休日の午後。近所のスーパーで夕飯の材料を買い、商店街を抜けて帰る途中だった。
「……お前さ」
「なんだい?」
振り返らなくても分かる。白い。ついてきている。というか、さっきからずっといる。
「たまには普通に人の後ろ歩けないの?」
「歩いているじゃないか」
「塀の上は普通に含まれないんだよ」
横を見ると、キュゥべえは住宅の低い塀の上を何食わぬ顔で歩いていた。俺が曲がれば曲がり、信号で止まれば少し先へ行ってこちらを見る。スーパーへ入った時なんて入口からついてきたはずなのに、気づけば裏側から先回りしていた。
「君の移動経路に合わせているだけだよ」
「だったら道使え」
「どうして?」
「お前は猫か」
「僕は猫ではないよ」
「そういう意味じゃない」
キュゥべえは、それで説明が済んだような顔をしている。
「それなら、君の肩に乗ろうか?」
「嫌」
「頭の上でも構わないよ」
「もっと嫌」
「その方が移動経路を合わせやすいと思うけど」
「俺を乗り物にするな」
「僕はそのつもりで言ったわけじゃないよ」
「なお悪い」
◇
商店街を少し進んだところで、足が止まった。
ペットショップ。
店先には小型犬用のリードやハーネス、首輪が並んでいる。
「…………」
「どうしたんだい?」
「……いいもの見つけた」
キュゥべえが首を傾げる。その横を通り過ぎ、そのまま店へ入った。
棚には犬用、猫用、サイズ違い、伸びるもの、伸びないもの。思ったより種類が多い。
「こいつ体重どれくらいなんだ……」
「僕のことかい?」
「今それ言うな」
猫用か、小型犬用か。
見た目だけなら猫に近い。でも猫ではない。そもそも宇宙人に適正サイズなんてあるのか。
「何かお探しですか?」
店員に声をかけられた。
「あ、えっと……小さい動物用のリードを」
「猫ちゃんですか?」
「……まあ、そんな感じです」
「僕はペットではないよ」
「今それ言うなって」
「え?」
店員が首を傾げる。
「……なんでもないです」
しまった。
店員にはキュゥべえが見えていない。今の俺、何もない横へ普通に返事したぞ。
「こちらなら小型の子でも使いやすいですよ」
「じゃあ、それで」
もう早く会計しよう。
◇
店を出て、人通りの少ない路地へ入る。
「キュゥべえ」
「なんだい?」
「ちょっと来い」
買ったばかりのハーネスを取り出す。
「これは何のための道具なんだい?」
「お前が勝手なところ行かないようにする道具」
「僕は必要な場所へ移動しているだけだよ」
「その必要な場所に人ん家の窓とか含めるのやめろ」
特に抵抗されることもなく装着できた。サイズも問題ない。白い身体に細いハーネスとリード。
「…………」
「何か問題があるのかい?」
「いや」
思っていたより似合う。
認めたくないけど。
「行くぞ」
「どこへ?」
「散歩」
「さっきから歩いているよ」
「今から正式に散歩になった」
「違いが分からないよ」
「俺も説明できない」
そのまま歩き出した。
◇
妙な光景のはずだった。中学生くらいの女子がリードを持ち、その先には白い謎生物。
でも誰も気にしない。
すれ違う人の視線は俺へ向いても、その先のキュゥべえには止まらない。リードについても、わざわざ不自然だと認識している様子はなかった。
魔法少女や、その素質がある人間にしか見えない。
原作では知っていたけれど、人混みの中で見ると少し気味が悪い。
便利なんだか怖いんだか分からないな、これ。
そんなことを考えていると、すれ違った少女が足を止めた。小学校高学年くらいだろうか。
「猫ちゃん? ……かわいい」
俺も止まる。
キュゥべえも止まった。
少女の視線は、明らかにリードの先へ向いている。
見えてる。
ということは。
「君、僕の姿が見えるんだね」
「え?」
「おい」
キュゥべえは俺を見もしない。
