第一章 襲撃
茶会を終えた、その日の夕方。
中央の空は。
ゆっくりと、茜色から藍色へ変わり始めていた。
ヨキは。
中央郊外へ続く道を、一人で歩いていた。
昼間の出来事を思い返す。
ラスト。
エンヴィー。
そして。
最後に現れた、エドワードとアルフォンス。
あの場では。
何事もなく別れることができた。
少なくとも。
表面上は。
エンヴィーには。
自分が何を知っているのか。
どこまで気づいているのか。
それを、悟られたかもしれない。
だが。
今更だった。
ヒューズへは。
既に手紙を渡している。
危険を伝えた。
目立って動かないこと。
そして。
読み終えた手紙を。
必ず、処分すること。
ヒューズなら。
言葉の意味を理解する。
そう信じている。
「……。」
ヨキは。
薄暗くなり始めた道の先へ、視線を向ける。
人通りはない。
民家も。
店も。
遠く離れている。
中央の喧騒が。
嘘のように遠かった。
不自然なほど。
静かだった。
その時。
道の中央に。
一人の男が立っていることに気づいた。
軍服。
眼帯。
腰に佩かれた軍刀。
ヨキの足が止まる。
心臓が。
一度だけ。
大きく鳴った。
「……大総統閣下。」
アメストリス軍最高司令官。
キング・ブラッドレイ。
そして。
憤怒(ラース)の名を持つホムンクルス。
護衛はいない。
公用車もない。
ただ一人。
夕暮れの道に立ち。
ヨキを見ていた。
「ヨキ中尉。」
ブラッドレイは。
いつもと変わらない声で、名を呼んだ。
穏やかだった。
だからこそ。
ヨキには分かった。
これは。
偶然の出会いではない。
「このような場所で。」
ヨキは。
ゆっくりと頭を下げた。
「お一人とは、珍しいですね。」
「少し。」
ブラッドレイは答える。
「君と話がしたくてね。」
腰の軍刀へ。
右手が触れていた。
ヨキは。
それを見た。
同時に。
自分の右手を、拳銃へ伸ばす。
勝てるとは思わなかった。
逃げ切れるとも。
それでも。
何もしないという選択だけは、できなかった。
ブラッドレイの姿が。
消えた。
「――っ。」
ヨキは。
反射的に、上体を後ろへ逸らした。
銀色の線が。
視界を横切る。
熱い。
そう思った時には。
左の額から頬へ。
鋭い痛みが走っていた。
血が。
左目へ流れ込む。
視界の半分が、赤く染まった。
ヨキは。
数歩よろめきながら。
どうにか、拳銃を抜いた。
銃口を向ける。
だが。
ブラッドレイは。
既に、その先にはいなかった。
背後。
そう理解した瞬間。
右腕から。
力が消えた。
拳銃を握ったままの手が。
地面へ落ちる。
「……。」
痛みは。
少し遅れてやってきた。
声が出なかった。
悲鳴を上げるより先に。
左腕も。
宙を舞った。
血が。
両肩から噴き出す。
ヨキの膝が揺れる。
それでも。
倒れる前に。
後ろへ跳ぼうとした。
右脚へ。
力を込める。
次の瞬間。
膝から下がなくなった。
身体が傾く。
地面へ倒れ込むより早く。
残った左脚も。
斬り落とされた。
数秒。
いや。
それより短かったかもしれない。
ヨキは。
四肢を失い。
土の上へ転がった。
夕暮れの道に。
血が広がっていく。
ブラッドレイは。
軍刀についた血を、軽く振り払った。
呼吸一つ。
乱れていなかった。
「……お見事です。」
ヨキは。
掠れた声で言った。
喉の奥から。
血の味がした。
「大総統閣下。」
ブラッドレイが。
僅かに目を細める。
「命乞いはしないのかね。」
「聞いていただけるのなら。」
ヨキは。
苦しげに息を吸った。
「是非、お願いしたいところですが。」
「……難しそうですので。」
ブラッドレイは。
小さく笑った。
嘲笑ではない。
ただ。
興味深いものを見るような笑みだった。
「君は。」
「自分の力量を、よく理解している。」
「ええ。」
ヨキは答える。
「ですから。」
「閣下の強さも。」
「よく分かります。」
正確には。
分かっていた。
この男が。
どれほど強いのか。
何者なのか。
原作を知る自分は。
誰よりも理解していたはずだった。
だが。
知っていることと。
対処できることは。
まるで違った。
避けたつもりだった最初の一撃さえ。
致命傷を外されただけなのかもしれない。
ブラッドレイが。
意図して。
生かした。
そう考えた方が自然だった。
「最初の一撃を避けたのは。」
ブラッドレイが言う。
「悪くなかった。」
「……光栄です。」
「ですが。」
ヨキは。
血に濡れた左目を、どうにか開く。
「次は。」
「もう少し、加減していただけると助かります。」
「安心したまえ。」
ブラッドレイは。
軍刀を鞘へ収めた。
「君には。」
「まだ、役目がある。」
その言葉に。
ヨキの背筋が冷えた。
殺されるのではない。
もっと悪い。
何かに使われる。
そのために。
四肢を落とされ。
生かされている。
ヨキは。
地面へ転がった自分の右腕を見る。
指は。
まだ、拳銃を握っていた。
左腕。
右脚。
左脚。
どれも。
回収される様子はない。
ブラッドレイが欲しいのは。
胴体だけ。
四肢は。
ここへ残す。
血も。
大量に流させる。
指紋。
血液型。
身体的特徴。
誰が見ても。
ヨキ本人が死んだと判断できるだけの証拠。
これは。
襲撃ではない。
回収だった。
ヨキという軍人を。
この世界から消すための。
「……なるほど。」
ヨキは。
小さく息を吐いた。
「随分と。」
「念入りですね。」
「君は。」
ブラッドレイが見下ろす。
「実によく働いた。」
「だが。」
「少々、かき回しすぎた。」
ヨキは。
目を閉じかける。
意識が。
急速に遠のいていた。
血を失いすぎている。
視界が暗い。
音が遠い。
それでも。
頭の中で。
いくつかの顔が浮かんだ。
エドワード。
アルフォンス。
ニーナ。
ピナコ。
ハボック。
マスタング。
そして。
ヒューズ。
手紙は渡した。
あの男なら。
きっと、気づく。
一人では動かない。
マスタングへ。
繋いでくれる。
ならば。
全てが途切れるわけではない。
まだ。
自分も生きている。
ならば。
まだ。
選べる。
「……閣下。」
ヨキは。
最後の力で声を出した。
「一つだけ。」
「何かね。」
「私は。」
息を吸う。
苦しい。
それでも。
ヨキは。
僅かに笑った。
「諦めが悪いのです。」
ブラッドレイは。
何も答えなかった。
ただ。
ヨキの胴体を。
荷物のように持ち上げる。
視界の端に。
斬り落とされた四肢が見えた。
あれが。
ヨキという人間の死体になる。
そう理解した時。
「では。」
ブラッドレイの声がした。
「行こうか。」
その言葉を最後に。
ヨキの意識は。
完全に途切れた。