BLEACHの世界に転生した俺は、初代剣八になるらしい 作:まいちー
それから九年。
流魂街では、住人が衣服だけを残して消える奇妙な事件が続いていた。
調査には九番隊が入り、六車拳西自身も久南白らを連れて現地へ向かった。十二番隊からは猿柿ひよ里が派遣されている。
四番隊に出番はなかった。
少なくとも、その夜までは。
◇
緊急の隊首会が開かれた。
一番隊へ着いた時には、すでに多くの隊長が集まっていた。いつもの隊首会とは空気が違う。山本が杖をついたまま、俺たちを見渡した。
「火急である」
前線の九番隊から入った報告。
六車拳西と久南白。
二人の霊圧が、ほぼ同時に消えた。
原因は不明。
昨日まで続いていた流魂街での魂魄消失とは、単なる同一の事件として扱えない。
山本は、護廷十三隊として早急に事態を収める必要があると告げた。
そして。
隊長格から五名を選び、直ちに現地へ向かわせる。
そう命じたところで、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。
扉が開く。
「遅いぞ、浦原喜助」
肩で息をしていた浦原が、部屋へ入ってきた。普段の気の抜けたような表情はなかった。
「総隊長」
息を整える暇も惜しむように、浦原が口を開く。
「ボクに……行かせて下さい……!」
「ならん」
山本は即座に退けた。
浦原の顔が強張る。
「ボクの副官が現地に向かってるんス!」
「ボクが……」
「喜助!!!」
夜一の声が飛んだ。
「情け無いぞ。取り乱すな!」
「夜一さん……」
「自分で選んで行かせた副官じゃろう! おぬしが取り乱すのは其奴への侮辱じゃというのが解らんか!!」
「…………」
浦原は黙った。
ひよ里を心配することと、ひよ里を信じること。
どちらも同じ浦原の中にあるのだろう。
ひよ里は相変わらず浦原への文句をよく口にしていた。
それでも九年、二人は隊長と副隊長として同じ十二番隊でやってきた。
そのひよ里を、自分で選んで現地へ送った。
夜一に言われれば、浦原もそれ以上は続けられなかった。
「続けるぞ」
山本の声で、部屋の空気が戻る。
「三番隊隊長、鳳橋楼十郎。五番隊隊長、平子真子。七番隊隊長、愛川羅武」
三人が山本を見る。
「以上三名はこれより現地へ向かってもらう」
続いて山本は、残る者へ命を振り分けた。
「六番隊隊長、朽木銀嶺。八番隊隊長、京楽春水。十三番隊隊長、浮竹十四郎の三名は瀞霊廷を守護」
三人が命を受ける。
「二番隊隊長、四楓院夜一は別命あるまで待機」
そして。
「四番隊隊長、卯ノ花烈は負傷者救護に備え、総合救護詰所にて待機せよ」
「お待ち下さい、総隊長」
言葉は自然に出ていた。
山本が俺を見る。
「負傷者の処置を考えるのであれば、私は現地へ向かうべきではないでしょうか」
現地で何が起きているかは分からない。
だからこそ、重傷者が出ている可能性は高い。
運び戻すまで待つより、俺が直接行けばその場で治療を始められる。
戦闘になったとしても、自分の身を守れないわけではない。
むしろ。
隊長格が消えるほどの何かがいる。
その事実に、剣士としての俺が反応していないと言えば嘘になる。
だが、今ここで口にした理由はそれではなかった。
俺は四番隊隊長として、現地へ行くべきだと思った。
「状況も不明である以上、治療部門の責任者を動かす訳にはいかん」
「…………」
山本の答えも、四番隊を預かる今なら理解できた。
俺が現地へ行き、同じように消息を絶てば、その後に戻ってくる負傷者を受け入れる者がいなくなる。
昔なら、それでも行ったかもしれない。
だが今は、俺一人の剣だけで動くわけにはいかない。
それでも。
「では、総隊長」
「何じゃ」
「肉雫唼の一部を、現地へ向かう方々に同行させることはお許しいただけますか」
「…………」
山本が俺を見る。
