翌日。
宗玄はいつもより少し早く来ていた。
俺が着いたときには、もう刀を腰に差している。
昨日言われた。
『俺の剣を見ろ』
それだけで、朝から少し落ち着かなかった。
「おはようございます」
「ああ」
「今日は」
「新太が来るまで振れ」
「はい」
やはり、いきなり見せてはくれないらしい。
刀を抜く。
「斬り下ろし」
「はい」
――ヒュンッ。
「横」
――ヒュンッ。
「斜め」
――ヒュンッ。
「突き」
――シュッ。
繰り返す。
それでも、どうしても宗玄の腰の刀が気になる。
「清子」
「はい」
「前」
「…………はい」
ばれた。
◇
しばらくして、新太が来た。
俺も刀を納め、棒へ持ち替える。
「二人でやれ」
「はい」
「おう」
構える。
昨日、新太の剣が分からなくなった。
だから今日は、最初から決めつけない。
「始めろ」
新太が来る。
右からの一撃を外れて斬る。受けられ、返しは上――途中で横へ変わった。
「っ」
外れて突くと、新太が下がる。
追わない。
新太が何を選ぶかだけではなく、俺が何をしたとき、新太がどう変わるのかを見る。
何本か続けた。
まだ新太の方が上だが、以前ほど一方的ではない。
「そこまで」
宗玄の声に棒を下ろす。
「清子」
「はい」
「座れ」
「…………?」
「見ろ」
「…………!」
来た。
◇
宗玄が刀を抜く。
「新太」
「はい」
「棒を持て」
「……俺?」
「ああ」
「刀相手に?」
「当てん」
「……はい」
新太が宗玄の前へ立つ。
「清子」
「はい」
「見ろ」
「はい」
宗玄の剣を見る。
「始めろ」
新太が動かない。
「新太」
「はい」
「来い」
「……はい!」
新太が上から棒を振る。
宗玄は半歩外れ、刀を首の寸前で止めた。
次は横。
宗玄が身体を引き、刀を脇腹へ。
突きには斜めへ外れ、手首へ。
すべて違う。
なのに、新太が動いた先には必ず刀がある。
「もう一度」
新太が途中で軌道を変えた。
――カン。
宗玄の刀が棒を逸らし、そのまま切っ先が胸へ止まる。
速い。
でも、速さではない。
新太が何をしても、その先に刀がいる。
「止めろ」
宗玄が刀を下ろした。
「清子」
「はい」
「何が見えた」
「新太がどこから打っても、師匠の刀がそこにありました」
「ああ」
考える。
上なら首。横なら脇腹。突きなら手首。
斬る場所は全部違う。
「師匠」
「何だ」
「最初から、斬る場所を決めていない?」
宗玄がこちらを見る。
「続けろ」
答えはくれなかった。
◇
もう一度、新太が構える。
今度は宗玄全体を見る。
新太が一歩前へ出る。
そのとき、宗玄の刀がほんの少し下がった。
新太の目が上へ向く。
「っ!」
上から振った。
宗玄が外れ、刀を喉元へ止める。
「師匠」
「何だ」
「今、新太を誘いましたか?」
「少しな」
「…………!」
昨日、俺がやったのと同じ。
でも、宗玄は誘っているようには見えなかった。
「新太には分かったのですか?」
「いや。普通に上が空いたと思った」
それだ。
誘われたと思っていない。
「清子」
「はい」
「お前は昨日、誘うために形を変えた」
「はい」
「だから見えた」
宗玄が刀を構える。
「俺は斬るために変えた」
「…………?」
「相手が来ても来なくても、次を斬れる形にした」
「新太が上なら」
「上を斬る」
「横なら」
「横を斬る」
「突けば」
「突きを斬る」
「…………」
誘うことが目的ではない。
何を選ばれても斬れる形を作る。
その中に、誘いがある。
すごい。
昨日より、ずっと面白い。
◇
今度は俺が新太とやる。
さっきの宗玄を真似して、次に斬れる位置を作ろうとする。
だが。
――こつ。
「一本」
