BLEACHの世界に転生した俺は、初代剣八になるらしい 作:まいちー
その日、四番隊へ負傷者が次々と運び込まれてきた。
「次、入ります!」
声とともに、さらに二人が担ぎ込まれてくる。
治療区画は急に慌ただしくなった。
「重傷者をこちらへ。歩ける方は第二治療区画へ回してください」
「はい!」
「――卯ノ花隊長」
振り返ると、一人の死神が片膝をついている。
隠密機動第五分隊、伝令部――裏廷隊。
最初の報告は、彼らから直接もたらされた。
「ご報告申し上げます。瀞霊壁前にて騒乱が発生。流魂街より現れた男一名が門番を撃破したとのこと」
「一人で?」
「は。現在、鎮圧のため隊士が現地へ向かっております」
「分かりました。続報が入り次第、直接こちらへ」
「は」
短く応じると、その姿は瞬歩で掻き消えた。
◇
また一人、運び込まれてきた。
胸元から肩にかけて大きく裂けている。
俺は傍にいた隊士へ目を向けた。
「この方を先に。出血を止めてから回道を」
「はい!」
負傷者は増え続けた。
報告も途切れない。
門前で暴れている男は、瀞霊廷へ入ることそのものには大して興味がないらしい。向かってきた者を倒してもその場を離れず、誰かを待つように門前へ居座り続けているという。
やがて鎮圧には席官が向かい、それでも止まらず、ついには隊長格まで出た。
それからしばらくして、その隊長格まで四番隊へ運び込まれてきた。
「…………」
寝台へ下ろされた男を見る。
傷は深いが、命には届いていない。
すぐに処置へ回した。
「卯ノ花隊長」
「はい」
「現場からです。まだ、鎮圧できていないと」
治療区画を見渡す。
運び込まれた重傷者への処置は始まっている。回道を扱える隊士も配置につき、指示を待って立ち止まっている者はいない。
「…………」
本来なら、ここで待つべきなのだろう。
出向くなと命じられているわけではない。だが、四番隊長が指示もないまま持ち場を離れ、瀞霊壁まで出向くというのは、あまり体面のいいものではない。
それでも。
妙な予感がした。
理由は分からない。
ただ、報告を聞いてからずっと、何かが胸の奥に引っかかっている。
「ここをお願いします」
「卯ノ花隊長が?」
「ええ」
肉雫唼を腰に差す。
「重傷者を優先してください。判断に迷うものがあれば、私が戻るまで状態を維持することを第一に」
「はい!」
四番隊舎を出た。
◇
瀞霊壁の門前へ着くと、すでに救護班が動いていた。
倒された巨漢の門番。その周囲には、鎮圧に向かった隊士たちが倒れている。
救護班が負傷者を次々と運び出す、その向こう。
まだ動ける隊士たちが、男を遠巻きに取り囲んでいた。
誰も刀を下ろしてはいない。
だが、誰一人として踏み込もうともしなかった。
構えた切っ先が、僅かに震えている。
開けた場所に、一人の男が立っていた。
大きな身体。
ぼさぼさの髪。
血に濡れた刀。
その傍には、小さな少女がいる。
「…………」
足が止まった。
覚えている。
死体の山。
血に濡れた刀を握っていた、小さな子供。
俺の胸に傷を残した相手。
随分、大きくなった。
だが。
姿を見ただけで分かった。
霊圧が小さいわけではない。
ここまでに倒れている隊士を見れば、今の護廷十三隊でも十分に強者と呼ばれる側だろう。隊長格まで倒している。
それでも、あの日の子供ではなかった。
あのとき俺へ向けられた刃は、もっと鋭く、異質だった。
「……そうですか」
口から小さく声が漏れた。
あの日、曖昧なままにしていたことがある。
斬り合いの最中、あの子の剣は鈍った。
