畜生道に堕ちたと思ったら五条悟の飼い猫になった件 作:鳳飛鳥
時は僅かに巻き戻る、敵本部から想定していたよりも遥かに多くの呪詛師達が現れ、高専の呪術師達に戦いを挑み始めていた頃だ。
自分が割り当てられた目標と戦う前に余計な戦闘で貴重な体力と呪力をすり減らす訳には行かない……と日下部準1級呪術師は、呪詛師達の視線を掻い潜り人気が減った本部内部へと踏み込む事に成功していた。
エミリオと言うロシア人の少年が言っていた風貌の男は、少なくとも外でタイマン結界を張っている連中の中にも、乱戦を繰り広げている雑魚達の中にも見かけなかったので、恐らくは施設内部の重要拠点でも守っているのだろう……そう言う判断だ。
結界術を使わず乱戦をやってるのは日本の呪詛師集団が合流してきた者達で、ソイツらを片っ端から鞘に入れたままの刀でぶん殴って回るだけでも、周りから見れば十分な仕事に見える事は分かっている。
ソレでも自分に割り当てられたのは飽く迄も、九十九特級術師の下位互換と思しき呪詛師への対応だ。
決してソレ以外の事をするのが面倒臭いと言う訳では無い、飽く迄も体力と呪力を温存する為である。
バーンとウェンディーとか言う外部協力者はその辺の事を考えているのかどうなのか良く分からないが、高専所属の学生だとしてもガキが人を殺めるのを推奨する様な真似は正直言えば……反吐が出ると言うのが日下部の心情だ。
想定以上の雑魚の多さに補助官までもが呪具を担いで援護に出ている様な状況だ、恐らくは高専に残っていた学生達にも応援要請が出ている事だろう。
特記すべき戦力4人さえ倒してしまえば後は雑魚とは言っても、数の暴力と言うのは極めて厄介だ。
後詰に来るであろう者達は等級の高くとも学生である事からこの作戦への参戦を見送られた者や、逆に一端の呪術師では有るが等級が低く今回の作戦では足手纏いになると判断された者達である。
彼等が一山幾らの雑魚呪詛師集団相手に早々不覚を取るとは思わないが、ノアの構成員に絡まれ決闘結界に捕らわれたならば話が変わって来てしまう。
あの結界内の重力が奇怪しな具合に作用する空間は本当に厄介なのだ。
呪力操作が出来る状態ならば身体は空中にふわふわと固定されずに浮き上がり、呪力を放出すればソレがブースターかなにかの様に身体を動かす事が出来る。
しかしダメージを受け一瞬でも呪力操作を手放してしまうと、何故か普通に重力に従って身体は落下するし、かと思えば弾き飛ばされた衝撃で吹っ飛ばされ結界の内壁へと叩きつけられた場合には落下する事無くその場で隙を晒す事になる……と色々面倒なのだ。
五条が読み解き伊地知補助官が再現したソレで訓練した者達ならば、四人の特記戦力を除けば先ず負ける事は無いだろうが、初見であの結界に対応して戦う事が出来るのは極々一握りの天才だけだろう。
後詰に来る連中がそうした不幸に遭わないとは限らないし、やはり戻って少しは削っておくか……いやいややはり……と葛藤しながら本部施設内を彷徨う事暫し……
「嫌だ! 殺したく無い! 僕はもう誰も傷付けたく無いんだ! 何を馬鹿な! 殺せ、ぶち殺さねぇとこっちが殺される! ソレに殺すのは気持ちいいじゃねぇか! うるさい! 黙れ! 僕の中から消えろ! お前こそ消えろ! 俺がこの身体を使うんだ!」
恐らくは教団時代に大きな集会が行う為の空間だったであろう広間を占有し、支離滅裂な事を喚き散らしている拘束具と思しき衣装を身に纏った白人が日本語でそんな事を言っていたのだ。
「……ありゃエミリオの坊主が言ってたターゲットじゃねぇか……なんだ? アイツ……壊れてんのか?」
高専でも一般家庭出身の生徒は始めて呪詛師を相手にした任務に就いた際、相手は極悪人であり殺めるのも仕方なし……と分かってはいても、人を殺したと言う罪の意識から多大なストレスを抱え……中には壊れる者もいる。
下位の呪術師や補助官すら人手不足だった頃には、そうした者は『惰弱』の一言で捨て置かれたが、ポチのお陰で色々と改善が進んだ現在の高専ではそうした任務に就いた生徒の為に専門のカウンセラーが雇われ、完全に壊れる者は殆ど居なくなった。
しかし日下部はそうして壊れた者達が居た事を実際に知っているし、壊れ放置されその後に呪詛師へと身を落し、その討伐の際に更に精神の病みが進んだ者を斬った事がある。
それ等と比べてもなお、彼が見つけたブラド・キルステンの状態は異常だった。
……精神の分裂、所謂多重人格なんて言う様な症状が出ているのか、彼は他人を傷付けたくないと言う人格と、人を殺すのが当たり前と言う人格が、肉体の主導権を争っているらしい。
果たしてソレが精神的な病理に依るものなのか、それとも呪術的な縛りに依るモノなのかは、六眼を持たぬ日下部には一目見ただけで判断が付く様なモノでは無い……が、ああして苦しむ様は素直に哀れに思える。
相手が特級と目される様な呪詛師で無ければ、殺さずに済ませて治療を……と言う選択肢も有ったのだろうが、奴は五条をして1級相当と言わしめた影高野の呪術師を為すすべも無く圧殺した手練れだ、不殺等と言う余裕は無い。
ならばいっその事、不意打ちを仕掛けて一撃でその首を刎ねるか?
