BLEACHの世界に転生した俺は、初代剣八になるらしい   作:まいちー

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第四十三章 斬る

 

 戦場の中央で、巨大な霊圧が膨れ上がった。

 

 山本元柳斎重國。

 

 少し離れた場所では、卯ノ花が負傷者へ回道を流している。その手を止めることはなかったが、視線は時折、山本と藍染の攻防を捉えていた。

 

 山本もまた、一度だけ卯ノ花の位置を確認している。

 

 言葉は交わさない。

 

 その霊圧とともに、流刃若火の炎が戦場を包む。

 

 炎熱地獄。

 

「一死を以て、大悪を誅す。それこそが護廷十三隊の意気と知れ」

 

 山本が藍染を仕留めるために用意した炎だった。

 

 だが、それを封じるための破面が藍染の側には用意されていた。

 

 ワンダーワイス。

 

 流刃若火の炎が消える。それでも山本は止まらず、斬魄刀を失ったまま素手でワンダーワイスを打ち倒した。

 

 直後、凄まじい炎が弾けた。

 

 爆発が戦場を呑み込み、熱が瓦礫を吹き飛ばす。卯ノ花は治療していた者を庇うように身を伏せ、熱が過ぎると顔を上げた。

 

 炎の中心に、山本が倒れている。全身に重い火傷を負いながらも、その霊圧は消えていない。

 

 藍染が山本へ近づく。

 

 焼けた腕が動いた。

 

 倒れたまま伸ばされた手が、藍染の足を掴む。

 

「護廷を舐めるなよ小童。彼奴はここにおるぞ。八千流」

 

 次の瞬間、藍染の背後から卯ノ花が斬り掛かった。

 

 刃が首筋へ届く寸前、藍染の刀が返る。

 

 甲高い音が響いた。

 

 受け止められた卯ノ花の刃が止まる。だが、藍染の足は山本に掴まれたままだった。卯ノ花は押し合わず、刃を滑らせるように外すと、そのまま身体を沈めて脇腹へ斬撃を返す。

 

 藍染が刀を下げて受ける。

 

 今度は卯ノ花が踏み込んだ。

 

 刃と刃が触れたまま間合いが詰まる。藍染が押し返そうとした瞬間、卯ノ花は力の向きを外し、半歩だけ位置を変えた。空いた側から刃が走る。

 

 藍染の肩口が浅く裂けた。

 

「…………」

 

 藍染の目が卯ノ花へ向きながらも、山本の手の健を斬り、足を引き抜き、距離を取った。

 

 卯ノ花は追う。

 

 藍染が刀を振るう。卯ノ花は正面から受けた。重い。だが、受けた刃をその場に留めず、手首を返して横へ流す。藍染の刀が僅かに逸れたところへ、卯ノ花の切っ先が胸元へ入る。

 

 藍染は身を引いて躱し、そのまま横薙ぎに刀を返した。卯ノ花は一歩踏み込み、振り切られる前の腕へ刀を合わせる。

 

 再び刃が噛み合った。

 

 近い。

 

 互いに一歩も退かないまま、刀の角度だけが次々に変わる。首、肩、脇、手首。狙いが変わるたびに受ける位置も変わり、刃が触れては離れ、また触れる。

 

 藍染が一歩退いた。

 

 卯ノ花も同時に踏み込む。

 

 退いた分だけ間合いを詰め、逃げる先へ先に刃を置く。藍染が横へ外れれば、卯ノ花の刀はそれを追わず、次に入る場所へ切っ先を向けた。

 

 藍染の足が止まったところへ、卯ノ花の刃が迫る。藍染はそれを受けたが、刃が触れた時にはすでに卯ノ花の身体は次の動きへ移っていた。

 

 受ける場所を選べば、そこを守るために別の場所が空く。卯ノ花は一太刀ごとに力で追い詰めるのではなく、藍染自身に受ける場所を選ばせ、その選択によって生まれた隙へ次の刃を運んでいく。

 

 藍染が迫る切っ先を外した直後、返された刃が頬を掠めた。細い傷から血が一筋流れるが、卯ノ花は止まらず、そのまま次の間合いへ踏み込む。

 

 藍染が初めて大きく後ろへ退いた。

 

