ちなみに、その町中華の店は金鳳花という名前らしい。
どこにでもある中華料理屋こと、金鳳花は今年で創業五十年を迎える昔ながらの料理屋であった。
いわゆる町中華と呼ばれる部類の店であった金鳳花は、昼や夜の時間帯になると多くの客達で賑わっており、それ故に町の人々から馴染みのある店として扱われていた。
この店を営むのは店の創業者の息子である店主とその娘である詩織で、彼が厨房担当で娘が接客担当──という具合に分かれて店を回していた。
店主が昔から料理が好きだったがために料理人になったのに対し、娘の方は金鳳花という名の歴史を守りたいという理由にて、父親である彼共に奮闘していた。
そんなある日、フラッと立ち寄った店で良い感じのドアベルを見つけた店主は、ちょうど良いとばかりにその鈴をドアベルとして設置したところ、その鈴が原因なのかは分からないものの、翌日になると摩訶不思議な出来事が起こっていた。
そう、料理屋にしては珍しく金曜日が定休日であるはずにも関わらず、金鳳花に客がやって来たのである。
「いらっしゃ──いませ?」
ただし、その男性客が中世ヨーロッパの貴族を思わせる見た目をしていることを除いては。
定休日に来店したのに加え、貴族風の格好をした男性客を見た店主はこう思った。
明らかに外国人の風貌をしているこの男は、一体どこの国から来たのだろう──?と。
何だったら、店主は何でまた貴族風の格好をしているのか?とも思っていたとか。
店主の娘の詩織に至っては、この近くでドラマか映画の撮影が行われているのでは?と思ったようで、そのままSNSなどで周囲の情報を調べていたものの、結果としては何もヒットしなかったため、父親と同じように首を傾げていた。
しかしながら、見た目はともかく店の定休日に何故訪れたのだろうと彼女は思っていたのか、不思議そうな顔になっていたのは言うまでもない。
ただし、それはその男性客──もとい、東大陸の国の一つである王国に暮らしている人間こと、その王国で作曲家として活動しているモーリントンも同じだったのか、呆然とした表情を顔に固定した状態で目を丸くしていた。
「ここはどこだ──?」
モーリントンは、王国においてはその名を知らぬ者は居ない程に優れた音楽家と知られていた。
異世界──特に東大陸での国々における音楽家の立ち位置は、貴族を相手に曲を作るのはもちろんのこと、その曲を自らの指揮で演奏する形で披露するなど、主に上流階級の人々を対象に音楽活動を行う人々を指す言葉であった。
元々、音楽家は六柱の神々を讃えるための音楽を作ることを生業にしていた。
しかし、時代の流れと共に貴族に対して音楽を作ることを生業にする音楽家も増えてきており、彼もまたそのうちの一人であった。
だが、そんな彼は今現在スランプに近い状態であったがために、屋敷に篭って曲作りに没頭していたのである。
──少なくとも、謎の扉が彼の部屋に現れるまでは。
彼の目の前に現れたその扉は、希少な素材であるはずの硝子が木々の細工の中に入れ込まれており、まさに異質の代物と言っても過言ではなかった。
それに加え、通常の扉のようにドアノブが無かったこともあってか、モーリントンは分かりやすく警戒していた。
まさかこれは、悪魔の誘いなのか?
はたまた、私を試しているのだろうか?
そう思っている彼であったが、この状況が続くのもアレだと思ったようで──意を決して扉を開けようとした。
ただし、その扉が引いて入るモノだったためにモーリントンはそれに驚きつつも入店した結果、今に至るのだった。
そんな彼を知ってか知らずか、店主と詩織はお互いに顔を見合わせ後、そのままこう言った。
「お父さんどうする?今日は定休日だよ?」
「けど、このまま返すのもなぁ──」
そう言葉を交わした後、チラッとモーリントンの方を見つめる二人。
当の彼は、扉の先にどう見ても東大陸ではない空間が広がっているのに対し、呆然としつつもそのうち興味が湧いてきたようで、店内をウロウロと歩く形で観察し始めていた。
木製のテーブルの上に置かれた何かしらの小瓶の数々に、年数を感じるであろう霞んだ白を基調として壁紙。
それら全てがモーリントンにとって、興味の対象の何でも無かったようで──シンプルにキョロキョロと見渡していたため、その姿を見た店主はポカーンとしていたとか。
一方、詩織は一応は言っておいた方が良いのかな?と思ったようで、彼に近づくと申し訳なさそうにこう言った。
「すみません、今日は金曜日なので営業自体はやってなくて──」
「キンヨウ?何だそれは?」
彼女がそう言った瞬間、疑問をこぼすかのようにそう呟くモーリントン。
彼の言葉を聞いた店主の娘、そして父親である店主はその反応を見たからか、ますます謎が深まるかのような様子になっていた。
そのため、どこからかやって来たモーリントンのことを不思議に思いつつ、彼に向けてこう話を続けた。
「えっと、その、今日は店をやっていない日なんです」
「──そうなのか?」
彼女がそう言った瞬間、分かりやすくシャボンとした様子になるモーリントン。
その姿があまりにも哀愁が漂っていたからか、詩織もまた罪悪感を抱き始めたようで──どうする?と父親に向けて尋ねていた。
