ヨキですが、静かに生きたいだけなんです。   作:千遇万歩

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第三部
第一章 東方司令部


 

 病院を退院した翌日。

 

 ヨキは東方司令部の正門を見上げていた。

 

「……また軍かぁ。」

 

 思わず小さくため息が漏れる。

 

 肩の傷はまだ完治していない。

 

 動かすたびに、少し痛みが走る。

 

 リオールでの出来事は、今でも夢に見るほど鮮明だった。

 

 向けられた銃口。

 

 響いた銃声。

 

 そして、考えるより先にロゼを庇っていた自分。

 

「もう、あんな思いはごめんだ。」

 

 静かに拳を握る。

 

(今度こそ。)

 

(本当に何もしない。)

 

(危ないことには近づかない。)

 

(目立たない。)

 

(平穏に勤務して。)

 

(平穏に異動して。)

 

(平穏に人生を終える。)

 

「よし。」

 

 そう自分へ言い聞かせ、東方司令部の中へ足を踏み入れた。

 

 

 東方司令部。

 

 アメストリス東部一帯を管轄する軍の中枢。

 

 司令官であるグラマン中将のもと、多くの軍人たちが勤務している。

 

 ユースウェルやリオールのような地方勤務とは違う。

 

 ここでは自分は、ただの中尉。

 

 数多くいる軍人の一人に過ぎない。

 

(これくらいがちょうどいい。)

 

(地方の責任者なんて、もう勘弁だ。)

 

 受付で手続きを済ませると、配属先まで案内される。

 

「こちらになります。」

 

「ありがとうございます。」

 

 廊下を歩いていると、一人の青年とすれ違った。

 

 封の切られていない煙草の箱を手に、どこか気の抜けた笑みを浮かべている。

 

「どうも。」

 

「新しく来た中尉さんですよね?」

 

 青年は足を止め、軽く敬礼した。

 

「ジャン・ハボック少尉です。」

 

「ああ。」

 

 ヨキも敬礼を返す。

 

「ヨキ中尉だ。」

 

「よろしく。」

 

「こちらこそ。」

 

 短いやり取りだけを交わし、二人はそのまますれ違った。

 

(ハボック少尉。)

 

(やっぱり気さくそうな人だな。)

 

 そんな第一印象だけが残った。

 

 

「こちらです。」

 

 案内役が扉を開ける。

 

 その先にいた人物を見た瞬間、ヨキは内心で固まった。

 

 それでも表情には出さず、姿勢を正す。

 

「ヨキ中尉、本日付で着任いたしました。」

 

「よろしくお願いいたします。」

 

 敬礼。

 

 机の向こうに座る男も静かに敬礼を返した。

 

「ロイ・マスタング大佐だ。」

 

「歓迎しよう。」

 

(うわぁ……。)

 

(マスタング組かよ。)

 

 心の中だけで頭を抱える。

 

 目の前にいるのは、焰の錬金術師。

 

 空気中の酸素濃度を操り、発火布の火花を起点に爆炎を生み出す国家錬金術師。

 

 後に軍の中枢へと駆け上がっていく男でもある。

 

 その傍らに立つのは、リザ・ホークアイ中尉。

 

 高い射撃技術を持ち、冷静な判断力でマスタングを支える副官。

 

 部屋を見渡せば、情報分析に長けた男、通信担当、現場叩き上げの軍人……優秀な人材ばかりが揃っている。

 

(原作でも最後まで第一線にいた人たちだ。)

 

(絶対に関わりたくねぇ……。)

 

(この人たちの近くにいたら、間違いなく面倒事へ巻き込まれる。)

 

 ヨキの心情など知らず、マスタングは淡々と告げた。

 

「まずはイーストシティの地理を覚えてもらう。」

 

「ハボック少尉。」

 

「はい。」

 

 先ほど廊下ですれ違った青年が返事をする。

 

「市内巡回を兼ねて、ヨキ中尉を案内してやれ。」

 

「了解しました。」

 

 マスタングはヨキへ視線を戻した。

 

「異論はあるか?」

 

「ありません。」

 

 ヨキは再び敬礼する。

 

「では、行ってこい。」

 

「失礼します。」

 

 ヨキとハボックは部屋を後にした。

 

 

 部屋にはマスタングとリザだけが残った頃。

 

「よろしかったのですか。」

 

 リザが静かに尋ねる。

 

「以前、一度会ってみたい男だと仰っていましたが。」

 

「まさか、配属まで受け入れられるとは思いませんでした。」

 

 マスタングは椅子の背へ身体を預け、小さく笑った。

 

「構わん。」

 

