ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第二章 父

 

 ……冷たい。

 

 最初に感じたのは。

 

 石の冷たさだった。

 

 ゆっくりと瞼を開く。

 

 視界は霞み。

 

 焦点が定まるまで、少し時間がかかった。

 

 高い天井。

 

 見覚えのない巨大な地下空間。

 

 石造りの柱。

 

 床一面へ描かれた巨大な錬成陣。

 

 鼻をつく薬品の臭いと。

 

 鉄錆にも似た、生臭さ。

 

「……。」

 

 ヨキは。

 

 身体を起こそうとして。

 

 動きを止めた。

 

 違う。

 

 起き上がれないのではない。

 

 起き上がるためのものが。

 

 そこになかった。

 

 肩から先。

 

 膝から下。

 

 視線を落とせば。

 

 白い布に包まれた身体だけが残っていた。

 

「そうでしたか。」

 

 静かな声だった。

 

「全部、持っていかれましたか。」

 

 驚きは。

 

 なかった。

 

 夕暮れ。

 

 ブラッドレイ。

 

 四度閃いた白刃。

 

 そして。

 

 最後の言葉。

 

「君には。」

 

「まだ、役目がある。」

 

 その続きを。

 

 今、自分は見ている。

 

 視線を巡らせる。

 

 巨大な培養槽。

 

 脈打つ赤い結晶。

 

 人だったもの。

 

 そうとしか思えない残骸。

 

「これはまた……。」

 

 小さく息を吐く。

 

「随分と趣味の悪い研究室ですね。」

 

 返事はない。

 

 だが。

 

 気配だけはあった。

 

 柱の陰。

 

 壁際。

 

 少し高い足場。

 

 いくつもの視線。

 

 そのどれもが。

 

 自分を見ている。

 

 敵意ではない。

 

 殺気でもない。

 

 ただ。

 

 見ていた。

 

 誰一人。

 

 口を開こうとはしない。

 

 ヨキもまた。

 

 何も言わなかった。

 

 視線だけを巡らせる。

 

 その時だった。

 

「目覚めたか。」

 

 静かな声が響いた。

 

 地下空間全体へ。

 

 よく通る声だった。

 

 ヨキは。

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 

 部屋の奥。

 

 一人の男が立っていた。

 

 金色の長髪。

 

 白い衣。

 

 荘厳な顔付き。

 

 熱のない眼差し。

 

 まるで。

 

 古い学者のような風貌。

 

 だが。

 

 その存在だけが。

 

 この地下空間の空気を支配していた。

 

「……。」

 

 ヨキは。

 

 その姿を見つめる。

 

 知っている。

 

 知りすぎるほどに。

 

 ホムンクルス達が。

 

 "お父様"と呼ぶ存在。

 

「生命活動は維持されている。」

 

「意識も明瞭。」

 

「予測より回復が早い。」

 

 診察結果を確認するような。

 

 抑揚のない声だった。

 

 ヨキは。

 

 苦笑する。

 

「それは。」

 

「安心してよろしいのでしょうか。」

 

「安心?」

 

 男は。

 

 一瞬だけ沈黙した。

 

「その必要はない。」

 

「必要だったから、生かした。」

 

 ヨキは。

 

 その言葉を聞いて。

 

 静かに頷く。

 

「なるほど。」

 

「治療ではなく。」

 

「管理、ですか。」

 

 男は答えない。

 

 肯定も。

 

 否定もしない。

 

 ただ。

 

 ヨキを見ていた。

 

 いや。

 

 見ているのは。

 

 ヨキではない。

 

 その結果。

 

 その現象。

 

 そのものだった。

 

 しばらくの沈黙。

 

 ヨキは。

 

 再び周囲へ視線を向ける。

 

 柱の陰。

 

 壁際。

 

 誰も動かない。

 

 誰も話さない。

 

「彼らが気になるか。」

 

 初めて。

 