 二人の間に距離が開く。卯ノ花は刀を下ろさずに藍染を見据え、藍染もまた、頬を伝う血には触れずに卯ノ花を見ていた。

 

 その時、卯ノ花の背後で霊圧が動いた。

 

 振り返って相手を確かめるより早く身体を捻り、その動きのまま背後から迫っていた破面へ刀を振り抜く。刃は胴を斜めに通り抜け、確かな手応えが手に残った。

 

 だが、破面は倒れなかった。

 

 斬り離されたはずの身体が崩れ、輪郭を失った。水が流れるように二つに分かれた身体が地面へ落ちることなく蠢き、次の瞬間には互いへ引き寄せられていく。

 

 切断面が触れる。

 

 そのまま、何事もなかったかのように繋がった。

 

「…………」

 

 卯ノ花は破面を見る。

 

 硬くて刃が通らなかったわけではない。確かに斬った。だが、斬ったという結果そのものが残っていない。

 

 破面の身体が再び揺らぎ、全身が流水のように形を変えた。

 

 斬撃が効かない。

 

 そう判断するまでに、二太刀目は必要なかった。

 

「肉雫唼」

 

 卯ノ花の手の中で、斬魄刀が姿を変える。

 

 肉雫唼。

 

 その始解が持つ異能は、治療する粘体だけではない。

 

 通常の刀では斬るという結果を残せないものにも、剣を成立させる。

 

 水のように流れ、刃が通った端から繋がるもの。炎のように、そもそも刃で断つという行為が成立しないもの。

 

 それらを自動的に斬る能力ではない。

 

 ただ、斬れる余地を作る。

 

 そこから先は、振るう者の剣の腕次第だった。

 

 流水となった破面が卯ノ花へ襲い掛かる。

 

 卯ノ花は一歩踏み込んだ。

 

 一閃。

 

 肉雫唼の刃が、流水の身体を通り抜ける。

 

 今度は繋がらなかった。

 

 破面の身体に一本の斬線が残り、その線を境に霊子のつながりそのものが断たれる。

 

 卯ノ花は振り抜いた姿勢から刀を戻す。

 

 破面の身体が崩れ落ちる。

 

 藍染はそれを見届けると、静かに口を開いた。

 

「見事だ」

 

 その声音には、惜しみのない称賛があった。

 

「護廷十三隊の中にも、警戒すべき隊長は幾人かいる。山本元柳斎重國をはじめとしてね」

 

 藍染の視線が卯ノ花へ戻る。

 

「だが、あなたは少し毛色が違う。警戒すべき相手だということだけは分かっているのに、情報があまりにも少ない」

 

 足元に転がった破面へ、一度だけ目を向ける。

 

「その僅かな情報から用意した対策だったんだが――こうも容易く一蹴されるとは思わなかったよ」

 

 卯ノ花は答えない。

 

 肉雫唼を構えたまま、藍染を見る。

 

「だが」

 

 藍染の笑みが僅かに深くなった。

 

「その優秀さが、仇になる」

 

 周囲で、複数の霊圧が動いた。

 

 卯ノ花の目がそちらへ向く。

 

 先ほどまで負傷していた者たちが立ち上がっている。

 

 護廷十三隊の隊長、副隊長。

 

 仮面の軍勢。

 

 卯ノ花が回道で容体を安定させ、肉雫唼の分体に治療を引き継がせた者たちだった。

 

 一人が刀を抜く。

 

 続いて、別の者も。

 

 全員の視線が、一斉に卯ノ花へ向いた。

 

「…………」

 

 最初に踏み込んだ者の斬撃を肉雫唼で受け、その刃を外側へ流しながら身体をずらす。空いた脇へ二人目が入り込んでくるが、卯ノ花は振り返らずに刀を返し、背後から重なった別の刃ごと受け止めた。

 

「待て!」

 

 一護の声が響いた。

 

「何やってんだ! その人は藍染じゃねえ! 卯ノ花さんだ!」

 

 誰も止まらない。

 

 彼らの目には、卯ノ花烈も黒崎一護も見えていなかった。そこにいるのは藍染惣右介。鏡花水月によって、そう認識させられている。

 

 一護が一人の腕を掴む。

 

「やめろって言ってんだろ!」

 