「それなら君にも――」
「待て待て待て」
リードを引くと、キュゥべえの身体が半歩こちらへ寄った。
「何をするんだい?」
「散歩中に営業始めんな」
「営業?」
「候補見つけるたび声かけんな。お前は渋谷のホストか」
「僕は契約の可能性がある少女へ接触しようとしているだけだよ」
「それを勧誘って言うんだよ」
少女は俺とキュゥべえを交互に見ている。
「あー……気にしないで。ちょっと変わった子だから」
「僕のことかい?」
「黙って」
軽く頭を下げ、その場を離れた。
◇
「どうして止めたんだい?」
少し歩いたところで、キュゥべえが聞いてきた。
「今日は散歩だから」
「散歩中に候補者へ接触してはいけないという決まりがあるのかい?」
「ない」
「なら、問題は――」
「俺の精神衛生」
言い切ると、キュゥべえは一度だけこちらを見る。
「精神衛生?」
「気にするな」
「よく分からないよ」
「分からなくていい」
今度は素直に隣を歩いている。
やればできるじゃないか。
「田中さん!」
聞き覚えのある声に顔を上げると、まどかがこちらへ手を振っていた。
「鹿目さん」
「こんにちは。お買い物?」
「うん。夕飯の」
そこまで言って、まどかの視線が下へ落ちた。
俺の手からリードを辿り、キュゥべえへ。最後にもう一度、俺を見る。
「……えっと」
「散歩」
「キュゥべえの?」
「うん」
「そうらしいよ」
本人まで認めた。
まどかは口元を押さえて数秒耐えたあと、小さく笑う。
「なんか、かわいいね」
見た目だけならな。
「ちょっと持ってみてもいい?」
「いいよ」
リードを渡すと、キュゥべえがまどかの手元を見上げた。
「僕の意思は確認しないのかい?」
「散歩されてる側に決定権あると思う?」
「それは不合理じゃないかな」
「知らん」
まどかがまた笑う。キュゥべえは特に抵抗もせず、そのまま隣を歩き始めた。
「ちゃんと歩いてる」
「さっきまでは塀の上だった」
「どうして?」
まどかがキュゥべえを見る。
「必要だったからだよ」
すぐ返ってきた。
「……ほんとだ」
「何が?」
「聞いても分からないって」
納得するな。
◇
「鹿目さん、田中さん」
今度は後ろから声をかけられた。
振り返ると、ほむらが眼鏡を押さえながらこちらへ歩いてくる。
「暁美さん」
「こんにちは」
「こんにちは、ほむらちゃん」
ほむらはまどかへ笑いかけ、それから俺を見る。やがて視線が下がり、キュゥべえの首元からハーネス、その先のリードを辿ってまどかの手へ移る。そこからもう一度、キュゥべえへ。
少し考えてから口を開いた。
「田中さん……それは?」
「キュゥべえ」
「それは分かるんですけど……」
ですよね。
「えっと……キュゥべえって、お散歩が必要なんですか?」
「必要ないよ」
「俺には必要なんだよ」
ほむらの眉が僅かに寄る。
「田中さんに……?」
「俺の精神衛生のため」
キュゥべえがこちらを見る。
「訳がわからないよ」
「…………」
言った。
生で聞いた。
ちょっと嬉しい。
「田中さん?」
ほむらが、今度は俺の顔を覗き込む。
「今、少し嬉しそうでしたけど」
「気のせい」
ほむらはまだ何か引っかかっているらしい。
「あと……俺?」
「あ」
漏れた。
「……私の精神衛生のため」
「田中さん、たまに言うよね」
まどかが何気なく助け舟を出す。
「そう?」
「うん。でも、たまにだからあんまり気にしてなかった」
「なら気にしなくていいよ」
「そうする」
ほむらはまだ少し不思議そうだったが、まどかが気にしていないのを見て、それ以上は聞かなかった。
助かる。
◇
三人で歩いていると、少し先に見覚えのある金髪が見えた。
「マミさん!」
まどかが手を振る。マミさんもこちらへ気づき、笑顔で近づいてきた。
「鹿目さん、暁美さん。それに田中さんも――」
