BLEACHの世界に転生した俺は、初代剣八になるらしい 作:まいちー
轟音とともに、身体が宙を舞った。
何が起きたのかは分かっている。
野晒を受けた。
肉雫唼で刃を捉え、横へ流そうとした。それだけだった。
後方へ身体が吹き飛んでいく。
空中で体勢を立て直そうとしたが間に合わず、背中から石床へ叩きつけられた。そのまま二度、三度と床を跳ね、砕けた石を巻き上げながらようやく止まる。
「…………」
すぐには起き上がれなかった。
仰向けのまま息を吐く。
肉雫唼を握った腕が痺れている。肩から背中にかけても衝撃が残り、息をするだけで鈍い痛みが走った。
受けた。
流そうともした。
それでも、これか。
ゆっくりと上体を起こす。
砕けた石床の向こうで、更木が野晒を肩に担いで立っている。
受け流そうとした角度から、僅かにずれた。
野晒の力を逃がせる角度から、ほんの少し外れただけ。それだけで受け切れなくなり、身体ごと持っていかれた。
「…………」
更木が笑っている。
偶然ではない。
俺がどう受ければ野晒を流せるのか、更木も分かっている。
だから、そこから外してきた。
俺は肉雫唼を支えに立ち上がる。
力任せに振るっているだけではない。
俺が受けきれない角度を、更木も探している。
俺は肉雫唼を構え直した。
更木は野晒を肩に担いだまま、動かない。
まるで、手に入れたばかりのものを見せびらかす子供のように、得意げな笑みを浮かべている。
なら、今度は俺から行く。
床を蹴った。
真っ直ぐ間合いを詰め、肉雫唼を振るう。更木が野晒で受けたところで刃を滑らせ、そのまま身体を横へ抜いた。
追って野晒が来る。
さっきとは違う角度だった。
肉雫唼を合わせる位置を変え、刃が触れる瞬間に身体を開く。野晒の重みが刀身を伝って抜け、巨大な刃が脇を通り過ぎた。
流せた。
そのまま肉雫唼を返す。
だが、更木もすでに動いていた。
半歩踏み込み、俺が返した刃の内側へ入ってくる。
肉雫唼が空を切った。
そこで互いに追わず、離れる。
更木が野晒を握り直す。
俺も構え直した。
一度見せたものは、もう通じない。
それは更木だけではない。
俺も同じだ。
更木が先に動いた。
迫る野晒へ肉雫唼を合わせ、重みが乗るのと同時に身体を開いて刃を流す。今度は吹き飛ばされることなく更木の脇へ抜け、その勢いのまま肉雫唼を返すと、刃が肩口を斬り裂いて血が散った。
それでも更木は止まらず、振り向きざまに野晒を返してくる。追撃まで繋げる余裕はなく、俺は迫る刃から離れるように床を蹴った。
距離が開き、互いに振り返る。
一度見せたものを、次には変える。それを繰り返すうちに、野晒を手にした更木の剣そのものが少しずつ変わり始めていた。
先に動いたのは更木だった。
踏み込みとともに野晒が横薙ぎに走る。肉雫唼を合わせて流したところへ、今度は更木がその勢いを殺さず身体ごと回り、返した刃を逆側から叩き込んできた。
肉雫唼を戻して受け流すには間に合わない。
俺は後ろへ退くのではなく、更木の懐へ踏み込んだ。野晒の刃が背後を通り過ぎるのを感じながら肉雫唼を引き、すれ違いざまに脇腹を斬る。
互いに数歩進んだところで足を止めた。
振り返ると、更木の脇腹から血が流れている。
それでも、その顔から笑みは消えていなかった。
野晒を得て変わっているのは、力だけではない。
大きくなった刃をどう振れば俺に届くのか、更木は斬り合いながら覚えている。
そして俺も、更木が変わるたびに次の剣を考えている。
振り向いた更木が、そのまま野晒を振るった。
肉雫唼を合わせて流し、返す。更木は上体を逸らして刃を躱すと、野晒を引き戻さず、柄を押し出すようにして次の斬撃へ繋げてきた。
俺も肉雫唼を戻さない。
流された位置から刃を繋ぎ、更木が新しく選んだ動きに合わせて軌道を変える。