 だが、腕を振り払ったその者は再び卯ノ花へ向かい、それに続いて周囲の者たちも一斉に間合いを詰める。催眠の中にいる者たちは、一護の言葉は聞こえず、目の前の敵を疑えない。

 

 卯ノ花は斬らなかった。

 

 正面から来た刃を受け、その力を横へ流したところへ別の一人が踏み込んでくる。卯ノ花は最初の刀から肉雫唼を離すと、その勢いのまま二人目の腕へ刀の腹を当てて軌道を変え、背後から迫った斬撃を身体を沈めて躱した。

 

 頭上を通り過ぎた刃が前方の者へ迫り、その者が攻撃を止めて身を引く。その僅かな隙間へ卯ノ花は身体を滑り込ませ、包囲の外へ抜けようとしたが、すでに次の二人が左右から回り込んでいた。

 

 反撃すれば、止めることはできる。

 

 一人や二人なら、斬って動けなくしてから治せばいい。だが、ここにいる全員を同じ方法で止めることはできない。

 

 ようやく安定させた者もいる。肉雫唼の分体だけで治療を続けられるのは、卯ノ花自身が致命傷を処置した後だからだ。ここでもう一度、全員を動けなくなるほど斬れば、分体だけでは回復が追いつかず、死ぬ者が出る。

 

 だから、斬れない。

 

 左右から迫った二本の刀。その片方を受けて押し返すのではなく、刃を滑らせながら内側へ入り、もう一方の斬撃と交差させる。互いの刀がぶつかった瞬間には卯ノ花は二人の間を抜け、背後へ回り込んでいた者の手首へ肉雫唼の峰を当てて、その切っ先を地面へ落とした。

 

 そのまま次の攻撃へ備えた時、藍染の姿が消えた。

 

「…………」

 

 目を向けても、どこにもいない。

 

 周囲にいるのは、自分を藍染だと思い込んで襲ってくる者たちだけだった。

 

 右から二人が間を詰め、正面から一人、その動きに重なるように背後から三人が迫る。互いの攻撃を邪魔しないよう位置を変えながら、空いたところへ次の者が入り込んでくる。

 

 卯ノ花は最初の刃を受け流し、その勢いを殺さないまま身体を横へずらした。続く一人の斬撃を躱しながら、さらに踏み込んできた者の肩へ手を添え、刃の軌道だけを変える。

 

 誰がどこにいて、次に誰がどこへ踏み込み、その刃がどこを通るのか。卯ノ花は絶え間なく続く攻防の中で、それらすべてを見ていた。

 

 全員が卯ノ花を殺そうとしている。

 

 ならば、その連携の中には攻撃が通らない場所が生まれる。味方の刃を通せず、誰も踏み込まず、それでいて周囲の者たちが不自然なほど避けている空間。

 

 正面から振り下ろされた刀を半身になって外し、卯ノ花はそのまま踏み込んだ。

 

「そこですか」

 

 何もない空間へ、肉雫唼を振るう。

 

 甲高い金属音が響いた。

 

 刃が止まった。

 

 そこには何も見えない。それでも、卯ノ花の肉雫唼は確かに何かに受け止められている。

 

 見えない場所で、藍染の目が僅かに見開かれた。

 

 次いで、楽しそうに細められる。

 

「なるほど」

 

 卯ノ花は見えない刀と押し合わず、触れた刃から相手の力の向きを読み取ると、肉雫唼を滑らせながら身体を横へ移した。

 

 だが、その先へ背後から別の斬撃が迫る。

 

 卯ノ花は藍染の刀から肉雫唼を離し、振り返りざまにそれを受けた。その瞬間、守りの空いた脇腹を見えない刃が通り抜け、白い羽織に血が散る。

 

「…………」

 

 傷を見る暇はない。

 

 目の前の刀を流して身体を横へ抜いたところへ、別の二人が間を詰めてくる。一人目の腕を峰で押し上げ、その下を潜ろうとしたところで、今度は肩に鋭い痛みが走った。

 

 藍染だ。

 

 姿も刀も見えないまま、周囲の攻撃へ混ざっている。

 

 卯ノ花の目に見えている者たちの連携を崩さず、その死角へ刃を差し込んでくる。卯ノ花が攻撃を受け流した直後、足を置こうとする場所、次の一人へ意識を移した瞬間。その僅かな隙を狙うように、見えない斬撃が重なった。