俺はそれに気づき、そこへ誘いを置いて勝った。
なぜ鈍ったのか。
思い当たるものは、あの頃からあった。
けれど、考えなかった。
今、目の前にいる男を見れば分かる。
あの日、俺は剣でこの男を超えたわけではなかった。
「…………」
悔しさはある。
それでも今は、その事実をあの頃より素直に認められた。
男がこちらを向いた。
「…………」
目が合う。
その顔が変わった。
「お前……」
俺は歩いていく。
男の口元が大きく吊り上がった。
「お前か!」
霊圧が膨れ上がる。
「やっぱりいたじゃねえか!」
笑っている。
昔と同じ顔だった。
どうやら、俺の噂を頼りにここまで来たらしい。
男が刀を構える。
「もう一回やろうぜ!」
「その前に、一つよろしいですか?」
「あ?」
「これだけの方を斬ったのは、あなたですね」
「ああ」
「そうですか」
「では、止めます」
「やってみろ!」
男が踏み込んだ。
肉雫唼には触れない。
刀を抜く必要がないからだ。
振り下ろされた刀から僅かに身体を外し、すれ違いざまに柄を握る手を取る。そのまま人差し指を掴み、握りとは逆へ折り返した。
骨が鳴り、指が不自然な方向へ曲がる。
「――っ!」
それでも男は柄を離さなかった。
折れた指を浮かせ、残った指だけで刀を握り直す。そのまま手首を返し、横薙ぎに刃を走らせてくる。
上体を引いて通し、伸びてきた腕へ触れた。
回道を流し込む。
「――ッ!?」
必要なところで止めず、治す必要のない肉体へなおも回復を押し込む。
過剰な回復に耐えきれず、肉体が自壊する。
腕が内側から膨れ上がり、次の瞬間、肉ごと弾けた。血が一気に噴き出し、赤い飛沫が周囲へ散る。
男が目を見開いた。
だが、それも一瞬だった。
血の噴き出す腕で、再び斬りかかってくる。
斬り下ろされた刃を身体の向きだけで外すと、男は振り切らずに刀を引き戻し、そのまま下から斬り上げた。俺が半身になれば、その先へ足を運び、今度は横薙ぎに繋げてくる。
それでも届かない。
俺はほとんどその場から動かず、間合いへ入ってきた手を取った。先ほどとは別の指を掴み、そのまま折る。
握りが崩れたところで腕を取ると、男は逆に力を込めて刀を振り抜こうとした。
その力を使う。
腕を流しながら関節を返すと、鈍い音とともに骨が折れた。
刀が傾く。
男はすぐに反対の手で柄を掴み、そのまま斬りかかってきた。
止まらない。
刃を外したところへ肩が近づく。
触れる。
回道を流す。
肩が大きく膨らみ、肉が弾けた。血が噴き出す。
「はっ――はははははははははははッ!」
男は血の伝う顔を仰け反らせて笑い、そのまま刀を振るった。
一度外されれば角度を変え、手を取られれば触れさせまいと引き、そこへ届かなければさらに深く踏み込んでくる。
だが、近づけば別の場所が俺の手に届く。
胸へ触れる。
回道を押し込んだ箇所が内側から弾け、血が着物を濡らす。
脇腹へ手を添える。
肉が弾け、男の身体が僅かに揺れる。
それでも次の一歩が来る。
斬りつけ、外され、また踏み込む。そのたびに身体のどこかを取られ、血を撒き散らしながら、それでも男は笑っていた。
ぼろぼろの着物が、見る間に赤黒く染まっていく。
残った腕一本で、なおも刀を振るう。
刃を外し、伸びてきた腕へ手を伸ばす。
男はすぐに腕を引いた。
先ほどと同じように取られる前に、外そうとしたのだろう。
だが、間に合わない。
手首を掴む。
男がさらに強く腕を引いた。
その力に合わせて、関節を返す。
自ら引いた勢いまで加わり、腕が折れた。
刀が手を離れる。
男はすぐに身を沈め、地面へ落ちる途中の柄をそのまま口で咥えた。