野晒が迫る。
肉雫唼も届く。
互いの刃が交差した。
血が噴き出す。
更木の胸を、肉雫唼が深く斬り裂いていた。
◇
肉雫唼が胸を抜けた。
身体から力が抜けていく。
野晒を握っていたはずの手の感覚が消え、砕けた無間の床も、目の前にいたあんたの姿も遠ざかっていった。
暗くなる。
けど、不思議と嫌じゃなかった。
俺ァ、あんたに憧れた。
憧れたあんたの強さが。
憧れたあんたの剣が。
今もなお、俺を地に這わせる。
なんて楽しいんだ。
肉も、骨も、血も、それを形作る霊子の一つ一つから、今までとは比べものにならないほどの力が溢れている。
刀の声を聞いた。
今まで何も聞こえなかった刀の声を聞き、その名を知った。
野晒。
もし今、刀の名を知らなかった頃の俺自身が目の前に立ったなら、その戦いは一瞬で終わる。
そう確信できる。
なのに。
あんたは――あんたの剣は、まだ俺の先から降ってくる。
追いついたと思えば、またその先にいる。
あんたはどこまで――
一体、どこまで――
先にいるんだ。
いつの間にか、暗闇は消えていた。
背中に地面の感触がある。
俺は倒れているらしい。
その視界に、小さな顔が覗き込んできた。
桃色の髪。
一瞬、やちるかと思った。
けれど違う。
似ているが、別人だ。
それなのに、その少女を見た瞬間、ずっと前から知っていたような気がした。
「何してんの? 剣ちゃん」
少女が俺を覗き込みながら笑う。
「起きて、つづきやろ?」
「つづき、ほら」
その手が俺へ伸びた。
「剣ちゃんが、あたしをちゃんと使えば」
触れられた瞬間、何かが身体の奥へ流れ込んだ。
「剣ちゃんが斬れない奴なんていないんだから」
「……何だ? お前ェ今、何をした……?」
少女は呆れたように頬を膨らませる。
「ほら……! 剣ちゃんなんにも知らないんだから!」
そして、もう一度笑った。
「――その力の名前はね」
その言葉とともに、今まで知らなかった何かが身体の奥で形を持つ。
「卍解だよ」
◇
霊圧が爆発した。
無間を満たしていた空気が一瞬で押し潰され、砕けた石床が浮き上がる。直後、それらすべてが外へ弾け飛び、地面そのものが大きく震えた。
その中心に、更木がいる。
「…………」
姿が変わっていた。
肌は赤く染まり、額には角を思わせる異形が生じている。剥き出しになった歯の隙間から荒い息を漏らす姿に、先ほどまでの面影はほとんど残っていない。
これが――更木の卍解。
そう認識した時には、もう目の前にいた。
反射的に肉雫唼を構える。
更木が刀を振るった。
肉雫唼を合わせた瞬間、これまでとは比較にならない衝撃が両腕を突き抜けた。
受け流せない。
肉雫唼が弾かれ、続けて更木の刃が肩口から胸を深く斬り裂く。
血が噴き出すのと同時に、斬撃に乗った凄まじい衝撃が身体の奥まで突き抜けた。肋骨が砕け、内臓が潰れる感触が一度に押し寄せる。
身体が無間の奥へ撃ち出された。
背中から石柱へ激突し、その一本をへし折る。それでも勢いは止まらず、二本目、三本目と立て続けに突き抜けていく。
石柱を砕きながら飛ばされ、そのたびに身体の中で骨が折れ、肉が潰れていく。
口から血が溢れた。
これは、まずい。
致命傷だ。
それでも意識はある。
空中で肉雫唼を握り直し、自分の身体へ回道を流し込む。同時に刀身から溢れ出した粘体が腕を伝い、肩から胸、腹へと広がって全身にまとわりつく。
折れた骨を繋ぎ、潰れた臓器を戻す。裂けた肉を塞ぎながら、回道を止めない。
俺自身の回道と肉雫唼による治癒を、同時に全力で叩き込む。
身体が床へ激突し、石床が大きく陥没する。
その衝撃を受けながらも治療を続け、壊れた端から身体を繋ぎ直していく。
凄まじい。
笑いそうになった。
始解ですら、あれほどだった。
それが卍解になっただけで、ここまで変わるのか。