 

 卯ノ花は腿を裂いた一撃を完全には躱せず、それでも足を止めなかった。傷つけずに捌かなければならない隊長格を多数に、完全催眠で姿を消した藍染まで加わっている以上、すべてを無傷で凌ぎ切ることはできない。

 

 白い羽織が、少しずつ赤く染まっていく。

 

 それでも、卯ノ花の剣は鈍らない。

 

 一人の手首へ峰を当て、振り下ろされる刃を外側へ逸らす。そのまま身を沈めると、左右から重なった二本の刀が頭上でぶつかり合い、卯ノ花は交差した腕の下を抜けて前へ出た。

 

 その先には誰もいない。

 

 だが、一歩目を置く寸前に身体を捻った。

 

 何もない空間から現れた斬撃が頬を掠め、血が細く宙へ散る。卯ノ花は避けた動きのまま肉雫唼を返し、斬撃が来た位置へ刃を走らせた。

 

 再び、何もない空間で金属音が鳴った。

 

「これは――」

 

 藍染の声だけが聞こえる。

 

「予想以上だ」

 

 卯ノ花は答えなかった。

 

 頬から流れた血が顎を伝う間にも、前後から新たな刃が迫っている。正面の一撃を外しながら半歩入り、背後から来た刀を振り向かずに肉雫唼で受け、その反動を利用して身体を回す。続く者の懐へ入れば、相手は刀を振り切れずに動きを止めた。

 

 その身体を壁にするように位置を変えると、後続の二人が攻撃を止めざるを得なくなる。

 

 卯ノ花はそこから一気に踏み込み、最も近い一人の腕を柄で押し上げた。身体を回して後続の進路へ押し込み、横から来た者の足を払うと、倒れる身体を受け止めながら別の一人へ押しつける。

 

 斬らずに動きを潰していく。

 

 一護も加わり、ようやく何人かを押さえ込んだことで、卯ノ花を囲んでいた刃の数が減っていった。

 

 その時だった。

 

 足元に、小さな匣が落ちた。

 

「…………?」

 

 反膜の匪(カハ・ネガシオン)。

 

 卯ノ花が視線を落とした瞬間、匣が開く。

 

 周囲の空間が歪んだ。

 

 肉雫唼を振るう。

 

 だが、間に合わなかった。

 

 閉じた空間が卯ノ花の身体を包み込んでいく。

 

 藍染の姿が、ようやく見えた。

 

 少し離れた場所に立ち、こちらを見ている。

 

「今、あなたに時間を取られるのは得策ではない」

 

 藍染は穏やかに笑う。

 

「あとでゆっくりと、相手をしよう。卯ノ花烈」

 

 卯ノ花が踏み出す。

 

 その足が届くより先に、反膜の匪が閉じた。

 

 卯ノ花烈の姿が、戦場から消えた。

 

    ◇

 

 暗い。

 

 光がないというより、何もないと言った方が近かった。足元には確かな感触があり、肉雫唼も手の中にある。斬られた脇腹や肩にはまだ痛みが残っているというのに、目を凝らしても前後どころか上下さえ分からず、俺だけが何もない場所へ放り込まれたようだった。

 

 藍染が最後に落とした匣を思い出した途端、さっきまで抑えていたものが腹の底から込み上げてきた。

 

「…………」

 

 腹が立つ。

 

 あれだけの人数を相手に、一人も傷つけずに捌いた。そのうえ鏡花水月で姿を消した藍染の剣まで混ざってきて、どこから来るか分からない斬撃を避けながら、周囲の動きから居場所を探した。

 

 大変だった。何度も斬られたし、やり方も相当せこいと思う。

 

 けれど――楽しかった。

 

 見えない相手の位置を読み、次に来る刃を考えながら、何人もの攻撃を同時に捌く。久しぶりに頭も身体も全部使って戦えた。

 

 それなのに、だ。

 

「強いんだから、戦えよ……」

 

 思わず声が漏れた。返事がないのをいいことに、今までなら外へ出すことのなかった言葉が、そのまま口から続いていく。

 

