翌日。
宗玄の言った通り、型が増えた。
「横」
「はい」
構えて振る。
――ヒュンッ。
「もう一度」
――ヒュンッ。
「腰が高い」
「はい」
もう一度振ると、今度は、
「遅い」
と言われた。
「はい」
難しい。
刀を横へ振るだけなのに、斬り下ろしとは足の運びも、腰の使い方も、力を入れる場所も少しずつ違う。
「次」
「はい」
「斜め」
宗玄が棒を持った。
「見ろ」
「はい」
構え、一歩踏み込む。
――ヒュッ。
綺麗だ。
何度見てもそう思う。速いからではない。始まりから終わりまで、どこにも無駄がない。
「やれ」
「はい」
真似て振る。
――ヒュンッ。
「違う」
早い。
「もう一度」
――ヒュンッ。
「違う」
「はい」
また構え直した。
◇
昼を過ぎるころには、腕が重くなっていた。
「次」
「…………はい」
「声が小さい」
「はい!」
横で新太が笑う。
「親父、容赦ねえな」
「新太」
「はい!」
「お前もやるか」
「…………」
一瞬だけ間が空いた。
「やります」
「よし」
少しだけ遅かった。
宗玄は何も言わなかったが、たぶん気づいている。
俺は刀を握り直した。
新太も大変そうである。
◇
そして。
「突き」
身体が少しだけ固くなった。
宗玄は何も言わず棒を構える。
「見ろ」
「はい」
一歩踏み込み、
――シュッ。
棒の先が空中で止まった。
速い。
斬るのとは違う。真っ直ぐ、最短で届く。
「やれ」
「はい」
今度は俺も棒を持った。
構えた瞬間、あの日を思い出す。
地面に押さえつけられた身体。必死に伸ばした手。掴んだ柄。
そして、男の腹へ入っていった刀。
「…………」
「清子」
「はい」
「突け」
「はい」
一歩踏み込み、棒を前へ出す。
――シュッ。
止める。
「もう一度」
「はい」
――シュッ。
「腰が引けてる」
「…………はい」
分かっていた。
怖いから、身体が残っている。
「もう一度」
何度も突く。
そのうち、少しずつあの日の感触が今の動きから離れていった。
これは、あのときとは違う。
追い詰められて、必死に刀を押し出しているわけではない。
足、腰、肩、腕を使い、切っ先を狙った場所へ運ぶ。
もう一度。
――シュッ。
「よし」
「…………!」
また言った。
よし。
「師匠」
「次」
「…………はい」
やはり、余韻に浸る時間はいただけないらしい。
◇
それから何日か、同じ稽古を繰り返した。
斬り下ろし、横、斜め、突き。
刀で、棒で、一人で、新太を相手に。
何度も繰り返し、身体に覚えさせる。
そして、ある日。
宗玄が言った。
「今日は俺とやれ」
「…………師匠と?」
「ああ」
胸が少し高鳴った。
宗玄と初めて直接打ち合う。
今日は刀も持ってきている。
「棒を持て」
「…………」
一瞬、刀へ視線が落ちた。
「清子」
「はい」
「棒だ」
「……はい」
そうですよね。
分かっていた。
まだ人へ刃を向けることは許されていない。それでも宗玄が相手なら、もしかすると、とほんの少しくらい期待してしまった。
刀から手を離し、木の棒を取る。
宗玄も一本持った。
「構えろ」
「はい」
向かい合う。
今まで何度も、新太を相手にする宗玄を見てきた。
ほとんど大きく動かず、相手の攻撃を外し、気づけば自分の棒だけを届かせている。
今度は、それを自分で受ける。
「…………」
楽しい。
まだ何も始まっていないのに。
「来い」
「はい」
踏み込み、斬り下ろす。
――ヒュッ。
「…………!」
いない。
いや、違う。
宗玄の身体が半歩、横へずれただけだ。
まずいと思ったときには、
――こつ。
棒が首筋へ触れていた。
「…………」
「もう一度」
「はい」
離れて構え直し、今度は横へ振る。
宗玄が外し、
――こつ。
脇腹。
斜めは肩。
突きは胸。
何度やっても届かず、それどころか全部返される。
「もう一度」
「はい」
今度はすぐに仕掛けず、宗玄を見る。
一歩前へ出ても動かない。さらに半歩詰めても、まだ動かない。
なら。
踏み込み、横へ振る。
宗玄が外れ、
――こつ。
また届かない。
次は斬り下ろしに見せて途中で横へ変えようとした。
だが、
――こつ。
変える前に額へ棒が触れた。
「…………!」
速い。
いや、違う。
もちろん宗玄は速い。新太より遥かに。
でも、それだけではない。
十回、二十回。
一本も届かない。
それでも、繰り返すうちに少しずつ見えてきた。
俺が動かない間、宗玄も動かない。
一歩近づいても、半歩詰めても同じ。
宗玄が動くのは、俺が踏み込んだ瞬間だ。
そして、攻撃を外したときには、もうこちらへ棒が返ってきている。
「師匠」
「何だ」
「一度も、先に動いておられませんね」
「…………」
間違いない。
最初から全部、俺が先だった。
俺が踏み込み、宗玄が動く。
俺が振り、宗玄が外れる。
なのに、宗玄の棒だけが届く。
「師匠は、私が動いてから動いている」
「ああ」
「それでは、遅いはずです」
「そうだな」
「ですが、師匠の方が先に当たる」
「ああ」
分からない。
後から動けば、後から届く。
普通ならそうなるはずだ。
「もう一度来い」
「……はい」
今度は勝つためではなく、見る。
踏み込むと、宗玄が半歩動いた。
俺の棒が横を通り、そのときにはもう宗玄の棒がこちらへ向かっている。
――こつ。
首。
今の動きを頭の中でなぞる。
俺は斬るために踏み込み、振った。
宗玄はそれを見て、外れ、斬った。
だが、避けてから斬っているわけではない。
外れることと、斬ることが一つになっている。
それは、すでに教わった。
でも、それだけでは説明がつかない。
「師匠」
「何だ」
「私は、師匠が動くのを待っていました」
「ああ」
「動いたら、見て、合わせる」
「ああ」
宗玄が棒を肩へ乗せる。
「それを繰り返してた」
「はい」
間違っている?
