管理者絶望ステップアップ 作:匿名の筆者
(寒すぎる。言うなれば、雨風がないだけの外)
(壁掛け気温計は23℃を指し示している。はは、なんだ? なんなんだ? 全くもって冗談ではない! これが暖房を最大限に効かせている状態だとは、全くもって)
思考は突然中断される。けたたましい金属の殴打音が聞こえたのだ。
これが書類を来たこと示す仕掛け、ハンマーストライクである。
物理機構としては伸縮性の強いバネ鋼材を用意し、ゴムハンマーを用いて音を鳴らすコト。継続使用は二万回前後が限度とされる。
『管理人へ。納入ノルマは更新されます。以下、来年度以降のノルマを……』
騒音と共にやってきたFAXに、堂々と中指を一旦立てつつ、スポーイーは厄介そうな表題の紙を受け取った。もはや管理人が職場で何をしてようとスタッフは気にすることがない。
サーマル紙特有の安っぽい熱感と、微かに鼻をつく化学の香りが、これから突きつけられる紙面を感じさせる。音を立てる受信機から吐き出されたその紙には、およそスポーイーが見たくもない数字が踊っていた。
そこに記されているのは木材生産目標、実に3万トンという途方もない数字だ。
これが一時的な特需であればまだ急かすだけで耐えられたかもしれない。しかし、この通達が求めているのはひと月ごとに作らねばならぬ継続的な規模なのだ。いつ増産停止になるのか、あるいはノルマ更新が終わるのか。
未来など知れるわけもないと頭の中で諦めた瞬間、スポーイーの胃の腑に鉛の塊が落ちたような重苦しさ、そして胸から頭まで気分の悪さが広がった。
液化媒体を用いて土地の魔力を科学的な力で還流させれば、通常の木に比べて圧倒的な速度で育つ促成栽培が可能ではある。
特にエルフアンバーは迅速な採取に適していて、気候帯さえ合えばほぼどんな地形でも育つ。
なにせ既存の化学肥料と一緒に魔力が溶かし込まれ、それをドバドバと使い、根から吸い上げているのだ。まあ魔術をかければ当然育つ。
しかし往々にして魔術を使えば、造船に使えるような高級木材にはなれない。木が急激に成長するということは、それだけ細胞の密度が歪になり、対処しなければ無数の枝が乱雑に絡み合うということだ。
結果として、間伐や枝打ちの頻度は跳ね上がり、現場の作業員たちは文字通り朝から晩まで枝切り鋏とチェーンソーを使い続けるハメになる。
現実に目を向ければ、すでに現場は酷い有様だった。
これまで納入を要求されていた立木数は約13,333本から14,000本。
引き上げ前の水準すら守れない現場のエルフたちは、「あと30分でランチの時間だから働けない」「新聞を読むことさえ許されないのか」と文句を漏らし、六ヶ月連続でノルマ未達成を叩き出しているというのに。
それが、来年度からは約30,000本という倍以上の規模に拡大するというのだ。
ヘクタールあたりの植林密度や、魔力が地下水を汚染してしまう範囲を考慮すれば、これまでがむしろ低密度だったと言っていい。
それなのに、この無慈悲な倍増計画だ。管理人たるスポーイーは、これだけの納入拡大をただの生産計画の変更とは微塵も思えなかった。地下水脈を汚染してしまえば近隣の植物は全て魔術が効くようになる。それを摂取した動物も、最終的に人間が食物とするのだから、少なからず影響は受ける。
彼の脳裏に浮かんだ言葉は……民事賠償請求より、もっと不吉な響きを持つものだった。
『戦況の悪化かもしれない』
エルフアンバーという木材の性質を考えれば、その推測は確信へと変わっていく。
この木材は高速で育てられるが故に、強度が安定しない。一週間と二週間では愕然の差。建材としてはどうしても低品位な木材の烙印を押されがちであり、言うなれば粗悪品呼ばわりも妥当な品質の代物だ。
地下水を吸い上げるために根っこは驚くほど深く、より光を浴びるために枝は驚くほど長く枝分かれする。
高級な家具や建材には到底使えず、せいぜい消耗品の仮設資材や、もはや灯油さえないような場所で数合わせの燃料にするくらいにしか使い道がない。
(そんな、お世辞にも高品質とは言えない粗悪な木材を、国がこれほどまでに血眼になってかき集めようとしている)
(しかも、ただの増産ではなく、倍以上の数をよこせと要求しているのなら……前線で、あるいは本土防衛のインフラで、よほど凄まじい規模の消耗戦が繰り広げられているのではないか)
(おそらくは、前線基地の構築、あるいは無限に破壊される防壁や仮設陣地の補修に、このエルフアンバーが文字通り消耗品として山のように消費されているのだろう。質よりも量が、耐久性よりも数が求められる──それほどまでに、現在の国家の状況は逼迫し、余裕を失っているのでは?)