「はい」
もう一度。
――こつ。
「痛っ」
考えるほど遅くなる。
どこへ来ても次の剣がある。
宗玄はそれを、考えるより先に身体で選んでいる。
今の俺には到底できない。
「ふふ」
「何で笑ってんだよ」
「師匠が、ものすごく遠いので」
「それ楽しいの?」
「はい」
「分かんねえ……」
「続けろ」
「はい」
◇
日が傾くまで繰り返した。
結局、一度も宗玄と同じことはできなかった。
それでも、少し分かった。
今までは新太の次を見ていた。
これからは、自分の次の剣も同時に持っていなければならない。
「そこまで」
棒を下ろす。
「師匠」
「何だ」
「昨日は、相手に選ばせることを教えていただきました」
「ああ」
「今日は、何を選ばれても斬れるようにする」
「ああ」
「では、選ばせる意味は」
「何だと思う」
また聞き返された。
何を選ばれても斬れるなら、誘う必要はない。
いや。
選択肢が多ければ、こちらも多くの剣を用意しなければならない。
なら。
「相手に選ばせれば、選択肢を減らせます」
「それで」
「私が用意する剣も減る」
宗玄がこちらを見る。
「まし」
「…………!」
嬉しい。
「師匠」
「明日だ」
「…………はい」
◇
翌日。
「清子」
「はい」
「昨日、何が分かった」
「相手の選択肢を減らせば、こちらが用意する剣も減ります」
「ああ」
「以上です」
「浅い」
「…………」
また広がった。
「何が足りませんか」
「自分で考えろ」
「はい」
予想通りだった。
◇
新太と向かい合う。
今度は、選択肢を減らすことを意識する。
半歩詰めると、新太が下がった。
さらに詰める。
これで後ろへは下がりにくい。
突く。
新太が右へ外れた。
そこへ横。
――こつ。
「痛っ」
腕に当たった。
「…………」
一つ減らしたことで、次が読みやすくなった。
「もう一度」
「おう」
同じように距離を詰める。
新太が下がったところへ、さらに一歩。
これで、また後ろは使いにくい。
右か。
左か。
そう思った瞬間、新太が前へ出た。
「――っ!」
――こつ。
「痛っ」
額を打たれる。
「…………」
前。
そうか。
後ろへ行きにくくしただけだ。
右と左しか残っていないわけじゃない。
俺が勝手に、前まで消していた。
「もう一度」
「おう」
何度か繰り返す。
後ろを消そうとすれば、前から来る。
右を塞げば、左へ行く。
その動きを読もうとすれば、今度は新太が変えてくる。
そして、もう一つ。
俺が道を塞ごうとするほど、自分の立つ位置や棒の置き方も決まっていく。
相手を減らすために、俺まで減っている。
「清子」
「はい」
「止めろ」
棒を下ろす。
「何が分かった」
「相手の選択肢を減らそうとすると、私の選択肢も減ります」
「ああ」
「それで?」
「…………良くない?」
「違う」
また違う。
「新太」
「はい」
「清子を打て」
「はい」
「清子は立ってろ」
「…………?」
新太が来る。
右。
――こつ。
「痛っ」
左。
――こつ。
上。
――こつ。
「…………」
何の稽古だろう。
宗玄が新太を見る。
「どうだ」
「何が?」
「打ちにくいか」
「いや。どこでも打てる」
「…………?」
「今の清子、何もしてないだろ。右でも左でも上でも、何でもできる」
宗玄が俺を見る。
「選択肢が多いな」
「はい」
「新太は困ってるか」
「いや。むしろやりやすい」
確かに。
俺は何も塞いでいない。
だから、新太は好きなところから打てる。
宗玄が俺と場所を代わった。
「今度は俺が立つ」
普通に構える。
右も空いている。
左も。
上も。
突きも入る。
さっきの俺と同じように、全部ある。
「新太。打て」