砕けた床の向こうから、更木が来る。
追撃。
まだ治りきっていない。
それでも起き上がろうとした、その時だった。
更木が刀を振り上げる。
――直後。
その腕が、内側から弾けた。
「…………!」
骨が砕け、肉が裂ける。
振り下ろされるはずだった刀が止まり、更木の身体が大きく傾いた。
俺はその姿を見つめる。
卍解の力に、更木自身の身体が耐えられていない。
あれほどの力だ。
当然と言えば、当然なのかもしれない。
けれど。
俺の口元に、自然と笑みが浮かんだ。
「仕方がないですね」
永遠に戦いを愉しむ為、自らを癒す術を身につけた。
斬られても治せば、また戦える。
ただそれだけのために始めたことだった。
だけど。
私は今、確信しています。
私の手にしたこの力は――
――あなたを癒す為にもあったのだと。
肉雫唼を握り直す。
そして、静かにその名を呼んだ。
「卍解――」
刀身が溶ける。
「皆尽」
赤い液体が足元へ落ちた。
一滴が石床に触れた瞬間、そこから血のような赤が一気に広がっていく。
砕けた床を呑み込み、折れた石柱の残骸を浸し、無間の奥へ、さらに奥へ。
やがて視界を埋め尽くすほどの赤が、大地をを覆った。
赤い血が、更木の砕けた腕へ絡みついた。
裂けた肉の隙間へ入り込み、砕けた骨を包みながら、千切れかけていた腕を繋いでいく。
それでも、更木は止まらなかった。
治りきるのを待つことさえなく、刀を握ったまま大地を蹴る。皆尽の赤を蹴散らして迫る異形へ構えた瞬間、振り下ろされた刃とぶつかった。
重い。
だが、先ほどとは違う。
皆尽の赤い血染めの刀身を、更木の刃に添わせ、力の向きを僅かにずらす。足元が大きく抉れたものの、今度は吹き飛ばされることなく、その一撃を横へ流すことができた。
更木の卍解――その力の一部を皆尽が喰らっている。
更木の身体すら破壊する、行き過ぎた力だけを。
卍解そのものを消したわけでも、封じたわけでもない。更木が今の身体で扱えるところまで、その力を押し戻している。
刀を流された更木が、勢いのまま身体を捻った。
俺も皆尽を返す。
更木の胸を斬り裂いた刃が抜けるより早く、返された刀が俺の脇腹へ食い込んだ。互いの血が飛び、足元を覆う赤へ落ちていく。
傷口へ皆尽が這い上がった。
俺の傷にも、更木の傷にも。
傷を癒す相手は、俺が選べる。
けれど、理を崩すほどの力を相殺するかどうか、それを決めるのは皆尽だ。
随分と気まぐれな斬魄刀だと思う。
何を許し、何を許さないのか。俺が命じたところで、そのすべてを思い通りにできるわけではない。
それでも、何も問題はなかった。
皆尽が何を喰らうのか。
その判断に間違いはない。
少なくとも、俺にとっては。
ならば好きにすればいい。
代わりに俺は、こいつが満足するものを見せてやる。
血沸き、肉躍る戦いを。
◇
赤い。
視界の端から端まで、何もかもが赤く滲んでいた。
何が起きているのかは分からねえ。腕が壊れたはずなのに動く。さっきまで身体を引き裂いていた力も、今は何かに押さえ込まれているような感覚がある。
そんなことは、どうでもよかった。
目の前に、あんたがいる。
なら、斬る。
刀を振り下ろせば、あんたの刀が触れて軌道を外す。そのまま横へ振れば身体を沈めて躱され、代わりに俺の肩から血が噴き出した。
斬られた。
もう一度踏み込む。
今度こそ斬ったと思ったのに、浅い。刃が肉を裂いた時には、あんたの刀も俺の腹を抜けていた。
また斬られた。
なのに、身体が止まらねえ。
もっと斬りたい。もっとあんたの剣を受けたい。次はどこから来るのか、それを考えるより先に身体が動き、刀を振るうたびにあんたは違う剣を返してくる。
楽しい。
楽しいなあ。
何度斬っても届かねえ。何度斬られても、まだ終わらねえ。
ああ、好きだ。
俺は戦いが好きだ。
あんたはどうだ?