「…………」
血に濡れた歯で柄を噛み締め、凶相を浮かべた顔を上げる。
両腕はもう使えない。
それでも刀を失ってはいない。
次の瞬間には地を蹴っていた。
腰と首を使い、咥えた刀を横薙ぎに振るう。身体を僅かに引いて刃を通すと、男は大きく身体を捻り、回転を乗せて斬りかかってきた。
外されても足を止めず、全身を使って刀を振るい続ける。
俺は大きく退かない。
刃の軌道から僅かに身体を外し、近づいた肩へ触れる。
肉が弾ける。
背へ触れる。
また血が飛ぶ。
全身から流れた血が着物を染め、踏み込むたびに赤い雫が地面へ散った。
それでも男は止まらない。
刀を咥えたまま、何度でも俺へ向かってくる。
「…………」
もう十分だ。
次に踏み込んできた脚を取った。
前へ出る勢いを殺さず、そのまま関節を返す。
骨が折れた。
男の身体が大きく傾く。
それでも残った脚一本で地面を踏み、倒れかけた身体を無理やり前へ押し出してきた。
口には、まだ刀を咥えている。
その最後の脚へ手を添えた。
回道を流し込む。
脚が一気に膨れ上がった。
次の瞬間、肉も骨もまとめて弾ける。
血が噴き上がり、膝から下が千切れ飛んだ。
支えを失った男の身体が地面へ崩れ落ちる。その衝撃で、咥えていた刀が口から外れた。
両腕は折れ、片脚も折れている。残った脚は膝から先を失い、ぼろぼろの着物まで全身の血で赤黒く染まっていた。
対して、俺はほとんど最初の場所から動いていない。
肉雫唼にも、一度も触れていなかった。
◇
その戦いを、周囲の隊士たちは声もなく見つめていた。
つい先ほどまで、彼らの目に映る男は紛れもない怪物だった。
隊士が倒され、席官が倒され、それでも止まらず、ついには隊長までもが斬り伏せられた。
隊長ならば止められる。
その期待まで容易く砕かれた時、残った者たちの胸にあったのは恐怖よりも諦めに近かった。
あれは、自分たちがどうにかできる相手ではない。
誰が出ても同じなのではないか。
そんな空気の中へ現れたのが、卯ノ花だった。
四番隊隊長。
その名も、その姿も知っている。
負傷者を受け入れ、傷を治し、戦場では救護を担う者たちの長。
だから最初は、なぜ彼女が男の前に立つのか分からなかった。
だが、戦いが始まってから。
その認識は、崩れ去っていった。
「…………」
刀を抜いていない。
男がどれほど激しく斬りかかろうと、卯ノ花はほとんどその場を動かない。
刃は届かず、触れられた男の指が折れ、腕が折れ、回道を流し込まれた肉体が弾けて血を噴く。
それでも男は止まらなかった。
むしろ傷を負うほどに凄まじさを増していく。
その姿を見れば、先ほどまで自分たちが感じていた恐怖が間違いではなかったことが分かる。
男は強い。
果てしなく、強い。
隊長すら斬り伏せたのだから。
なのに。
届かない。
ただの一太刀さえ。
そこで初めて、隊士たちは目の前で起きていることの意味を理解し始めた。
男が弱いのではない。
自分たちが見誤っていたのでもない。
あれほどの怪物を前にしてなお、刀を抜く必要すらないほどに――卯ノ花が強いのだ。
「……卯ノ花、隊長……」
誰かが呟いた。
何度も呼んだことのある名だった。
瀞霊廷を静かに歩く姿も、四番隊を率いる姿も知っている。
それなのに。
今、男の前に立つ女は、自分たちの知る卯ノ花烈とはまるで重ならなかった。
誰も、それ以上は口を開かなかった。
ただ、見ていた。
隊長すら斬り伏せた男が血に染まり、それでも笑って刀を振るう姿を。
そして、そのすべてを刀すら抜かずに退け続ける、四番隊隊長の姿を。
