日本国転移 作:えーあい
王宮の内庭から、山田とその護衛は、広大な廊下を歩いていた。劉威が先導し、その後ろを二人が従う。廊下の両脇には、斉国の兵士たちが立ち並んでいた。
兵士たちの目は、山田に集中していた。だが、その視線は、好意的なものではなかった。
「何だ、あれは」
一人の兵士が、低い声でつぶやいた。
「蛮族か。東の海の果ての」
別の兵士が応じた。
「ひょろっとしているな。戦には使えん」
「背も低い。何だ、あの服装は」
兵士たちの嘲笑めいた言葉が、廊下に響いた。
山田は、それらを聞きながらも、表情を変えなかった。外交官としての訓練が、彼の顔に一切の動揺を表さないようにさせていた。だが、その心の奥では、この古代中国の人間たちから発せられる軽蔑を、冷徹に分析していた。
護衛の自衛官は、その軽蔑に顔を曇らせた。だが、山田が静かに手を上げ、「動じるな」という無言のメッセージを送ると、自衛官は落ち着きを取り戻した。
廊下の奥から、上級の兵士らしき者が現れた。彼は、兵士たちに目をやり、何か言いたげな表情を浮かべた。だが、結局、何も言わず、山田たちを見つめるだけだった。
その目は、兵士たちとは異なっていた。兵士たちの目は、単純な軽蔑に満ちていた。だが、この上級兵士の目は、計算に満ちていた。
「あの服装は……」
上級兵士は、山田の衣服をじっと見つめた。
山田が身に着けているのは、日本の外交官にふさわしい、きちんとした紺色のスーツだった。その縫製は、見事なもの――古代中国の製造技術では作り出すことができないほど、精密で、完璧だ。ボタンも金属製で磨き上げられ、輝いている。
「あの金属は何だ。これほど磨き上げられた金属など、我が国でも見たことがない」
上級兵士は、周囲の兵士たちに目をやった。
「侮るな。あの男は、ただの蛮族ではない」
廊下の空気が、微かに変わった。兵士たちの嘲笑が、やや弱まった。
やがて、一行は玉座の間の前に到着した。
*
玉座の間の扉が、ゆっくりと開かれた。
斉国王、王建王は、玉座に座っていた。その両脇には、数人の側近が立ち並んでいた。その中には、蔡沢のような、見るからに知識人らしき老人の姿も見えた。
王建王の目は、山田を一瞥しただけで、その全てを分析したかのようだった。蛇をくわえ、くるくると回す。その動作は、計算と思考の表れだ。
「山田と申したか。日本国の外交官、とのことだ。歓迎する」
王建王の声は、低く、だが確かな権威を持っていた。
「ご高名をお聞きしており、光栄の至りです。斉国大王様にお会いできることを、心より感謝いたします」
山田は、拱手し深く頭を下げた。
その姿勢は、完璧な礼儀に満ちていた。他国の礼儀を学び取り入れる、外交官としての彼の訓練が、その身体に完全に染み込んでいた。
側近が王建に目をやった。
王建は、口に咥えた蛇を回し続けていた。
「山田よ。貴国についての報告をしてもらいたい。貴国は、どこから来たのか。何を目的としているのか。そして、なぜ我が国を経由して、秦国との対話を望むのか」
王建は、玉座から身を乗り出した。
山田は、静かに話を始めた。彼の言葉は、流暢で、計算されていた。
「我が国、日本は、東方の海上に位置する独立した国家です。何らかの異常現象により、この世界に出現いたしました。地理的に、貴国が最初に接触できる勢力だと判断し、貴国を通じて秦国との対話を望んでおります」
山田は、意図的に詳細を隠していた。外交官としての彼は、相手がどの程度の情報を欲しているのか、完璧に理解していた。
「ほォう。異常現象とは何だ?」
王建は、鋭く問いかけた。
「申し訳ございません。詳細については、秦国の王との対話の中で、明かしたいと考えております。ただ、我が国は、高度な技術を有しており、それが貴国の軍事力を大幅に強化することができることは、確かです」
山田は、言葉を選びながら答えた。
王建の側近たちが、互いに目を交わした。
「その船の報告から、彼の言葉は、虚言ではないと思われます、大王様」
蔡沢のような老人が、王建に耳打ちした。
