アクションバース “キン肉マンⅡ世VSアクション仮面” 作:速筆魔王LX
――世界が闇に染まっている。
目に見える範囲すべてが闇。しかしどういうわけか、自分の体だけは不自然に視認できている。
ジェイドが周囲の変化に気づき、またもやマカオとジョマのおかしな魔法が発動したことを察知した。
「こ、ここは……?」
首を左右に動かしても見えるのは黒一色。おそらくはやつらの作り出した異空間だろう。
だとすれば今度はいったいなにが始まるのか――ごくりと息を呑んだ、次の瞬間である。
ジェイドの頭上から光が落とされ、その身がライトアップされる。
暗転した舞台でひとり脚光を浴びるような、照明による存在感の主張。
続いて、ジェイドの目の前に無数の客席とそこに座る人々が現れた。
体躯に見合わぬ巨大な頭部、尖った耳、ギョロリとした目、剥き出しの歯が特徴な彼らは――
「あれは……ヘンダーくん! ヘンナちゃん! ナンダくんにソーダくんも!」
ヘンダーランドのマスコット、ヘンダーキャラクターたちである。
彼らが座る客席は階段状にそびえ立っていた。それはどこか、劇場の観客席のような印象を受ける。
ということは……自分は今、舞台に立っているのか!?
戸惑うジェイドのすぐ横で、パッと新たな光が灯る。
新たにライトアップされたのは、大きなサイズの冊子を開くネネちゃんであった。
「彼の名はジェイド。大手デザイン事務所に務める若手No.1デザイナー。ネネという最愛の妻を持ち、順風満帆な生活を送っていた」
開いている冊子の内容を音読したのか、急に意味不明なことを述べるネネちゃん。
呼ばれたのはジェイドの名だ。
しかし、デザイナー? ネネちゃんが最愛の妻?
「え? え? な、なんだこれは……?」
大混乱に陥るジェイド。
ネネちゃんはそうでもないのか、平然とした様子で冊子を閉じジェイドに手渡してくる。
「はい、脚本」
反射的に受け取るジェイド――脚本? この冊子が?
表紙タイトルには『悲しき痴情のもつれ』とあった。
ジェイドは黙ってその中身に目を通す。
そして――すべてを理解した。
「あ、頭にシナリオが入ってくる! このシナリオのとおりに演じろということか~~っ!?」
己は今から絶対的な強制力の枠に組み込まれる。
逆らうことはもちろん、途中で家に帰ることも許されない男の子泣かせの傍若無人なゲーム。
求められるのは演技力。許されるのはアドリブのみ。
テーマは――愛。
名づけて、“リアルおままごと”。
5才のマセた少女であるネネちゃんが考案し、友人たちに日々トラウマを与えている遊びが今回の趣旨となる。
――シーン1『冷め始める微熱』。
舞台照明が照らされ、シーンに合わせたセットを映し出す。
そこは生活感に溢れたワンルーム。
キッチンの前に立っていたネネちゃんが、帰宅した夫・ジェイドを出迎えにいくところから始まる。
「おかえりなさい、あなた」
「ああ」
ネネちゃんの役は昔ながらの時代感を反映させた『家で夫の帰りを待つ可愛いお嫁さん(専業主婦)』。
昼下がりに放送している2時間ドラマを見まくって培った演技力は観る者を圧倒させる――これが5才の女の子の演技力なのか、と。
「ねえ、次の週末はお休みでしょ? 久しぶりにふたりで……」
可愛らしい猫なで声で愛想を振りまくネネちゃんだったが、夫役のジェイドは――
「悪いが、今作っている企画をもう少し詰めていきたいんだ。もうしばらくは仕事に集中させてくれないか」
どこか思い詰めたような雰囲気で妻の愛を袖にする。
「……そうよね。今が大事な時期だものね」
寂しげな表情をするネネちゃん。
ジェイドはすぐ、思いがけず冷たい態度を取ってしまったと後悔した。
「そんな顔をしないでくれ。今の仕事が終わったら必ず時間を作るから」
「あなた……」
ネネちゃんのことは心から愛している。彼女を悲しませるのは本意ではない。
しかし仕事も大切……特に今は大事なデザインコンペの真っ最中。
No.1デザイナーのプライドに懸けて、落とすわけにはいかないのだ。
――シーン2『時代遅れの烙印』
ジェイドが務めるデザイナー事務所。
そこでは、ジェイドが社長役のマカオからデザインコンペの結果を言い渡されていた。
「なぜだ――っ!? なぜオレのデザイン案が不採用なんだ――っ!?」
結果はまさかの不採用。
納得のいかない結果に、ジェイドはデスクを叩き声を荒げた。
「あなたのデザインより優れたデザインを出す者がいた。ただそれだけのことよ」
社長のマカオはジェイドの憤りにも動じず、部下を厳しい目で見た。
ジェイドが悔しさに唇を噛む。
「い、いったい誰が……」
「わたしですよ、センパイ」