「お主はここを動かぬのじゃな」
「はい」
「随分と食い下がるのう、卯ノ花」
「現地へ行くなとは言われましたので」
「……屁理屈を」
「申し訳ありません」
謝りながらも、引くつもりはなかった。
山本にもそれが分かったのだろう。
「よかろう。ただし、お主自身は総合救護詰所を動くな」
「はい。ありがとうございます」
俺自身が行けないのなら、肉雫唼を行かせる。
これなら少なくとも、負傷した者へ現地で治療を始められる。
「現地には別の者も向かわせる。入れ」
山本の声に応じて扉が開いた。
二人の男が入ってくる。
鬼道衆総帥、大鬼道長の握菱鉄裁。
その隣に、副鬼道長の有昭田鉢玄。
鉄裁を見るのは久しぶりだった。
山本は二人にも現地へ向かうよう命じる。
未知の現象への対処。
負傷者の確保。
必要ならば敵の拘束。
鬼道衆の上二人を投入するだけの事態だということだった。
「おーい、山じい」
そこで京楽が口を挟んだ。
「状況も分からない前線に、大鬼道長と副鬼道長の両方を行っちゃうのはマズいんじゃないっすかね?」
「……ならば何とする」
「代わりにうちの副隊長を行かせますよ」
京楽が振り返る。
「今から呼ぶのか?」
「そだよ。おーい、リサちゃーん」
「何や!」
すぐ近くから声が返った。
「ほらね」
姿を見せたリサに、京楽が言う。
「隊首会のぞき見しちゃダメって言ったでしょ」
「しょうがないやろ。隠れとるもんほど見たくなるのが人の性や!」
「話は?」
「聞いとった」
「頼める?」
「当たり前!」
返事に迷いはなかった。
「じゃ、よろしく」
リサが眼鏡を直す。
京楽とリサのやり取りは、これまで何度も見てきた。
普段は仕事を後回しにしようとする京楽を、リサが追い立てていることの方が多い。
今は、その京楽が自分の副隊長を現地へ送り出そうとしている。
「……勝手な真似をしおって……」
山本が呟く。
「だってこんなでっかい案件、滅多にお目にかかれるもんじゃないでしょ。部下に経験積ませてやりたい親心ってやつですよ」
「大丈夫。ああ見えて、うちのリサちゃんは結構強いんだから」
京楽が続けた。
「それじゃ、ゆずってもらっちゃってもいいかな? 大鬼道長さん」
「構いませんぞ」
鉄裁が答えた。
「それでは私はお言葉に甘えて休ませて頂くとしましょうかな」
これで五人。
鳳橋楼十郎。
平子真子。
愛川羅武。
有昭田鉢玄。
矢胴丸リサ。
山本が改めて五人を見た。
「それでは鳳橋楼十郎、平子真子、愛川羅武、有昭田鉢玄、矢胴丸リサ。以上の五名を魂魄消失案件の始末特務部隊とする!!」
誰も異を唱えなかった。
「少々、お待ちください」
五人がこちらを見る。
俺は肉雫唼を抜き、その一部を五つに分けた。
分かれた粘体が宙に浮かび、それぞれ平子たちのもとへ向かう。
一つが平子へ。
一つが鳳橋へ。
一つが愛川へ。
一つが鉢玄へ。
最後の一つがリサのそばへ漂っていく。
「肉雫唼の一部です。皆さんに一つずつ同行させます」
平子が目の前に浮かぶ粘体を見る。
「これ、ついてくんのか?」
「ええ。分けた状態で治せるのは軽傷までです。致命傷に類する傷を負った場合は、五つすべてを傷口へ集めてください」
「遠隔で治せるんか?」
「傷に触れれば、その状態は私にも伝わります。必要であれば、こちらから肉雫唼へ治療を促せます」
「そら便利やな」
「ただし、分かるのは傷の状態だけです」
俺は五人を見る。
「現地で何を見たのか、何と戦っているのかまでは分かりません。ですから、何か分かりましたら通常通り報告をお願いします」
「了解や」
五つの分体が、それぞれのそばを漂う。
「できれば、使わずに済むことを願っています」
リサは眼鏡を直し、平子たちも踵を返した。五人は揃って隊首会の場を後にする。
俺はその背中を見送った。
全員、知っている。
