翌日。
俺は新太と向かい合っていた。
同じ場所。同じ棒。同じ相手。
でも、俺の見方だけが少し変わっていた。
新太を見る。
肩。腰。足。棒。
それだけではない。
新太から見た俺の構え、足、棒、距離。
昨日、一瞬だけ分かった。
相手がどこへ来るかを読むだけではない。
こちらから選ばせる。
「…………」
言葉にすると簡単だ。
問題は、昨日ほとんどできなかったことである。
「始めろ」
「はい」
「おう」
新太が構えた。
◇
まずは昨日と同じことを試す。
右を少しだけ空ける。
来る。
「っ!」
新太が踏み込んだ。
左。
「…………!」
違った。
――こつ。
「痛っ」
肩を打たれた。
「一本」
「はい」
「昨日のやつ?」
「はい」
「分かりやすいぞ」
「…………」
もう、ばれている。
「昨日と同じことすると思った」
「その通りでした」
「じゃあもう効かねえな」
少し考える。
「では、違うことをします」
「…………」
新太が嫌そうな顔をした。
「そういうところなんだよな」
「?」
「いや。いい」
再び構える。
今度は、ただ隙を作って待つのをやめた。
普通に打つ。
新太が受け、返す。
それを外しながら、ほんの少し左を空ける。
新太の目が動いた。
来る。
そう思った。
だが。
――こつ。
「っ」
今度は額を打たれた。
「…………」
また外れた。
「清子」
「はい」
「何を見てる」
「新太です」
「違う」
「…………」
また?
「新太の何を見てる」
「私が空けたところを見るかどうか」
「それだけか」
宗玄が棒を持った。
「右を空けろ」
「はい」
言われた通り、棒を少し動かす。
「新太。打つな。見るだけだ」
「はい」
「清子。何が変わった」
「…………」
新太は動いていない。
だが、視線だけではない。
棒の向きや重心が、ほんの少し変わっている。
「新太。清子がそのままなら、どこを打つ」
「右」
「何でだ」
「空いてるから」
「それだけか」
「……打ちやすい」
「ああ」
新太が俺を見る。
「右を打つ方が、その後も動きやすい」
「そうだ」
「…………」
そうか。
空いているからだけではない。
そこへ行く方が、新太にとって楽で、自然で、その次へ繋がる。
「清子」
「はい」
「誘うなら、相手が選びたくなる方を作れ」
選びたくなる方。
打ちやすい。動きやすい。安全そう。
そう思わせる。
「なるほど」
「分かったか」
「少しだけ」
「ならやれ」
「はい」
◇
さらに難しくなった。
右を空けても、そこを打ちにくい距離なら来ない。
左を守りすぎれば誘っているとばれるし、足を変えれば距離が変わり、棒を動かせば新太も構えを変える。
「…………」
多い。
見るものが多すぎる。
「清子」
「はい」
「止まってる」
「はい」
考えすぎた。
「新太。打て」
「はい!」
――こつ。
「痛っ」
また額。
ここ、狙われすぎでは?
いや、考えると顔が空くのかもしれない。
覚えておこう。
あとで。
今は続ける。
何度も失敗した。
それでも、少しずつ新太にとって選びやすいものが見えてきた。
俺が動けば、新太も変わる。
距離を詰めれば下がる。
棒を下げれば視線が上へ動く。
なら、それを使う。
横へ打つ。
新太が受けて返す。
上。
「…………!」
来た。
外れて、斬る。
――こつ。
棒が新太の肩に当たった。
「今の、最初から?」
「…………」
違う。
途中で、新太が上を選びやすくなった。
「途中からです」
「途中?」
「はい」
新太が少し考える。
「気持ち悪いな」
「失礼ですね」
「いや、何か俺が自分で打った感じしねえ」
「…………」
胸の奥が少し高鳴った。
「清子」
「はい」
「続けろ」
「はい」
それで十分だった。
◇
少しずつ、当てることだけを考えなくなった。
一歩動けば、新太が変わる。
棒を上げても、距離を詰めても変わる。
昨日まで、新太の動きは新太だけのものだと思っていた。
もちろん、今も新太が自分で動いている。
でも、そこへ俺の動きが混ざる。
なら、その変化を使えばいい。
「…………ふふ」
「また笑ってるぞ」
「はい」
「今日は何が楽しいんだよ」
「私が動くと、新太も変わるのが」
「…………」
新太が嫌そうな顔をした。
「やっぱ気持ち悪いこと考えてるだろ」
「失礼ですね」
「清子」
「はい」
「続けろ」
「はい」
構える。
新太も構え直した。
◇
午後。
宗玄が俺の前へ立った。
「今度は俺だ」
「…………!」
嬉しい。
かなり。
「来い」
「はい」
昨日は一本も届かなかった。
だが今日は、少し分かった。
相手に選ばせる。
なら、宗玄にもやってみる。
右を少し空ける。
「…………」
宗玄は動かない。
棒を下げても、距離を詰めても反応はない。
「来ないのですか」
「お前が来い」
「…………」
そうだった。
踏み込む。
横。
宗玄が外れる。
――こつ。
首。
「…………」
やはり何もできない。
もう一度。
右を空ける。
反応はない。
なら、打つ。
斜め。
外れる。
――こつ。
また。
距離を変えても、構えを変えても、宗玄はほとんど反応を見せなかった。
なぜ?
