日本国転移 作:えーあい
山田と佐々木に導かれ、劉威と任充は、いずもの舷側に設けられた乗船用ラッダーを上がり始めた。古代中国の木造船では、このような複雑な乗船システムを見たことがない。鋼鉄製の手すり、規則正しく配列された足がかり、すべてが精密に計算されている。
劉威は、一段ずつ慎重に上がっていく。その手が、冷たい鋼鉄の手すりに触れた瞬間、彼は驚いた。
「この……素材は何か」
「鋼鉄です」と山田は答えた。「木材よりも強く、長く持つ素材です」
「鉄……これが、か?」
任充も、同様にラッダーを上がっていく。老いた体を無理やり引き上げ、甲板へと足を踏み入れた。
甲板に上がった瞬間、二人の使者は、眼前の光景に息を飲んだ。
甲板は、平坦で広大だった。古代中国の船のように、不規則な木材の隙間や、繰り返しの波打つ表面ではない。すべてが平滑に加工され、鋼鉄でできた一枚の巨大な床のようになっている。その広さは、彼らの想像をはるかに超えていた。
「これは……」
劉威は、その平坦さに驚嘆した。彼は、その床の上を、ゆっくりと歩き始めた。一歩ごとに、彼は床の硬さ、その均一さを確認していく。足裏が、完璧に平らな表面に触れる感覚は、古代中国では経験したことのないものだった。
「船の上とは思えない。あたかも、陸地に立っているかのようだ」
任充は、その平坦性がもたらす安定性に着目した。古代中国の船では、常に揺らぐ。その揺れが、船乗りたちの日常である。しかし、ここでは、船は、ほぼ揺れていない。
「この船は、波に揺れないのか」
「揺れます。しかし、この設計により、揺れは最小限に抑えられます」と山田は説明した。
佐々木は、彼らを艦橋へ導いた。その扉は、古代中国の木造の扉ではなく、鋼鉄製だった。扉が開き、二人の使者は、艦橋の内部へ入った。
艦橋の内部は、古代中国の宮殿さえも超えるほどの、精密な技術で満ちていた。複数の画面、無数のボタン、スイッチ、計器。それらすべてが、秩序立てて配置されている。
天井には、複数の蛍光灯が取り付けられていた。その光の均一さ、その明るさ。古代中国では、光源は、火である。その火の光は、不安定で、常に揺らぐ。しかし、ここでは、その光が、完全に均一であり、完全に安定している。
劉威は、天井を見上げた。
「この光は、何か。火ではないようだが」
「電灯です」と山田は答えた。「電気という力を利用して、光を生み出しているのです」
「電気?」
「はい。それについては、詳しく説明いたします」
山田は、艦橋の中央にある大型のスクリーンの前に、二人の使者を導いた。
「これは、導航装置です」と山田は説明した。「船がどこにあるのか、どこへ向かっているのかを、この装置が自動的に計算し、表示するのです」
スクリーンには、海の地図が表示されていた。その地図には、いずもの現在地を示す光点があり、その周辺には、陸地が色分けされて表示されている。
「この地図は、誰が描いたのか」
「これは、人間が描いたのではなく、この装置が自動的に描き出したものです。空に浮かぶ装置からの情報を、受信することで、この地図が作られます」
任充の眉が、わずかに動いた。空に浮かぶ装置? その概念は、古代中国の知識では、完全に存在しないものだった。
「では、この装置を使えば、どこへでも、確実に航海できるのか」
「はい。天候が悪くても、夜間でも、この装置があれば、確実に目的地へ到着することができます」
任充は、その意味の重大さを理解した。古代中国での航海は、風、天候、経験に大きく左右される。その航海が、この装置により、完全にコントロール可能になるということだ。
別の計器が、任充の目を引いた。
「その計器は、何か」
「これは、風速計です」と山田は説明した。「現在の風の強さと方向を、自動的に測定します」
針が、規則正しく動いている。その動きにより、現在の風の状況が、数値として表示される。
「この装置があれば、天候の変化を、事前に知ることができるのか」
「ある程度は、可能です」
劉威は、その計器を見ながら、古代中国の航海者たちを思った。彼らは、どのようにして、風の強さを判断してきたのか。目で見て、肌で感じて、経験で判断するしかなかった。その判断の誤りが、しばしば、船の沈没や、乗員の死亡をもたらしてきた。
しかし、ここでは、そのすべての判断が、この機械に委ねられている。
任充は、艦橋の壁に貼られた、複数の地図を観察していた。その地図の正確さ、その詳細さ。古代中国の最高の地図制作者たちでも、これほどの正確性を持つ地図を作ることはできないであろう。
「山田殿」と任充が静かに口を開いた。「わが国へ帰れば、我々はこの光景をどのように説明すればよいのか。王建王様に、このような場所が存在することを、どのように信じさせればよいのか」
山田は、その質問に、ゆっくりと答えた。