◇
男が地面に伏したまま顔を上げる。
「俺は正しかった!」
凶悪な笑みを浮かべ、呵々と笑う。
「あんたは強え!」
少しの間、男を見下ろす。
「……あなたは弱いですね」
「……あ?」
男が目を丸くした。
それまで傍にいた少女が、男のもとへ駆け寄ってくる。
「だいじょーぶ?」
桃色の髪をした小さな少女が、その顔を覗き込む。
「死んでねえよ」
「そっか!」
それだけで納得したのか、少女は男の傍にちょこんと座った。
俺は二人の前へしゃがむ。
「傷を治します」
「あ?」
男の傷へ手を伸ばそうとしたところで、傍にいる少女が目に入った。
「…………」
何かがおかしい。
顔色が悪いわけではない。元気に動いている。
けれど、呼吸に混じる僅かな乱れが気になった。
「あなたも、少しよろしいですか?」
「あたし?」
「はい」
少女の小さな胸へ手を当てる。
「なにー?」
「少し診るだけですよ」
「ふーん」
嫌がる様子もなく、こちらを見上げている。
霊力を流す。
すぐに分かった。
心の臓に病がある。
生まれつきなのか、それとも後から生じたものなのかは分からない。このままなら、長くは保たない。
それなのに、心臓は動いている。
弱いはずの鼓動を、別の何かが支えていた。
霊力の流れを辿ると、少女自身の魂魄とは僅かに違うものが混じっている。
覚えがある。
斬魄刀だ。
完全に一つになっているわけではない。半ば重なりながら、この子の弱い心臓を補っている。
さらに深く探ると、その結びつきの形が見えてきた。
今は、この子を支える。
そして、この子の命が尽きたときには、残ったものを受け取り、一つになる。
そんな約束にも似た繋がりだった。
「…………」
俺は少女の胸へ回道を流す。
「なにしてるの?」
「心臓を治しています」
「ここ?」
少女が自分の胸を指す。
「ええ。もう少し、そのままでいてください」
「はーい」
回道を深く通していく。
弱っていた心臓を一つずつ治し、乱れていた働きを整える。補われなければ保てなかった鼓動が、少しずつ自らの力だけで続くようになっていった。
やがて病んでいた箇所はすべて治り、斬魄刀の助けがなくとも、心臓は規則正しく脈を打つようになった。
もう、この子の命を支えるために、半ば融合している必要はない。
俺はその奥にいるものへ意識を向けた。
「急いてはなりません」
少女が首を傾げる。
「あたし?」
「いいえ」
僅かに笑う。
「ゆっくり、分かり合うものですよ」
返事はない。
けれど、心臓を支えていた霊力が、ゆっくりとその役目を手放していく。
病んでいた箇所が残っていないことを確かめてから、手を離した。
「もう大丈夫ですよ」
「ほんと?」
「ええ。きちんと治っています」
少女が胸を押さえ、身体を左右に捻る。
「おー!」
何が面白いのか、にっと笑った。
「なんかいい!」
「それはよかったです」
もう一度、少女の霊力の流れを探る。
心臓は正常に動いている。そこを支えていた斬魄刀の霊力も、先ほどまでとは違い、少女自身の魂魄から少しずつ離れ始めていた。
これなら問題ないだろう。
「おい」
横から声がした。
男が地面に転がったままこちらを見ている。
「俺は?」
「後です」
「…………」
少女が楽しそうに笑った。
◇
男の傷も治療した。足もくっつけた。
もちろん、すぐにまた暴れられるほどには治していない。
傷を塞いだ男の隣で、少女が楽しそうに足を揺らしている。
「ところで」
俺は少女を見る。
「あなたのお名前は?」
「なまえ?」
「はい」
少女が首を傾げた。
「ないよ!」