声に出したわけじゃねえ。
今の俺がそんなことを喋れるのかどうかも分からねえ。ただ目の前のあんたを斬ることしか頭にねえはずなのに、その問いだけがどこかに残っていた。
刀を振るう。
あんたが受ける。
俺が追う。
あんたの刃が返ってくる。
その剣から、答えが伝わってきた。
◇
更木の刀を流し、空いた脇へ皆尽を走らせる。
更木は斬られながら前へ出てきた。
言葉など一つもない。
今の更木に、まともな思考が残っているのかすら分からない。
それでも、不思議なくらい伝わってくる。
楽しいのだ。
斬ることが。
斬られることが。
強い相手と、どちらかが倒れるまで斬り合うことそのものが。
――私も好きですよ。
口には出さない。
ただ、皆尽を握る手に力を込め、その問いへ剣で答える。
もっとも、同じではない。
俺は戦いだけではなく、剣そのものが好きだ。
昨日より今日。
今日より、その先へ。
自分の剣がどこまで届くのか。まだ見たことのない場所へ、どこまで進めるのか。
宗玄に立つことすら駄目だと言われた頃から、ずっとそれを追い続けてきた。
新太との最後の斬り合いで、一太刀の中にどこまでも続いていく剣を見た。それからも数え切れないほど刀を振り、斬られれば治し、また刀を振った。
それでも、まだ頂は見えない。
なら、進めばいい。
一人で刀を振るのも楽しい。
けれど今、目の前には一緒に刀を振ってくれる、格好の相手がいる。
更木の刀が迫り、皆尽を合わせる。刃を流した瞬間、更木はそれまでより深く踏み込み、外された場所から無理やり刀を返してきた。
頬の横を刃が抜ける。
速くなっている。
皆尽に抑えられた今の力へ、更木の身体が馴染み始めていた。
なら、もう少し先へ行ける。
皆尽へ意識を向ける。
更木に纏わりついていた赤が、僅かに揺れた。
次の一撃で、足元の大地が砕けた。
皆尽を合わせた腕へ先ほどまでとは違う重さが掛かり、流したはずの刃が肩を浅く裂いていく。
抑えていた力を、少しだけ戻した。
更木の身体がその力に耐え、さらに踏み込んでくる。
俺も前へ出た。
まるで、戦い始めた時の焼き直しだ。
けれど、違う。
あの時は、更木が自らに掛けていた枷を外していた。失っていたものを一つずつ取り戻し、本来の強さへ戻していた。
今は、その先だ。
更木はもう、かつての自分へ戻っているのではない。
今まで一度も立ったことのない場所へ、自分の力を押し上げている。
そして、それは更木だけではなかった。
少し前まで通じていた剣が通じなくなれば、俺も変える。流す角度を変え、足を置く場所を変え、更木が選ぶ先を読み、そのさらに先へ皆尽を置く。
更木がそれを越える。
なら、俺もまた越える。
更木が強くなるから、俺はさらに先へ進める。俺が先へ進めば、更木はもっと強い相手と斬り合える。
その更木が、また俺を押し上げる。
どこまで行っても、次がある。
更木の刃が皆尽を押し込み、受けた腕ごと俺の身体を沈ませた。
強くなっている。
皆尽が戻した力に身体が追いつくたび、更木の一撃は重くなる。けれど、そのたびに俺も同じ場所にはいない。
押し込まれた皆尽を僅かに傾け、更木の力が抜ける先を作る。刃が逸れたところへ踏み込み、胴を斬る。
更木の血が散った。
それでも止まらず、返された刀が俺の肩を深く抉る。
痛みより先に、笑みが浮かんだ。
まだ上がる。
なら、もう少し。
更木を覆う赤が、再び揺れる。
抑えていた力をさらに緩めた。
次の瞬間、更木の霊圧が膨れ上がり、踏み込んだ足元から大地が弾け飛ぶ。振り下ろされた一撃を皆尽で流そうとした瞬間、これまでよりも深く刃が食い込み、俺の身体が横へ吹き飛ばされた。
石床を転がりながら体勢を戻すと同時に、皆尽がまとわりつき千切れかけた俺の身体を治す。
その向こうで、更木の身体が傾いた。
腕ではない。
今度は踏み込んだ右脚が、膝の下から大きく裂けている。
まだ早かったか。
赤が傷口へ集まり、裂けた肉と砕けた骨を包んでいく。
治せばいい。
そして、もう一度だ。
今の力に身体が追いつくまで斬り合い、追いついたなら、その先を渡す。
更木は強くなる。
俺も強くなる。
それを繰り返す。
◇
更木の傷を包んでいた赤がほどけた。
右脚が大地を踏む。
今度は、壊れない。
踏み込みと同時に刀が横薙ぎに迫り、俺は半歩だけ退いて切っ先を通した。だが、更木はそのまま追ってくる。たった一歩で空いたはずの距離を詰め、返した刀を斜めに振り下ろしてきた。
