マスタングは。
ゆっくりと椅子へ背を預けた。
「私は。」
「以前から。」
「大総統の席を狙っている。」
「知ってるよ。」
ヒューズが答える。
「何度も聞かされた。」
「だが。」
マスタングは続けた。
「今日ほど。」
「あの席へ座らなければならないと。」
「そう思った日はない。」
ヒューズは。
黙って、その言葉を聞いている。
「この国の上が。」
「腐っているというのなら。」
「上から。」
「全て入れ替えるしかない。」
静かな声だった。
だが。
その奥には。
強い怒りがあった。
ヨキ中尉のような男が。
誰かを救おうとし。
正しいことをしようとした結果。
消される体制。
そんなものを。
許すつもりはなかった。
「先走るなよ。」
ヒューズが言う。
「証拠も何も、まだ足りねぇ。」
「分かっている。」
「それに。」
マスタングは、ヒューズを睨む。
「それは私の台詞だ。」
「お前は。」
「何かを見つけると、一人で突っ走る癖がある。」
「……耳が痛ぇな。」
「今回は。」
「一人で動くな。」
「お前に何かあれば。」
「妻と娘が悲しむ。」
「分かってる。」
ヒューズは。
普段よりも、真剣な顔で頷いた。
「中尉も。」
「それを分かってたから。」
「俺に警告したんだろう。」
「なら。」
「無駄にはしねぇ。」
二人の間に。
短い沈黙が落ちる。
やがて。
マスタングが口を開いた。
「機を待つぞ。」
「情報を集める。」
「信用できる者を。」
「慎重に選ぶ。」
「記録は残さない。」
「危険を感じたら。」
「必ず互いに知らせる。」
「ああ。」
ヒューズが答える。
「今度は。」
「ちゃんと二人で、辿り着こうぜ。」
マスタングは。
僅かに目を細めた。
「ああ。」
それから。
ほんの少しだけ。
口元を上げる。
「ただし。」
「大総統になるのは、私だ。」
「そりゃ任せる。」
ヒューズも。
ようやく、いつもの笑みを見せた。
「俺は。」
「家族との時間が減る役職なんて、御免だからな。」
中尉の軍葬は。
終わった。
だが。
中尉が残したものは。
まだ、終わっていなかった。