それは店主も同じだったようで、元々お人好し気質な性格であるがために何とかしたいと思ったのか、急いで厨房にある冷蔵庫に向かったかと思えば、そこにある冷蔵庫を開けていた。
そして、そこである程度の料理が作れる程の材料を確認した彼は、モーリントンの対応をしている自身の娘に向けて一言
「一応、料理は作れるけど──とりあえず、何か食べたいモノがあるか聞いてくれないか?」
「うん!!分かった!!」
と言ったため、詩織もまたそんなことを言っていた。
ただし、それを見たモーリントンは何が何だか分からなかったのだが、とりあえず店主の娘に案内されるままに椅子に座っていた。
そういうわけで──何とか料理が作れることを確認できたため、店主の娘は彼に対してお冷と共にメニュー表を差し出していた。
モーリントン自身は何故かサービスとして出された氷入りの水はもちろんのこと、肝心のメニュー表が未知の言語で埋め尽くされていることに対し、当然ながら戸惑っていたとか。
その結果、彼はメニュー表を持ちながら固まっていたのであった。
しかし、そのことを知らない詩織はモーリントンに近づくとこう声を掛けていた。
「どうかされましたか?」
彼女のその言葉に対し、彼はここぞとばかりに助かったとばかりの顔になっていた。
そして、モーリントンは詩織に向けてメニュー表に載っている写真を──麻婆豆腐の写真を指差しながら、そのままこう言った。
「すまない、これを食べたいのだが──」
「あ、マーボードーフですね!!分かりました!!」
そう会話をした後、モーリントンから麻婆豆腐の注文を確認した詩織は、その注文を父親である店主に伝えていた。
そして、麻婆豆腐の調理を始めた店主の姿を見た彼はこう思った。
麻婆豆腐とは、どんな料理なのだろうか?と。
彼がそんなことを思い始めていた頃、厨房から芳しい香辛料の香りが漂ってきたため、その香りを体験したモーリントンはゴクリと喉を鳴らしていた。
と言うのも、東大陸には香辛料を使った料理が多くないのに加え、その香りが食欲を刺激するモノだったからか、ますます麻婆豆腐に対する興味を示していた。
それから数分後、モーリントンの下にマーボードーフが運ばれたのだが──そにあったのは、ほんのり汁気を纏った赤みのある細かい肉に白い塊が浮かんでいた料理であった。
「お待たせしました!!マーボードーフとご飯のセットです!!」
何だこの料理は?何だこの香りは?
その料理を見たからか、思わずそんなことを思うモーリントン。
それに加え、マーボードーフの隣には炊き立ての穀物が盛られた丸みを帯びた深い皿が置いてあったが、その穀物があまりにも純白だったがために彼が緊張し始めていたのは言うまでもない。
けれども、唯一の救いがその料理と共に変わった形をしたスプーンが運ばれてきたため、彼はこれ幸いにとばかりにそのスプーンを使う形でマーボードーフを口に運んでいた。
「っ!?」
彼の注文したマーボードーフは、人生の中で今まで食べたことがない辛味と共に旨みが口の中で弾けていた。
まず、モーリントンはマーボードーフの要である
そして、その風味の裏に隠れていた何かしらの痺れるような香りの香辛料の存在も分かっていたのだが、その香辛料が何なのかが分からなかったようで、その香りを突き止めようと何度も口に運んでいた。
また、肉の旨みが汁に漏れ出ている細かい肉もだが、その汁と共に柔らかな白い塊を食べることにより、マーボードーフが完成することを察した彼は、更にあることに気がついていた。
もしかしたら、このマーボードーフと白い穀物の相性は抜群ではないのか?
そう思い始めた瞬間、彼はそれを試すかのようにマーボードーフを食べた後にその穀物を食べたのだが、その組み合わせもまた美味だったようで、これは美味しいとばかりに食べ進めていた。
その光景を見た店主とその娘の詩織は、ホッと一安心していたのは言うまでもない。
店主に至っては、自身の店の味が外国人に売れ入れられて良かったと思った模様。
そんなこんなで、モーリントンは食欲が爆発したようで──結局、マーボードーフをおかわりする形で完食した彼は、お代とばかりに硬貨を支払おうとしたのだが、その硬貨が日本円でなかったために二人は固まっていた。
更に言えば、彼の口からここにやって来た経緯を知ったがためにより一層固まっていたとか。
「ところで──今更だが、この店は何という名前なのだ?」
モーリントンがそう尋ねてきたため、我に帰る店主と詩織。
そして、店主はその言葉に対してニコッと微笑むのと同時に彼に向けてこう言った。
「この店は中華の金鳳花と言って、今年で創業五十年になります」
その後、異世界に戻ったモーリントンは何かに取り憑かれたかのように作曲をしたかと思えば、彼の作り上げた情熱的なその曲は貴族の間でかなり評判となり、やがて歴史に名を残す作曲家として知られるようになっていった。
ただ、そんな彼が香辛料を取り扱う商人からとある香辛料を探すように頼み込んでいたのは、誰も知らないここだけの話である。
【金鳳花のメニュー:No.1】
昔ながらのピリ辛マーボードーフ