皆尽を合わせると、激突した刃から凄まじい力が伝わり、両足が石床へ沈んだ。
皆尽が抑えている力は変わっていない。
それでも、先ほどより重い。
更木自身が、今ある力に馴染み始めている。力任せに振るうだけだった刀が、少しずつ身体と噛み合ってきていた。
なら、俺も同じ場所にはいられない。
押し込まれていた皆尽を弾き上げ、更木の刀が浮いたところで空いた胴へ斬り込む。更木は避けず、皆尽に脇腹を裂かれながら俺の肩へ刀を振り下ろしてきた。
身体を捻って直撃を外したものの、刃が肩口を掠めて血が散る。更木は自分の脇腹から流れる血など気にも留めず、既に次の一撃へ刀を振り上げていた。
俺も皆尽を構え直し、今度は正面から受ける。
激突した刃を流さず、そのまま押す。更木も押し返し、互いの刃が軋むほどの力に足元の赤が波打った。
その力を受けながら、皆尽へ意識を向ける。
もう一段。
抑えていた力を解くと、更木の霊圧が一気に膨れ上がった。押し合っていた刃から伝わる力が跳ね上がり、俺の腕が押し戻される。
それでも、更木の腕は裂けず、踏み締めた脚も壊れない。
耐えている。
更木の身体が、また一つ卍解へ追いついた。
まだ、皆尽は力を抑えている。
ならば、次だ。
さらに抑えを緩めると、更木の霊圧が無間を押し潰すように膨れ上がった。更木は雄叫びを上げて踏み込み、振り下ろされた刀が皆尽とぶつかる。受け止めた瞬間、衝撃が腕から全身へ抜け、足元の石床が大きく陥没した。
今度は押し返せない。
皆尽を傾けて力を逃がそうとするが、更木はその動きに合わせて刀の向きを変えてくる。完全に流しきれず、刃が肩から胸へ走った。
血が噴き出す。
それでも俺は退かず、皆尽を振るった。
更木も退かない。
互いの血が足元の赤へ落ちる中、次の刃がぶつかる。
ぶつかるたび、更木の刀は重くなっていく。
皆尽が抑えている力を少しずつ解き、その力に身体が馴染むまで斬り合う。傷つけば赤が這い上がって塞ぎ、立てるのなら、そのまま続ける。
何度目かの激突で、更木の刀が皆尽を大きく弾いた。
がら空きになった胸へ刃が迫る。身体を沈めて躱しながら皆尽を返すと、更木も頭を傾け、首を狙った一閃を避けた。
その動きに、思わず口元が緩む。
避けた。
ただ避けたわけじゃない。斬りこむ動きと一つに繋がっていた。
理性が戻ったわけではない。赤く染まった姿も、喉から漏れる獣じみた声も変わっていない。
それでも、ただ力を振り回していた最初とは明らかに違う。
更木が、自分の卍解を使い始めている。
なら。
もう一段、いける。
皆尽が喰らっていた力を、さらに解放する。
膨れ上がった霊圧に足元の赤が押し退けられ、更木の身体から血が噴き出した。
だが、骨は砕けない。
腕も脚も弾けない。
更木はその力を身体に留めたまま、俺へ向かって刀を振り上げた。
◇
俺は剣の道の果てに辿り着く、答えを知っていた。
一つの時代に剣八は一人。
それは決まりであり、逃れようのない宿命でもある。
強き者が次なる強き者を見つけた時、その剣はもはや己一人のためだけには振るえない。
次なる強き者を殺すか。
あるいは、育てるか。
かつての卯ノ花烈は、後者を選んだ。
何度も更木を斬り、死の淵から引き戻し、その度に更木が自らに掛けていた枷を外していく。そして更木が自分を超えた時、自らの役目を終える。
俺の知っていた物語の殆どは記憶に残っていない。
けれど、その結末だけは覚えていた。
そして今、目の前で更木がまた立ち上がるのを見ていると、その二つだけが答えだとは思えなかった。
殺す必要なんてない。
育て終える必要もない。
どちらか一人が、その場所を譲る必要だってない。
俺が更木を強くする。
強くなった更木が、俺をさらに強くする。
その俺と斬り合えば、更木はまた先へ行ける。
終わらない。
どちらかが死ぬまででも、どちらかが役目を終えるまででもない。
殺すでもない。
育てるでもない。
互いに、強くなればいい。
◇
振り上げられた刀が落ちてくる。
皆尽を合わせた瞬間、これまでとは比べものにならない力が刃を通して身体へ叩き込まれた。腕が沈み、膝が僅かに折れる。それでも皆尽を逸らさず、正面から押し返す。
更木の腕は壊れない。
踏み込んだ脚も、今度は耐えている。
なら、まだ先へ行ける。
皆尽が喰らっている力へ意識を向けた。
あと少し。
ここまで来れば、残っているものはもう多くない。
それを解けば、更木の卍解を抑えるものはなくなる。
皆尽越しに、更木を見る。
赤く染まった顔が、笑っていた。
