畜生道に堕ちたと思ったら五条悟の飼い猫になった件 作:鳳飛鳥
試される大地と呼ばれる土地が在る、天元の浄界に守られず小粒な呪霊は産まれない代わりに一度呪霊が現れれば地元に根付くアイヌ呪術連の呪術師達が多くの犠牲を出しながら祓う土地だ。
そしてその土地で試されているのは呪術師達だけではない、鉄筋コンクリートのマンションでも10月の末にはストーブが必要になる程の寒さに震えながらの生活を強いられる気候も、人間の強さを試す試練と言えるだろう。
年末も押し詰まった時期、未だ背丈程と言う程の量の雪は積もってはいないが、雪化粧に染まった札幌の地に彼──キース・エヴァンスは居た。
アルバイト先の警備会社の制服に身を包み、寒空の中でニンジンと通称される誘導棒を振る。
この時期の野外警備は地元民でも避ける過酷な労働だけ有って給料は良い。
ソレに彼は自身の術式の関係上、冷気に対して常人よりもかなり強い耐性を持っているので、この程度の労働は苦に成らないのだ。
大手家電量販店の駐車場に常駐し、出入りする自動車を捌くだけの比較的簡単と言って良い仕事内容では有るが、その環境の過酷さ故に時給は他のアルバイトよりも良く、何よりも『訳あり外国人』でも採用してくれたのは有り難かった。
共にあの現場を脱出した同士達で身を寄せ合い助け合いながら此処まで逃げて来たが、先立つモノが無ければ飯もろくに食うことは出来ない。
同士の中にはいっそ能力を使って強盗でもなんでもして食い扶持を……と過激な事を言う者も居たが、ソレをすれば彼等は本格的に『革命者』からタダの『野盗』に身を貶す事になっていただろう。
一応彼等はシャフトで働く外国人として入国して居るので就労ビザは有るが、元々勤めていた『事に成っている』シャフトは既に頼る事は出来ず、正規の手続きで転職したならばまず間違いなく日本の呪術組織に身柄を拘束されるのは容易に想像が付いた。
故に不法就労でも使ってくれる組織を探した訳だが、それ自体は割とあっさりと見つかって、今では仲間達と共に手分けをして日銭を稼ぎ、雌伏の時を過ごしているのである。
「今日は給料日だ……昼はちょっと豪華に牛丼に卵をつけようか?」
1年近い潜伏期間で彼は日本語を習得し、生卵を掛けた牛丼を普通に食える位には日本と言う国に馴染んでいた。
今思えばサイキッカーである事を隠して生きていく事は、少なくともこの日本と言う国においては決して苦痛等では無かったのだ。
この国のサイキッカーを縛る法である呪術規定とやらも『悪事を働くな』とか『能力は隠せ』とは書いているが、サイキッカーを差別し弾圧しろとは一言も書いて無い。
能力を隠して生きていると言う点ではこの国の能力者だって同じなのだ。
そしてこの土地に来てから地元の能力者関係の者と会って初めて知った事実として、
恐らくは我々が先生と呼んだ女も、そしてウォンやガデスの奴もそうした事を理解した上で、我々を使い潰すつもりで自分達に都合の良い情報だけを与えていたのだと、キースは冷静に成って考え理解出来ていた。
表向き常人のフリをしなければ成らないのは弾圧されていると言っても決して間違いでは無いのだろうが、少なくとも日本ではあの実験施設の様な非道を行えば、呪術総監部と言う日本のサイキッカーを取り纏める団体が潰しに来ると言う事が聞けたのも有り難い。
アイヌ呪術連と言うらしい現地の能力者集団は、彼等の立場と扱いに同情し、この北海道と言う土地で不法就労と不法滞在以外の悪事を働かない限りは、呪術総監部にも入国管理局にも引き渡さないと『縛り』まで結んでいた。
この縛りと言う概念もノアのサイキッカー達の中に知る者は居らず、アイヌ呪術連の長老だと言う老婆が懇切丁寧に説明していたのだ。
呪術総監部程ではないが彼等も日本政府に対してそれ相応の影響力を持つ組織だそうで、彼等の一派に関しては万が一別件で入国管理局に捕捉されても問題無い様に手を打つと約束していた。
『何故そこまで私達の様な異国の者に良くしてくれるのか?』
その問に老婆は
『我々の先祖がそうして来た事を我々もするだけだ』
と返した。
アイヌはこの北海道の先住民族であり、本州から来た現代で言う和人とは一応は別民族と言う扱いである。
古きアイヌ達は必要とあらば和人に対して刃を抜く事も辞さなかったが、四民平等の時代に時代に成れば、コタンと呼ばれる集落での生活を捨て、アイヌ和人の区別無く現代的な都市部での生活を選んだのだ。
