卯ノ花烈は転生者   作:まいちー

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第五章 人を相手にする

「では、始める」

 

宗玄の声に、俺は木の棒を握り直した。

 

目の前には新太がいる。昨日までは隣に立ち、同じ方向を向いて棒を振っていた相手だが、今日は向かい合っている。

 

それだけなのに、新太の持っている棒が昨日までとはまったく別のものに見えた。

 

「そんな緊張すんなよ」

 

「しているように見えますか?」

 

「見える」

 

「…………」

 

なら、しているのだろう。

 

自分でも、手に少し力が入っているのが分かる。

 

「握り過ぎだ」

 

「はい」

 

力を抜く。

 

「肩」

 

「はい」

 

少し落とす。

 

いつも通り立って、構える。それだけなのに、目の前に人がいるだけで身体が言うことを聞かない。

 

「新太」

 

「はい」

 

「右から打て」

 

「はい」

 

「清子は避けろ」

 

「承知いたしました」

 

「余計なことはするな」

 

「はい」

 

「始めろ」

 

新太が構える。

 

「行くぞ」

 

「はい」

 

一歩。

 

棒が来る。

 

「…………!」

 

右から来ると分かっているのに、速い。

 

慌てて身体を引くと、棒が目の前を通り過ぎた。

 

「下がり過ぎだ」

 

「……はい」

 

見ると、三歩も下がっている。

 

「一歩」

 

「はい」

 

もう一度。

 

今度は一歩で避ける。

 

「遅い」

 

「はい」

 

さらに繰り返す。

 

「腰」

 

「はい」

 

直して、また構える。

 

次の一撃が来た。

 

棒が顔の近くを通った瞬間、身体が勝手に固まる。

 

怖い。

 

新太が俺を傷つけるつもりではないことも、どこから来るのかも分かっている。

 

それでも身体が反応する。

 

あの日とは違うと頭では分かっているのに、身体は覚えているらしい。

 

「止めるか?」

 

「いいえ」

 

即答した。

 

「続けてください」

 

宗玄は少し俺を見る。

 

「新太」

 

「はい」

 

「続けろ」

 

「おう」

 

 

何度か繰り返すうちに、少しずつ見えるものが変わってきた。

 

新太の右肩が動き、足が出る。

 

そのあとに棒が来る。

 

「…………」

 

棒が突然飛んでくるわけではない。

 

その前に、新太自身が動いている。

 

「もう一度お願いします」

 

「お、おう」

 

今度は棒だけではなく、新太を見る。

 

「行くぞ」

 

「はい」

 

新太が動く。

 

一歩外れる。

 

――ヒュッ。

 

避けられた。

 

新太の速さも、俺の速さも変わっていない。

 

ただ、来る瞬間が少し分かる。

 

それだけで、まるで違った。

 

「…………ふふ」

 

「何で笑ってんだよ」

 

「楽しくなってきました」

 

「俺はちょっと嫌なんだけど」

 

「なぜでしょう」

 

「さっきから避け方が気持ち悪い」

 

「下手ということでしょうか」

 

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 

「新太」

 

宗玄の声が飛ぶ。

 

「何?」

 

――ごん。

 

「痛っ!」

 

「返事」

 

「……はい」

 

「声」

 

「はい!」

 

「…………」

 

なるほど。

 

俺も何度も前を見ろと注意されているが、まだ叩かれてはいない。

 

余計なことを言わなければいいらしい。

 

大変勉強になる。

 

「清子」

 

「はい」

 

「前」

 

「……はい」

 

危ない。

 

それでも、まだ叩かれてはいない。

 

今のところは俺の方が少しだけ賢い。

 

「今、何か失礼なこと考えてない?」

 

「いいえ」

 

「絶対考えてただろ」

 

「新太」

 

「はい!」

 

非常にいい返事だった。

 

 

「次。受けろ」

 

「はい」

 

今度は新太の棒を、自分の棒で受ける。

 

――カンッ!

 

「っ!」

 

手が痺れ、棒を大きく横へ流された。

 

「力むな」

 

「はい」

 

もう一度。

 

――カンッ!

 

また流される。

 

「違う」

 

さらに続ける。

 

「違う」

 

「…………」

 

最近少し減っていたのに、また「違う」が増えた。

 

「何笑ってんだ?」

 

「振り出しに戻った気分です」

 

「楽しそうだな」

 

「楽しいですよ」

 

「…………」

 

「新太」

 

「はい!」

 

立派な返事だと思った。

 

 

次は俺が打ち、新太が避ける。

 

当然のように何度振っても避けられた。

 

それでも、少し悔しい。

 

さっき自分が避けたときのことを思い出しながら、新太を見る。

 

棒だけではなく、肩や足、腰。

 

どこか一つではなく、新太全体を見る。

 

何度か繰り返すうちに、避ける直前、身体がほんの少し動くことに気づいた。

 

次に新太が動いた瞬間、その方向が分かった。

 

なら、少しだけ軌道を――。

 

「清子」

 

