【推しの子】―晴れた夜に星を見つけて― 作:horizontal line
スイマセン…マジです…(震え声)
引っ越し業者さんたちが帰ったあと、新しい家は一気に静かになった。まだ開けていない段ボールはいくつも残っているけれど、朝には何もなかった場所にソファやテーブル、テレビが置かれて、キッチンにも物が入り始めている。たった一日で、何もなかった部屋がちゃんと私たちの家になっていくのを見るのは、なんだか不思議だった。
「ママー! これなにー?!」
リビングで段ボールを開けていたルビーが、何かを私に差し出してきた。
「ん?」と首をかしげながら受け取ってみると、小さな瓶だった。中には細かい砂みたいなものが入っていて、傾けるとさらさらと動く。
「……あ~。星の砂。昔、誰かにもらったやつだったかな?」
いつだっけ? と思い出そうとしたところで、目の前のルビーが「ママ! ママ!」とやたら嬉しそうにじゃれついてくる。
あ、可愛い。
思い出すのやめた。瓶が割れないように少し高い棚へ置いてから、「ルビーきゃわわ! どうしたの?」と抱きしめると、ルビーはもっと嬉しそうに笑った。
「呼んでみただけ!」
「呼んでみただけなの?」
「うん!」
まあ可愛いからいっか!
そういえばこの家の中なら、私たちのことを秘密にする必要はない。だからここなら、ルビーは何回だって私をママって呼べる。もちろんアクアも……。そこまで思い至ったとき、私の中に言葉にできない安心感があふれた。前の家もそうだったはずなんだけど…なんでだろう?
「アイ、夢中になって全部開けようとしないでよ?」
キッチンから戻ってきたミヤコさんに声を掛けられて、現状を思い出す。そういえば荷解きの最中なんだっけ。
「分かってるよぉ。今日はちゃんと途中でやめるって」
「ならいいけど。明日からまた仕事だし、このあと壱護も転居祝いに何か持ってくるらしいからね」
「お祝い? 社長が?」
そんなことを考えていると、ちょうどインターホンが鳴った。玄関へ向かってドアを開けると、その先には見慣れたサングラス。
片手を上げて「よっ」なんて軽い挨拶をする社長に「いらっしゃい」と笑顔で返す。もう片方の手には、お酒や食べ物が入っているらしい袋を提げていた。
……なんか、すっごい嬉しそうなんだけど、サングラスのせいなのか金髪で髭のせいなのか悪い顔に見えるなぁ…。
後ろから来たミヤコさんが社長を家の中へ入れ、持ってきた物を受け取っている。なんだかんだ言いながら二人で準備を始めて、それから少し経つ頃には、引っ越したばかりのリビングのテーブルに料理が並んでいた。
◇
「東京ドームだぞ、東京ドーム!」
「分かってるってば。さっきから何回言うの?」
「来週だぞ!? お前、本当に分かってんのか!」
手に持ったお酒の入ったグラスを振り回しながら、社長はすっかり出来上がっていた。私には「あと一週間で二十歳とはいえ、まだ未成年だ! お前は飲むなよ!」って言ってたくせに、一人だけ酔っぱらうのは大人としてどうなの? って思うのはおかしくないよね?
「それは分かったけど佐藤さん、酔いすぎじゃない?」
「斎藤だってんだろ! クソアイドル!」
「あはは!」
お約束みたいなリアクションに笑ってしまう。ミヤコさんも笑いながら「アイ、あんまり壱護をからかわないの」と言うけれど、今日はいつもよりずっと嬉しそうだ。
「……ミヤコさんも、そんなに嬉しい?」
「もちろんよ。壱護が……いえ、壱護と私がずっと目指してきた場所だもの」
返事はそれだけ。でも私には十分だった。社長だけじゃなく、ミヤコさんも、この場所をずっと見たかったんだ。
「じゃあ私、頑張らないとね」
「当たり前だ」
すぐに返した社長は、それからお酒を片手にリビングを見回した。
「ここもいい部屋じゃねえか」
「でしょ?」
社長にそう言ってもらって少しほっとした私は、自分で思っていたより不安だったらしい。
お母さんに愛されなくて施設で育った私を、アイドルとしてスカウトしてくれた社長。あの頃の私は自分には『出来ない理由』をいくつも並べたけれど、社長は「それでもいい」と言ってくれた。そんな人に、自分で初めて決めた家を「いい部屋」だと言ってもらえた。
だから、こんなに安心したのかな?