俺も皆尽を握り直す。
次だ。
今の更木が、自分の卍解をどこまで受け止められるのか。
皆尽が喰らっている、最後の力へ意識を向ける。
もう、抑えない。
残っていた力を、すべて解放した。
瞬間、更木の霊圧が膨れ上がる。
足元を満たす赤が大きく波打ち、無間そのものが軋むような轟音が響いた。
それでも、更木の身体は壊れない。
腕も、脚も、膨れ上がった力をその内に留めている。
皆尽は、もう何も喰らっていない。
これが、更木の卍解のすべてだ。
皆尽越しに、更木を見る。
赤く染まった姿は変わらない。
けれど、その目は違った。
力に呑まれ、濁っていた瞳が、今は真っ直ぐに俺を捉えている。
更木が床を蹴った。
迎えるように俺も踏み込み、振り下ろされる刀へ皆尽を合わせる。刃が噛み合った瞬間に身体を横へずらし、力の向きを外しながら更木の腕へ斬り返すと、更木は刀を引き戻して皆尽を弾いた。
そのまま二度、三度と刃が交わる。
その度に凄まじい衝撃が刃の間から弾け、足元の赤を割って無間の奥へ走っていく。
俺に、更木と同じ膂力があるわけではない。
まともに力だけをぶつければ、押し潰される。
だから、斬る。
こんなことは、今までの俺にはできなかった。
皆尽に更木の力を喰わせ、少しずつそれを解放しながら斬り合う。その繰り返しの中で、俺もまた更木の力を見続けていた。
どこから力が生まれ、どう身体を通り、どう刀へ伝わるのか。
抑えた力を一つ戻すたび、その流れが変わる。何度も受け、逸らし、斬り返すうちに、ようやく見えるようになった。
振り下ろされる刀には、更木の全身から生まれた力が流れている。踏み込んだ脚から腰へ、肩から腕へ、そして刀へ。そのすべてが一つに繋がり、俺へ向かってくる。
その流れの中にある、たった一点。
最も力が集まり、刃へ伝わる場所を皆尽で斬り裂く。
更木の力そのものを受け止めるのではない。
俺へ届く前に、その流れを斬る。
だから打ち合える。
力では到底敵わないこの男と、剣ならば斬り合える。
更木の刀が、もう一度振り下ろされる。
見える。
皆尽をその一点へ走らせると、刃が触れた瞬間、更木の刀に乗っていた力が僅かに崩れた。消えたわけではない。流れを断たれた力が行き場を失い、衝撃となって左右へ弾け飛ぶ。
無間の壁が遠くで砕けた。
それでも更木は止まらない。崩された刀を力任せに引き戻し、次の一撃へ繋げてくる。
俺も止まらない。
一度できたからといって、同じ場所を斬ればいいわけではない。踏み込みが変われば、腰の入り方も、腕へ伝わる力も変わる。その度に流れを見て、次の一点を探す。
更木の力が増すほど、見極めなければならない時間は短くなる。
少しでも外せば、今の俺では受けきれない。
だから面白い。
皆尽を握り直し、更木の次の一太刀を見る。
まだだ。
この剣も、もっと先へ行ける。
更木が踏み込む。
振り下ろされた刀の流れを見て、皆尽を走らせる。狙った一点で刃が触れ、弾けた衝撃が死覇装を激しく揺らした。
斬れた。
だが、更木はそこで刀を止めなかった。
流れを断たれたまま腕を振り抜き、崩れた力をそのまま次の動きへ持ち込んでくる。皆尽を返すより先に、更木の刀が横から迫った。
皆尽の柄を引き、迫る刃の下へ滑り込ませる。噛み合った刃をそのまま斜め上へ押し上げると、更木の刀が俺の肩口を掠めるように抜けていった。
俺が変われば、更木も変わる。
力の流れを斬られるのなら、斬られた後からまた力を繋げればいい。
そんな理屈で考えているわけではないだろう。
ただ俺を斬るために、身体が勝手に答えを出している。
思わず笑みが深くなる。
それでいい。
俺の剣に慣れてくれ。
そうすれば、俺はまたその先を斬れる。
更木の刀が、また変わった。
先ほどまでのように、一撃へ全てを乗せてこない。皆尽が力の流れを捉えきるより先に刀を返し、次の一撃へ繋げてくる。
それで十分に、一撃で俺を殺せるのだから、それは最適解の一つだ。
俺が一点を斬るために流れを見ることまで、更木は身体で覚え始めている。
なら、一つの流れだけを追う必要もない。
更木の力は、一度断ったところで消えるわけではない。途切れた先から別の動きへ繋がり、再び刀へ集まってくる。
ならば、それも剣の中に入れる。
一点を斬って終わるのではなく、断った力が次にどこへ繋がるのかまで見る。
振り下ろされた刃へ皆尽を走らせる。力の流れを断つと、更木は止まらず、崩れた刀を横へ返した。
そこにも、もう一つの流れが生まれている。
