BLEACHの世界に転生した俺は、初代剣八になるらしい 作:まいちー
帰るのには、思っていたより時間がかかった。
当然だった。
宗玄のもとを離れてから、数十年が経っている。
強い者の噂を追い、知らない剣を求めて、方角など気にせず歩き続けた。山を越え、川を渡り、町から町へ。どれほど遠くまで来たのかさえ、もう分からない。
「この山をご存じですか」
「ああ。それならもっと東だ」
「ありがとうございます」
道を聞き、また歩く。
知っている地名が出ればそちらへ向かい、分からなくなればまた誰かに尋ねた。
そうして幾日も歩いた。
焦りはなかった。
今までとは違い、強い者を追っているわけでも、知らない剣を探しているわけでもない。
宗玄は、たぶんまだあそこにいる。
◇
ある日の夕方、山道を歩いていて足が止まった。
「…………」
見覚えがある。
道の脇に立つ大きな木。その向こうを流れる細い川。少し先では道が二つに分かれている。
数十年も見ていないのに、覚えていた。
「…………ふふ」
ここからなら、もう道を聞く必要はない。
右へ曲がり、林を抜けて坂を上る。
足が自然と速くなった。
やがて木々の向こうに屋根が見え、その先には家と庭があった。薪が積まれ、壁には何本かの棒が立てかけられている。
新しくなっているところもあれば、傷んだところもある。
それでも、間違えようがなかった。
「…………」
帰ってきた。
◇
「誰だ」
声に振り向くと、一人の男が立っていた。
白いものの混じった髪に、日に焼けた皺のある顔。身体は大きく、腰には刀を差している。
知らない男。
最初はそう思った。
けれど、その立ち方にはどこか見覚えがあった。
男も怪訝そうにこちらを見ていたが、その表情が少しずつ変わっていく。
「…………まさか」
「?」
「清子……か?」
「…………!」
その声で、ようやく分かった。
「新太?」
「…………」
「本当に?」
「こっちの台詞だ!」
改めて顔を見る。
目も鼻も口も、確かに昔の面影が残っている。
「ずいぶん変わりましたね」
「何十年経ったと思ってんだよ!」
「数えておりません」
「数えろよ!」
「申し訳ありません」
「謝るところじゃねえ!」
「…………ふふ」
「笑うな!」
笑ってしまった。
見た目は大きく変わったのに、声と話し方はあまり変わっていない。
「お前は……」
今度は新太が俺を眺める。
顔から髪、着物、最後に腰の刀へと視線を動かし、妙な顔になった。
「何でしょう」
「いや……俺はこんなんなったのに、お前はあんまり変わってねえな」
「そうでしょうか」
「ああ」
「毎日見ておりますので、よく分かりません」
「そういう話じゃねえ」
「?」
「まあ、いい」
新太がため息をついた。
俺も改めて新太を見る。
変わったのは年齢だけではない。
足の置き方も、腰も肩も、刀の位置も、昔よりずっと無駄がない。
俺が外を歩いていた数十年、新太もここで剣を振り続けていたのだろう。
「新太」
「何だ」
「強くなりましたね」
「…………」
新太の眉が寄った。
「お前に言われると、何か腹立つな」
「なぜでしょう」
「知らねえよ」
◇
「親父」
新太が家へ向かって声を上げた。
「客だ」
「誰だ」
声が返ってくる。
「出てくりゃ分かる」
「…………」
昔より低く、少し掠れている。
それでも覚えていた。
ゆっくりとした足音のあと、一人の老人が家から出てきた。
「…………」
宗玄。
さすがに老いていた。
髪はほとんど白く、顔には深い皺が刻まれている。背もほんの少し丸くなったように見えた。
数十年も経ったのだから、当たり前だ。
新太ですら、あれほど変わった。
なのに。
「…………」
