教会の扉が静かに開いた。
高い天井。
色鮮やかなステンドグラス。
祭壇の前では、多くの信徒たちが静かに祈りを捧げていた。
「ようこそ、お越しくださいました。」
一人の少女が柔らかな笑みを浮かべ、頭を下げる。
茶色の長い髪。
優しそうな瞳。
どこか儚げな雰囲気を纏っている。
「私はロゼと申します。」
ヨキは思わず目を丸くした。
(……ロゼ。)
(本物だ。)
原作で何度も見た少女が、今、自分の目の前に立っている。
「ヨキ中尉、ですよね?」
「あ、ああ。」
思わず返事が遅れる。
ロゼは気にした様子もなく微笑んだ。
「教主様は、ただいま信徒の皆さんとお話し中です。」
「その間、私がご案内しますね。」
「ありがとう。」
二人はゆっくりと教会の中を歩く。
「この町が大好きなんです。」
ロゼは嬉しそうに話し始めた。
「皆さん優しくて、困っている人がいたら助け合って。」
「教主様も、いつも私たちを導いてくださっています。」
その笑顔には、一切の曇りがない。
(……本当に信じてるんだ。)
ヨキは胸が少し痛んだ。
「私……。」
ロゼは少し照れくさそうに笑う。
「結婚を約束した人がいたんです。」
ヨキは静かに耳を傾ける。
「でも、事故で亡くなってしまって……。」
一瞬だけ寂しそうな表情になる。
しかし、すぐに笑顔へ戻った。
「でも、大丈夫なんです。」
「教主様が、きっとまた会わせてくださるって約束してくれたから。」
「だから毎日祈っているんです。」
「今度こそ、また一緒に笑えるって信じています。」
ヨキは何も言えなかった。
(知ってる。)
(全部知ってる。)
(その願いは叶わない。)
(……本当に、幸せになってほしい。)
◇
応接室へ案内される。
ほどなくして、一人の男が姿を現した。
柔和な笑みを浮かべた老人。
レト教教主コーネロだった。
ヨキは静かに一礼する。
「本日よりリオール地区を担当することになりました、ヨキ中尉です。」
「どうぞよろしくお願いいたします。」
コーネロも穏やかに微笑み返した。
「これはご丁寧に。」
「軍と教団が手を取り合い、この町の平和を守っていければ幸いです。」
「こちらこそ。」
当たり障りのない挨拶だった。
ヨキは心の中で安堵する。
(よし。)
(今日は本当に何もしない。)
(これで帰ろう。)
一方、コーネロは笑みを崩さぬまま、静かにヨキを観察していた。
(この男が、新しく赴任した軍人か。)
(報告では、ユースウェルから左遷されてきた男。)
(なるほど。)
(左遷された軍人が一人増えたところで、この町は何も変わらん。)
(軍も、厄介払いのつもりで寄越したのだろう。)
(警戒するほどの相手ではない。)
そう結論づけると、コーネロは興味を失ったようにロゼへ視線を向けた。
「ロゼ。」
「先ほどの話の続きをしましょう。」
「はい、教主様。」
ロゼは少し恥ずかしそうに俯く。
「教主様……。」
「私、あとどれくらい待てば……。」
「また、あの人に会えるのでしょうか。」
コーネロは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「神は、信じる者を見捨てません。」
「時が満ちれば、あなたの願いは必ず届きます。」
「その時まで、神の御業を信じなさい。」
そう言うと、右手を静かに掲げる。
はめられた指輪が、赤く妖しく輝いた。
次の瞬間。
応接室の花瓶へ生けられていた花が、まるで時間を巻き戻したかのように一斉に花開いた。
「……!」
ロゼの表情がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、教主様!」
「やっぱり神様は私たちを見てくださっているんですね!」
コーネロは満足そうに頷いた。
「信じなさい。」
「必ず願いは叶います。」
ヨキだけが、その指輪から目を離せなかった。
(……賢者の石。)
(やっぱりか。)
拳を握る。
(駄目だ。)
(今回は何もしないって決めた。)
(帰ろう。)
一歩踏み出す。
しかし。
ロゼの笑顔が目に入る。
(知ってしまった。)
(この子は騙されている。)
(見て見ぬふりは……。)
できなかった。
静かに振り返る。
「……失礼します。」
コーネロが穏やかに笑う。
「何でしょう?」
ヨキは小さく息を吸った。
「一つ、確認なんですが。」
◇
「先ほどのお話ですが。」
「亡くなられた方と再び会わせる、という認識でよろしいでしょうか。」
「ええ。」
「神の御業です。」
ヨキは静かに頷く。
「ありがとうございます。」
「まず確認ですが。」
「人体錬成ではありませんね。」
「もちろんです。」
「軍では人体錬成は禁止されていますので、職務上の確認です。」
「なるほど。」
「では、錬金術でもありませんね。」
「神の御業です。」
「そうですか。」
一拍置く。
「国家錬金術師でもありません。」
「錬成陣も見受けられません。」
「人体錬成でもありません。」
「私の知る錬金術でもありません。」
ヨキは少し考え込むように顎へ手を添えた。
「となりますと。」
「シン国など、他国の技術体系による術でしょうか。」
「あるいは、我々の知らない別の技術でしょうか。」
部屋の空気が少しだけ張り詰める。
コーネロは笑顔を崩さない。
「もし他国の技術でしたら。」
「軍として確認しなければならない案件になります。」
「我が国の安全保障にも関わりますので。」
「なるほど。」
コーネロは静かに微笑んだ。
「ですが、そのような大層なものではありません。」
「神の御業です。」
「そうですか。」
ヨキは素直に頷いた。
「では最後に、もう一点だけ確認させてください。」
部屋が静まり返る。
「先ほど、神の御業をお見せくださった際。」
「その指輪が赤く発光していたように見えました。」
コーネロの瞳がわずかに揺れる。
「軍でも噂程度には耳にしております。」
「莫大なエネルギーを秘めた鉱石。」
「賢者の石、と呼ばれる存在を。」
ロゼだけが、不思議そうに二人を見ている。
「もちろん、存在は確認されておりません。」
「だからこその確認です。」
「もし違うのであれば安心できます。」
「もし違わないのであれば、正式な調査が必要になります。」
「もし本当に神の御業なのであれば。」
「軍としても正式に確認し、認める必要があります。」
一歩だけ近付く。
「その指輪を、一度軍でお預かりしてもよろしいでしょうか。」
沈黙。
コーネロは穏やかに笑っていた。
しかし、その胸中では先ほどまでの余裕は消え失せていた。
(左遷された軍人だと侮った。)
(だが違う。)
(この男は問答だけで、ここまで辿り着いた。)
(偶然ではない。)
(生かしておけば、必ず真実へ辿り着く。)
(……生かしてはおけない。)
「もちろんです。」
コーネロは静かに立ち上がる。
「その件につきましては、人払いをした別室でゆっくりお話しいたしましょう。」
「ありがとうございます。」
数分後。
教会中に、一発の銃声が響き渡ることになる――。