「だ、誰だ!?」
しかしその目論見は残念ながら絶たれてしまった、ノアの構成員の殆どが出払い閑散とした空間では、余程の隠密の達人でも無ければその気配を気取られずに動く事は難しい。
奴が喚き散らしている間に迷う事無くシン・陰流の技の一つ居合『夕月』で一気に間合いを詰め、その首を刎ねていれば命懸けの闘いをせずとも済んだと言うのに……そんな事を考えつつ日下部は
「にゃーん」
と、よく知る呪術猫が鳴いた時の声をイメージして猫の鳴き真似をする。
「こんな所に猫が居る訳が無いだろう! ソレに鳴き真似のクオリティが低すぎる! 逃げてくれ! 傷付けたくないんだ! いいや殺す絶対に殺す! 猫を馬鹿にする奴は皆殺しだ!」
……どうやら物騒な方の人格は猫好きだった様で、その逆鱗に触れてしまったらしい。
「っち、しゃぁねぇな……一応聞いておくが……素直に投降する気はあるか? もしも投降してくれるなら俺も余計な戦闘をしないでボーナス貰えて万々歳なんだが?」
「……駄目だ! 逃げて! いいや殺すね! 八つ裂きに……は無理だからペシャンコにしてやる! 僕はこれ以上罪を犯したく無い! 殺してくれ! 死ぬのはテメェだよ!」
罪を犯したくないと言う人格の方だけならば、無抵抗での投降も有り得たのだろうが、残念ながら物騒な方の人格は完全に日下部を次の殺害予定者としてターゲットしたらしい。
「はぁ……しゃぁねぇか……どうやらお前さんはトコトンまで壊れちまってる様だしな……俺に出来るのはこれ以上罪を重ねずに済むようにしてやる事だけだわな」
左手で鞘を持った刀の柄に右手を掛け、腰を落し一般的な抜刀術とは少々違う形の構えを取る。
「いいや違うな! 死ぬのはお前だ! そして俺がこの世の全ての人間をぶち殺す! 違う! そんなのは駄目だ! 殺して! 僕を! その刀で! この首を! うるさい黙れ! 俺がコイツを殺すと決めたんだから殺すんだよ!」
エミリオから聞いた話では、彼もまたアメリカ軍の秘匿施設で過酷な実験を受け続けてきた者の一人だと言う……恐らくはこの不安定過ぎる精神状態は、その後遺症の類なのだろう。
人は呪術を使わなくても人間を呪う事が出来る……そんな見本を見せられた様で肚の奥から吐き気と怒りが込み上げてくる。
「いいからちゃっちゃと
「ああそうだ……一応テメェの名前を聞いておくか……こうして攻めて来てる以上は知ってるかもしれねぇが……俺はブラドだ! ブラド・キルステン様だ!」
「日下部だ、日下部篤也……お前さんの生き地獄に幕を引いてやる相手だ」
ブラドと名乗った男が掌を上へと向けると、呪詞も手印も無しに決闘結界が展開される。
恐らくはこの建物自体にソレを補助する機能か呪具が埋め込まれているのだろう。
結界の中心部、上にも下にも前後左右にもほぼほぼ等間隔の空間が空いた場所に、凡そ2メートル程の間を空けて2人が対峙する。
『Ready』
完全に戦うと決めた瞬間にはもう気弱で優しそうな方の人格は、表に出てくる事は無い様だ……その方が心置きなくぶっ殺せる。
『Go!』
そんな事を考えた日下部は一刀の下に相手を斬り伏せんと、身体の硬直が解けた直後、一瞬にして間合いを詰めると同時にその胴体を薙ぎ払っていたのだった。