「散々その気にさせておいて、やっと慣れてきたころに閉じ込めるって何だよ。あとでゆっくり相手をしよう、じゃねえよ。今やれよ」

 

 誰も聞いていない。

 

 ここには俺しかいない。

 

「せこいだろ。くそが」

 

 言ってから、少しだけすっきりした。

 

 外でこんな言葉を口にすれば、勇音あたりは卒倒するかもしれない。京楽隊長なら聞かなかったことにしてくれそうだが、その後しばらく妙な顔でこちらを見るだろう。

 

 それを想像すると、今度は自分がこんな場所に閉じ込められていること自体が馬鹿馬鹿しくなってきた。

 

「くそ眼鏡……」

 

 もう一度だけ吐き捨て、肉雫唼を握り直す。

 

 腹を立てている場合ではない。

 

 外ではまだ戦いが続いている。黒崎一護がいる。山本総隊長もいる。負傷者には肉雫唼の分体を残してきたが、それで何も心配がないわけではない。

 

 何より、藍染がいる。

 

 あいつは俺をここへ閉じ込め、自分だけ戦場へ戻った。

 

「…………」

 

 やっぱり腹が立つ。

 

 まずは出る。

 

 話はそれからだ。

 

 正面へ踏み込み、肉雫唼を振るった。刃は何の抵抗もなく暗闇を通り抜け、続けて横薙ぎに返してみても、手には何の感触も残らない。

 

 壁があるわけではないらしい。

 

 ならば境目を探そうと歩き始めたが、十歩進んでも百歩進んでも景色は変わらず、足元の感触すら同じままだった。振り返ったところで、自分がどれほど進んだのかを示すものは何一つない。

 

「面倒くせえ……」

 

 声だけが暗闇へ吸い込まれていった。

 

 ただの閉じた場所なら、どこかに端があるはずだ。だが、ここが普通の場所ではないのなら、壁を探して歩き回ること自体が間違っているのかもしれない。

 

 足を止め、目を閉じる。

 

 何も変わらない。

 

 外の霊圧も感じない。音もなく、風もない。ここにあると分かるのは、自分の身体と、手の中の肉雫唼だけだった。

 

 なら、それでいい。

 

 外がどうなっているのかを考えても分からない。藍染がどこにいるのか、どれほど時間が経ったのかも分からない。今あるものだけで、ここから出る方法を考えるしかない。

 

 肉雫唼を見ることはできない。それでも柄を握る感触はあり、刀身へ霊力を流せば、いつもと変わらず応えてくれる。

 

 肉雫唼の始解は、治療だけではない。

 

 通常の刀では斬るという結果を残せないものに、剣を成立させる。

 

 先ほどの破面がそうだった。肉雫唼なら刃を通せた。

 

 なら、ここはどうだ。

 

 俺を閉じ込めているのが壁でも物でもなく、この場所そのものだというのなら――空間を斬ることはできないのか。

 

 馬鹿みたいな考えだとは思う。

 

 だが、刀で水を斬るというのも似たようなものだ。普通なら刃を通しても、次の瞬間には元へ戻る。炎なら、そもそも斬ったという結果すら残らない。

 

 肉雫唼は、それらを斬れるようにする。

 

 自動的に斬ってくれるわけではない。ただ、剣を成立させるだけだ。

 

 そこから先は、俺の剣次第。

 

「肉雫唼」

 

 呼び掛けると、柄を通して僅かな霊圧の震えが返ってきた。

 

 言葉はない。

 

 昔からそうだ。刃禅で具象化した際も喋ったことがない。身振り手振りで意思を伝えてくる。

 

 それでも何百年も一緒にいる。俺が何をしようとしているのかくらい、分かっているだろう。

 

「やりますよ」

 

 誰に言うでもなく呟き、構える。

 

 だが、すぐには振らなかった。

 

 何を斬る。

 

 目の前には何も見えない。壁もなければ、標的もない。適当に刀を振ったところで、それは暗闇を斬っているだけだ。

 

 宗玄の剣を思い出す。

 

 どこを選んでも斬られる。

 

 新太の剣を思い出す。

 

 一太刀目から次の一太刀へ、すべてが途切れず繋がっていた。

 

 俺もずっと、相手を斬るために考えてきた。どこへ逃げるのか、どこで受けるのか、何を選ぶのか。その選択の先へ刃を置き、さらに次へ繋げる。

 