長く同じ護廷十三隊にいるのだから当然だった。
廊下ですれ違い、言葉を交わし、傷を診たこともある。
任務へ出た者が、必ず帰ってくるわけではない。
長く護廷十三隊にいれば、嫌でも分かる。
隊士も、副隊長も、隊長も。
これまで何人も見送ってきた。
だから、帰ってくると信じていたわけではない。
ただ。
帰ってきてほしいと思った。
負傷しているなら、俺が治せばいい。
そのために肉雫唼をつけた。
そのために俺はここに残る。
◇
俺は四番隊へ戻った。
「第一治療区画を空けてください。重傷者を優先します」
「はい!」
「回道を使える者は全員待機。薬品と止血用具を追加してください。担架も入口へ」
命を出すと、隊士たちが一斉に動き始めた。
重傷者が複数同時に戻ることを想定し、各区画へ人員を振り分ける。
しばらくすると、準備を終えた者から順に報告が上がってきた。
「第一治療区画、受け入れ準備完了しました」
「薬品、止血用具ともに補充完了です」
「回道を使える隊士の配置も終わっています」
「分かりました。そのまま待機してください」
現地へ行けないのなら、戻ってきた瞬間から治療を始められるよう四番隊を動かす。
それが山本から与えられた役目であり、四番隊隊長である俺の仕事だった。
報告を受けながら、俺は遠くにある肉雫唼の感覚へ意識を向ける。
五つとも、すべて繋がっている。
どこを歩いているのかは分からない。誰と話しているのかも、周囲に何があるのかも見えない。
分体は俺の目でも耳でもない。
ただ、誰かの傷へ触れれば、その傷の深さや出血、霊圧の乱れは伝わってくる。そして、こちらから意識を向ければ、肉雫唼に治療を進めさせることができる。
だから現地で何が起きているのかは、これまで通り報告を待つしかない。
それでも、五つが無事に繋がっていることだけは分かった。
しばらくして、一つから感覚が伝わった。
浅い傷だった。
致命傷には程遠い。
俺は足を止める。
「肉雫唼」
小さく呼び、そこへ意識を向けた。
遠く離れた分体が傷口へ触れ、薄く広がっていく感覚が返ってくる。
出血が止まり、傷が塞がっていく。
ほどなくして、その感覚も落ち着いた。
「……大丈夫ですね」
誰の傷かまでは分からない。
何によって負った傷なのかも分からない。
だが、治せた。
俺が現地へ行けなくても、肉雫唼は届いている。
そう思えた。
◇
どれほど経っただろう。
次の報告を受けていた、その時だった。
五つの感覚が、一斉に消えた。
「――肉雫唼!」
振り返ると同時に、刀へ手が伸びた。
ない。
一つも。
直前まで確かに繋がっていた五つの分体が、すべて消えている。
「現地の霊圧を確認してください! すぐに!」
「は、はい!」
近くにいた隊士が駆け出す。
気づけば、俺も現地へ向かおうと足を踏み出していた。
けれど、すぐに足を止めた。
「…………」
ここを動くな。
山本に念を押されている。
分かっている。
だが、肉雫唼が五つ同時に消えた。
直前まで、致命傷を伝えてきた分体は一つもない。
何が起きた。
誰にやられた。
分からない。
肉雫唼から分かるのは、触れている者の負傷状態までだ。現地の光景も、誰と戦っているのかも分からない。
だからこそ、理解できなかった。
五人が別々に連れていた分体が、何の前触れもなく同時に消える。
そんなことが、何故起きる。
「卯ノ花隊長!」
先ほどの隊士が戻ってきた。
その顔を見た瞬間、答えは分かった。
「五名の霊圧反応が……確認できません」
「…………」
肉雫唼だけではない。平子、鳳橋、愛川、リサ、鉢玄――五人とも消えた。
俺は無意識に刀の柄へ手を掛けていた。
行くべきではないか。今度こそ。
現地には拳西と白、ひよ里もいる。これだけの隊長格が消えた場所で、何が起きたのか分からない。
「…………」
柄から手を離す。
俺が行っても、同じことが起きない保証はない。