止まる。

 

「勝手なことをするな」

 

「……はい」

 

危ない。

 

決められた場所からずらそうとしていた。

 

「今日は覚えろ」

 

「はい」

 

当てようとしていた。

 

無意識に。

 

避けられるのが悔しかったから。

 

 

稽古が終わるころには、腕も足も重くなっていた。

 

それでも、一人で棒を振っていたときとはまるで違う。

 

相手が動き、避け、打ってくる。同じように見える動きでも、一回ごとに少し違う。

 

「…………ふふ」

 

「まだ笑ってんの?」

 

「はい」

 

「何がそんな楽しいんだよ」

 

「面白かったので」

 

「俺は疲れた」

 

「明日もよろしくお願いいたします」

 

「もう決定なの?」

 

俺は宗玄を見る。

 

「師匠」

 

「明日もやる」

 

新太がため息をついた。

 

帰り際、新太が俺を見る。

 

「でも清子。途中から変だったぞ」

 

「何がでしょう」

 

「最初、全然避けられなかったのに、途中から俺が振る前に動いてなかった?」

 

「新太が動くのを見ていただけですよ」

 

「だから、それが――」

 

「新太」

 

宗玄が遮った。

 

「帰れ」

 

「はいはい」

 

「返事」

 

「はい!」

 

完全に学習している。

 

 

翌日。

 

宗玄は俺と新太へ一本ずつ棒を放った。

 

「新太。清子とやれ」

 

「昨日と同じ?」

 

「違う」

 

宗玄が俺を見る。

 

「避けろ。受けろ。打て」

 

「はい」

 

「好きにやれ」

 

「…………好きに?」

 

「ああ」

 

昨日は勝手なことをするなと言われたばかりなのだが。

 

ただ、一つだけ確認したい。

 

「新太に当ててもよろしいのでしょうか」

 

「当てろ」

 

「…………!」

 

思わず顔が綻んだ。

 

「何で嬉しそうなんだよ」

 

「そう見えますか?」

 

「見える」

 

困った。

 

外面にはそれなりに自信があったのだが。

 

「よろしくお願いいたします、新太」

 

「お、おう」

 

どこを打ってもいい。

 

どう避けても、受けてもいい。

 

そして、当ててもいい。

 

「…………ふふ」

 

「だから何で笑うんだよ」

 

「楽しみですので」

 

「俺はちょっと嫌になってきた」

 

「?」

 

失礼な新太だ。

 

「構えろ」

 

俺たちは同時に構える。

 

「始め」

 

新太が先に動いた。

 

右。

 

そう思って左へ動く。

 

――カンッ!

 

「痛っ」

 

棒が肩に当たる。

 

「何で?」

 

「昨日と同じじゃねえから」

 

「…………」

 

なるほど。

 

昨日は右から来ると決まっていた。

 

今日は違う。

 

「もう一度」

 

「待て」

 

宗玄だった。

 

「もう始まってる」

 

「…………」

 

あ。

 

そうか。

 

交互に打つわけではない。

 

「一本取ったな」

 

新太が笑う。

 

少し腹が立つ。

 

今度は俺から踏み込んだ。

 

振る。

 

避けられる。

 

すぐに返ってきた棒を受ける。

 

――カンッ!

 

流され、そのまま額を打たれた。

 

「二本目」

 

「…………」

 

非常に腹が立つ。

 

肩も額も痛いし、手も痺れている。

 

だが、それより新太の動きが気になった。

 

どこから来る。

 

どう避ける。

 

その次、どこへ動く。

 

「続けろ」

 

「はい」

 

「おう」

 

 

そこから何度も打ち合い、何度も負けた。

 

打たれ、避け、受け、失敗するたびに何が悪かったのかを考える。

 

新太も同じ動きを続けてはくれない。

 

俺が一つ覚えれば、次には変えてくる。

 

なら、俺も変える。

 

「…………ふふ」

 

「笑うなよ!」

 

「申し訳ありません」

 

「絶対悪いと思ってないだろ!」

 

「新太」

 

「はい!」

 

宗玄の一言で新太が黙る。

 

便利だな。

 

俺が言っても効かなそうだけど。

 

しばらくして、新太が棒を下ろした。

 

「ちょっと待て。休ませろ」

 

「まだできますが」

 

「俺がだよ!」

 

腕も肩も脇腹も痛い。

 

それでも、楽しかった。

 

「痛くないの?」

 

「痛いですよ」

 

「じゃあ何で笑うんだよ」

 

「楽しいので」

 

「分かんねえ……」

 

俺にも上手く説明できない。

 

まだ一本も当てられていないのに、次を考えているだけで早く続きをやりたくなる。

 

 

「続けるぞ」

 

「はい」

 

「もう?」

 

「新太」

 

「はい!」

 

再び向かい合う。

 

新太が来る。

 

右――いや、右に見せて左。

 

一歩外す。

 

次は上から。

 

受ける。

 

――カンッ!