途中で足が止まる。
視線が、まどかの手からリードを辿っていく。
「……何をしているの?」
「散歩です」
「僕もそう説明されたよ」
マミさんはすぐには何も言わず、キュゥべえの顔とハーネスを順に見る。
「首、苦しくない?」
「そっち?」
思わず声が出た。
「特に問題はないよ」
マミさんは少しだけ安心したように息をつく。
「ならよかったけれど。田中さん、急に強く引っ張ったりしちゃ駄目よ。相手がキュゥべえでも、首や身体に負担がかかるかもしれないでしょう? サイズは合っているみたいだから、普通に歩く分には大丈夫そうだけど」
「マミさん、受け入れるの早くない?」
「だって、もう付けてしまっているじゃない」
「キュゥべえも嫌がってないしね」
まどかまで頷く。
「僕には特に不利益はないからね」
順応性高いな、この集団。
「でも」
マミさんが俺を見る。
「どうして急に散歩なの?」
キュゥべえへ視線を移す。
「こいつ、家に勝手に入ってくるんですよ」
「あ……」
まどかが目を逸らした。思い当たる節があるらしい。
「窓から……?」
「そう」
「玄関を使う必要性が僕には分からないんだ」
「まずそこからかよ」
マミさんは少し困ったように笑ったあと、キュゥべえの方へ身体を向けた。
「キュゥべえ。人の家に入る時は、その家の人に声をかけた方がいいと思うわ。玄関があるなら、できればそこから入った方が相手を驚かせずに済むでしょう?」
「そういうものなのかい?」
「そういうもの」
「マミさん、もっと言ってやって」
そこでマミさんの視線が俺へ戻る。
「田中さんも、リードで解決しようとする前に話し合いなさい」
「はい」
こっちにも来た。
◇
「ところで、キュゥべえ。ちょうどよかったわ」
マミさんが何かを思い出したように鞄へ手を入れた。取り出したのは、小さな黒い塊。
グリーフシード。
「前の魔女の分。もう十分使ったから、お願いできる?」
「もちろんだよ。それ以上穢れを吸わせる必要はないね」
キュゥべえが受け取る。
何度か見た流れだった。
魔女を倒し、グリーフシードを手に入れ、ソウルジェムを浄化する。使い終わればキュゥべえへ渡す。俺自身も何度か使わせてもらっているし、前回もマミさんに浄化してもらった。限界まで穢れを吸わせれば危険だという話も、もう聞いている。
なのに、今さら妙なところで引っかかった。
「なあ、キュゥべえ」
「なんだい?」
「それ、回収してどうするんだ?」
「それ?」
「グリーフシード。使い終わったやつ」
キュゥべえは手元のそれを一度見る。
「僕たちが処理するよ」
返事は早かった。けれど、肝心の「処理」の中身には一言も触れていない。
「……で、その処理って何するんだ?」
「限界に近づいたグリーフシードを君たちが持っていても危険だからね。僕たちが回収した方が合理的だ」
聞いたのは回収する理由じゃない。
「いや、その後。どこに持っていって、何するんだよ」
キュゥべえが首を傾げる。
「それは、君が知る必要のあることなのかい?」
「…………」
答えたくない、じゃない。
知る必要があるのか。
そう返すあたりが、いかにもこいつらしい。
「……そう言われると余計気になるんだけど」
横を見ると、マミさんも少しだけ考え込んでいた。
「マミさんは知らない?」
「私?」
「キュゥべえが回収したあと」
マミさんはすぐには答えず、鞄の口へ手を添えたまま目を伏せる。
「そうね……言われてみれば、聞いたことはないかも。使い終わったものはキュゥべえに任せていたから」
「やっぱり」
「でも、持っていても危険なだけなのは確かでしょう?」
「まあ、それはそうなんだけど」
そこは否定できない。
原作でも、キュゥべえがグリーフシードを回収する場面は見た覚えがある。でも、その後は知らない。