「来週かぁ……」
『あの頃』から『今』に思考を戻した私は、ぽつりと呟いた。
「そうだ。絶対に成功させるぞ」と声に力を込めて言う社長に、
「うん!」
こちらも気合を入れて返した。
こうして、新居に引っ越した初日の私たち五人だけの転居祝い兼ドーム記念パーティは、あまり遅くならないうちに解散した。そういえば、酔って騒ぎ始めた酒臭い社長を嫌ってか、アクアとルビーは早々に自分たちの部屋へ退散していた。
◇
引っ越してからの一週間は、文字通り目も回るような忙しさだった。でも、その大変さもこれから迎える今日のことを思えば、なんとなくいい思い出になりそうだと感じる。
東京ドーム公演当日の朝。目を覚まして最初に思ったのは、今日が本番かぁ……意外と普通だな? だった。いつも立つライブとは違った緊張があるのかと想像したけど、普通に眠れたしちゃんと起きられた。
今日で二十歳。そして今日、私たちB小町は東京ドームに立つ。
それでも特別な一日が始まったっていう実感はまだあんまり湧いてこなくて、私はいつもと同じように出掛ける準備を進めていた。顔を洗って、髪を整えて、軽くメイクもする。こういうとき、男の人は楽でいいなぁと思う。顔を洗って髪を直して着替えれば、たぶんそれなりに外へ出られるんでしょ? 女の子はそうはいかない。まして私はアイドルなんだから、迎えの車に乗るだけだからって完全なすっぴんで外へ出る気にもならないし、髪だって適当にはできない。
だから起きてからそれなりに時間は経っているのに、まだ準備の途中。とりあえず誰かに会っても困らないくらいにはなったかな、というところだった。アクアはもう起きているみたいだけど、ルビーはまだ寝ている。
……まあ、本番は夜だしね、と思ったそのときだった。
――ピンポーン。
インターホンが鳴った。
「……こんな朝早くに誰?」
社長から、今日はミヤコさんを迎えによこすって聞いているけど……こんなに早かったっけ? 少しだけ疑問に思いながら玄関へ向かった。まあ、ミヤコさんなら聞けば分かるか。そのまま鍵を開けて、玄関の扉を開く。
「はーい」
扉の向こうにいたのはミヤコさんではなく、私と同じくらいか少し上に見える男の人だった。フードを深く被り、白い花束を抱えている。知らない人――だと思った。でも、顔を見た瞬間に何かが引っかかる。どこかで、同じ顔を見たような気がした。
仕事かな。それとも握手会? 街で声を掛けられたとか? 少し思い出そうとしてみても、人の顔と名前を覚えるのがあんまり得意じゃない私には、それ以上の記憶が出てこなかった。
「……アイ?」
「そうだけど……」
なんで私の家に知らない人がいるんだろう。それも引っ越してきたばかりなのに、どうしてこの場所を知ってるの?
「ドーム公演、おめでとう」
「あ……ありがとう」
差し出された花束に反射的に笑顔を返したけれど、頭の中には疑問が残ったままだった。東京ドームを祝って花を持ってきてくれたってことは、やっぱり私のファンなのかな。
でも、それならどうやってここを――
「子供がいるって、本当?」
「……え?」
――笑顔が止まった。
「ずっと騙してたの?」
何を言われたのか理解するより先に、嫌な感じがした。この人は何かを知ってる。それも、絶対に知られちゃいけない何かを。
「何のこと……?」
「俺たちにはずっと『大好き』って、『愛してる』って言ってたじゃん。なのに男がいて、子供まで作って……! ずっと俺たちのこと騙してたんだろ?!」
少しずつ大きくなっていく声に身体が強張る。
アクアは起きてる。ルビーはまだ寝てる。この人を家の中には入れちゃ駄目だ。
怖い。
でも、ちゃんと言わなきゃ。
「……ごめんね。でも私、昔からずっと『人を愛する』ってことがよく分からないから……代わりにみんなのために『きれいな嘘』を吐いてきた。いつか嘘が本当になるって願って。私にとって『嘘は愛』。私なりのやり方で、愛を伝えてたつもりだよ……?」
ちゃんと本当のことを言った。
自分をよく見せるための嘘じゃなくて、今の私が本当に思っていること。こうやって自分の気持ちをそのまま誰かに話すのは、今でも少し怖い。
昔から、本当のことを言ったからって上手くいくとは限らなかった。それを私は知っている。だから嘘をつく。
嫌われないように。相手が望んでいる私でいられるように。自分の中にあるものを、きれいな嘘で包んで見せる。
でも、嘘ばっかりじゃ駄目なことだって、本当は分かってる。だから今回は伝わってほしかった。
今、口にした言葉くらいは。
だけど――目の前の男の人の表情は変わらなかった。
「ふざけんなよ!!」
怒鳴り声に肩が跳ねた。白い花束を握る手に力が入り、さっきまでとはまるで違う顔で私を見ている。
怖い――扉を閉めなきゃ。
「俺はお前のことずっと――」
そのとき、花束を持っていない方の手が動いた。
何かが光った。
え?
何――
「アイちゃん!」
聞き慣れた声と同時に、横から飛び込んできた誰かに腕を掴まれ、身体を強く後ろへ引かれた。
「えっ――」
目の前に黒い髪が飛び込んでくる。私と男の人の間を塞いだ背中。
「晴星く――」
目の前の背中が大きく揺れた。何が起きたのか分からない。晴星くんは動かない。
なんで?
晴星くん?
