「抜け」
「はい」
宗玄に言われ、俺は刀を抜いた。
これで三度目になる。
初めて宗玄の前で振ったときは、
『全部駄目だ』
と言われた。
木の棒で基礎をやり直し、もう一度振ったときには、
『ようやく刀を振る準備ができた』
そして今日。
「構えろ」
「はい」
「振れ」
一歩踏み込み、刀を振る。
――ヒュンッ。
「もう一度」
足。腰。肩。
教わったことを思い出しながら、もう一度。
――ヒュンッ。
宗玄は黙って見ていた。
「もう一度」
「はい」
振る。
「よし」
「…………!」
今。
よしと言った?
「師匠」
「何だ」
「今――」
「新太」
「はい!」
聞けなかった。
新太が棒を取り、宗玄も一本持つ。
「清子。見ろ」
「はい」
「新太。打て」
「どこに?」
「どこでもいい」
新太が構え、踏み込んだ。
――ヒュッ。
宗玄の頭へ棒が落ちる。
その瞬間、宗玄が半歩だけ動いた。
新太の棒が空を切る。
同時に。
宗玄の棒が、新太の首へ触れていた。
「…………」
「もう一度」
今度は横から。
宗玄が動く。
新太の棒が外れ、そのときには宗玄の棒が届いている。
避ける。
打つ。
ほとんど一つの動きだった。
「清子。何を見てる」
「…………全部を」
「違う。斬るところを見ろ」
「…………?」
「俺がいつ斬ってる」
もう一度。
新太が打つ。
宗玄が動く。
棒が空を切り、宗玄の棒が当たる。
「…………」
いつ?
避けたあとではない。
避けながら。
それも少し違う。
「……避けてから、斬っていない」
宗玄がこちらを見る。
「避けることと、斬ることが……同じ?」
宗玄は答えず、棒を俺へ投げた。
「刀を納めろ」
「はい」
刀を鞘へ戻し、棒を拾う。
「新太。清子を打て」
「また俺かよ」
「清子」
「はい」
「避けるな。斬れ」
「…………」
新太を見る。
意味はまだ完全には分からない。
でも。
やってみたい。
「何で嬉しそうなんだよ」
「気のせいです」
「絶対違う」
「始めろ」
新太が踏み込んだ。
◇
右から棒が来る。
避けるな。
斬れ。
なら。
俺も打つ。
踏み込んで、棒を振った。
――カンッ!
「痛っ」
新太の棒が肩に当たり、俺の棒はその横を通り過ぎた。
「…………」
普通に打たれた。
「師匠」
「駄目だ」
「…………」
聞く前に言われた。
「もう一度」
次は上から。
打ち返そうとして、身体が勝手に下がった。
互いの棒が空を切る。
「避けたな」
「……はい」
「もう一度」
来る。
怖い。
避ける。
「違う」
もう一度。
今度こそ打つ。
――こつ。
「痛っ」
額に入った。
「…………」
難しい。
ものすごく。
「師匠。避けてはいけないのでしょうか」
「違う」
「…………」
「避けるなとは、当たれという意味じゃない。相手の剣から外れろ」
「はい」
「そのためだけに動くな」
宗玄が棒を持った。
新太が打つ。
宗玄は半歩だけ身体をずらし、同時に棒を新太の肩へ触れさせる。
「避けてから斬れば二つだ。外れながら斬れば一つだ」
「…………」
外れながら。
斬る。
「もう一度お願いします」
宗玄がもう一度見せる。
攻撃の外へ、ほんの少し身体をずらす。
その動きが、そのまま斬る動きへ繋がっていた。
「やれ」
「はい」
新太と向かい合う。
◇
新太が来る。
右。
俺は身体をずらしながら、棒を振った。
――カンッ!