「清子」
「はい」
「お前、俺に選ばせようとしてるな」
「…………はい」
「見え見えだ」
「…………」
刺さった。
かなり。
「何で見える」
考える。
俺は誘うために隙を作り、距離や構えを変え、そのたびに宗玄の反応を待っている。
「待っているから?」
「ああ」
宗玄が棒を構える。
「誘うために構えを変える。足を変える。距離を変える。全部、誘うためにやってる。だから分かる」
「…………」
なるほど。
少し恥ずかしくなった。
「では、どうすれば」
「知らん」
「…………」
またそれ。
「自分で探せ」
「はい」
でも、少し嬉しい。
まだ先がある。
◇
もう一度、新太と向かい合う。
今度は誘おうとしない。
普通に構え、普通に打つ。
受ける。流す。外れる。斬る。
その中で、新太を見る。
右へ動けば、新太が向きを変える。
打てば下がる。
俺が止まれば、新太も止まる。
「…………」
何かが違う。
誘おうとしていないのに、新太の動きは俺の動きで変わっている。
ああ。
そうか。
俺は「誘う」という言葉に引っ張られすぎていた。
特別なことをしなくても、俺が動けば相手は何かを選ぶ。
なら、わざとらしく隙を作る必要はない。
「止めろ」
宗玄が言った。
「清子。今、新太は何回下がった」
「二回……でしょうか」
「三回だ」
「…………」
気づかなかった。
「何で下がった」
「私が打ったから?」
「そうだ」
当たり前だ。
でも、その当たり前を俺は見ていなかった。
「もう一度」
「はい」
再び始める。
俺が打つ。
新太が受け、下がる。
追えば、さらに下がる。
今度は俺が止まる。
新太も止まり、距離ができる。
すると、新太から半歩入ってきた。
「…………!」
今度は、新太が距離を詰めた。
「止めろ」
宗玄を見る。
「分かったか」
「……少し」
「言え」
「私は誘おうとしておりませんでした。でも、新太は動きました」
「ああ」
「私が斬れば受ける。近づけば下がる。離れれば、入ってくることもある」
宗玄が頷いた。
「それでいい」
「…………?」
「特別なことをするな。普通に斬れ」
「はい」
「その剣に相手がどう動くか見ろ」
普通に斬る。
それだけで、相手は何かをする。
「相手を動かそうとするな」
「…………」
昨日とは反対に聞こえた。
「動いた相手を見ろ。何度も見ろ。覚えろ」
「…………はい」
宗玄はそれ以上、何も言わなかった。
◇
もう一度、新太と向かい合う。
今度は何も作らない。
普通に構える。
「行くぞ」
「はい」
新太が来る。
外れて、斬る。
受けられる。
次は横。
外れて突く。
「っ」
新太が右へ逃げた。
右。
覚える。
もう一度、同じように突く。
また右。
だが、距離を変えると今度は左へ逃げた。
絶対ではない。
距離で変わる?