妙だった。
足も腰も肩も手も、どこを見ても老人にしか見えない。力だって昔より落ちているはずだ。
それでも、どこから斬ればいいのか分からない。
「…………ふふ」
思わず笑ってしまった。
数十年、数え切れないほどの剣を見た。人を斬り、自分も斬られ、八千流と名乗るところまで来た。
その目で改めて宗玄を見ても、やはり分からない。
「久しぶりだな」
「はい」
頭を下げる。
「お久しぶりです、師匠」
「ああ」
それだけだった。
数十年ぶりなのに、本当にそれだけ。
「師匠」
「何だ」
「私が何をしていたか、聞かないのですか」
「見りゃ分かる」
「…………」
思わず自分を見る。
「分かるのですか?」
「人を斬ってきた」
「…………」
「違うか」
「いいえ」
「ならいい」
相変わらずだった。
「それで」
宗玄が俺を見る。
「何しに来た」
「剣を見に来ました」
「誰のだ」
「師匠のです」
宗玄の目が、ほんの少し細くなった。
「そうか」
「はい」
宗玄は庭へ出ると、壁に立てかけてあった棒を一本取り、もう一本をこちらへ放った。
受け取る。
何の変哲もない棒で、昔使っていたものでもない。
それでも手にした瞬間、妙に懐かしかった。
「新太」
「おう」
「下がってろ」
「分かった」
新太が庭の端へ移動する。
俺も腰の刀を外して縁側へ置き、棒を握った。
数十年ぶりに、宗玄と向かい合う。
◇
宗玄は棒を持って、ただ立っている。
昔と同じだった。
初めて宗玄と向かい合った頃、『打て』と言われても何もできなかった。
右でも、左でも、上でも、突きでも。
どこを選んでも、その先に宗玄の棒がある気がした。
だから動けなかった。
「清子」
「はい」
「来い」
「はい」
宗玄を見る。
右なら斬れる。
左からも入れる。
上も届く。
数十年、剣を見続けてきた。昔とは比べものにならないほど多くの道が見える。
なのに、その全ての先に宗玄がいる。
「…………ふふ」
「何だ」
「いえ」
嬉しかった。
「やはり、分かりません」
「そうか」
「はい」
「なら来い」
「はい」
踏み込んだ。
◇
――カンッ!
踏み込んで振った棒は、宗玄の棒にぶつかった瞬間、そのまま横へ流された。昔ならそこで身体まで崩され、次に何をされたのかも分からないまま終わっていただろう。
けれど、今は違う。
流された棒を追うように足を入れ、腰を回してそのまま返す。宗玄が半歩だけ外れたのを追おうとした瞬間、今度はその棒が首を狙ってきた。身体を沈めて下を潜り、そのまま懐へ入りながら振る。
――カンッ!
再び止められた。
「…………!」
速い。
けれど、見える。
昔は何をされたのかすら分からなかった。今は宗玄の足が動き、間合いが変わるのが分かる。
宗玄の棒が頬を掠めた。熱が走る。それでも足を止めず、そのまま距離を詰めて棒を返すと、宗玄は身体を外へ逃がした。
追うように振り抜いた棒の先が、その着物を掠める。
庭の端で、新太が息を呑む音がした。
届いてはいない。
それでも昔なら、掠めることさえできなかった。
「清子」
「はい」
「止まるな」
「…………!」
その言葉も、数十年前と変わらない。
「はい!」
◇
今度は宗玄から動いた。
こちらも待たずに踏み込み、正面から来た棒を受ける。
――カンッ!
宗玄から習った剣。
新太の剣。
外で見た数え切れないほどの剣。
見て、覚えて、使って、そして忘れた。
今は何一つ思い出さないし、何一つ選ばない。
宗玄がいて、棒が来る。
だから身体が動く。
それだけだった。
上から落ちてきた棒を身体ごと外しながら横へ返すと、宗玄が沈んで受けた。押さえ込まれても足は止まらず、そのまま前へ出る。
――カンッ!