「……12ヘクタールの土地にコレって……まあいけるけどさあ、増える手続きの量が尋常ではないんだよなあ、全くもって」
スポーイーは誰に聞かせるでもなく低く呟き、手元のスケジュール表と、さきほどのFAX用紙を見比べた。
現場の連中にこの話をしたらどうなるか。想像するだけで気が遠くなる。ただでさえ「アクセルを踏んでも動かないから飛行機は壊れている」「エンジンって何ですか?」と真顔で聞いてくるような、世間知らずでマイペースなエルフたちだ。
彼らに「来月からノルマが倍になります、就任1ヶ月目だけどお祝いに仕事をしてね」などと言おうものなら、一斉蜂起して管理室に火を放ちかねない。
いや、そもそもエンジンの始動方法を知らないせいで燃料が充填された飛行機を過去五ヶ月間も放置し、手動で八時間もかけて液体を撒いているようなポンコツ現場に、そんな高負荷な運用が耐えられるのか。
「木の間隔を密にしたら航空機が撒けないんじゃない?」とか反論してくるに違いない。
管理人は頭痛の種が増えたこめかみを強く押さえながら、窓の外に目をやった。
そこでは、相変わらず呑気に談笑しながら、枝まみれの木を鋏で枝打ちしているエルフたちの姿が見える。彼らの労働意欲は驚くほど酷いが、仕事をしてくれるだけましだ。なんと驚くことに前任者の時代からずっとストライキが一度も起きていない。
「飛行士を公費で雇ったところで……彼もストライキをいつするのだろうか? これだから社会主義者は悪なんだよな、ストライキとかいう概念をばらまいてくる」
スポーイーの大きな嘆息は、冷え切ったオフィスの空気に溶けて消えていった。
乾燥していてなおかつ寒い場所。これが室内の話だとはとても思えないが、しかしこれがオフィスなのだ。
ブルータリズム様式は暖房の効き方を恐ろしく低下させた。これが暖房を一時間前から付けているとは思えない室温を招く。
(自動ドアはあるし、エレベーターはある。暖房もあればファクシミリもある)
(前の職場と比べればオフィスの条件は同じだが! あまりにもなんか不便!)
(巨大建築はブルータリズム派が牛耳っているのだろうか? モダニズム建築の一派なはずだが……1ヶ月働いて分かってきた。これ、効率化するの難しいな。暖房がいくら経っても効かないの……ものすごくやる気が削がれる)
「過剰な装飾は特権階級の証だし、要らないというのは分かる。でもコレ、さすがにひどくないか?」
くるくると回る視界。
スポーイーは地面を突然蹴って、回転する椅子で遊んでみた。
観葉植物がデスクの上にひとつ。視界の端っこに現れては横切って消えていく。
そう、書類仕事はファクシミリでやってきて、それ以外は新しく生まれた『労働意欲に関する仕事』をやりまくるだけなのだ。
(エルフたちはすぐにサボる。一時間は長い、半分にしろと言ったのは失策だった。三十分は良いと言ったのを曲げるのかと彼らは迫る……しかし労働環境を考えれば当然かもなあ)
「寒い、ああほんとうに冷える。それに社宅はクッキーカッターで作られたようだ。前の職場が良かったな」
「観葉植物が各デスクに一つ設置、これだけで『自然の景観を確保』って基準は何なんだ?」