「そうですか」
随分と明るく答える。
俺は隣の男へ目を向けた。
「あなたは?」
「ねえ」
二人とも名前がないらしい。
「私は卯ノ花烈と申します」
「れつ?」
「ええ」
少女が何度か口の中で繰り返す。
「名前はあった方が便利ですよ。自分でつけてもいいですが」
少女が首を傾げる。
「自分で?」
「ええ。あるいは、誰かにつけてもらうのもよいでしょう」
男が少し考えるように俺を見る。
「一つ、手に入れられる名ならあります」
「手に入れる?」
「剣八です」
男の目がこちらを向いた。
「十一番隊の隊長が代々受け継ぐ名です。最も強い死神に与えられる名、とでも思っていただければ」
「強え奴の名前か」
「ええ。私も昔はそう呼ばれていました」
「……あんたも?」
男の口元が吊り上がる。
「どうやったら手に入る?」
「今代の剣八を倒せばよいのです」
「そいつ、どこにいる?」
「よくサボっている場所を知っています」
「そこに行きゃ会えるのか?」
「おそらくは」
「なら行く」
男が立ち上がると、少女もその身体へよじ登った。
俺は二人が歩いていくのを見送り、四番隊へ戻った。
◇
男は、桃色の髪の少女を身体にぶら下げたまま歩いていた。
「ねえ」
「あ?」
「なまえ、つけて」
「何で俺が」
「だって、れつが、だれかにつけてもらってもいいって!」
男は答えず、そのまま歩き続けた。少女も急かすことなく、男の肩から周囲を眺めている。
しばらくして、男が口を開いた。
「八千流」
「やちる?」
「俺が唯一こうありてえと願う人の名だ」
「お前にやる」
少女は目を丸くし、何度かその名を口にした。
「やちる……」
やがて、嬉しそうに笑う。
「あたし、やちる!」
「おう」
新しい名が気に入ったらしい。やちるは男にぶら下がったまま、何度も自分の名を繰り返していた。
◇
男が辿り着いた先では、数十人の十一番隊士が酒を飲んで騒いでいた。
流魂街のどこかで、攫ってきたらしい女を弄んでいる者すらいる。
その中心にいる大男が鬼厳城だった。
見知らぬ男と、その身体にぶら下がった小さな少女が近づいてくるのに気づき、何人かの隊士が顔を上げる。男は周囲の視線を気にする様子もなく、そのまま鬼厳城の前まで歩いていった。
鬼厳城も酒を置き、男を見る。
「あァん?」
男は何も語らなかった。
代わりに、腰の刀へ手を掛ける。
その仕草だけで何をしに来たのかは伝わったらしい。周囲の隊士たちがざわめき、鬼厳城は男を睨みながら立ち上がった。
やちるが男の身体から降り、少し離れた場所まで走っていく。
最初に笑ったのは、十一番隊の隊士たちだった。
鬼厳城の素行を快く思わない者はいても、その力まで疑っている者はいない。十一番隊の隊長であり、剣八の名を持つ男である。名も知らない流魂街の男が刀を抜いたところで、長くは保たないと思っていた。
だが、最初に刀がぶつかったところで、その笑いは少し減った。
鬼厳城の身体が押し戻された。
偶然だと思った者もいたのだろう。次の一合を見ても、まだ声を上げている者はいた。
それも長くは続かなかった。
鬼厳城が斬り込み、男が受ける。男が刀を返せば、今度は鬼厳城が受ける。単純な斬り合いに見えるのに、重なるたびに鬼厳城の足だけが少しずつ後ろへ下がっていった。
男は笑っている。
相手が隊長であることにも、その周囲を十一番隊士に囲まれていることにも、何の意味も感じていないようだった。
「……何なんだ、あいつ」
誰かが呟いたが、答える者はいなかった。
鬼厳城が始解を解く。