宗玄の棒が、こちらの動きを潰すように重なってくる。
その瞬間だった。
振ろうとしていた棒が自然に止まり、手首が返る。同時に足が半歩だけ横へずれ、宗玄の棒が目の前を通り過ぎた。
空いたところへ、俺の棒が走る。
――こつ。
「…………」
小さな音だった。
棒の先が、宗玄の肩に触れている。
新太も何も言わない。
俺も動けなかった。
「師匠」
「ああ」
「今」
「ああ」
届いた。
数十年前、何をしても届かなかった人に。
初めて。
「…………ふふ」
笑った。
今度は、謝らなかった。
◇
「もう一度、お願いします」
「ああ」
宗玄が構える。
その瞬間、すぐに分かった。
何かが違う。
立ち方も棒の位置も、表情さえほとんど変わっていない。
なのに、身体が勝手に警告している。
怖い。
久しぶりにそう思った。
そして、それがたまらなく嬉しかった。
「行くぞ」
「はい」
宗玄が動いた。
一気に距離が詰まり、振り下ろされた棒を受ける。間に合ったと思った瞬間、噛み合った棒ごとこちらの腕が外へ弾かれた。
――カンッ!
すぐに体勢を戻し、続く一撃から身体を外して棒を返す。だが、そこにいるはずの宗玄がいない。
「っ!」
気づいたときには、脇腹に何かが触れていた。
見下ろすと、宗玄の棒がある。
「一本」
「…………はい」
強い。
まだ、こんなに。
「もう一度」
「ああ」
◇
再び向かい合う。
今度は先ほどの動きを追わない。宗玄が何をするのか考えるより先に踏み込み、振る。
宗玄が受ける。
そこから棒が滑るように外れ、こちらの手元へ入ってきた。腕を引いて避け、そのまま返そうとしたところで、宗玄の足が半歩動く。
次が来る。
身体を横へ外すと、棒が胸の前を通った。
返す。
――カンッ!
受けられる。
そのまま押さえ込まれそうになり、棒を引く。宗玄が追ってくるところへ踏み込み直すと、今度はこちらの棒が宗玄の腕へ触れた。
「一本」
「はい」
すぐに離れる。
また向かい合う。
◇
何本やったのか、途中から数えなくなった。
宗玄の棒を避けて返せば、次はその返しを潰される。潰される前に動けば、宗玄はさらに先へ入り、こちらがそこを読めば、今度はこちらの棒が届く。
取って、取られて、また取られ、次はこちらが取る。
昔とは違う。
宗玄の剣の中に入っても動ける。どこから来るか分からなくても身体は止まらず、宗玄も俺の剣を簡単には止められなくなっていた。
それでも、わずかに宗玄の方が多く取る。
「…………」
悔しい。
その感情が、少し懐かしかった。
外へ出てから、負けて嬉しいと思ったことは何度もある。知らないものがあることが嬉しかったから。
だが、今は少し違う。
勝ちたい。
この人に。
我が偉大なる剣の師に。
純粋にそう思った。
◇
「そこまでだ」
宗玄が棒を下ろした。
俺も止まり、息を整える。
「はい」
宗玄の呼吸も荒く、額には汗が浮かんでいる。
昔は何をしても、この人を動かすことさえできなかった。
今は届く。
何度も取った。
それでも最後まで、わずかに届かなかった。
「師匠」
「何だ」
「一つ、よろしいでしょうか」
「ああ」
「真剣でも、同じでしょうか」
「馬鹿言え」
「?」
「今のお前と斬り合ったら、俺が死ぬ」
「…………」
思わず宗玄を見る。
「ですが、今は――」
「勘違いすんな。今やってんのは稽古だ」
宗玄が棒を肩に担ぐ。
「殺し合いなら、お前の方が強えよ」
少し意外だった。
「師匠が、そんなことを言うのですね」
「事実だ」
宗玄は俺を見た。
「お前は俺より速い。力もある。何より、人を殺すのに慣れすぎた」
「…………」
否定はできなかった。
数十年で何人斬ったのか、もう分からない。
けれど、その言葉を聞いても嬉しくはなかった。
「不満か」
「……はい」
「何がだ」
手の中の棒を見る。
「それでは、師匠の剣を超えたことにはならないでしょう」
宗玄が黙った。