皆尽を返す。
再び一点を斬る。
更木の刀が弾かれ、二つの衝撃が続けざまに無間の奥へ走った。
互いの刃を挟んで、目が合った。
ほんの一瞬だった。
次の瞬間には、どちらからともなく刀を引いていた。
まだ足りない。
もっと強くなれる。
俺も。
更木も。
◇
見える。
皆尽の切っ先が。
あんたの指が柄を握る、その僅かな動きまで。
足元には変わらず赤い血が広がり、無間も、あんたも、俺自身も赤く染まっている。
けど、もう滲んじゃいねえ。
さっきまで、斬ることしか頭になかった。がむしゃらに身体の中で暴れる力に任せて刀を振って、それでも楽しくて仕方なかった。
今は違う。
あんたが見える。
あんたの剣が見える。
身体の中には、さっきまで抑え込まれていた力が、余すことなく満ちている。
それなのに、もう身体は壊れねえ。
腕を動かせば刀が動く。踏み込めば、身体の中にある力がそのまま刃へ乗る。
やっと、全部使える。
そう分かった途端、笑いが漏れた。
目の前には、あんたがいる。
こうしてあんたと向かい合っていると、嫌でも思い出す。
初めて斬り合った、あの時のことを。
俺が斬れば受けて、外して、斬り返してきた。
何度踏み込んでも、何度刀を振っても、あんたに傷をつけることができなかった。
あの時、初めてだった。
俺がどれだけ斬りかかっても、斬り合いを続けられる奴がいた。
もっと斬れる。
もっと斬り合える。
それが嬉しくて仕方なかった。
なのに、あの戦いは終わった。
俺が、終わらせてしまった。
あァ、あんたが死んでしまうと。
俺が最後に一度だけ、つけてしまった傷が、あんたを殺してしまうと。
そう、思っちまったんだ。
ずっと昔のことだ。
けど、今は違う。
目の前には、あの時よりずっと強くなったあんたがいる。
俺も、あの時より強くなった。
それでもまだ足りねえ。
あんたの剣は、俺が斬るたびに変わる。
そのあんたを斬ろうとすれば、俺の剣もまた変わっていく。
終わらねえ。
どこまで行っても、まだ先がある。
皆尽の切っ先が僅かに動いた。
来る。
胸の奥が熱くなる。
もっと斬りてえ。
もっと見てえ。
まだ知らねえあんたの剣も、その先で俺がどんな剣を振るうのかも。
あんたとなら、まだ行ける。
胸の奥から、どうしようもなく何かが込み上げてくる。
笑いてえのか。
斬りてえのか。
それとも――
ああ。
好きだ。
好きなんだ。
血の海の上で、互いに身を削り、刃を交わし、肉を斬られ、斬りあう中で、胸の奥から、どうしようもない歓喜が込み上げてくる。
皆尽が動いた。
俺も床を蹴る。
一瞬で距離が消え、赤い刃が迫る。
皆尽が俺の刀へ触れる寸前、僅かに角度を変えた。
分かる。
俺の力を斬るつもりだ。
なら、その剣ごと押し切る。
刀へ力を乗せた瞬間、皆尽もまた動きを変えた。
あんたの目が細くなる。
まただ。
また俺の剣を見て、先へ行きやがった。
笑いが込み上げる。
俺も刀を振り切る。
――ずっと一緒に斬り合おう。
――ずっと一緒にいよう。
――あんたは。
世界でただ一人、俺を悦ばせる女なんだ。
皆尽と俺の刀が激突した。
凄まじい衝撃が二人の間から弾け、足元の赤を吹き飛ばす。
砕けた石が舞い上がり、轟音が無間の奥まで駆け抜ける。
それでも、どちらの刃も止まらなかった。
◇
瀞霊廷では、次の侵攻に備えた準備が続いていた。
その最中、いつからか地面が断続的に揺れていた。
最初のうちは、足元に僅かな振動を感じる程度だった。しばらくすると収まり、忘れた頃にまた揺れる。それが何度も繰り返されていた。
各隊の隊士たちも初めのうちは気に留めていなかったが、繰り返すたびに振動は少しずつ大きくなっている。滅却師の仕業かと疑う者もいるが、地面が揺れる以上のことは起こらない。
そして、再び足元が揺れた。
「……またか?」
今度の揺れは、これまでより明らかに大きかった。
周囲を行き交っていた隊士たちも足を止める。
建物が軋み、屋根瓦が音を立てる。壁に細かな亀裂が走り、積まれていた資材が崩れ落ちた。
「お、おい……!」
揺れは収まらない。
むしろ、次第に大きくなっていく。
地の底から何かが何度も叩きつけられているような、鈍い衝撃が続いていた。
そして――。
轟音が響いた。
石畳が大きく割れ、その周囲にあった建物の一部が崩れ落ちる。
「離れろ!」
怒声とともに隊士たちが飛び退いた。
大量の瓦礫が落下し、巻き上がった土煙が辺りを覆い尽くす。
誰もが、崩落した場所を見ていた。
