ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第三部
第一章 東方司令部


 

 病院を退院した翌日。

 

 ヨキは東方司令部の正門を見上げていた。

 

「……また軍かぁ。」

 

 思わず小さくため息が漏れる。

 

 肩の傷はまだ完治していない。

 

 動かすたびに、少し痛みが走る。

 

 リオールでの出来事は、今でも夢に見るほど鮮明だった。

 

 向けられた銃口。

 

 響いた銃声。

 

 そして、考えるより先にロゼを庇っていた自分。

 

「もう、あんな思いはごめんだ。」

 

 静かに拳を握る。

 

(今度こそ。)

 

(本当に何もしない。)

 

(危ないことには近づかない。)

 

(目立たない。)

 

(平穏に勤務して。)

 

(平穏に異動して。)

 

(平穏に人生を終える。)

 

「よし。」

 

 そう自分へ言い聞かせ、東方司令部の中へ足を踏み入れた。

 

◇

 

 東方司令部。

 

 アメストリス東部一帯を管轄する軍の中枢。

 

 司令官であるグラマン中将のもと、多くの軍人たちが勤務している。

 

 ユースウェルやリオールのような地方勤務とは違う。

 

 ここでは自分は、ただの中尉。

 

 数多くいる軍人の一人に過ぎない。

 

(これくらいがちょうどいい。)

 

(地方の責任者なんて、もう勘弁だ。)

 

 受付で手続きを済ませると、配属先まで案内される。

 

「こちらになります。」

 

「ありがとうございます。」

 

 廊下を歩いていると、一人の青年とすれ違った。

 

 封の切られていない煙草の箱を手に、どこか気の抜けた笑みを浮かべている。

 

「どうも。」

 

「新しく来た中尉さんですよね?」

 

 青年は足を止め、軽く敬礼した。

 

「ジャン・ハボック少尉です。」

 

「ああ。」

 

 ヨキも敬礼を返す。

 

「ヨキ中尉だ。」

 

「よろしく。」

 

「こちらこそ。」

 

 短いやり取りだけを交わし、二人はそのまますれ違った。

 

(ハボック少尉。)

 

(やっぱり気さくそうな人だな。)

 

 そんな第一印象だけが残った。

 

◇

 

「こちらです。」

 

 案内役が扉を開ける。

 

 その先にいた人物を見た瞬間、ヨキは内心で固まった。

 

 それでも表情には出さず、姿勢を正す。

 

「ヨキ中尉、本日付で着任いたしました。」

 

「よろしくお願いいたします。」

 

 敬礼。

 

 机の向こうに座る男も静かに敬礼を返した。

 

「ロイ・マスタング大佐だ。」

 

「歓迎しよう。」

 

(うわぁ……。)

 

(マスタング組かよ。)

 

 心の中だけで頭を抱える。

 

 目の前にいるのは、焰の錬金術師。

 

 空気中の酸素濃度を操り、発火布の火花を起点に爆炎を生み出す国家錬金術師。

 

 後に軍の中枢へと駆け上がっていく男でもある。

 

 その傍らに立つのは、リザ・ホークアイ中尉。

 

 高い射撃技術を持ち、冷静な判断力でマスタングを支える副官。

 

 部屋を見渡せば、情報分析に長けた男、通信担当、現場叩き上げの軍人……優秀な人材ばかりが揃っている。

 

(原作でも最後まで第一線にいた人たちだ。)

 

(絶対に関わりたくねぇ……。)

 

(この人たちの近くにいたら、間違いなく面倒事へ巻き込まれる。)

 

 ヨキの心情など知らず、マスタングは淡々と告げた。

 

「まずはイーストシティの地理を覚えてもらう。」

 

「ハボック少尉。」

 

「はい。」

 

 先ほど廊下ですれ違った青年が返事をする。

 

「市内巡回を兼ねて、ヨキ中尉を案内してやれ。」

 

「了解しました。」

 

 マスタングはヨキへ視線を戻した。

 

「異論はあるか?」

 

「ありません。」

 

 ヨキは再び敬礼する。

 

「では、行ってこい。」

 

「失礼します。」

 

 ヨキとハボックは部屋を後にした。

 

◇

 

 部屋にはマスタングとリザだけが残った頃。

 

「よろしかったのですか。」

 

 リザが静かに尋ねる。

 

「以前、一度会ってみたい男だと仰っていましたが。」

 

「まさか、配属まで受け入れられるとは思いませんでした。」

 

 マスタングは椅子の背へ身体を預け、小さく笑った。

 

「構わん。」

 

「短期間で二度の異動を経験した人材だ。」

 