「速いから勝てる。力があるから勝てる。殺し合いに慣れているから勝てる」
数十年前、何度振っても、何度考えても届かなかった剣を思い出す。
「それでは、足りません」
「…………」
宗玄を見る。
「私は、師匠の剣そのものを超えたいです」
宗玄はしばらく何も言わなかった。
やがて、ほんの少しだけ口元が動く。
「そうか」
「はい」
「なら」
宗玄が棒を壁へ立てかけた。
「まだ強くなれるな」
「…………」
胸の奥が少し熱くなった。
「はい」
◇
縁側に座ると、新太が水を持ってきた。
「ほら」
「ありがとうございます」
「…………」
「何でしょう」
「お前、昔より気持ち悪くなったな」
「そうでしょうか」
「ああ」
「残念です」
「残念なのかよ」
少し笑った。
宗玄も隣で水を飲んでいる。
「師匠」
「何だ」
「もう一つ、聞いてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「さっきの私は、何を使っていましたか」
「知らん」
「…………」
思わず瞬きをする。
「師匠にも?」
「ああ」
少し嬉しくなった。
宗玄がこちらを見る。
「お前は分かるのか」
「いいえ」
「なら、それでいい」
「…………」
「覚えたんだろ」
「はい」
「使ったか」
「はい」
「捨てたか」
「……はい」
「忘れたか」
数十年でどれだけの剣を見たのか。
誰から何を覚えたのか。
もう、ほとんど分からない。
「はい」
宗玄が頷く。
「なら」
一拍。
「それがお前の剣だ」
「…………」
ずっと欲しかった答えだった。
数十年、剣を追い、斬って、斬られて。
ようやくここまで来た。
「はい」
それしか出てこなかった。
◇
その夜は、初めて宗玄の家で眠った。
昔使っていた場所ではないし、家も人も少しずつ変わっている。
それでも聞こえてくる音は、妙に懐かしかった。
「清子」
隣から新太の声がした。
「はい」
「明日もいるのか」
少し考える。
「いいえ」
「そうか」
「はい」
「どこへ行く」
「決めておりません」
「また強い奴探すのか」
答えようとして、止まった。
今までなら、そうしていた。
けれど。
「分かりません」
「何だそれ」
「ただ、前とは少し違う気がします」
「…………そうか」
新太は、それ以上聞かなかった。
◇
翌朝、刀を腰へ差す。
宗玄は庭にいた。
「行くのか」
「はい」
「そうか」
数十年前と同じだった。
引き止めない。
どこへ行くとも聞かない。
「師匠」
「何だ」
頭を下げる。
「ご指導、ありがとうございました」
「ああ」
顔を上げる。
「また来てもよろしいでしょうか」
「好きにしろ」
「はい」
少し笑う。
「では」
背を向ける。
「八千流」
「…………!」
足が止まった。
振り返る。
宗玄がこちらを見ている。
「…………」
その名を。
宗玄が知っているとは思わなかった。
いや。
知っていたとしても。
この人だけは、俺をそう呼ばないような気がしていた。
宗玄にとって俺は。
八千流になるより前の。
刀の振り方さえ知らなかった清子なのだと。
勝手に。
そう思っていた。
「何でしょう」
「死ぬなよ」
「…………」
今度は、別の意味で言葉が出なかった。
宗玄がそんなことを言うとは思わなかった。
「はい」
それだけ答える。
今度こそ歩き出した。
◇
数十年、外に答えを探していた。
知らない剣を見つけては覚え、使い、忘れ、また次を探した。
そうして、一つの答えには辿り着いた。
俺の剣は、もう探すものではない。
宗玄から始まり、数え切れない剣を通り、最後には誰のものでもなくなった。
けれど、まだ終わりではない。
師匠の剣そのものを超えたい。
あの言葉は、もう口にした瞬間から俺の中に残っている。
宗玄は言った。
まだ強くなれる。
「…………ふふ」
なら、強くなろう。
八千流。
その名を背負って、いつか師の剣さえ超えて。
その先へ。
俺は再び、外へ向かって歩き出した。