畜生道に堕ちたと思ったら五条悟の飼い猫になった件 作:鳳飛鳥
2012年12月24日午後8時00分、東京ドーム
「みんな! 今日は来てくれて本当にありがとー! あたし、日本も日本のみんなも大好きだよ! 絶対、絶対にまた来るからねー!」
アンコールの歌を歌い終えたパティ嬢がそう叫ぶと、会場の観客から怒号にも近い歓声が巻き起こる。
彼女の頭上、キャットウォークと呼ばれる場所で直衛をしながら歌を聞いていた俺だが、未だ全身の毛が逆立ったままだ、尻尾なんか普段の倍以上の太さに見えるんじゃぁなかろうか?
既にリハーサルと1日目に彼女の歌声を生で聞いていて、今回は3度目だと言うのに、その圧倒的と言える歌唱力の前には慣れなどと言う事は簡単に起きる事は無い。
それにしても……今回は歌詞の意味が全く分からない状況で聞くのもどうかと思ったので、事前にネットで彼女の歌の歌詞の邦訳文をスマホにダウンロードしておいたのだが、事前に聞いていたのとは違い明確に『反戦』を歌った歌が無いのには驚いた。
彼女はジャンル的にはポップスに分類されるのだろうが、その曲調は大半がバラードと呼ばれる様なスローテンポの曲で、主に歌うのは『哀悼歌』や『郷愁歌』に『家族愛』なんかを歌った物である。
洋の東西問わず歌われヒットチャートに名を連ねる『恋愛』を歌った曲が無いのも、彼女の特徴と言えば特徴といえるのかもしれない。
そして何よりも今回のコンサートでアンコールの為に用意され、世界に先駆けて初披露された一曲は日本語の歌詞で歌われており、日本人のファンの心をより強く掴んだ事だろう。
その歌は昨年の東日本大震災で亡くなった人達に捧げる哀悼の歌であると同時に、被災したが生きている者達を慰める為に歌われた歌だったのだ。
この一曲の為にわざわざ彼女のスタッフは日本の作詞家に歌詞を依頼し、日本でのこのコンサートが完全初披露なのだからサービスなのか戦略なのかは分からないが徹底していることは間違いない。
しかもこの曲が収録されたマキシ・シングルはこの会場の物販での先行販売で有り、3日目の公演終了と同時に世界同時販売・配信だと言うのだから、今回のコンサート企画し彼女を呼んだレコード会社は大きく株を上げる事になるだろう。
ちなみにそのCDには該当楽曲以外にもう一曲、日本が世界に誇る名曲の一つ『上を向いて歩こう』或いは『SUKIYAKI』のカバーが収録されている。
歌詞が分からんからとあまり彼女の曲を好んで聞いては居なかった俺だが、この2曲には完全に
恐らくはこの曲が日本のメディアで流れる様になれば、彼女の日本国内での知名度は今以上の物となるだろう。
俺の様に歌詞の意味が分からんから……と毛嫌いしていただけの層は先ず間違いなく彼女の歌声の虜となるに違いない。
「御主人、今日も観客席に五条家の者と思しき者達がいるが、昨日同様にスルーで良いのか?」
俺の位置からは観客席が一望出来る為、客席に怪しい動きをする者が居ないかどうかを監視し、無線機を使って御主人や
普通のコンサートや野球にアメフトと言った興行では、興行主が関係各所に配る『招待席』と言うのが客席の一角に纏まって確保されており、チケットは貰ったが都合がつかなかった、或いは単純に興味が無い等の理由でごっそり空き席になる事が多い。
しかし今回のライブでは招待席の一角にも殆ど空席は無く、彼女の人気の高さが伺い知れた。
ソコが招待席だと分かったのは折角のコンサートだと言うのに、何時もどおりに黒服サングラスの帝愛スタイルの一団が昨日も今日も纏まっている一角が有ったからだ。
お前ら私服くらい持ってないのかよ? とツッコみたかったが、恐らくは時代が時代ならば主君と言って間違いない御主人が直衛に当たっている以上、万が一何か起これば即座に対応出来る様に戦闘服と言って良いスタイルでの観賞だったからだろう。
『何か有ったらアイツ等はアイツ等で自己判断できっちりやるべき事をやるでしょ? 今のアイツ等は一々俺の意見にお伺いを立てなくても動ける様に成ってるよ』
原作とは違い御主人は五条家の者達をただのモブとして扱わず、それぞれの実力を見て相応の呪術師として扱っている節がある。
特に若い連中は御主人を見習って甲賀流に限らず、好みの対人武術を身につける様な修行をする者が増えており、中には呪力や術式は然程でも無いが武術の才能が有った様で呪術無しの組手ならば御主人に追いすがれる者もいると言う。