 だが、今は相手がいない。

 

 俺を閉じ込めているものは逃げないし、受けもしない。ただ、ここにある。

 

 なら、余計なことを考える必要はない。

 

 呼吸を吐き切り、足裏から力を拾う。腰を通し、肩へ繋げ、腕だけで振らない。昔、宗玄に何度も直された身体の使い方をそのまま刀へ通し、何もない暗闇へ一閃を放った。

 

 肉雫唼は何の抵抗もなく振り抜かれた。

 

「…………」

 

 違う。

 

 今のは、ただ刀を振っただけだ。

 

 見えていないものを、見えていないまま斬ろうとした。斬るべきものを捉えていないのだから、いくら正しく刀を振っても届くはずがない。

 

 再び目を閉じる。

 

 耳を澄ませても音はなく、霊圧を探っても外の気配は感じられない。だからこそ、自分の中にあるものだけが鮮明になっていった。

 

 呼吸。

 

 足の裏に掛かる重さ。

 

 柄を握る指。

 

 斬られた傷の痛み。

 

 肉雫唼へ流れていく霊力。

 

 一つずつ確かめていくうちに、暗闇の中で刀の輪郭が感覚として浮かび上がってきた。肉雫唼はここにあり、それを握る俺もここにいる。

 

 なら、この二つを閉じ込めているものも、ここにある。

 

 自分の内側と刀だけに意識を絞り、そこから外へ感覚を広げていく。

 

 どこまでも続いているように思えた暗闇が、僅かに違って感じられた。

 

 無限ではない。

 

 俺を包んでいる。

 

「…………そこか」

 

 見えたわけではない。

 

 だが、分かった。

 

 距離でも、場所でもない。俺と外を分けているものがある。

 

 それを斬る。

 

 構え直し、肉雫唼へ流した霊力を刃の先まで均一に通す。身体から余計な力を抜き、ただ斬るべき一点だけを意識する。

 

 強く振れば斬れるわけではない。

 

 速ければ届くわけでもない。

 

 必要なのは、そこへ刃を通すこと。

 

 何百年も続けてきたことと、何も変わらない。

 

 踏み込んだ。

 

 肉雫唼が暗闇を走り、何もないはずの場所へ刃が入る。

 

 そこで初めて、僅かな抵抗が手に返った。

 

「……っ」

 

 止まりかけた刀を腕力で押し込まず、踏み込んだ足から身体をさらに前へ送り、斬撃そのものを最後まで通す。

 

 細い音がした。

 

 暗闇に一本の白い線が浮かび、すぐに消える。

 

「…………」

 

 斬れた。

 

 ほんの僅かでも、確かに。

 

 口元が緩む。

 

「斬れる」

 

 一度捉えた境目を逃さず、肉雫唼へさらに霊力を通す。最初の一太刀で生まれた僅かな綻びへ二太刀目を重ねるのではなく、その線の先へ刃を運び、斬れた場所そのものを広げていく。

 

 一太刀。

 

 返す刃でもう一太刀。

 

 白い線が伸び、暗闇の奥から何かが軋む音が響いた。

 

 斬れると分かれば、難しくはない。

 

 どこへ刃を入れればいいのかも、どの角度なら抵抗が少ないのかも、一太刀ごとに分かってくる。肉雫唼が剣を成立させ、俺がそこへ刃を通す。その繰り返しで、閉じていた空間へ確実に傷が広がっていった。

 

 最後に大きく踏み込み、肉雫唼を振り抜く。

 

 白い線が一気に走った。

 

 暗闇が裂ける。

 

     ◇

 

 黒崎一護の放った最後の月牙天衝――無月は、藍染惣右介を呑み込み、その身体を大きく崩していた。

 

 その代償は、一護自身にも現れている。藍染を超えるために得た力は失われ始め、先ほどまで纏っていた圧倒的な霊圧も消えていく。

 

 それでも、藍染は消えていなかった。

 

 無月によって傷ついた肉体が、崩玉の力によって再び形を取り戻していく。

 

 一護は立ち上がろうとする藍染を見ていた。

 

 もう、先ほどまでの力はない。

 

 対して藍染は、まだ生きている。

 