相手を見て、相手に合わせる。答えを決めず、相手が変われば自分も変える。
ずっと教わってきたことだ。
「それでは、いけないのでしょうか」
「いけなくはない」
「…………」
「だが」
宗玄が俺を見る。
「合わせるだけなら、後手だ」
「…………」
後手。
短い。
それだけの言葉なのに、妙に胸へ残った。
相手が動く。それを見て、合わせる。
確かに、それでは相手が先だ。
「ですが、先に動けばよいという話ではありませんよね」
「当たり前だ」
「…………」
ですよね。
少し安心した。
先に斬れば勝ち。
そんな話なら、あまりにも単純すぎる。
◇
「新太」
「はい!」
「清子とやれ」
「はい」
新太が俺の前へ来る。
「清子」
「はい」
「今まで通りだ」
「はい」
構える。
新太が右から来る。
外れ、斬り返す。
――カンッ!
受けられた。
すぐに横から来る。
俺も動いて外し、そのまま突く。
「うおっ」
新太が下がった。
できる。
宗玄とはまるで違う。
「止めろ」
棒を下ろす。
「分かるか」
新太なら合わせられる。
宗玄には合わせられない。
違いは速さだけではない。
「新太」
「はい」
「清子を打て」
「はい」
「清子。今度は斬るな。見るだけだ」
「はい」
棒を下ろし、新太を見る。
「始めろ」
新太が動く。
右。
次は上。
その次は横。
少し遅れることはあっても、動けば分かる。
「もう一度」
今度は攻撃だけではなく、新太の肩、腰、足、目を見る。
そして距離。
新太の構えと、俺の構え。
互いの立っている位置。
「…………」
あれ。
打つ前から、少しだけ狙う場所が決まっている?
「止めろ」
宗玄が俺の棒を少し右へ動かした。
「これなら」
新太を見る。
「左……でしょうか」
「新太」
「左」
「…………!」
当たった。
今度は俺の足を半歩前へ出させる。
「これなら」
近い。
棒の位置、新太の構え、この距離。
「突き」
「新太」
「突く」
「…………」
宗玄が俺を見る。
「分かるか」
「少し」
「言え」
「私の構えが変われば、新太の打ちやすい場所も変わる」
「ああ」
その瞬間、以前宗玄に言われた『半分』という言葉が頭に浮かんだ。
相手を見る。
相手に合わせる。
それでは、半分。
「私が変われば、新太も変わる」
「ああ」
「なら……相手がどう動くかも、こちらから変えられる?」
宗玄は答えなかった。
ただ、
「新太」
「はい」
「打て」
「はい」
「清子」
「はい」
「今度は、新太に選ばせろ」
「…………」
選ばせる。
その言葉が妙に面白かった。
◇
構え、新太を見る。
選ばせるとは、どういうことか。
まだ分からない。
なら、試す。
棒を少し右へ寄せると、新太の目が一瞬そこへ動いた。
来る?
そう思った直後、左から棒が来た。
――ヒュッ。
外れて振り返す。
――カンッ!
新太に受けられた。
「もう一度」
今度は棒を少し下げる。
上かと思ったが、来たのは横だった。
――こつ。
「痛っ」
肩に当たる。
「外れたな」
「はい」
「もう一度」
次は半歩近づく。
新太を見ると、棒の向きがほんの少し変わった。
この距離なら。
突き?
「…………!」
来た。
真っ直ぐ。
外れながら、同時に棒を振る。
――こつ。
新太の肩に触れた。
「…………!」
今。
新太が突くと思った。
そして、本当に突いてきた。
「もう一度」
「はい」
試して、失敗する。
少し変えて、また失敗する。
それでも何度か繰り返すうちに、少しずつ分かってきた。
自分が相手を見ているだけではない。
相手も自分を見ている。
構えも、距離も、隙も、足も、棒も。
全部が相手に何かを見せている。
なら、見せるものを選べばいい。
右をほんの少し空ける。
新太の視線がそこへ向く。
来る。
右。
外れ、斬る。
――こつ。
「痛っ」
当たった。
「…………」
今のは違う。
新太が打ってきたから合わせたのではない。
俺が右を空けた。
新太がそこを選んだ。
そして俺は、そこへ来る剣を待っていた。
「…………ふふ」
新太が少し嫌そうな顔をした。
「清子」
「はい」
宗玄がこちらを見る。
「今のを忘れるな」
「はい」
「ただし」
宗玄の棒が、俺の肩へ軽く触れた。
「今のは誘っただけだ」
「…………誘っただけ」
「ああ」
「では、これでもまだ半分ですか」
「入口だ」
「…………」
入口。
思わず笑ってしまった。
「何が面白い」
「まだ先があるので」
「そうか」
「はい」
「なら続けろ」
「はい」
棒を構えると、新太も構え直した。
今度は、どこへ来るかを見るのではない。
どこへ来させるか。
棒をほんの少し動かすと、新太の目がそこを見る。
昨日までとは、まるで違うものが見えた気がした。
相手に合わせる。
それだけなら後手。
だからといって、先に斬ればいいわけでもない。
相手が動く前に、その選択肢へこちらから触れる。
まだ、ほんの少し分かっただけ。
それでも。
「…………ふふ」
また、面白いものを見つけてしまった。