その瞬間には再び声が上がったものの、男が変わらず立っているのを見ると、また静かになった。鬼厳城の攻撃を受けても退かず、むしろ先ほどより楽しそうに刀を振るっている。
やがて鬼厳城は卍解まで用いた。
そこまで来ると、もう笑っている隊士はいなかった。
自分たちが剣八と呼んできた男が、持てる力を出している。それでも目の前の男を押し切れず、逆に追い詰められていく光景を、誰もが黙って見ていた。
「……隊長が」
小さく漏れた声に、続く者はいなかった。
間もなく、大きな身体が地面へ倒れた。
立っているのは、名も知らない男の方だった。
誰一人として刀を抜かなかった。
鬼厳城が始解も卍解も使い、それでも敗れた。その一部始終を、自分たちの目で見ている。
男は倒れた鬼厳城をしばらく見下ろしていた。
鬼厳城が僅かに顔を上げる。
「誰だてめえは?」
男の口元が吊り上がった。
「……剣八」
短く答え、倒れた鬼厳城を見下ろす。
「“更木”の剣八だ」
周囲にいた隊士たちは、誰も口を挟まなかった。
更木は鬼厳城の傍らに落ちた白い羽織へ目を向ける。
「それなに?」
やちるが駆け寄ってくる。
「知らねえ」
拾い上げた白い布には、鬼厳城の血が残っていた。
更木は着ることなく、そのまま肩越しに引っ掛ける。
「行くぞ」
「うん!」
道を塞ぐ者はいなかった。
◇
それから間もなく、更木とやちるは流魂街で二人の男と出会った。
一人は頭を剃った男。もう一人は長い髪をした細身の男だった。
すれ違うだけかと思われたが、頭を剃った男――一角の足が止まった。視線の先にいる更木もまた足を止め、やちるがその身体から降りる。
「けんちゃん、やるの?」
「ああ」
更木が笑って刀へ手を掛けると、一角も同じように笑った。
強い相手だということは、一角にもすぐに分かった。
だからこそ嬉しかった。
最初の一合で腕に伝わった重さにも、その後に受けた傷にも怯むことなく、一角は何度も前へ出た。刀を振るうたび、今度こそ届くと思った。
だが、何度斬り結んでも距離が縮まらない。
更木が何か特別な技を使っているわけではなかった。刀を振り、受け、斬る。それだけなのに、一角の身体にだけ傷が増えていく。
それでも一角は立った。
まだ腕は動く。刀も握れる。なら、まだ戦える。
そう思って踏み込んでは斬られ、それでも立ち上がった。
やがて膝が落ちた。
刀を杖にして身体を起こそうとしたが、今度は思うように力が入らない。
顔を上げる。
更木はもう、一角に背を向けていた。
「待ち……やが……れ……」
足が止まる。
更木が振り返った。
「何だ。まだ生きてんのか」
一角が血に濡れた顔を上げる。
「どういう気だ……てめえ……なんで止めを刺さねえ……!!」
地面へ手をつき、身体を起こそうとする。
「てめえの勝ちだ! 殺して行け!!」
「悪いな」
更木は一角を見下ろした。
「戦えなくなった奴に興味は無えんだ」
「ふざけんな……殺せ!!!」
更木の眉が動いた。
踵を返し、一角のもとへ戻る。
襟元を掴み、その身体を引き上げた。
「ふざけんな」
一角の目が見開かれる。
「てめえ、戦いが好きなら殺せだ何だと喚くんじゃねえ」
低い声が落ちる。
「負けを認めて死にたがるな」
「…………」
「死んで初めて負けを認めろ」
一角は何も言わなかった。
「負けて、それでも死に損ねたら、そいつはてめえがツイてただけのことだ」
更木の目が、一角を真っ直ぐに射抜く。
「そん時は生き延びることだけ考えろ」
そして。
「生き延びて、てめえを殺し損ねた奴を殺すことだけ考えろ」
手を離す。
一角の身体が地面へ落ちた。
更木は背を向ける。