「それは、貴方がたが、わが国でご見学になるすべてのことを、ありのままに報告することが、最善だと考えます。真実は、言葉よりもその真摯さが伝わるものです」
任充は、その言葉に、深く頷いた。
*
翌朝、劉威と任充は、いずもの甲板へ導かれた。そこには、一台のヘリコプターが、ローターを回転させながら、待機していた。
劉威と任充は、その光景を見て、驚愕に身を硬くした。
「これは……何か」
「これは、ヘリコプターです。わが国が、空を飛ぶために作った乗り物です」と山田は説明した。「これに乗り、日本本土へ向かいます」
「空を……飛ぶ? そのようなことがありえるのか」
劉威の声は、かすれていた。古代中国の知識では、人間が空を飛ぶなど、不可能な話だ。神話の中の仙人たちのみが、空を飛ぶ能力を持つとされている。
「ええ。空を飛んで、日本本土へ移動するのです」
任充は、覚悟を決めたかのように、ヘリコプターへ向かった。劉威も、それに続いた。
ヘリコプターの内部は、座席が備え付けられ、窓があり、安全ベルトが用意されていた。
エンジンが始動した。ローターが、激しく回転を始める。劉威と任充は、その音と振動に、わずかな恐怖を感じながらも、耐えていた。
そして、ヘリコプターが、地面から浮かび上がった。
劉威の顔は、蒼白になった。彼は、窓の外を見た。いずもが、下方へ遠ざかっていく。海が、下方に広がっている。
「これは……」
彼の言葉は、恐怖と驚嘆が混在していた。
任充は、冷静さを保ちながらも、その窓の外の景色に、目を奪われていた。地上から見た景色と、空から見た景色は、全く異なるものだった。陸地の輪郭、山々の連なり、川の流れ。すべてが、見たことのない視点から映し出されている。
*
ヘリコプターが、神奈川県の上空を飛行していた。
やがて、劉威と任充の目の前に、一つの光景が現れた。
それは、古代中国の知識では、あり得ない光景だった。
海岸に沿って、無数の大型船舶が、整然と並んでいた。その船舶の大きさは、いずもと同等か、それ以上のものもある。そして、その数は、数十を超えるのだ。
「あれは……」
劉威の声は、もはや言葉ではなく、ただの呟きになっていた。
さらに陸地側へ目を向けると、使者たちは、さらなる衝撃を受けた。
そこには、巨大な建造物が、無数に聳え立っていた。木造の建物ではなく、鋼鉄とコンクリートでできた、数十メートル、いや、百メートルを超える建物まで存在する。その建物の数は、彼らが想像できる数を、はるかに超えていた。
「これが……日本か」
任充の声も、驚嘆に満ちていた。
ヘリコプターが、港近くのヘリポートに着陸した。
劉威と任充は、ヘリコプターから降りた。足が地に着いた瞬間、彼らは改めてその光景の大きさに気づいた。
まず、彼らの目に入ったのは、港の規模だった。古代中国の港と比べて、その大きさは、数倍、いや、数十倍なのではないか。
埠頭には、巨大なクレーンが立ち並んでいた。その高さは、古代中国の宮殿の何倍もある。そのクレーンが、機械的な動きで、コンテナと呼ばれる、大型の箱を、次々と移動させていく。
劉威は、その光景を見ながら、自分たちが見ているものが、本当に現実なのか、疑い始めた。
「山田殿」と劉威が、慎重に質問した。「この港の規模は、いかほどなのか。古代中国の最大の港でさえ、この十分の一の規模であろう」
「この港は、わが国の主要な港の一つです」と山田は答えた。「毎日、多くの船舶が、ここから出港し、また到着します」
「毎日?」
「はい。朝から晩まで、絶え間なく、船舶が出入りしています」
任充は、その説明を聞きながら、その意味を処理しようとしていた。毎日、無数の船舶が、この港を利用しているということか。
彼は、目の前に広がる、数十隻の船舶を見た。その形状は、古代中国の船とは全く異なり、いずもと同じような、近代的な船舶ばかりだ。その中には、タンカーと呼ばれる、液体を運ぶための巨大な船もあれば、コンテナ船と呼ばれる、箱状の荷物を積み重ねるための船もある。
埠頭では、無数の労働者たちが、働いていた。彼らは、すべて、安全具に身を包まれ、ヘルメットを被っている。その動きは、規則正しく、整然としていた。
「この港に集まった人間の数は、いかほどか」
任充の質問に、山田は考えた。
「毎日、数千人の労働者が、この港で働いています。また、港の周辺には、さらに多くの商人たちが、その関連業務に従事しています」
劉威は、その数字に、言葉を失った。数千人。古代中国の大都市でさえ、人口は数万から数十万である。その中で、一つの港だけに、毎日、数千人が集まるとは。
歩きながら、二人の使者は、港の施設をより詳しく観察し始めた。
倉庫として機能している建物は、巨大で、その内部は、無数の荷物で満たされている。その荷物は、すべて、整然と積み重ねられ、種別ごとに、分類されている。