男の腕が動き、晴星くんの身体から何かが引き抜かれた。
そこで初めて見えた。
ナイフ。刃が、赤く濡れている。
「――っ!」
晴星くんの身体が大きく震えた。
「いやあああああっ!!」
自分でも聞いたことがないくらい大きな悲鳴が出た。
「晴星くん!!」
目の前の身体が崩れる。
咄嗟に両腕を伸ばして抱き留めたけど、十六歳の男の子の体重なんて支えきれるはずもなく、そのまま晴星くんを抱えるようにして一緒に床へしゃがみ込んだ。
「晴星くん! ねえ、晴星くん!」
何。
なんで。
血――晴星くんのお腹から血が出てる。
なんで。どうして。
「アイ!」
後ろから聞こえた声に振り返る。
アクア。いつからそこにいたのか分からない。
でも、アクアは私じゃなくて晴星くんを見ていた。
「傷口押さえて! 早く!」
「え……?」
「晴星が刺されたところ! そこを強く押さえて!」
言われた通りに手を伸ばす。
血が手についた。
「布か何か持ってくる! 手を離さないで!」
「う、うん……!」
アクアが走っていく。晴星くんが刺された。
なんで。私が扉を開けたから?
違う。
あの人は私を。私を刺そうとして。晴星くんが――。
「……アイ、ちゃん……」
「晴星くん!」
声がした。喋った。
「いる! 私ここにいるよ!」
アクアが戻ってくる。差し出されたタオルを言われるまま傷口へ当てると、晴星くんの身体が小さく震えた。
「っ……!」
「ごめん! ごめんね!」
「そのまま押さえてて!」
「うん……!」
アクアが電話をしている。
救急車。
たぶん。誰かと喋ってる。住所を言ってる。
何か聞かれて答えてる。四歳のアクアがどうしてそんなに迷わず動けるのか、一瞬だけ頭のどこかに引っかかった気がしたけど、そんな疑問はすぐに消えた。
今はそれどころじゃない。なんで。どうして。晴星くん。
「アイ! 晴星に声をかけ続けて!」
「え……?」
「意識を失わせないで! 何でもいいから!」
「う、うん!」
晴星くんを見る。顔色が悪い。
さっきまで普通だったのに。昨日だって普通に話したのに。
「晴星くん、ねえ! 晴星くん!」
「……うん」
返事があった。それだけで少しだけ息ができた。
「喋って! お願い、何でもいいから!」
何でもいい。
アクアが喋らせろって言うんだから、何か話して。お願いだから黙らないで。
少しして、晴星くんの唇が動いた。
「……今日」
「うん!」
「ドーム……」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
今日。ドーム。東京ドーム。
なんで。今、そんなこと――
「――そんなのどうでもいい!」
「よく……ないだろ」
「どうでもいいよ!」
声が勝手に大きくなる。
今日、この日のためにドーム公演が決まってからB小町のみんなと準備してきた。社長とミヤコさんがずっと夢見てきた場所だって知って、私もちゃんと成功させたいって思った。でも、そんなの今は本当にどうでもいい。
東京ドームなんて、どうでもいいから。
晴星くんの顔色がどんどん悪くなっていく。
「……母さん」
美月さん。
その名前が浮かんだ瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。晴星くんのお母さん。
どうしよう。私、美月さんに――。
「晴星くん!」
ゆっくりと目がこっちを向いた。
「……ごめん」
「なんで謝るの!?」
何に謝ってるの?私を庇ったこと?それとも美月さんに?
分からない。分からないよ。でも、謝らないで。
「……死にたく、ない」
「死なない!」
気づけば、傷を押さえていない方の手で晴星くんの手を握っていた。
「死なないから! 救急車来るから! すぐ来るから!」
死なない。絶対に。本当にそうなのかなんて分からない。
でも今は、それ以外のことなんて言えなかった。
「目閉じないで!」
「閉じて……ない」
「閉じてる!」
「……眠い」
「駄目!」
握っている手から少しずつ力が抜けていく。
嫌――やだ。寝ないで。お願いだから。
私の悲鳴を聞いたのか、いつの間にか玄関の向こうから人の声が聞こえていた。誰かが何かを言っている。アクアもまだ電話で話している。でも、何も頭に入ってこない。
晴星くんしか見えない。
「……アイちゃん」
「いるよ! ここにいる!」
「怪我……」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。でもすぐに気づく。
私のことだ。
「してない! 私は何ともない!」
なんで。自分がこんなに血を流してるのに。なんで私の心配なんてしてるの?
晴星くんの目が閉じていく。
「晴星くん!」
返事がない。
「晴星くん! ねえ!」
握った手に力を込める。
「晴星くん!」
お願い。返事して。何でもいいから。
さっきみたいに、何か言ってよ。
「晴星くん!!」
それでも、晴星くんの目は開かなかった。
オリ主くんがぶっ刺された直後にアイちゃん視点で過去回想した理由は、「原作で一番忙しい時期(ドームライブ一週間前)に唐突な転居!?事件」に自分なりのアンサーが出せたためです。調べても原作読んでも、なんでこの時期?って思ったので。
次話からは少しずつ話が進みますので、よろしくお願いします…(小声