「俺は手ェ抜いて戦った訳じゃねえ」
そのまま歩き出す。
「死に損ねたのはてめえの運だ」
足は止めない。
「生きろ」
一角が目を見開いた。
「生きて俺をもう一度殺しに来い」
更木が離れていく。
「……ま……待ってくれ……!!」
その背中へ、一角が声を振り絞った。
「あんた……あんたの名を教えてくれ……!!」
更木が足を止める。
振り返った。
「剣八」
一角が見上げる。
「“更木”の剣八だ」
それだけ告げて、更木は再び歩き出した。
一角は地面に倒れたまま、その背中を見ていた。
傍に残った長髪の男も、何も言わなかった。
◇
鬼厳城が敗れたとの報告を受け、俺は隊首会の開催を申請し、隊首会は、ほどなくして開かれた。
扉を開くと、並んだ隊長たちの視線が一斉にこちらへ向いた。
俺が先に入り、その後ろから更木が続く。
更木の肩にはやちるがぶら下がり、もう一方の肩には血に汚れた隊長羽織が掛かっている。
つい先ほどまで、鬼厳城が身につけていたものだ。
隊長たちの間を進み、山本の前で足を止めた。
「卯ノ花」
「はい」
「報告せよ」
「鬼厳城隊長とこちらの方が、一騎討ちを行いました」
山本の視線が更木へ移る。
「結果は」
「鬼厳城隊長の敗北です」
更木の肩にある羽織を見れば、それ以上の説明はいらない。
「名は」
山本が問う。
「更木剣八」
更木自身が答えた。
隊長たちの間に、僅かなざわめきが起こる。
山本はしばらく更木を見たあと、俺へ視線を戻した。
「立ち会った者は」
「その場にいた十一番隊士、数十名ほどと聞いております」
「規定の数には足りぬな」
「はい」
だからこそ、この場を開いてもらった。
「十一番隊には、新しい剣八が必要だと判断いたしました」
「…………」
「鬼厳城隊長の気質に引かれ、隊の在り方まで変わり始めております」
「それで、この男か」
「はい」
俺は隣の更木を見る。
「鬼厳城隊長は始解も卍解も用いたと聞いております。それでも勝ったのはこの男です」
規定の立会人数には届いていない。
ならば、別の形で認めてもらえばいい。
「四番隊隊長・卯ノ花烈は、十一番隊隊長に更木剣八を推薦いたします」
しばらく沈黙が続いた。
山本が更木を見る。
更木は血のついた羽織を肩に掛けたまま、退屈そうに立っている。その肩では、やちるだけが並んだ隊長たちを面白そうに眺めていた。
やがて、山本が口を開いた。
「よかろう」
◇
隊首会を出てしばらく歩いたところで、更木が口を開いた。
「おい」
「はい」
「俺は隊長になるなんて言ってねえぞ」
「そうでしたね」
「俺が欲しかったのは剣八の名前だ」
「ええ」
「なら、もう用はねえ」
去ろうとする更木に声をかける。
「護廷十三隊には、強い方が大勢おります」
「あ?」
更木が足を止める。
「隊長であれば、その方々と肩を並べて戦うこともあるでしょう。訓練で戦うこともありますし、隊務の中で、強敵と出会うこともあるでしょうね」
「……あんたもか?」
「私も護廷十三隊の隊長ですから」
「またやれんのか」
「機会はあるでしょう」
更木の口元が上がった。
「先に言えよ」
肩のやちるが更木の顔を覗き込む。
「けんちゃん、たいちょーやるの?」
「みてえだな」
「やったー!」
「何がだ」
「たいちょー!」
やちるが楽しそうに笑う。
更木は面倒そうな顔をしたが、もう出て行くとは言わなかった。そのまま歩き出す。
やちるを肩にぶら下げ、血のついた隊長羽織をもう一方の肩に掛けたまま。
かつて俺が率いていた十一番隊を、今度はこの男が率いる。
更木剣八。
新しい剣八が、護廷十三隊に加わった。