……冷たい。
最初に感じたのは。
石の冷たさだった。
ゆっくりと瞼を開く。
視界は霞み。
焦点が定まるまで、少し時間がかかった。
高い天井。
見覚えのない巨大な地下空間。
石造りの柱。
床一面へ描かれた巨大な錬成陣。
鼻をつく薬品の臭いと。
鉄錆にも似た、生臭さ。
「……。」
ヨキは。
身体を起こそうとして。
動きを止めた。
違う。
起き上がれないのではない。
起き上がるためのものが。
そこになかった。
肩から先。
腰から下。
視線を落とせば。
白い布に包まれた身体だけが残っていた。
「そうでしたか。」
静かな声だった。
「全部、持っていかれましたか。」
驚きは。
なかった。
夕暮れ。
ブラッドレイ。
四度閃いた白刃。
そして。
最後の言葉。
「君には。」
「まだ、役目がある。」
その続きを。
今、自分は見ている。
視線を巡らせる。
巨大な培養槽。
脈打つ赤い結晶。
人だったもの。
そうとしか思えない残骸。
「これはまた……。」
小さく息を吐く。
「随分と趣味の悪い研究室ですね。」
返事はない。
だが。
気配だけはあった。
柱の陰。
壁際。
少し高い足場。
いくつもの視線。
そのどれもが。
自分を見ている。
敵意ではない。
殺気でもない。
ただ。
見ていた。
誰一人。
口を開こうとはしない。
ヨキもまた。
何も言わなかった。
視線だけを巡らせる。
その時だった。
「目覚めたか。」
静かな声が響いた。
地下空間全体へ。
よく通る声だった。
ヨキは。
ゆっくりと顔を上げる。
部屋の奥。
一人の男が立っていた。
金色の長髪。
白い衣。
荘厳な顔付き。
熱のない眼差し。
まるで。
古い学者のような風貌。
だが。
その存在だけが。
この地下空間の空気を支配していた。
「……。」
ヨキは。
その姿を見つめる。
知っている。
知りすぎるほどに。
ホムンクルス達が。
"お父様"と呼ぶ存在。
「生命活動は維持されている。」
「意識も明瞭。」
「予測より回復が早い。」
診察結果を確認するような。
抑揚のない声だった。
ヨキは。
苦笑する。
「それは。」
「安心してよろしいのでしょうか。」
「安心?」
男は。
一瞬だけ沈黙した。
「その必要はない。」
「必要だったから、生かした。」
ヨキは。
その言葉を聞いて。
静かに頷く。
「なるほど。」
「治療ではなく。」
「管理、ですか。」
男は答えない。
肯定も。
否定もしない。
ただ。
ヨキを見ていた。
いや。
見ているのは。
ヨキではない。
その結果。
その現象。
そのものだった。
しばらくの沈黙。
ヨキは。
再び周囲へ視線を向ける。
柱の陰。
壁際。
誰も動かない。
誰も話さない。
「彼らが気になるか。」
初めて。
男の方から問い掛けた。
ヨキは。
少し考え。
静かに答える。
「ええ。」
「皆さん。」
「随分と静かなものですから。」
「我が子だ。」
男は。
それだけ言った。
ヨキは。
一度だけ。
周囲を見回す。
誰も反応しない。
誰一人。
言葉を返さない。
「そうですか。」
小さく頷き。
穏やかな口調のまま。
続ける。
「でしたら。」
「少々。」
「窮屈そうなご家族ですね。」
誰も。
答えなかった。
沈黙だけが。
地下空間を満たしていた。
やがて。
男が静かに口を開く。
「窮屈ではない。」
「彼らは。」
「不要なものから解放されるために在る。」
ヨキは。
静かに耳を傾ける。
「怒り。」
「嫉妬。」
「怠惰。」
「強欲。」
「暴食。」
「色欲。」
「傲慢。」
「完全な存在には。」
「不要なものだ。」
「だから。」
「切り離した。」
抑揚のない声。
善悪を語る口調ではない。
必要か。
不要か。
それだけだった。
ヨキは。
静かに頷く。
「なるほど。」
「お考えは分かりました。」
「……。」
「ですが。」
「私には。」
「やはり。」
「父親というより。」
「職人に見えます。」
「皆さんを。」
「ご自身の完成形へ。」
「近付けようとなさっているように。」
沈黙。
地下空間は。
静まり返ったままだった。
男は。
ヨキを見つめる。
「興味深い。」
その一言だけが返る。
ヨキは。
僅かに首を傾げた。
「私の考え方が、ですか。」
「違う。」
即座だった。
「貴様のことだ。」
「……。」
男はヨキを見ていた。
「四肢を失い。」
「死を目前にし。」
「なお。」
「思考が変質しない。」
「価値観も。」
「精神も。」
「揺らがない。」
「極めて稀有だ。」
「……。」
「興味深い。」
ヨキは。
少しだけ目を伏せる。
「そうでしょうか。」
「私には。」
「わかりません。」
男は。
その言葉にも反応を示さない。
「通常。」
「人柱となる者は。」
「優れた錬金術師だ。」
「知識。」
「技術。」
「探究心。」
「それらが。」
「扉へ至る条件となる。」
男は。
一歩だけ歩く。
「だが。」
「例外は。」
「否定しない。」
ヨキは。
男を見つめる。
「技術ではなく。」
「知識でもなく。」
「精神。」
「思考。」
「その在り方そのものが。」
「扉へ到達する可能性。」
「確認する価値がある。」
一瞬だけ。
地下空間が静まり返る。
「人柱とは。」
「選ばれる名ではない。」
「真理へ到達した者へ。」
「結果として与えられる呼称だ。」
ヨキは。
静かに息を吐いた。
「なるほど。」
「私は。」
「その実験台という訳ですか。」
「そうだ。」
迷いのない返答だった。
「確認する。」
「貴様が。」
「人柱となり得るかを。」
男が。
ゆっくりと手を掲げる。
巨大な錬成陣が。
淡く光を放ち始めた。