「中央の人事を受け入れるだけで、こちらに借りを作れるなら安いものだ。」

 

「それに。」

 

 わずかに口元を上げる。

 

「使えないようなら、その時は君に面倒を見てもらう。」

 

 リザは表情一つ変えなかった。

 

「私は、大佐のお守りだけで十分です。」

 

 マスタングは肩をすくめる。

 

「冗談だ。」

 

◇

 

「また会いましたね、中尉。」

 

 司令部の外で、ハボックが笑った。

 

「ああ。」

 

「よろしく頼むよ。」

 

「任せてください。」

 

 ハボックは駐車場の方角へ顎を向ける。

 

「車を出します。」

 

「その前に、一服します?」

 

 取り出された煙草を見て、ヨキは少しだけ目を細めた。

 

「煙草か。」

 

「吸います?」

 

「昔は吸ってたよ。」

 

「禁煙してた気もするけど。」

 

 自分のことなのに、少し妙な言い回しだった。

 

 しかし、ハボックは特に気にした様子もない。

 

「じゃあ、一本どうぞ。」

 

「ありがとう。」

 

 煙草を受け取り、火を借りる。

 

 煙を肺へ入れ、ゆっくりと吐き出した。

 

「……うまいな。」

 

「でしょ?」

 

「仕事前の一本は格別ですよ。」

 

「おすすめの銘柄があったら教えてよ。」

 

「もちろんです。」

 

 二人は並んで煙をくゆらせる。

 

(関わりたくないといっても。)

 

(これから同じ組織で働くんだ。)

 

(人間関係、上手くいけばいいが。)

 

 そう思いながらも。

 

 ヨキは、この気さくな少尉とは案外うまくやっていけそうな気がしていた。

 

◇

 

 ハボックの運転する車で、イーストシティを巡回する。

 

 東方司令部。

 

 憲兵詰所。

 

 市内の主要施設。

 

 軍が重点的に警戒している区域。

 

 ハボックは慣れた様子で、一つずつ説明していった。

 

「まあ、イーストシティはこんな感じです。」

 

「東方司令部のお膝元だけあって、軍人も多いですけど。」

 

「住民との距離は、そこまで遠くないですよ。」

 

「なるほど。」

 

 車窓の外へ目を向ける。

 

 人々が行き交う街並み。

 

 店先から聞こえる声。

 

 軍人と住民が言葉を交わす姿。

 

 地方の町とは違う活気があった。

 

「そろそろ昼ですね。」

 

 ハボックが時計を見る。

 

「昼飯でも食いますか?」

 

「そうしよう。」

 

 二人は近くの店へ入った。

 

◇

 

 食事を終え、ハボックが財布を取り出そうとする。

 

 その手を、ヨキが軽く制した。

 

「昼飯くらい俺が出すよ。」

 

「え?」

 

「いやいや、中尉。」

 

 ヨキは苦笑する。

 

「年上に格好つけさせてくれよ。」

 

「昔も、こういう時は俺が出してたからね。」

 

 ハボックは少しだけ迷ったあと、財布をしまった。

 

「じゃあ、ごちそうになります。」

 

「ああ。」

 

「その代わり。」

 

「この辺で、いい店があったら教えてよ。」

 

「飯屋ですか?」

 

「いや。」

 

 一拍置く。

 

「女の子がいる店。」

 

 ハボックの目が輝いた。

 

「中尉!」

 

「話が分かるじゃないですか!」

 

「いい店、知ってますよ。」

 

「じゃあ、今夜行こうか。」

 

「俺が奢るよ。」

 

「本当ですか!?」

 

「もちろん。」

 

「ただし、勤務が終わってからな。」

 

「分かってますって!」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

◇

 

 その夜。

 

 ヨキとハボックは約束通りの場所へ向かった。

 

 イーストシティで評判の店。

 

 くだらない冗談。

 

 二人は大いに飲み、大いに笑った。

 

 危険な目には遭いたくない。

 

 これ以上、面倒事へ深入りもしたくない。

 

 それは紛れもない本心だった。

 

 それでも。

 

 知っている人たちが同じ場所で生きていること。

 

 気の合う同僚と出会えたこと。

 

 その二つだけは、素直に嬉しかった。

 

(これから先、どうなるかは分からない。)

 

(それでも。)

 

(とりあえず、毎日を必死に生きていこう。)

 

 その日。

 

 二人はヨキの奢りで、夜遅くまで酒を酌み交わした。

 

 この時のヨキは、まだ知らない。

 

 目の前で楽しそうに笑う少尉が、これから幾度となく自分の無茶へ付き合うことになるとは――。

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