ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第六章 転属

 

 ゆっくりと意識が浮かび上がる。

 

 鼻をくすぐる消毒薬の匂い。

 

 真っ白な天井。

 

「……ここは。」

 

 ゆっくりと目を開く。

 

 身体を起こそうとした瞬間、左肩に鋭い痛みが走った。

 

「いっ……!」

 

 思わず顔をしかめる。

 

 肩から胸にかけては包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 

「病院……か。」

 

 ぼんやりと天井を見つめる。

 

 そして、少しずつ記憶が戻ってきた。

 

 コーネロ。

 

 別室。

 

 確認。

 

 賢者の石。

 

 そして――。

 

「……やっちまった。」

 

 思わず小さく呟く。

 

「俺、死ぬと思ったな……。」

 

 乾いた笑みが漏れた。

 

 別室へ案内された瞬間から、嫌な予感はしていた。

 

(やっぱり口封じか。)

 

 そう思った矢先。

 

 拳銃が向けられた。

 

 一発目は、たまたま外れた。

 

 逃げようと思った。

 

 その時だった。

 

 扉が勢いよく開いた。

 

 飛び込んできたのは――ロゼ。

 

「……!」

 

 あとは、ほとんど覚えていない。

 

 ただ一つだけ。

 

 考えるより先に身体が動いていた。

 

 ロゼを突き飛ばすように庇った。

 

 そこまでは覚えている。

 

「その後は……。」

 

 思い出そうとしても、そこで記憶は途切れていた。

 

 コンコン、と病室の扉が叩かれる。

 

「失礼します。」

 

 入ってきたのは、副官だった。

 

「中尉!」

 

 目を覚ましたヨキを見て、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「ご無事で何よりです。」

 

「……ありがとう。」

 

 ヨキは苦笑した。

 

「なぁ、その後どうなった?」

 

「俺、どこまで覚えてるんだろう。」

 

 

「ロゼさんを庇われたところまでは、正しかったようです。」

 

「その直後、教会へ鋼の錬金術師と弟君が到着しました。」

 

 ヨキは目を丸くする。

 

「……鋼の錬金術師が来たのか。」

 

「はい。」

 

「教主コーネロの不正は暴かれました。」

 

「教団は解体され、コーネロは逮捕されたとのことです。」

 

「ロゼさんもご無事でした。」

 

 その一言を聞いた瞬間。

 

 胸の奥から、ゆっくりと力が抜けていった。

 

「……そっか。」

 

 それだけだった。

 

 副官は少し不思議そうな顔をする。

 

「中尉?」

 

「あ、いや。」

 

「本当に……良かった。」

 

 副官は静かに頷いた。

 

 その表情を見て、それ以上は何も聞かなかった。

 

 

 副官が病室を後にする。

 

 一人になった病室で、ヨキは静かに天井を見上げた。

 

(……危なかった。)

 

 思い返すだけで冷や汗が滲む。

 

 今回は何もしない。

 

 そう決めていた。

 

 それなのに、自分から首を突っ込んだ。

 

 危うく死ぬところだった。

 

 それだけではない。

 

(俺が余計なことをしたせいで。)

 

(ロゼまで危険に巻き込んでしまった。)

 

 原作では、あの場面でロゼが銃撃戦へ巻き込まれることはなかった。

 

 自分が確認を始めたから。

 

 自分がコーネロを追い詰めたから。

 

 あの子は命の危険に晒された。

 

「……ごめんな。」

 

 誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。

 

 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 それでも。

 

 不思議だった。

 

 後悔は、していない。

 

「……あれ。」

 

 思わず苦笑する。

 

 怖かった。

 

 痛かった。

 

 死ぬと思った。

 

 ロゼまで巻き込んでしまった。

 

 なのに。

 

 もし、もう一度あの場へ戻ったとして。

 

 自分は見て見ぬふりができるだろうか。

 

「……多分、無理だな。」

 

 答えはすぐに出た。

 

 知ってしまった。

 

 目の前で騙されている人がいた。

 

 それを見てしまった以上、自分はきっとまた動いてしまう。

 

「俺……。」

 

 静かに笑う。

 

「変わったのかな。」

 

 静かに生きたい。

 

 その気持ちは今でも変わらない。

 

 誰かを救う英雄になりたいわけでもない。

 

 けれど。

 

 知ってしまったことから目を背けることは、もうできないのかもしれない。

 

 それが、自分という人間なのだと。

 

 ようやく少しだけ、分かった気がした。

 

 

 数日後。

 

 怪我も落ち着き、病室で簡単な書類仕事をしていたヨキのもとへ、副官が一枚の封筒を持って現れた。

 

「中尉。」

 

「中央から辞令です。」

 

「……また?」

 

 嫌な予感しかしない。

 

 恐る恐る封を切る。

 

 そこには短く記されていた。

 

『東方司令部勤務を命ずる。』

 

「…………。」

 

 しばらく沈黙する。

 

 そして、天井を仰いだ。

 

「また左遷かぁ……。」

 

 思わず力なく笑う。

 

 副官も苦笑している。

 

「今度は東方です。」

 

「リオールでの件が原因でしょうか。」

 

「どうだろう。」

 

 ヨキは肩をすくめた。

 

「まあ、考えても仕方ないか。」

 

 そう言いながらも、小さくため息をつく。

 

(今度こそ。)

 

(本当に何もしない。)

 

(もう危ないことには近づかない。)

 

 そう固く心へ誓う。

 

 ――その決意が、再び揺らぐ日が来ることを。

 

 まだヨキは知らなかった。

 

 

 薄暗い部屋の中。

 

 三つの気配だけが静かに佇んでいた。

 

「……あのヨキという男。」

 

 退屈そうな声が沈黙を破る。

 

「随分と錬金術に詳しいらしいじゃねぇか。」

 

 長い髪を揺らした女は、小さく目を閉じた。

 

「ええ。」

 

「私も、あのヨキがあそこまで知識を持っているとは思わなかったわ。」

 

「ねぇ……。」

 

「食べていい?」

 

「駄目よ。」

 

 即座に返事が返る。

 

「まだ監視の指示は変わっていないわ。」

 

 静かな沈黙。

 

 やがて女は、わずかに口元を緩めた。

 

「もしかすると。」

 

「あの男は、人柱になり得る存在なのかもしれない。」

 

「へいへい。」

 

「俺はどっちでもいいけどな。」

 

「余計な面倒だけは増やしてくれるなよ。」

 

 三人の姿は闇へ溶けるように消えていく。

 

 その視線は、静かに一人の男を見据えていた。

 

 ――ヨキ。

 

 本人だけが、自分が何者に見られているのかを知らないまま。

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