棒同士がぶつかり、そのまま肩を打たれる。
「惜しい」
新太が言った。
「本当ですか?」
「さっきよりは」
「…………」
もう一度。
今までなら、どこへ逃げればいいのかを考えていた。
今度は違う。
新太の棒が来る場所から、どう外れればこちらの棒が届くのか。
来る。
一歩。
振る。
――ヒュッ。
棒が鼻先を通り過ぎる。
俺の棒も届かない。
でも。
避けてから振ったわけではない。
一緒だった。
「師匠」
「続けろ」
「はい」
そこから何度も繰り返した。
近ければ打たれる。
遠ければ届かない。
足が先なら棒が遅れ、棒が先なら身体が残る。
全部、一緒。
宗玄がやっていたように。
打たれる。
外れる。
振る。
失敗する。
また試す。
「…………ふふ」
「また笑ってるぞ」
「そうでしょうか」
「笑ってる」
仕方ない。
目の前で宗玄がやってみせた。
理屈も少しは分かった。
なのに、できない。
なら。
どこが違う?
それを探せる。
「もう一度お願いします」
「おう」
◇
何十回目か。
新太が動いた。
肩。腰。足。棒。
全部を見る。
いや。
見ようとしすぎるな。
見るのは、新太だ。
棒が来る。
避ける場所を先に決めない。
その軌道から外れ、そこからこちらの棒を届かせる。
身体が動いた。
半歩。
同時に振る。
――ヒュッ。
新太の棒が肩の横を通り過ぎた。
――こつ。
「…………」
俺の棒が、新太の腕に触れていた。
「できました」
「一回だけだ」
「…………」
「もう一度お願いいたします」
構える。
当然。
二回目は失敗した。
それからも何度も失敗し、その中で時々、同じ感覚があった。
身体が外れる。
棒が届く。
一つ。
まだ上手くはできない。
けれど。
何を探せばいいのかは、少しだけ分かってきた。
◇
翌日。
俺はまた新太と向かい合っていた。
昨日と同じ。
相手の剣から外れながら斬る。
考えなくても出るまでやる。
「始めろ」
新太が踏み込む。
昨日できた感覚を思い出し、同じように身体を動かす。
――こつ。
「…………」
肩を打たれた。
「昨日より下手になってない?」
「…………」
俺もそう思った。
「もう一度お願いします」
今度こそ。
昨日の形を――。
「清子」
「はい」
「昨日の形を追うな」
「…………」
「昨日当てた動きを再現しようとしてる」
「……はい」
「新太。昨日と同じに打ってるか」
「いや」
「…………」
新太を見る。
「昨日あれだけやったんだ。俺だって変えるよ」
なるほど。
俺は昨日の自分を再現しようとしていた。
だが、相手も昨日と同じではない。
『剣は答えを覚えるものじゃない』
宗玄に言われたばかりだった。
「……忘れておりました」
「昨日の話だぞ」
「面目ありません」
「考えろとは言ってない」
「…………?」
「見ろ。今日の新太を」
「…………」
今日の。
新太。
俺は棒を握り直した。
◇
昨日の感覚を探すのをやめた。
新太を見る。
来る。
外れる。
振る。
失敗。
もう一度。
遠い。
次は近い。
打たれる。
昨日より難しい。
けれど、不思議と昨日より面白かった。
昨日は正解を探していた。
今日は、その正解そのものが毎回少しずつ違う。
「…………ふふ」
「また笑ってるぞ」
「昨日より難しいので」
「それで笑うのかよ」
「はい」
「…………変な奴」
前の人生では、そんなことを言われた覚えはない。
公家の娘として、慎ましく、静かに、穏やかに生きた。
少なくとも、外から見れば。
今もそのつもりなのだが。
刀を持つと、どうにも上手くいかないらしい。
「清子」
「はい」
「次から棒で止めるな。外れろ。斬れ」
「はい」
「新太。速くしろ」
新太がこちらを見る。
「いいのか?」
「はい」
「痛いぞ」
「昨日も痛かったです」
「……分かった」
新太が構えた。
踏み込む。
「――っ!」
速い。
身体が勝手に下がった。
「避けたな」
「……はい」
「もう一度」
来る。
怖い。
また下がる。
「違う」
何度か打たれたあと、宗玄が言った。
「今、何をしてる」
「新太の棒を見ております。当たらないように」
「だから遅い」
「…………」
「棒が来てから考えるな」
「ですが、来る前に動けば読まれるのでは?」