ジェイドの背後から呼びかける声があった。
センパイ――そう呼ぶからには、後輩。
ジェイドは振り向き、その得意満面な顔と相対する。
「おまえは……新人社員のチェック・メイト!」
両肩に前衛的なチェスの駒を載せた、格好からして新進気鋭デザイナーの風格を漂わせる男だった。
「古いんですよ、先輩のセンスは。デザイン業界は常に日進月歩……トレンドは日々移り変わっていくのですから、自分自身もアップデートしていかないとね」
ニタリ、と厭味たらしい笑みを見せるチェック・メイト。
常の紳士的なチェック・メイトからは考えられない表情……つまりそれだけ役に入れ込んでいる証拠。
マカオは言う。
「彼のデザインのほうが今の時流にあっているの。言っちゃ悪いけど、あなたのデザインには進歩が見られない……若手No.1ともてはやされていたからこその驕りが見えるわ」
「そ、そんなことは……」
言い淀むジェイド。
実際、マカオの分析は的を射ている。
誰に評価されるまでもなく、自分自身がそう感じてしまっていた。
チェック・メイトは残酷な現実を突きつける。
「社長も優しい人ですね。もっとはっきり言ってあげればどうですか? 先輩は過去の栄光に浸っているだけ……一度の成功体験から、再びそれをと幻影を追い続けている。今の時代ではもう通用しないっていうのにね」
ジェイドにはなにも言い返せない。
チェック・メイトはジェイドの耳元に顔を持っていき、醜悪な笑みを覗かせた。
「“時代遅れ”。そんな言葉があるんですが、先輩は知っていますか~~っ?」
「チェ……チェック・メイト~~ッ」
ジェイドはその日、人生で初めてチェック・メイトという超人に憎しみを抱いた。
後輩に上を行かれた悔しさ、時代遅れの烙印を押されたこと、そして自分自身への怒り――渦巻く感情はどれも本物だ。
これが“リアルおままごと”――役者たちのリアルな感情の発露は、ドラマのエンタメ性を引き上げていく。
――シーン3『白鳥のたわむれ』
時代遅れの烙印を押されたその夜、ジェイドは負の感情を発散させるため街へと繰り出した。
訪れたのは、オカマバー“白鳥のたわむれ”。
豪奢なソファに座るジェイドは、店の人気キャストであるジョマに接客を受けていた。
「チクショー! アイツらわかってねえ――っ!」
もはや味もわからなくなった酒を一気に煽りながら、事務所の社長や後輩に対する怒りをぶちまける。
ジョマはジェイドの隣に座り、その酒乱とも言うべき姿を心配そうに見つめていた。
「飲みすぎよジェイドさん。奥さんに怒られてしまうんじゃない?」
客の人生に寄り添う、それもまたオカマの仕事。
ジョマの親切心は、しかし頭に血が上っているジェイドの耳には届かなかった。
「女には仕事の世界なんてわからないのさ」
「あらやだ、前時代的」
軽口に対する、ただの相槌。
だが、心が不安定になっている男はどこに地雷があるかわからない。
ジョマが選んだ言葉はジェイドの感情を爆発させた。
「前時代的……? 君までオレのセンスが古くさいって言うのか~~っ!」
ジェイドは酔った勢いでジョマに襲いかかる。
「きゃあ! おイタはダメよ!」
まんざらでもない表情でソファに押し倒されるジョマ。もちろんシナリオ上の演技である。
男の心を癒やすのはいつだって酒と女……脚本家が2時間ドラマの視聴で培った知識は、後に続く修羅場への引き金となる。
――シーン4『痴情のもつれ』
翌朝、ジェイドは自宅で目を覚ました。
「ウッ……昨夜は飲みすぎてしまった……」
オカマバー“白鳥のたわむれ”で飲んだ酒が尾を引いている。
二日酔いによりコンディションは最悪だ。
今日は仕事のことを忘れ、一日休養日としよう――ジェイドがそう考えた矢先のことだった。
「あなた。ちょっと話があります」
リビングでネネちゃんがジェイドを待ち構えていたのだ。
姿勢は正座、態度は刺々しい……ジェイドは悪寒を感じた。
ネネちゃんは怒りの形相を剥き出しにし、洗濯しようとしていた夫のワイシャツを突きつける。
「昨日着ていた服の襟についていたこの口紅はなに!? それに、胸ポケットに入っていたこの名刺も! オカマバー“白鳥のたわむれ”ってどういうこと!?」
夫が夜な夜なオカマバーで遊んでいていい顔をする妻はいないだろう。
ジェイドはネネちゃんの怒りを正面から受けながら、言葉を探す。
「ち、違うんだネネ。それは……」
「言い訳するつもり!?」
しかしながら、同い年の男の子たちをたじたじにするネネちゃんの憤怒の演技は素人役者に御せるものではない。
呆然とするジェイドを尻目に、ネネちゃんは家の中の荷物を整理しだす。