それに。
ここには、帰ってくる者を受け入れるために待っている四番隊がいる。
「準備はそのままにしてください」
「はい」
「交代で休息を。帰還した時に動けなければ意味がありません」
「卯ノ花隊長は?」
「私はもう少し起きています」
隊士は頭を下げ、離れていった。
俺は空いた寝台の横に立った。
剣を握っている時なら、することは分かる。
相手を見る。
斬る。
次へ繋げる。
けれど今は、相手の姿さえ見えない。
何が起きているのかも分からない。
助けるべき者がどこにいるのかさえ分からない。
それでも俺は、ここにいなければならない。
◇
夜がさらに深くなった頃、十二番隊から知らせが入った。
浦原がいない。
続いて、鬼道衆からも鉄裁の姿が見えないと伝わった。
「…………」
どこへ向かったのかは、聞くまでもない。
隊首会で現地行きを退けられた浦原。
京楽の提案で現地行きから外れた鉄裁。
二人とも、結局は向かった。
胸の奥が僅かに騒ぐ。
俺も行けば。
また、そう思った。
今からなら、まだ追えるかもしれない。現地には拳西も、ひよ里も、平子たちもいるうえ、肉雫唼の分体まで消えている。
負傷しているなら、俺が行けば治せるかもしれない。
「卯ノ花隊長」
別の隊士が報告に来た。
「各治療区画、受け入れ態勢を維持しています。回道班も全員待機中です」
「…………」
俺が命じて整えさせたものだ。隊士たちは、帰還した者をすぐに治療できるよう待機している。
「分かりました。こちらは、このまま待機します」
「はい」
隊士が頭を下げて戻っていく。その後も報告は続いたが、受け入れ態勢に問題はない。
あとは、戻ってくる者を待つだけだった。
ひよ里は相変わらず浦原への文句を言い、拳西と白が騒いでいることも、京楽がリサに仕事を急かされていることもあった。
隊舎ですれ違えば声を交わし、隊首会があれば顔を合わせる。負傷者を連れて四番隊へ来る者もいた。
九年の間に、そんな光景が日常になっていた。
けれど、日常がいつまでも続くわけではないことを、俺は知っている。
これまでにも、何人もいなくなった。
それでも。
こんな消え方は、知らない。
治療の準備はできている。
俺もいる。
帰ってきてほしい。
今は、それしかできなかった。
◇
朝になっても、平子たちは四番隊へ戻らなかった。
夜の間にも何度か報告は入ったが、待っていた知らせは一つもない。夜通し灯していた治療区画の明かりが朝の光の中で薄くなり、回道班も配置についたまま朝を迎えていた。
空けておいた寝台は、一つも使われていない。
「卯ノ花隊長」
「はい」
「第一治療区画、変わりありません」
「そのまま待機を続けてください」
「はい」
報告に来た隊士と入れ替わるように、別の隊士が駆けてきた。
「一番隊から招集です」
「分かりました」
立ち上がり、治療区画を任せる者へ指示を残す。
「私が戻るまで、現在の態勢を維持してください」
「はい」
ようやく何か分かったのだと思った。
だが、一番隊で聞かされた話は、俺が想像していたものとは違った。
◇
浦原喜助と握菱鉄裁が拘束された。
流魂街で起きていた魂魄消失。
六車拳西たちに起きた異変。
死神の魂魄が虚へ近づいていく、虚化と呼ばれる現象。
その実験を行った者として浦原の名が挙がり、虚化した者たちには処分が決められた。
「…………」
俺は黙って話を聞いた。
浦原が何を研究していたのか、そのすべてを知っているわけではない。危険な研究がなかったとも言い切れなかった。
それでも、これまで見てきた浦原の姿と、今聞かされている話がうまく重ならない。
昨夜、隊首会へ飛び込んできた浦原は、ひよ里が現地へ向かっていると訴えていた。自分を行かせてほしいと山本へ食い下がり、夜一に一喝されてようやく止まった。
