ゆっくりと意識が浮かび上がる。
鼻をくすぐる消毒薬の匂い。
真っ白な天井。
「……ここは。」
ゆっくりと目を開く。
身体を起こそうとした瞬間、左肩に鋭い痛みが走った。
「いっ……!」
思わず顔をしかめる。
肩から胸にかけては包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「病院……か。」
ぼんやりと天井を見つめる。
そして、少しずつ記憶が戻ってきた。
コーネロ。
別室。
確認。
賢者の石。
そして――。
「……やっちまった。」
思わず小さく呟く。
「俺、死ぬと思ったな……。」
乾いた笑みが漏れた。
別室へ案内された瞬間から、嫌な予感はしていた。
(やっぱり口封じか。)
そう思った矢先。
拳銃が向けられた。
一発目は、たまたま外れた。
逃げようと思った。
その時だった。
扉が勢いよく開いた。
飛び込んできたのは――ロゼ。
「……!」
あとは、ほとんど覚えていない。
ただ一つだけ。
考えるより先に身体が動いていた。
ロゼを突き飛ばすように庇った。
そこまでは覚えている。
「その後は……。」
思い出そうとしても、そこで記憶は途切れていた。
コンコン、と病室の扉が叩かれる。
「失礼します。」
入ってきたのは、副官だった。
「中尉!」
目を覚ましたヨキを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「ご無事で何よりです。」
「……ありがとう。」
ヨキは苦笑した。
「なぁ、その後どうなった?」
「俺、どこまで覚えてるんだろう。」
◇
「ロゼさんを庇われたところまでは、正しかったようです。」
「その直後、教会へ鋼の錬金術師と弟君が到着しました。」
ヨキは目を丸くする。
「……鋼の錬金術師が来たのか。」
「はい。」
「教主コーネロの不正は暴かれました。」
「教団は解体され、コーネロは逮捕されたとのことです。」
「ロゼさんもご無事でした。」
その一言を聞いた瞬間。
胸の奥から、ゆっくりと力が抜けていった。
「……そっか。」
それだけだった。
副官は少し不思議そうな顔をする。
「中尉?」
「あ、いや。」
「本当に……良かった。」
副官は静かに頷いた。
その表情を見て、それ以上は何も聞かなかった。
◇
副官が病室を後にする。
一人になった病室で、ヨキは静かに天井を見上げた。
(……危なかった。)
思い返すだけで冷や汗が滲む。
今回は何もしない。
そう決めていた。
それなのに、自分から首を突っ込んだ。
危うく死ぬところだった。
それだけではない。
(俺が余計なことをしたせいで。)
(ロゼまで危険に巻き込んでしまった。)
原作では、あの場面でロゼが銃撃戦へ巻き込まれることはなかった。
自分が確認を始めたから。
自分がコーネロを追い詰めたから。
あの子は命の危険に晒された。
「……ごめんな。」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
それでも。
不思議だった。
後悔は、していない。
「……あれ。」
思わず苦笑する。
怖かった。
痛かった。
死ぬと思った。
ロゼまで巻き込んでしまった。
なのに。
もし、もう一度あの場へ戻ったとして。
自分は見て見ぬふりができるだろうか。
「……多分、無理だな。」
答えはすぐに出た。
知ってしまった。
目の前で騙されている人がいた。
それを見てしまった以上、自分はきっとまた動いてしまう。
「俺……。」
静かに笑う。
「変わったのかな。」
静かに生きたい。
その気持ちは今でも変わらない。
誰かを救う英雄になりたいわけでもない。
けれど。
知ってしまったことから目を背けることは、もうできないのかもしれない。
それが、自分という人間なのだと。
ようやく少しだけ、分かった気がした。
◇
数日後。
怪我も落ち着き、病室で簡単な書類仕事をしていたヨキのもとへ、副官が一枚の封筒を持って現れた。
「中尉。」
「中央から辞令です。」
「……また?」
嫌な予感しかしない。
恐る恐る封を切る。
そこには短く記されていた。
『東方司令部勤務を命ずる。』
「…………。」
しばらく沈黙する。
そして、天井を仰いだ。
「また左遷かぁ……。」
思わず力なく笑う。
副官も苦笑している。
「今度は東方です。」
「リオールでの件が原因でしょうか。」
「どうだろう。」
ヨキは肩をすくめた。
「まあ、考えても仕方ないか。」
そう言いながらも、小さくため息をつく。
(今度こそ。)
(本当に何もしない。)
(もう危ないことには近づかない。)
そう固く心へ誓う。
――その決意が、再び揺らぐ日が来ることを。
まだヨキは知らなかった。
◇
薄暗い部屋の中。
三つの気配だけが静かに佇んでいた。
「……あのヨキという男。」
退屈そうな声が沈黙を破る。
「随分と錬金術に詳しいらしいじゃねぇか。」
長い髪を揺らした女は、小さく目を閉じた。
「ええ。」
「私も、あのヨキがあそこまで知識を持っているとは思わなかったわ。」
「ねぇ……。」
「食べていい?」
「駄目よ。」
即座に返事が返る。
「まだ監視の指示は変わっていないわ。」
静かな沈黙。
やがて女は、わずかに口元を緩めた。
「もしかすると。」
「あの男は、人柱になり得る存在なのかもしれない。」
「へいへい。」
「俺はどっちでもいいけどな。」
「余計な面倒だけは増やしてくれるなよ。」
三人の姿は闇へ溶けるように消えていく。
その視線は、静かに一人の男を見据えていた。
――ヨキ。
本人だけが、自分が何者に見られているのかを知らないまま。