その土煙の中から。
一つの影が、ゆっくりと現れた。
更木剣八だった。
「……更木隊長?」
誰かがその名を呼んだが、更木は答えず、崩れた石を踏み越えながら歩いてくる。
やがて土煙が薄れ、その姿がはっきりと見えたところで、周囲の隊士たちが揃って動きを止めた。
更木は一人ではなかった。
その両腕に、一人の女を抱えている。
卯ノ花烈だった。
「…………え?」
誰かが間の抜けた声を漏らしたきり、辺りが妙に静かになる。
二人とも死覇装は酷く乱れていた。卯ノ花の衣服もあちこちが裂けて形を崩しているが、肌が露わになるようなところは隠れている。
普段はきっちりと結われている髪もすっかり乱れ、ほどけた黒髪が頬や首筋へかかっていた。いつもの隙のない佇まいが崩れたことで、普段の卯ノ花からは想像もつかないような艶っぽさが滲んでいる。
対して更木は、上半身を覆っていた死覇装がほとんど残っておらず、ほぼ半裸に近い姿になっていた。
そんな更木の胸元へ、卯ノ花は顔を寄せ、その腕の中へすっかり身体を預けている。ひどく疲れているようなのに、その口元には微かな笑みが残っていた。
いつもの穏やかな笑顔とは違う。
長い間求めていたものをようやく手に入れたような、これ以上ないほど満たされた表情だった。
死覇装には血が付いている。
隊士たちは互いに顔を見合わせた。
何があったのかは誰も知らない。
だからこそ、目の前にあるものだけで考えるしかなかった。
「……何があったんだ?」
「知らねえよ。俺に聞くな」
「……もしかして、さっきの揺れって……」
「…………」
「いや、だとしたら激しすぎ……」
「おい、やめろ」
「まだ何も言ってねえだろ」
「何を言おうとしてるか分かるんだよ」
隊士たちの視線が、更木の腕の中にいる卯ノ花へ向かう。
乱れた黒髪を頬にかけたまま、疲れ切って身体を預け、普段は見たこともないほど満ち足りた表情を浮かべている。その死覇装には血まで付いていた。
「……まさか卯ノ花隊長って」
「だからやめろって」
「でも、あれ……」
「見るな!」
「いや、もし初めてだったんなら――」
「お前、本当に殺されるぞ!」
妙に声を潜めた会話が耳に入ってきて、俺は重い瞼を少しだけ開いた。
何の話だろう。
傷は既に治してあるが、失った体力まで回道で元通りになるわけではない。長く斬り合い続けた身体には疲労が残っていて、自分で歩くより更木に運ばせた方が楽だった。
ただそれだけなのだが、周囲の隊士たちはなぜかこちらを見ては慌てて目を逸らしている。
「何だァ、てめえら。さっきからジロジロ見やがって」
更木が苛立った声を向けると、それまでこちらを窺っていた隊士たちが一斉に視線を逸らした。
「何でもありません!」
「だったら見るんじゃねえ」
更木はそれだけ言って再び歩き出す。
俺も特に気にする必要はないかと思い、更木の胸元へ顔を戻した。その途端、背後で息を呑むような音が重なった気がしたが、振り返って確かめるほどのことでもない。
それより、今はもっと大事なことがある。
「剣八」
「あァ?」
見上げると、更木もこちらへ視線を落とした。
「また、やりましょうね」
一瞬の間を置いて、更木の口元が大きく吊り上がった。
「当たり前だ。まだ全然やり足りねえ」
「ふふ。私もです」
その瞬間、後ろから聞こえていた囁き声が綺麗に消えた。
不思議に思って視線だけを向けると、先ほどまで話していた隊士たちが揃って固まっている。中には顔を引き攣らせている者までいた。
「……また、やるって」
「聞こえてる。黙れ」
「やり足りないって……」
「黙れって言ってるだろ」
「卯ノ花隊長も『私も』って……」
「もう何も言うな!」
どうやら、まだ先ほどの話を続けているらしい。
結局、何の話をしているのかは分からなかった。
もっとも、今はそれを考える気にもならない。再び更木へ身体を預けて目を閉じると、長い斬り合いの余韻がまだ身体の奥に残っていた。
出せるものをすべて出して斬り合い、それでも更木はその先へ来た。俺もまた、更木の剣を受けることで今まで知らなかった剣へ辿り着いた。
そして、これで終わりではない。
更木が強くなれば、その更木と斬り合う俺も先へ進める。俺がさらに先に進めば、更木もまた俺を追ってさらに強くなることができる。
どちらかが死ぬ必要なんてない。
どちらかが役目を終える必要もない。
ただ互いに強くなり、その度にまた斬り合えばいい。
そう考えるだけで、自然と口元が緩んだ。
剣の頂は、まだ見えない。