あれがすべて演技だったと考えれば、話の辻褄は合うのかもしれない。
けれど、九年の間に見てきたものまで簡単には消えなかった。ひよ里が怪我をすれば四番隊へ行かせ、技術開発局を作ってからは何度も新しい器具をこちらへ送ってきた。夜一と話していた時の、あの気の抜けたような姿も覚えている。
だからといって、浦原喜助という人間を分かったつもりはない。それでも、昨夜の姿まで嘘だったとすぐに受け入れることはできなかった。
「浦原隊長が、六車隊長たちを?」
思わず口にした。
返ってきたのは、中央四十六室による裁定が下ったという事実だった。
やがて、それさえ状況が変わった。
四楓院夜一が浦原たちを連れ出した。
虚化した平子たちも姿を消した。
浦原喜助。
握菱鉄裁。
四楓院夜一。
平子真子。
鳳橋楼十郎。
愛川羅武。
六車拳西。
久南白。
矢胴丸リサ。
有昭田鉢玄。
猿柿ひよ里。
昨日まで尸魂界にいた者たちが、まとめていなくなった。
死んだとは聞いていない。
けれど、もう護廷十三隊にはいない。
長く生きていれば、知っている者がいなくなることには慣れる。
戦いで死ぬ者もいた。
老いて心の寿命を迎える者もいた。
隊を離れる者もいる。
それでも、一夜でこれほど多くの顔が消えたことは、そう多くなかった。
ついこの間まで、それぞれがいつものようにそこにいた。
九番隊の負傷者を連れてきた拳西の横では、白が自分の蹴りを得意そうに話していた。
一番隊の廊下では、リサが仕事を放り出していた京楽を見つけて連れ戻していた。
ひよ里は浦原への不満を口にしながら、四番隊の寝台に座っていた。
夜一と浦原が話している姿も見た。
誰かが誰かに声を掛け、返事が返る。
ただの日常だった。
もう、同じ光景は見られない。
◇
四番隊へ戻ると、昨夜のまま待機を続けていた隊士たちがこちらを見た。
「卯ノ花隊長」
「待機を解除します。各治療区画は通常の受け入れ態勢へ戻してください」
一晩中待っていた者たちの間に僅かな動揺が走ったが、理由を尋ねる者はいなかった。
「追加した薬品と器具は元の場所へ。開封したものは確認してから処理してください。回道班も通常配置へ戻します」
「はい」
命を受けた隊士たちが動き始め、昨夜の準備が一つずつ片づけられていく。重傷者を受け入れるために空けた寝台も、入口へ集めていた担架も、結局一度も使われなかった。
やがて、担当の隊士から順に報告が上がってきた。
「第一治療区画、通常配置へ戻しました」
「薬品の確認も終わっています」
「分かりました」
返事をしながら、俺は平子たちのことを考えていた。
生きているらしい。ならば、傷ついていたはずだ。
虚化というものがどのような状態なのかは分からない。それでも、まともな状態でなかったことだけは聞かされた話から分かる。本来なら四番隊へ運ばれ、ここで傷を診るはずだった。
そのために昨夜、場所を空けた。
肉雫唼もつけた。
けれど、誰一人ここへは戻らなかった。
「卯ノ花隊長?」
声を掛けられ、顔を上げる。
「何でもありません。片づけが終わりましたら、通常通り受け入れを続けてください」
「はい」
隊士が離れていく。
しばらくして、すべての区画が元に戻ったという報告が上がった。
昨夜まで空けていた寝台には、やがて別の負傷者が運び込まれるだろう。四番隊はそうやって、いつもの仕事へ戻っていく。
それでも、平子たちのために用意した場所が一度も使われなかったことだけは、妙に残った。
俺は腰の肉雫唼へ手を置いた。
「…………」
五つに分けたものは、戻っていない。
あの時。
五つの感覚は、一斉に消えた。
平子たちは、戦闘のプロだ。偶然に全員が同じ攻撃を受けるというのは考えづらい。誰かが肉雫唼の分隊を狙って消したと考えた方が自然だった。
なら。
その誰かは、肉雫唼を知っていた。
分けたものが俺と繋がっていることも。
「…………」