御主人も『持って産まれた強さ』だけで人を見るのではなく、努力に依って得られる『後天的な強さ』を評価する様に成った事で、御主人1強の五条家の中にもそれ相応に『見る価値の有る者』が居ると気が付いたのも大きいのだと思われた。
『こちら
と、唐突に無線機からそんな報告が上がって来る、外輪警備班と言うのはSSS社の警備員では無く、彼等よりもより広い範囲での警戒を得意とするという伊賀忍者の事だ。
SSS社は近接警護や施設警備には強いが、一般人に紛れ込んだ不審者を見抜くと言う点では忍者に劣る……と彼等自身が認めている。
この辺はどうしても海外の軍人上がりが多い事も有って、日本人の顔や表情はいまいち区別がつき辛い……と言う、人種の差が如実に出ている部分といえるのだろう。
……にしても爆発物とは少々穏やかでは無いな。
いや、爆発物を私製する事自体は決して不可能では無い、日本は表現の自由が世界的に見てもトップレベルで保障されている国であり、その手の物の作り方なんかが書かれた書籍が極々普通に流通されている。
今の時代ならちょっとネットで調べるだけでもその手の物の作り方は、小学生だって知る事は出来るだろう。
過去を見れば学生運動華やかなりし頃には、左に傾倒した赤カブレの理系学生が大学に保管されている薬剤を使って爆弾を作ろうとして失敗し、指を吹っ飛ばしたなんて話も色々な場所で耳にした物だ。
前線の記憶を辿れば左翼勢力から蛇蝎の如く嫌われていた元総理大臣の暗殺事件で使われたのは、ホームセンターで買える様な素材を使った自作の散弾銃だったし、更にその後に襲撃された元総理を狙った爆弾事件も使用されたのは手製の爆弾だった。
つまり爆発物を用意する事自体は、銃規制の厳しいこの日本でも決して不可能と言う訳では無いのだ。
何なら銃器の類だって小型のモノならば、反社会勢力の中には普通に……とまでは言わないがそれ相応の数が出回っている以上は、ソレ等を規制されている警備側が不利な国と言っても間違いないだろう。
修羅の国と通称される九州辺りだと、暴力団事務所から海外の軍辺りからの流出品と思われる手榴弾が見つかった……なんて話もあるし、普通の人間は市販の酒を使った火炎瓶ですら死ぬのだから警戒に警戒を重ねるのは決して無駄では無い筈だ。
ステージ上からパティは姿を消したが、彼女のCDを日本で販売する権利を持つレーベルに所属する日本人アーティストで組まれた今回のバックバンドの面々は、観客を見送る為の演奏を未だ続けている。
普通ならばこうした状況での音楽は、CDなりなんなりのデジタル音源を流すモノだと思うのだが、バンド側の拘りなのかそれともパティの意向なのか、昨日も今日も観客が一通り退出するまで彼等は演奏を続けていた。
一応、バックバンドを楽巌寺学長率いるKing of Cursesの面々が務めると言う案も有ったらしい。
King of Cursesは構成するメンバー全員が1級呪術師で、ヴォーカル以外は全員が音楽に関する術式を持つ者達なので、ライブ中に襲撃が有った時等には万全の体勢と言えるだろうと言う話だったそうだ。
けれども幾ら現在ガッツリ売れているとは言えパティは未だ新進気鋭のアーティストであり、日本初来日の新人と言って間違いない経歴しか無い人物である。
対してKing of Cursesは日本のロック史に名を刻む重鎮と言って間違いないレベルのバンドで、呪術云々を知らない一般客からすると流石に釣り合いが取れてない……と騒ぎになる可能性を考慮し廃案と成ったそうだ。
なおKing of Cursesのヴォーカルであるヒデキの生得術式は、身体強化の倍率が高いだけのモノで、純粋に磨き上げた体術の強さで1級まで登りつめた猛者であり、楽巌寺学長とは高専時代の同期だと言う。
と、そんな事を考えている間に概ねの観客が捌けた様で、バックバンドのメンバーも演奏の手を止め楽屋へと引き上げ始めた。
初日は何の問題も無く、2日目はこのコンサートと関係するのかは分からないが、近場で爆発物を持った人間が拘束された……最終日には一体何が起こるのか?
そんな不安を抱きつつ、照明の点検に上がって来るスタッフの邪魔にならない様に、俺はキャットウォークから移動するのだった。