 

まだ流される。

 

だが、さっきより小さい。

 

少し横へ逃がすと、新太の棒が逸れて身体が開いた。

 

振る。

 

「うおっ」

 

新太が大きく下がる。

 

外れた。

 

あと少し。

 

「ちょっと待て。お前、今の受け方いつ覚えた?」

 

「昨日、師匠に教えていただきました」

 

「さっきまでできてなかっただろ」

 

「何度も失敗しましたので」

 

「…………」

 

「少し分かってきました」

 

新太が何とも言えない顔をする。

 

「親父。こいつ嫌なんだけど」

 

「新太」

 

「はい!」

 

何がそんなに嫌なのだろう。

 

再開する。

 

俺が見ていることに気づいたのか、新太は同じようには避けなくなった。

 

なら、それも見る。

 

変わるなら、変わった方を見る。

 

少しずつ避け、受け、流せるようになってきた。

 

それでも、新太には届かない。

 

悔しい。

 

「もう一度」

 

「いいぞ」

 

新太全体を見る。

 

動く。

 

受ける。

 

流す。

 

振る。

 

避けられる。

 

そのとき、何度も見た動きに気づいた。

 

新太は大きく避けたあと、ほんの一瞬だけ足が止まる。

 

なら、そこへ先に入る。

 

一歩踏み込む。

 

「っ!」

 

振る。

 

――こつ。

 

俺の棒の先が、新太の肩に触れた。

 

「…………当たりました」

 

「……当たったな」

 

何十回も打たれ、避けられて、ようやく届いた。

 

「ふふ」

 

自然と笑みが浮かぶ。

 

「今度は当たらねえぞ」

 

「はい」

 

「もう分かったからな」

 

「…………」

 

ばれてしまった。

 

「では、別の方法を考えます」

 

「…………」

 

新太の顔が引きつった。

 

そして本当に、次は通じなかった。

 

新太は大きく避けるのをやめ、小さく外してすぐに打ち返してくる。

 

さっきまで通じたものが、もう通じない。

 

でも、それでいい。

 

新太が変わったなら、俺も変えればいい。

 

「…………ふふ」

 

「また笑ってるし……」

 

新太はそう呟いたが、もうこちらから目を逸らさなかった。

 

 

結局、その日は二度だけ新太に当てることができた。

 

こちらはその何倍も打たれ、勝負になったとは到底言えない。

 

稽古が終わり、新太が帰ったあと。

 

「清子」

 

「はい」

 

「明日は刀を持ってこい」

 

「刀を?」

 

「ああ」

 

「新太と?」

 

「違う」

 

少し安心した。

 

いや。

 

残念ではない。

 

決して。

 

「棒で人。刀で型だ」

 

「はい」

 

「まだ刃を向けるな」

 

「承知いたしました」

 

宗玄は少し間を置いた。

 

「今日の二本」

 

「はい」

 

「忘れろ」

 

「…………」

 

「忘れるのでしょうか」

 

「ああ」

 

「せっかく当てたのですが」

 

「だからだ」

 

「…………?」

 

「次も同じように当たるか?」

 

「……いえ」

 

新太は、一度当てたあとは避け方を変えた。

 

同じ方法は、もう通じなかった。

 

「答えを覚えるな」

 

「…………」

 

「探せ」

 

「……はい」

 

 

清子が去ったあと、宗玄は一人その場に残っていた。

 

「…………」

 

最初は何もできなかった。

 

当然だ。

 

それでも、打たれるたびに変わった。避けられるたびに考え、失敗した答えを捨てて次を探した。

 

二度、新太へ届いた。

 

宗玄が見ていたのは、その二度ではない。

 

一度通じた方法を新太が潰したあと、清子はそこへ執着しなかった。

 

相手が変われば、自分も変える。

 

「……なるほどな」

 

そして、もう一つ。

 

最初の清子は、棒が近づくだけで身体を固くしていた。

 

恐怖が消えたわけではない。

 

痛みもある。

 

それでも打ち合いが続くうちに、清子はそれらより相手を見ることを優先し始めた。

 

そして初めて新太に届いた瞬間。

 

笑った。

 

何十回も打たれ、ようやく一本触れただけなのに、心底嬉しそうだった。

 

「……人を相手にする方が好きか」

 

刀を振るのが好きなのだと言っていた。

 

それだけではないらしい。

 

相手がいる。

 

読めない。

 

思い通りにならない。

 

だから考える。

 

変える。

 

届けば、相手もまた変わる。

 

その繰り返しを、清子は一人で棒を振っているときより明らかに楽しんでいた。

 

「…………」

 

今はまだ、新太の方が強い。

 

積み重ねた年月も、経験も、技も違う。

 

だが。

 

あの女が新太を追い越したあと、何を見るのか。

 

まだ分からない。

 

ただ、一つだけ分かる。

 

あれは、剣を振れるだけでは満足しない。

 

宗玄は小さく息を吐いた。

 

「……面倒な弟子を拾ったな」

 

その声は、少しだけ楽しそうだった。

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