だが、どこまで知っていたのか。
肉雫唼から俺に伝わるのは、触れている者の傷の状態だけだ。周囲の景色は見えない。声も聞こえない。誰と戦っているのかも分からない。
もし、それを知っていたのなら。
五つすべてを同時に消す必要は、なかったかもしれない。
逆に。
どこまで俺に伝わるのか分からなかったから、消した。
そう考えれば辻褄は合う。
肉雫唼のことは知っている。
けれど、その詳細までは知らない。
そこまで考えて、手を離した。
分かったところで、誰がやったのかまでは分からない。
今の俺にあるのは、それだけだった。
◇
数日後。
俺は一番隊からの帰りに、五番隊の隊舎近くを通った。
隊長を失った隊は、どこか落ち着かない。
行き交う隊士たちの声も、普段より小さかった。
「卯ノ花隊長」
呼ばれて振り返る。
藍染惣右介が立っていた。
「藍染副隊長」
「先日は、四番隊も大変だったと聞きました」
「結局、誰も運ばれてきませんでしたけれどね」
「そのようですね」
藍染の表情が僅かに曇る。
隊長だった平子真子は、もうここにはいない。
「五番隊は?」
「混乱しています。平子隊長が突然いなくなりましたから」
「そうでしょうね」
「僕も、まだ実感がありません。つい先日まで、いつも通りでした」
俺は、平子と藍染が並んで歩いていた姿を思い浮かべる。
『お前、また俺の後ろ歩いとるやろ』
『副隊長ですから』
二人の性格は全く違うが、いい関係を気づいていた様に見えていた。
「長くいる者ほど、いなくなった後に残るものがあります」
「そうですね…あまり、慣れたい感覚ではありません」
藍染が感傷に浸るように、小さく呟いた。
「ですが、平子隊長は亡くなったわけではありません」
「……はい」
「なら、また会うこともあるでしょう」
藍染が目を伏せ、それから微笑んだ。
「そうだといいですね」
「ええ」
俺はその場を離れた。
振り返りはしなかった。
ただ、歩きながら前世の記憶を探した。
浦原喜助。
平子真子。
藍染惣右介。
どれも知っている。
今回の出来事にも、何か覚えがあったような気がする。
けれど、掴もうとすると消えてしまう。
もう何百年も前の記憶だ。
思い出せないものは仕方がない。
俺はそれ以上考えず、四番隊へ戻った。
◇
藍染は、卯ノ花が見えなくなるまでその場に立っていた。
穏やかな表情は変わらない。
平子真子は、自分を信用していなかった。
だからこそ近くへ置き、監視しているつもりでいた。
だが、平子が見張っていた相手は、途中から藍染本人ではなかった。
鏡花水月によって別人を藍染だと思い込まされ、その姿を追い続けていた。
警戒していても、見えているものそのものを疑わなければ届かない。
今回の事件でも、尸魂界は藍染が見せたものを受け入れた。
浦原が現場へ現れたこと。
虚化した隊長たち。
残された状況。
それらを材料に中央四十六室は裁いた。
それでいい。
藍染は歩き出した。
数歩進んだところで、ふと卯ノ花の言葉を思い出す。
『なら、また会うこともあるでしょう』
何の含みもない言葉だった。
そう聞こえたはずなのに、藍染は僅かな引っかかりを覚えた。まるで、いつか再会することを確信しているようにも聞こえたからだ。
だが、卯ノ花が何かを知っていると考える理由はない。
――気のせいか。
浦原と平子と自分の名が、彼女の遠い記憶の中で繋がりかけていることなど、藍染には知りようがない。
ただ、初代剣八という名だけは知っている。
護廷十三隊が生まれた頃から存在し、長い時間を経た今も四番隊隊長として残っている死神。
平子たちが消え、浦原が消え、また護廷十三隊の顔ぶれが変わっても、彼女は残った。
藍染は少しだけ目を細めた。
卯ノ花烈。
急いで何かをする必要はない。
時間なら、まだ十分にある。
そう考え、五番隊の隊舎へ戻っていった。