画面の外だった。
「……お前、まさか食ってないよな?」
思いついて聞くと、キュゥべえは間を置かなかった。
「食事ではないよ」
「その言い方だと何かやってるだろ」
「何を問題にしているのか分からないよ」
「こっちはお前の身体構造から分かってないんだよ」
マミさんが小さく笑う。
「気になるのは分かるけれど、今日はそこまでにしたら? キュゥべえも今は詳しく話すつもりがなさそうだし」
今は。
その言葉にもう一度キュゥべえを見る。相変わらず、何も読み取れない顔をしていた。
「……そうします」
問い詰めても、素直に全部答える相手じゃない。
原作知識だって、結局は画面に映ったところまで。その外側には、知らないことがいくらでもある。
今回は覚えておく。
それでいい。
◇
再び歩き始めた。
今度は四人と一匹。
一般人から見れば、ただ数人の女子中学生が商店街を歩いているだけなのだろう。けれど時々、すれ違う少女がキュゥべえへ視線を向け、そのたびにキュゥべえもそちらを見る。
リードを少し引いた。
「まだ何もしていないよ」
「予防」
「合理的ではないと思うけど」
「今日はそういう日なの」
少し先では、まどかとほむらが並んで歩いていた。まどかが何かを話し、ほむらが小さく笑う。その後ろをマミさんが歩き、俺の手にはリード。
その先には宇宙人。
「…………」
本当にどうしてこうなった。
でも、嫌ではなかった。
転生した直後は、家も学校も、この身体も、全部どこか借り物みたいだった。今はこうして、まどかたちと一緒に歩いている。
何の事件もない。
魔女もいない。
ただ歩いているだけ。
それが妙に落ち着いた。
「そういえば」
まどかが振り返る。
「マギカちゃんにも見せてあげたいな」
「……これを?」
「うん。キュゥべえのお散歩」
「たぶん呆れると思う」
まどかが少し首を傾げた。
「分かるの?」
一瞬、返事が遅れた。
「……なんとなく」
俺だからな。
「でも、マギカちゃんだったら笑ってくれるかも」
「どうだろうね」
たぶん一番呆れると思う。
本人だし。
◇
空が赤くなり始めた頃、商店街の出口で別れることになった。
「また学校でね、田中さん」
「うん。また」
まどかが手を振る。
ほむらも少し迷ってから、小さく笑った。
「今日は……楽しかったです」
「そりゃよかった」
ほむらは一度キュゥべえを見てから、付け足す。
「キュゥべえのお散歩も」
「次はないと思う」
「そうなのかい?」
キュゥべえが即座に反応した。
「なんで残念そうなんだよ」
「別に残念とは言っていないよ」
「反応早かっただろ」
マミさんがそれを聞いて笑う。
そのまま三人と別れた。
◇
帰り道。
またキュゥべえと二人になる。
「君は今日は楽しそうだったね」
横を見る。
「……そう見えた?」
「以前より表情の変化が多かったからね」
やっぱり、気遣いじゃない。ただ以前と今を比べた観測結果だ。
それでも、少しだけ胸に残った。
「……まあ、悪くはなかったよ」
それ以上は言わず、リードを持ったまま歩く。
夕方の商店街。見慣れ始めた道。買い物袋の重さ。少し前まで聞こえていた、まどかたちの声。
最初は全部、自分とは関係のないものだった。
今は、少しだけ違う。
「ところで」
キュゥべえがこちらを見る。
「これはいつまで付けているんだい?」
「家まで」
「今外しても問題はないと思うけど」
リードを握ったまま、さっきの少女を思い出す。
「途中で営業するだろ」
「候補者がいれば話しかける可能性はあるね」
「ほら見ろ」
リードを少し短く持ち直した。
「やっぱり、君の行動はよく分からないよ」
「安心しろ。俺も自分でよく分かってない」
キュゥべえはそれ以上何も言わなかった。
そのまま二人で、家まで歩いた。
キュウベえの体重気になります…