 男の方から問い掛けた。

 

 ヨキは。

 

 少し考え。

 

 静かに答える。

 

「ええ。」

 

「皆さん。」

 

「随分と静かなものですから。」

 

「我が子だ。」

 

 男は。

 

 それだけ言った。

 

 ヨキは。

 

 一度だけ。

 

 周囲を見回す。

 

 誰も反応しない。

 

 誰一人。

 

 言葉を返さない。

 

「そうですか。」

 

 小さく頷き。

 

 穏やかな口調のまま。

 

 続ける。

 

「でしたら。」

 

「少々。」

 

「窮屈そうなご家族ですね。」

 

 誰も。

 

 答えなかった。

 

 沈黙だけが。

 

 地下空間を満たしていた。

 

 やがて。

 

 男が静かに口を開く。

 

「窮屈ではない。」

 

「彼らは。」

 

「不要なものから解放されるために在る。」

 

 ヨキは。

 

 静かに耳を傾ける。

 

「怒り。」

 

「嫉妬。」

 

「怠惰。」

 

「強欲。」

 

「暴食。」

 

「色欲。」

 

「傲慢。」

 

「完全な存在には。」

 

「不要なものだ。」

 

「だから。」

 

「切り離した。」

 

 抑揚のない声。

 

 善悪を語る口調ではない。

 

 必要か。

 

 不要か。

 

 それだけだった。

 

 ヨキは。

 

 静かに頷く。

 

「なるほど。」

 

「お考えは分かりました。」

 

「……。」

 

「ですが。」

 

「私には。」

 

「やはり。」

 

「父親というより。」

 

「職人に見えます。」

 

「皆さんを。」

 

「ご自身の完成形へ。」

 

「近付けようとなさっているように。」

 

 沈黙。

 

 地下空間は。

 

 静まり返ったままだった。

 

 男は。

 

 ヨキを見つめる。

 

「興味深い。」

 

 その一言だけが返る。

 

 ヨキは。

 

 僅かに首を傾げた。

 

「私の考え方が、ですか。」

 

「違う。」

 

 即座だった。

 

「貴様のことだ。」

 

「……。」

 

 男はヨキを見ていた。

 

「四肢を失い。」

 

「死を目前にし。」

 

「なお。」

 

「思考が変質しない。」

 

「価値観も。」

 

「精神も。」

 

「揺らがない。」

 

「極めて稀有だ。」

 

「……。」

 

「興味深い。」

 

 ヨキは。

 

 少しだけ目を伏せる。

 

「そうでしょうか。」

 

「私には。」

 

「わかりません。」

 

 男は。

 

 その言葉にも反応を示さない。

 

「通常。」

 

「人柱となる者は。」

 

「優れた錬金術師だ。」

 

「知識。」

 

「技術。」

 

「探究心。」

 

「それらが。」

 

「扉へ至る条件となる。」

 

 男は。

 

 一歩だけ歩く。

 

「だが。」

 

「例外は。」

 

「否定しない。」

 

 ヨキは。

 

 男を見つめる。

 

「技術ではなく。」

 

「知識でもなく。」

 

「精神。」

 

「思考。」

 

「その在り方そのものが。」

 

「扉へ到達する可能性。」

 

「確認する価値がある。」

 

 一瞬だけ。

 

 地下空間が静まり返る。

 

「人柱とは。」

 

「選ばれる名ではない。」

 

「真理へ到達した者へ。」

 

「結果として与えられる呼称だ。」

 

 ヨキは。

 

 静かに息を吐いた。

 

「なるほど。」

 

「私は。」

 

「その実験台という訳ですか。」

 

「そうだ。」

 

 迷いのない返答だった。

 

「確認する。」

 

「貴様が。」

 

「人柱となり得るかを。」

 

 男が。

 

 ゆっくりと手を掲げる。

 

 巨大な錬成陣が。

 

 淡く光を放ち始めた。

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