「ああ」
「では」
「だから見ろ」
また、それだ。
「棒を見るな。手だけ見るな。足だけ見るな」
宗玄が新太を指す。
「新太を見ろ」
「…………はい」
言葉にすると簡単だ。
実際にやると、まるで分からない。
でも。
分からないなら、やるしかない。
◇
新太が来る。
速い。
打たれる。
もう一度。
また打たれる。
棒を見るな。
肩、足、腰、目。
いや。
全部を一つずつ見るんじゃない。
新太を、そのまま見る。
「…………」
来る。
そう思った次の瞬間、新太が動いた。
身体も動く。
半歩。
同時に棒を振る。
――ヒュッ。
新太の棒が肩の横を抜け、俺の棒も届かなかった。
だが。
今。
考えていなかった。
「もう一度」
「はい」
続ける。
遅い。
遠い。
近い。
打たれる。
時々、当たる。
まだほとんど失敗する。
それでも、少しずつ変わっていった。
新太が打つ。
俺が外れる。
俺が打つ。
新太が動く。
新太が返す。
また外れる。
そのまま打つ。
いつの間にか、一つの攻撃に一つ返して終わるのではなくなっていた。
「…………ふふ」
「だから笑うなって!」
「申し訳ありません」
「絶対思ってないだろ!」
新太の棒が来る。
外れる。
打つ。
新太が下がる。
追わずに見る。
次は何をする。
俺はどうする。
そうしたら、新太はどう変える。
当てることだけではない。
その全部が。
面白い。
「…………」
ああ。
これ。
好きだ。
◇
「そこまで」
宗玄の声で止まる。
新太も俺も息が上がっていた。
「師匠」
「何だ」
「少し、分かった気がいたします」
「何がだ」
「型です」
宗玄が俺を見る。
「形を覚えることではない。同じ動きを繰り返すことでもない」
「はい」
今日の稽古を思い返す。
「身体に……選び方を覚えさせるのでしょうか」
「…………」
「相手がこう来たから、こうしようと考えるのではなく。相手が来れば、身体がそこに合うように動く」
「半分だ」
「…………」
「残りは?」
「自分で探せ」
「…………はい」
聞いても教えてはくれないらしい。
なら、探すしかない。
それも。
少し面白いと思った。
◇
その日の終わり。
俺は再び刀を抜いた。
人を相手にする稽古は棒。
刀では、型。
「振れ」
「はい」
構える。
――ヒュンッ。
「もう一度」
昨日までと同じ素振り。
のはずだった。
「…………」
違う。
今までは目の前に何もなかった。
ただ刀を振っていた。
でも今日は、新太が頭に浮かぶ。
ここに新太がいたら。
この振り方で当たる?
もう一度振る。
違う。
今のは届かない。
足をほんの少し変えようとして。
「清子」
「はい」
「勝手に変えるな」
「…………」
ばれた。
「申し訳ありません」
「今は形を覚えろ」
「はい」
元へ戻す。
それでも頭の中では考えていた。
この形は何のためにある?
どこを斬る?
相手が避けたら、次は?
「…………ふふ」
「また笑ってるぞ」
新太に言われ、口元へ触れる。
本当だ。
「楽しいんだろ?」
「はい。とても」
「やっぱ変な奴」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
否定する必要もない。
◇
稽古の終わり。
刀を鞘へ納めると、宗玄が言った。
「明日から型を増やす」
「はい」
「斬り下ろしだけじゃない。横。斜め」
「はい」
「突き」
「…………!」
その言葉で、一瞬。
あの日が蘇った。
地面。
押さえつけられた身体。
伸ばした手。
柄。
そして。
男の腹へ入った刀。
「…………」
ほんの少し、指が固くなる。
宗玄は俺を見ていた。
「やめるか」
「…………」
刀の柄を見る。
怖い。
今でも、あの感触を覚えている。
だが。
「いいえ」
顔を上げる。
「教えてください」
「そうか」
それだけだった。
明日。
新しい型を習う。
横。
斜め。
突き。
知らないものが、まだいくらでもある。
だったら、一つずつ覚えよう。
そしていつか。
考えなくても、身体が最も正しい剣を選ぶように。
その日の俺は、そう考えていた。
けれど。
宗玄が言った、
『半分』
その意味を。
俺はまだ。
分かっていなかった。