「短期間で二度の異動を経験した人材だ。」

 

「中央の人事を受け入れるだけで、こちらに借りを作れるなら安いものだ。」

 

「それに。」

 

 わずかに口元を上げる。

 

「使えないようなら、その時は君に面倒を見てもらう。」

 

 リザは表情一つ変えなかった。

 

「私は、大佐のお守りだけで十分です。」

 

 マスタングは肩をすくめる。

 

「冗談だ。」

 

 

「また会いましたね、中尉。」

 

 司令部の外で、ハボックが笑った。

 

「ああ。」

 

「よろしく頼むよ。」

 

「任せてください。」

 

 ハボックは駐車場の方角へ顎を向ける。

 

「車を出します。」

 

「その前に、一服します?」

 

 取り出された煙草を見て、ヨキは少しだけ目を細めた。

 

「煙草か。」

 

「吸います?」

 

「昔は吸ってたよ。」

 

「禁煙してた気もするけど。」

 

 自分のことなのに、少し妙な言い回しだった。

 

 しかし、ハボックは特に気にした様子もない。

 

「じゃあ、一本どうぞ。」

 

「ありがとう。」

 

 煙草を受け取り、火を借りる。

 

 煙を肺へ入れ、ゆっくりと吐き出した。

 

「……うまいな。」

 

「でしょ?」

 

「仕事前の一本は格別ですよ。」

 

「おすすめの銘柄があったら教えてよ。」

 

「もちろんです。」

 

 二人は並んで煙をくゆらせる。

 

(関わりたくないといっても。)

 

(これから同じ組織で働くんだ。)

 

(人間関係、上手くいけばいいが。)

 

 そう思いながらも。

 

 ヨキは、この気さくな少尉とは案外うまくやっていけそうな気がしていた。

 

 

 ハボックの運転する車で、イーストシティを巡回する。

 

 東方司令部。

 

 憲兵詰所。

 

 市内の主要施設。

 

 軍が重点的に警戒している区域。

 

 ハボックは慣れた様子で、一つずつ説明していった。

 

「まあ、イーストシティはこんな感じです。」

 

「東方司令部のお膝元だけあって、軍人も多いですけど。」

 

「住民との距離は、そこまで遠くないですよ。」

 

「なるほど。」

 

 車窓の外へ目を向ける。

 

 人々が行き交う街並み。

 

 店先から聞こえる声。

 

 軍人と住民が言葉を交わす姿。

 

 地方の町とは違う活気があった。

 

「そろそろ昼ですね。」

 

 ハボックが時計を見る。

 

「昼飯でも食いますか?」

 

「そうしよう。」

 

 二人は近くの店へ入った。

 

 

 食事を終え、ハボックが財布を取り出そうとする。

 

 その手を、ヨキが軽く制した。

 

「昼飯くらい俺が出すよ。」

 

「え?」

 

「いやいや、中尉。」

 

 ヨキは苦笑する。

 

「年上に格好つけさせてくれよ。」

 

「昔も、こういう時は俺が出してたからね。」

 

 ハボックは少しだけ迷ったあと、財布をしまった。

 

「じゃあ、ごちそうになります。」

 

「ああ。」

 

「その代わり。」

 

「この辺で、いい店があったら教えてよ。」

 

「飯屋ですか?」

 

「いや。」

 

 一拍置く。

 

「女の子がいる店。」

 

 ハボックの目が輝いた。

 

「中尉!」

 

「話が分かるじゃないですか!」

 

「いい店、知ってますよ。」

 

「じゃあ、今夜行こうか。」

 

「俺が奢るよ。」

 

「本当ですか!?」

 

「もちろん。」

 

「ただし、勤務が終わってからな。」

 

「分かってますって!」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

 

 その夜。

 

 ヨキとハボックは約束通りの場所へ向かった。

 

 イーストシティで評判の店。

 

 くだらない冗談。

 

 二人は大いに飲み、大いに笑った。

 

 危険な目には遭いたくない。

 

 これ以上、面倒事へ深入りもしたくない。

 

 それは紛れもない本心だった。

 

 それでも。

 

 知っている人たちが同じ場所で生きていること。

 

 気の合う同僚と出会えたこと。

 

 その二つだけは、素直に嬉しかった。

 

(これから先、どうなるかは分からない。)

 

(それでも。)

 

(とりあえず、毎日を必死に生きていこう。)

 

 その日。

 

 二人はヨキの奢りで、夜遅くまで酒を酌み交わした。

 

 この時のヨキは、まだ知らない。

 

 目の前で楽しそうに笑う少尉が、これから幾度となく自分の無茶へ付き合うことになるとは――。

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