さらに繰り返す。
斜めを受けた後は、下がることが多い。
強く打った後は、次の一歩が少し大きい。
遠い距離から突きを外すと、右へ行くことが多い。
「…………」
面白い。
昨日までも新太を見ていた。
でも、今は新太の剣そのものが少しずつ見えてくる。
それだけではない。
俺が何をしたとき、新太がどう変わるか。
そこまで一緒に見えてくる。
次は半歩深く入る。
斜め。
受ける。
横。
「っ」
新太が下がる。
そこへ、もう棒を出していた。
――こつ。
「痛っ」
当たった。
「今の何だ?」
「斜め、横、突きです」
「それは見りゃ分かる。最後」
新太が俺を見る。
「俺が下がる前に出してなかった?」
「…………」
そう。
下がったのを見てからではない。
何度も同じものを見たから、下がると分かっていた。
「清子」
「はい」
「今のは後手か」
昨日の言葉が浮かぶ。
『合わせるだけなら、後手だ』
「いいえ」
「何でだ」
「新太が下がるのを見てから突いたわけではありません」
「ああ」
「でも、私が先に動いたわけでもない」
「ああ」
不思議だった。
動いた順番だけなら、新太が先だ。
「これは、先手なのでしょうか」
「違う」
「…………」
また違った。
「先か後かを、動いた順番で考えるな」
宗玄は続ける。
「剣が出る前に決まってりゃ、後から動いても後手じゃない」
「…………」
ぞくりとした。
「相手がそこへ来る」
「ああ」
「だから、そこへ斬る」
「ああ」
速さではない。
先に動くことでもない。
相手が動く前に、こちらの剣が決まっている。
「もう一度」
「はい」
同じことをやろうとした。
――こつ。
「痛っ」
失敗した。
今度の新太は下がらず、横へ逃げた。
「清子。今、何した」
「下がると思って、突きました」
「何で下がると思った」
「先ほどまで……」
「それだけか」
「…………」
それだけだった。
「癖を覚えるのと、決めつけるのは違う」
「……はい」
「相手は人間だ。同じことをすりゃ変える」
新太が少し得意そうな顔をした。
「俺だって考えてんだぞ」
「知っています」
「何だその言い方」
「新太」
「はい!」
「続けろ」
「はい」
構える。
今度は決めつけない。
見る。
でも、待たない。
決める。
でも、決めつけない。
相手に合わせる。
でも、合わせるだけでは後手。
「…………」
難しい。
とても。
矛盾しているように聞こえる。
でも、宗玄の剣は全部を同時にやっている。
なら、できるのだ。
「…………ふふ」
「またかよ」
「はい」
「今度は何だ」
「難しくなりました」
「それで笑うのやめろよ」
「難しいので」
「意味分かんねえよ」
でも、本当に楽しかった。
◇
昼を過ぎて、宗玄が棒を取った。
「清子」
「はい」
「俺とやれ」
「はい」
すぐに立つ。
昨日も今日も、まだ一本も届いていない。
だからこそ、やりたい。
「構えろ」
「はい」
宗玄を見る。
新太とは違う。
癖もまだ見えない。
なら、見る。
「始めろ」
「はい」
斜め。
宗玄が外れる。
横。
いない。
――こつ。
脇腹。
「もう一度」
横。
外れる。
突き。
――こつ。
肩。
何度やっても当たらない。
それでも昨日とは違った。
昨日は、宗玄が何をしているのか分からなかった。
今日も分からない。
だが、見ることはできる。
俺が斜めに打つと、宗玄はどこへ行く。
横なら。
突きなら。
近ければ。
遠ければ。
見る。
覚える。
何度も。
「そこまで」
「はい」
結局、一本も当たらなかった。
「師匠」
「何だ」
「明日も、お願いいたします」
宗玄が少しだけ俺を見る。
「一本も当たってないぞ」
「はい」
「それでもか」
「だからです」
「…………」
宗玄は何も言わず、棒を俺へ投げた。
「片付けろ」
「はい」
◇
その日の最後。
刀を抜く。
「斬り下ろし」
「はい」
――ヒュンッ。
「横」
――ヒュンッ。
「斜め」
――ヒュンッ。
「突き」
――シュッ。
「もう一度」
「はい」
繰り返す。
変えるな。
宗玄に何度も言われた。
だから変えない。
足、腰、肩、刀。
教わった通りに振る。
それなのに、同じ型を振っているはずなのに、頭の中には新太と宗玄がいる。
この横なら、新太はどうする。
この突きなら、宗玄はどう外れる。
形は同じ。
なのに、見えるものが少しずつ増えていく。
「清子」
「はい」
「余計なこと考えるな」
「…………はい」
また、ばれた。
構えて振る。
――ヒュンッ。
「もう一度」
「はい」
――ヒュンッ。
今は考えない。
ただ振る。
身体に覚えさせる。
いつか。
何度も振った同じ剣が、相手によってまるで違うものになる。
そんな気がした。
「振れ」
「はい」
――ヒュンッ。
いい音がした。