「その服装、その礼儀、その言葉遣い。すべてが、単なる蛮族ではなく、高度な文明を有する国家の代表者であることを示しています」
王建は、ふむ、と頷き目を細める。
その目は、山田を深く分析していた。
「ふむ。では、貴国は、秦国との対話を望むために、我が国を経由する。そして、その過程で、貴国の技術を我が国に提供する、ということか」
「左様です。相互の利益となるような、交流を望んでおります」
山田の返答は、完璧だった。
王建は、満足そうに蛇を回した。
「良い。では、こういうことにしよう。貴国は、我が国の客人として、一定期間の滞在を認める。その間に、貴国の技術や意図について、詳細に調査させてもらう」
王建は、玉座から立ち上がった。
「ただし、条件がある。第一に、貴国は我が国の領土内で、軍事行動を一切禁止する。第二に、秦国との交渉は、我が国の許可の下でのみ行う。第三に、貴国の技術情報は、斉国が先に享受する権利を有する。何やら妙な技術をもって、巨大な船を作っているとのことだからのォ。
異論あるか」
山田は、その条件の厳しさを理解していた。だが、今の日本に、交渉の余地はない。
「承知いたしました。貴国の条件をお受けします」
山田は、再び深く頭を下げた。
王建は、蛇をくわえ、くるくると回した。その目は、何か秘密を知っているかのように輝いていた。
「良い返答だ。劉威よ。この客人を、王宮の客室へ案内するがよい。最上の客室を用意し、食事と休息を提供せよ。だが、同時に、彼らの動向を常に監視するのだ。何か異常があれば、すぐに報告するように」
「かしこまりました、大王様」
劉威は頭を下げた。
山田は、王建に最後に一礼をして、王宮の奥へと導かれていった。
*
王宮の客室。
山田は、一人になると、深く息をついた。その交渉は、成功したと言えるだろう。だが、同時に、彼は気づいていた。王建という王は、単純ではない。彼の条件は、一見すると合理的だが、実は日本を斉国の支配下に置く目的があるのかもしれない。
山田は、客室の窓から、王宮の庭園を眺めた。古代中国の風景は、教科書の中にしか存在しなかったはずのものだ。だが、今、それが彼の目の前に広がっている。
護衛兵が、山田に近づいた。
「山田さん。あの王は、相当に狡猾な男のようですね」
「そうだね。だが、彼は悪意を持っているわけではないのだと思う。彼は、単に、自国の利益を最大化しようとしているだけだ。それは、政治家として、当然の行動だ」
山田は、静かに答えた。
「では、我々はどうするのですか」
「今は、この状況を受け入れ、古代中国の権力構造を理解し、最大限の利益を引き出す方法を模索する必要がある。秦国との対話が実現するまで、私たちは、王建王の掌の上にいるということだ。だが、その中でも、日本という国家の存在を証明し、信頼を勝ち取らねばならない」
山田は、そう述べた。
その時、客室の扉がノックされた。侍女が、食事を運んできた。古代中国の料理だ。
山田は、それを見つめた。この食事も、歴史書の中でしか見たことがない、古代中国の食事なのだ。
彼は、静かに食事に箸をつけた。
そして同時刻、玉座の間に戻った王建は、側近に尋ねた。
「どうだ、あの男についての見立ては」
「大王様。あの男は、確実に高度な文明の代表者です。その言葉遣い、礼儀、そして交渉術。すべてが、単なる蛮族ではなく、洗練された外交官であることを示しています」
側近は、慎重に答えた。
「だが、彼の本当の目的は、まだ不明です。秦国との対話を望む理由が、何であるのかが、重要です」
王建は静かに目を細める。
「ふむ。では、やつを観察し続けるのだ。そして、我が国がどれだけやつから学ぶことができるか、試してみよう。もし、彼の言う通り、高度な技術を有しているのであれば、それは我が国にとって、極めて貴重な資産となるだろう」
王建王は、窓から、東の海を眺めた。
「そして、秦国。あの秦王嬴政は、この情報をどのように受け取るのか。興味深いのォ」
王建王は、蛇をくわえ、微かに笑みを浮かべた。