 その事実が勝利を遠ざけようとした、その時だった。

 

 何もない空間に、細い線が走った。

 

「…………?」

 

 藍染の視線がそちらへ向く。

 

 最初は、空間に傷がついたようにしか見えなかった。だが、その線は止まらず、内側から刃を押し当てられているようにゆっくりと伸びていく。

 

 やがて、何もないはずの場所から軋む音が響いた。

 

 藍染の目が開かれる。

 

「まさか――」

 

 空間が斬り裂かれた。

 

 裂け目の奥に広がる暗闇から肉雫唼の刃が飛び出し、そのまま空間を押し開くように振り抜かれる。

 

 続いて、白い隊長羽織が現れた。

 

 卯ノ花烈が、斬り裂いた異空間から踏み出す。

 

「見つけましたよ――藍染惣右介」

 

 反膜の匪へ閉じ込め、戦場から完全に切り離したはずの卯ノ花烈が、自ら空間を斬って戻ってきた。

 

 驚愕が消えるより先に、卯ノ花は踏み込んだ。

 

 振り下ろされた肉雫唼を藍染が咄嗟に腕と融合した刀で受ける。だが、無月を受けた直後の身体は先ほどまでのようには動かず、二本の刃が噛み合った瞬間に藍染の刀が僅かに押し下げられた。

 

 卯ノ花はそこで押し切ろうとはしない。

 

 触れた刃を滑らせながら一歩深く入り、藍染が受ける位置を変えたところへ刀を返す。その選択によって空いた場所を、肉雫唼の刃が通り抜けた。

 

 血が散る。

 

 藍染が大きく退いた。

 

「あなたは空間を――斬れるというのか」

 

 自らの傷を見ることもなく、藍染は卯ノ花を見つめた。

 

「ええ、練習しました」

 

 卯ノ花は肉雫唼を構え直す。

 

 暗闇の中で吐き散らしていた言葉など欠片も表には出さず、いつもの穏やかな声音で答えた。

 

「お待たせしました」

 

「…………」

 

「続きをしましょうか」

 

 藍染の口元に、僅かな笑みが戻った。

 

 驚愕が消えたわけではない。それでも、予期していなかったものを目の前にした興味が、その表情には浮かんでいる。

 

「本当に――あなたは予想を越えてくる」

 

 藍染が刀を持ち上げる。

 

 卯ノ花も踏み込もうとした。

 

 だが、その直前、藍染の身体に異変が起きた。

 

「…………?」

 

 藍染の動きが止まる。

 

 その身に仕込まれていた鬼道が、弱まり始めていた藍染を捉えていく。

 

 卯ノ花は足を止めた。

 

 まだ戦える。

 

 もっとやれる。

 

 さっき閉じ込められた分まで斬り合いたい。

 

 そう思ってしまう自分を押さえながら、藍染の身体を拘束していく術を見る。

 

「浦原喜助……」

 

 少し離れた場所に、その男が立っていた。

 

 藍染が浦原へ視線を向ける。

 

 卯ノ花は二人のやり取りを聞きながら、肉雫唼を下ろした。

 

 藍染の身体を覆う封印は止まらない。

 

 崩玉によって得た力。死神を超え、虚を超え、そのさらに先へ進もうとした男の身体が、少しずつ封じられていく。

 

 黒崎一護も、その光景を見ていた。

 

 卯ノ花も見ている。

 

 藍染惣右介との戦いが、ようやく終わろうとしていた。

 

     ◇

 

 肉雫唼に目を落とす。

 

 異空間は斬れた。

 

 藍染にも、剣を届かせた。

 

 それでも胸の奥には、最後まであいつと斬り合えなかったことへの不満が残っている。

 

 封印されていく藍染を見ながら、俺は小さく息を吐いた。

 

 まあ、いい。

 

 死んだわけではない。

 

 生きているなら、いつかまた刀を向ける機会があるかもしれない。その時までにもっと強くなればいい。

 

 今度こそ、俺を閉じ込める暇も与えないくらいに。

 

 肉雫唼を鞘へ収める。

 

 戦いは終わった。

 

 なら、次にすることは決まっている。

 

 俺は藍染から視線を外し、最も近くにいる負傷者へ向かって歩き出した。

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