今回は彼等サイキッカー達が和人に相当する立場の者達で有り、この土地で事を荒立てず同化するつもりならばそうすれば良い……と言っていた訳である。
故に彼等アイヌ呪術連の紹介した職場や自分で探した職場へ就職し、この札幌と言う200万人近い人間が暮らす土地に同化し生活している訳である。
そして何よりも嬉しいのは、この日本という国は札幌と言う地方都市ですら大概の店で出されている料理が美味いと言う事だ。
キースの祖国である偉大なる王国はそれ相応の金銭を出せば、その金額に見合う美味い物を食う事は出来るが、この国の様に下層民の賃金程度の価格帯で食えるモノは、味は二の次で取り敢えず栄養が有って腹が膨れればOKと言う様な代物ばかりである。
幼い頃はソレが当たり前だと思っていたが、アメリカで濃い味の料理触れて自分達が食べていたモノがどれだけ味気ないモノだったのかを知り、日本に来て様々な旨味や味の変化と言う物を理解してしまった。
少なくとも食事のレベルに関して言うならば、日本と言う国は間違いなく楽園と言えるだろう。
飲食店だけではない、食材も日本は極めて豊富で有り余程ローカルなモノで無ければ大概のモノが手に入る。
彼等の共同生活で厨房を一手に引き受けてくれているレジーナはイタリアの産まれで、イタリアンをメインに作るが日本で調べたレシピを元にこの国の料理を作ってくれたりもするのだ。
今日はどんな飯を用意して彼女は彼等同士の帰宅を待っているのだろう?
日本のしっとりとした甘めのパンは、彼等欧米人にとっては口馴染の無い味わいで、当初は少し困惑していたがソレも暫くすれば慣れた。
宅配ピザがアメリカと比べると異様に高い様に思えたが、市販のピザ生地を買って自宅で焼けば宅配とは比べ物に成らない程にお手頃価格で様々な味を楽しめるし、何ならレジーナの兄であるカルロは休みの日にはピザ生地やパスタも自分で作る様になった位だ。
他の同士達も当初は傷つき疲れた身体を休めるのに手一杯だった者も多いが、サイキッカーと呼ばれる者達は呪力に依る身体強化が行える為に、体調の回復と言う点でも常人よりも遥かに早く回復出来る能力がある。
そして回復したならばその身体強化を活かして現地の日本人がやりたがらない力仕事や、キースの様に過酷な環境を強いられる仕事に積極的に出かけて行った。
確かにシャフトの……ウォンと言うパトロンの財力で暮らしていた時の方が良い暮らしをしていたのは間違いない。
しかしあそこでの生活や仕事はサイキッカーである事を活かす……と言う名目で、世間一般の目からすれば決して真っ当とは言い難い事をやらされていたのだ……と今に成って同志たちから聞き自分の持っていたノアの理想は誤りだと気付いてしまった。
結局の所キースは今年やっと20歳に成ったばかりの若造であり、ソレらしい言葉で踊らされただけの愚かなリーダーだったのだと、この北の大地での生活で気付かされてしまったのである。
更に言うならば昨年の春に起きた大地震、東日本大震災と命名されたその惨状ですら略奪や暴動の様な事は一切無く、被災者達は皆で力を合わせて避難所で生活をしていたのだ。
当初は日本政府やマスコミに依るプロパガンダだと疑った……しかしインターネットを通じて様々な情報に触れてみれば、ソレが事実だと言う事を知り別種の恐怖に慄いた。
確かに自分達は地獄を見ただろう人間の悪意と言う地獄を……けれども天災と言う地獄に瀕したこの国の人達はどうだ?
遅きに失した政府の対応に怒りこそすれ、暴力に訴え出る様な者は居ないではないか。
コレこそが本当の文明人としての有り方だと言うならば、我々は何と短絡的で愚かな選択をしたのだ……キースは本気でそう考え恥じた。
世界征服等と言う子どもじみた癇癪では無く、寒さ厳しいこの土地で静かに暮らす事こそが、ノアの掲げた『サイキッカーの為の楽園』の真の姿なのでは無かろうか……とすら思ったのだ。
キースを助け、共に歩んだ者の中でも最も献身的に尽くしていたカルロは、アメリカ軍への恨み辛みはあろうとも今現在弾圧に苦しむサイキッカーを救う為ならば、此処に根ざすのも悪くない……と様々な方法を考えいる。
きっとサイキッカーの未来は明るい……マイナス2桁気温と言う極寒の中、キースはほんの僅かな希望を胸に抱きあと2時間の勤務中、静かにニンジンを振り続けるのだった。