突然の大掃除……いや、引っ張り出したのがスーツケースともなれば話は穏やかではない。
「ネネ、なにを!?」
「もうあなたとはやっていけないわ。実家に帰らせてもらいます」
荷物をまとめ、実家に帰る――事実上の離婚宣言だ。
「ペットのスカーは置いていくから、あなたがお世話してくださいね」
ネネちゃんが指で示したその先には、ハムスターの飼育に使うケージが置かれていた。
だがそこに入っているのは、ハムスターではなく超人スカーフェイスのキン消しだった。
「…………」
いかに配役がペットであろうと、キン消しと化したスカーでは鳴き声のひとつも上げられない。
ジェイドとネネちゃんの修羅場を仲裁するなど、夢のまた夢。
「ま、待ってくれネネ! おまえに捨てられたら、オレは……」
去っていく背中に手を伸ばすジェイドだったが、その手が届くことはない。
ネネちゃんは一瞬だけ振り返り、かつて愛した男に別れの言葉を送る。
「さようなら」
追いかけることもできず、男はただ嘆きの言霊を吐くのみ。
「ネネ! ネネ! ネネ~~~~ッ!」
――シーン5『忘れていた気持ち』
街の外れのおでん屋台で、ジェイドはうらぶれた姿を晒していた。
「クソォ~~ッ! いったいオレのなにが悪かったっていうんだ~~っ!」
恥も外聞も捨て、子どものように泣きじゃくるジェイド。
顔は赤く、目元は涙でぐしゃぐしゃ、手には焼酎の入ったコップと……まさに情けない酔っぱらいの顔だ。
おでん屋の大将役を務めるマサオくんは、年季を感じさせるシブい顔つきで言う。
「兄ちゃん、飲みすぎは体に毒だぜ」
「うるせ~~っ」
数多の酔っぱらいを見てきた年長者(という設定)の助言は、酒に溺れるジェイドには暖簾に腕押し。
マサオくんはため息をつき、カウンターの向こうで新聞を広げた。
屋台にはジェイドの嗚咽の他に、ムーディーな昭和歌謡を流すラジオの音が流れている。
往年の名曲など、今のジェイドにはなんの癒やしにもならない……女に捨てられた男を癒やせるのは女だけ。
それか、あるいは――同じ時を生きた男の友だけだろう。
ジェイドの隣には、黙ってやけ酒に付き合っていた同期入社の友人、イリューヒンの姿がある。
イリューヒンは酒の入ったコップを片手に、昔を懐かしむように言う。
「なあジェイド、覚えているか? おまえがこの業界に入ってきた理由を」
「えっ?」
友の優しげな声音に、ジェイドが涙ぐんだ視線を向ける。
イリューヒンは続けて語り出した。
「おまえはもともと、デザインになど興味はなかった……この道を志した動機はモテそうだったから、ネネちゃんに振り向いてほしかったから……そんなよこしまな理由だったはずだ」
イリューヒンの言っていることは正しい。
ジェイドがデザイナーという肩書を求めたのは、ネネちゃんへの下心が理由だった。
「最初はふざけた野郎だと思ったが、おまえには才能があった。仕事はすべてうまくいったし、目論見どおりネネちゃんを振り向かせ、結婚までこぎつけた」
そう、すべては順風満帆だった――いや、今を思えば順風満帆すぎた。
「だが、おまえは天才若手デザイナーとして評価されたことで妙なプライドが芽生え、いつしかネネちゃんは二の次に……愛を忘れた仕事人間になってしまった」
愛を手に入れ、だからこそ興味を失ってしまった愚かな男――それが今のジェイドだ。
“仕事と私、どっちが大切なの!?”というのは旧世代の恋愛ドラマでよく聞くフレーズだったが……昔のジェイドならば、迷わず“もちろん君だよ”と答えたはず。
「ここいらで向き合ってみるべきなんじゃないのか。昔の自分の気持ちに」
「イリュー……」
愛を失ってでも仕事を求めるのか。この先も天才というプライドに縋って生きていくのか。
今一度自分に問いかけるべきだと、かけがえのない友人が暗にそう言っている。
「ほいよ」
考え込むジェイドの手元に、コトッ、と皿が置かれる。
そこに載っていたのは、茶色に染まった輪切りの大根だった。
「おれの奢りだ。食いな」
「大将……」
マサオくんはただそれだけを言い、再び新聞を広げる。ラジオは昭和歌謡から芸人のトーク番組に変わっていた。
ジェイドは差し出された大根に箸を入れ、湯気が立つそれを口に運ぶ。
柔らかい大根は歯に触れただけでほろりと溶けるよう。なのに咀嚼を始めれば、しっかりとした歯ごたえを楽しめる。
美味い。いい大根だ。
「ははっ、よく味が染みてやがる」
凝り固まっていた心がほぐれていくような味だった。
マサオくんがフッと微笑んだ。
「そうだな……目が覚めたよ。オレにとって、一番大切なのは――」
ジェイドは夜空を見上げる。
思い浮かべる女の顔は、もちろん決まっていた。