「この倉庫に保管されている荷物の総量は、いかほどか」
「数百万トンです」と山田は答えた。
任充は、その数字の意味を、完全には理解できなかった。しかし、古代中国の一年間の全国的な商業量でさえ、この数字に及ばないのではないか、という感覚を持った。
「これらの荷物は、いったい誰のものか」
「様々な商人や、商家のものです」と山田は答えた。「ここは、多くの商人たちが、彼らの商品を保管する場所として、利用しています」
任充は、その効率性に、改めて感心した。古代中国では、商人たちは、各自、自分たちの倉庫を所有している。しかし、ここでは、複数の商人たちが、一つの大規模な倉庫施設を共有し、その結果、その倉庫の規模と効率が、最大化されている。
さらに歩を進めると、二人の使者は、港の背後に聳え立つ、巨大なビルディング群を目にした。
その建物の高さは、古代中国の宮殿の、何倍もある。数十階建てのその建物は、鋼鉄とガラスでできており、その表面には、無数の窓が規則正しく並んでいた。
「あれは……何か」
任充が、指をさした。
「あれは、商人たちの事務所が入った建物です」と山田は答えた。「多くの商人が、あの建物の中で、彼らの商業活動を行っています」
「一つの建物の中に、複数の商人が入っているのか」
「はい。そうすることで、効率的にスペースを利用しています」
任充は、その効率性に、改めて感心した。古代中国では、スペースの利用は、往々にして、無駄が多い。しかし、ここでは、すべてが、効率性を最大限に考慮して、設計されている。
その時、一台の自動車が、目の前を走り去った。
劉威と任充は、その光景に、再び驚愕に襲われた。
「あれは、何か」
「それは、自動車です。人間が乗り込み、機械の力で、陸地を移動する乗り物です」と山田は説明した。
自動車は、古代中国では、存在しないものだ。その速度、その効率性。そして、何より、その数だ。港の周辺には、無数の自動車が、規則正しく走っている。
その時一台の大型トラックが、コンテナを積んでやってきた。その荷台には数メートル角の箱がぎっしりと積まれている。
「あの乗り物は、何か」
「それは、トラックです。陸地で、荷物を運ぶための乗り物です」と山田は説明した。
劉威は、その乗り物の大きさと、その積載量に、驚嘆した。古代中国では、荷物を運ぶために、馬車が使用される。しかし、一頭の馬が運べる荷物の量は、限られている。それに対して、この乗り物は、はるかに多くの荷物を、はるかに高い速度で、運ぶことができるのだ。
ヘリポートから歩いて数分。港の作業の様子をより詳しく観察できる場所へ、山田は二人を導いた。
そこからは、クレーンが荷物を積み込む様子が、より詳しく見えた。
巨大なクレーンの先端に、複雑なつかみ機械が付いている。その機械が、コンテナをつかみ、ゆっくりと持ち上げる。そして、その荷物を、正確に、船の上へ置く。
その一連の動作は、人間の手作業では到底できない、正確さと効率性を備えていた。
「あの機械は、一日に、いかほどの荷物を移動させるのか」
任充の質問に、山田は答えた。
「その機械は、一日に、数百トンの荷物を移動させることができます」
劉威は、その数字に、ただただ圧倒された。古代中国の港で働く労働者たちが、一日で移動させることができる荷物の量の、何倍もの量を、この一つの機械が、処理しているのだ。
埠頭では、複数の船舶が、同時に、荷物の積み込みを行っていた。あるクレーンは、一隻の船から荷物を下ろしており、別のクレーンは、別の船に荷物を積み込んでいた。その動きは、完全に調整されており、混乱や衝突は、全く起こっていない。
「この港では、毎日、このような作業が行われるのか」
「はい。朝から晩まで、このような作業が続きます」と山田は答えた。
任充は、その光景を前にして、ようやく、一つの深い確信に達した。
これが、日本という国の力なのだ。これは、単なる軍事力や技術力ではない。人間の生活そのものが、完全に異なるレベルで構成されている。港、建物、乗り物、そして、その背後にある、無数の制度と組織。
すべてが、一つの巨大で複雑なシステムとして、統合されているのだ。
古代中国が、数千年かけて築き上げた文明の概念を、この日本という国は、根本的に問い直しているのではないか。
その時、山田が、新たな説明を始めた。
「劉威様、任充様。この港の背後には、さらに大きな都市が広がっています。そこには、今ご覧になっているような施設が、無数に存在しているのです。それが、わが国の現実なのです」
劉威は、その言葉を聞きながら、港の奥へ目をやった。そこには、さらに多くの建物が無数に聳え立っていた。
その景色は、古代中国の人間にとって、まさに、神の国の光景そのものだった。