「…………」
なのに、新太は動かない。
棒の先がわずかに揺れる。
右。
左。
上。
どれを選ぶか迷っている。
「何で遅い」
「……どこ行っても、何か来そうだから」
「…………!」
俺のときとは逆だ。
選択肢は同じようにある。
俺の前では、何でも選べた。
宗玄の前では、どれも選びにくい。
「清子」
「はい」
「今、新太の選択肢はいくつだ」
「多いです」
「ああ」
「でも、選べない」
「ああ」
宗玄がこちらを見る。
「減らすってのは、道を消すことだけじゃない」
「…………」
「選べなくする」
「…………!」
俺は、右や左という道そのものを消そうとしていた。
宗玄は違う。
道は残している。
ただ、その先に剣がある。
「では、相手の選択肢ではなく」
少し考える。
「選べると思えるものを減らす?」
「まし」
まだ足りないらしい。
「何が違いますか」
「減らそうとするな」
「…………?」
「どこへ来ても斬れるようにしろ」
宗玄が棒の先を新太へ向ける。
「そうすれば、勝手に選べなくなる」
「…………」
なるほど。
それなら、俺まで道を塞ぐ必要はない。
右も左も、前も後ろも残していい。
その先に剣があればいい。
「分かったか」
「はい」
「なら、やれ」
◇
もう一度、新太と向かい合う。
今度は道を塞がない。
右も左も、前も後ろも残す。
その代わり、どこへ来ても次の剣を置く。
右なら横。
左なら斜め。
前なら突き。
後ろなら詰める。
難しい。
全部を考えれば、俺の方が遅くなる。
それでも何度も繰り返した。
右。
間に合わない。
左。
読まれる。
前。
打たれる。
それでも少しずつ、新太が動く前の迷いが見えるようになってきた。
俺が距離を詰める。
後ろへ下がる余裕は少ない。
前へ出れば、こちらの突きが近い。
右へ動けば、横を置ける。
左なら斜め。
新太が右へ動きかけた。
俺の棒を見る。
止まった。
右をやめた。
後ろは狭い。
前も選びにくい。
なら。
新太が左へ動く。
そこへ斜め。
――こつ。
「っ」
肩に当たった。
「今の、何で左って分かった?」
「右をやめたのが見えましたので」
「見えた?」
「はい」
「そんな分かりやすかった?」
「いえ」
俺も、どう説明すればいいのか分からない。
「右へ行くのを、身体が嫌がったように見えました」
「…………」
新太が宗玄を見る。
「親父、これ普通なの?」
「知らん」
「知らんの?」
「本人に聞け」
俺にも分からない。
ただ、見えた。
それだけ。
◇
稽古の終わり。
宗玄が刀を抜いた。
「清子」
「はい」
「見ろ」
昨日と同じ構え。
右へ行ける。
左も、前も、後ろも。
どこも塞がれていない。
なのに、行きたくない。
さっきの新太と同じだ。
道はある。
でも、その先に宗玄の剣が見える。
「清子」
「はい」
「どこを斬る」
昨日は、分からないと答えた。
今日も、まだ分からない。
「まだ、分かりません」
「ああ」
「でも」
宗玄を見る。
「昨日より、選びたくありません」
宗玄の目がほんの少し細くなった。
「そうか」
それだけだった。
それでも、少し嬉しかった。
◇
帰り道。
少しずつ繋がってきた。
相手に選ばせる。
選択肢を減らす。
でも、減らすために道を塞ぐ必要はない。
右も、左も、前も、後ろも残していい。
どこへ来ても斬れるようにする。
そうすれば、相手は勝手に選びにくくなる。
迷う。
止まる。
それでも動くなら、どれかを選ぶ。
そして。
選んだ先にも剣がある。
俺は刀の柄に手を置いた。
まだ遠い。
それでも、宗玄の剣がほんの少し見えてきた。
「…………ふふ」
もっと見たい。
もっと試したい。
そう思った。