9/16 0:20 追記:後半のキュウベえのセリフを微調整しました。
昨日から、ずっと引っかかっている。
廃工場で魔女と戦っていた時。視界も音も距離感も狂わされ、何が本物なのか分からなくなったあの瞬間、俺はただ自分へ言い聞かせた。
いつもの自己暗示と同じつもりだった。俺はもっと速く動ける。俺なら踏み込める。そう思い込めば、身体が少しだけその通りになる。だから今回も、その延長だと思っていた。
なのに、実際に出てきたのは黄色いリボンだった。
衣装にも黄色が混ざり、立ち方まで少し変わった。何より、教わってもいないリボンの使い方を身体が知っていた。床や壁へ固定すれば、狂った距離感の中でも姿勢を安定させられる――考えるより先に、それを選んでいた。
鏡の前で自分を見る。いつもの銀髪。いつもの顔。少なくとも、見た目まで巴マミになったわけじゃない。
「……ちゃんと試してみるか」
◇
放課後。
人通りのない河川敷まで移動し、周囲に誰もいないことを確認してから変身する。銀白の衣装。左胸には二つ連なったソウルジェム。手の中には、鏡みたいに光を返す日本刀。
そこまでは、いつも通りだ。
刀を地面へ向けたまま目を閉じ、巴マミを思い浮かべる。金髪。縦ロール。帽子。黄色い衣装。リボン。マスケット。それから、銃を構える時の足運び、肩へ銃床を当てる位置、撃ったあとの反動を流す身体の使い方。今まで近くで見てきたものを、一つずつ頭の中へ並べていく。
昨日と同じように、俺は巴マミだ――そう言おうとした。
「……成り代われ」
口が先に動いた。
目を開く。今、何て言った。
考えて出した言葉じゃない。誰かに教わった覚えもない。それなのに、不思議なくらい馴染んだ。昔から知っていた言葉を、ようやく思い出したような感覚だった。
手の中の刀が、淡く震える。
「……成り代われ」
もう一度。今度は意識して、鏡面の刀身に映る自分を見る。
刀身が金色に染まった。
「うわっ」
反射的に目を細める。
銀白だった衣装の縁を金色が走り、胸元から腰、裾、ブーツへと黄色が染み込むように広がっていく。肩の辺りから細いリボンが伸び、そのまま腰へ巻きついた。
頭へ手をやると、指先が小さな帽子へ触れた。
「……帽子まである」
完全にマミさんと同じではない。銀髪はそのまま。顔も身体つきも俺のまま。それでも衣装の輪郭は明らかに変わり、銀白を基調にした俺の魔法少女服へ、巴マミの意匠だけが重ねられていた。
鏡面刀へ金色の光が走る。刀身の輪郭が崩れ、そのまま細長く伸びて銃身になった。握っていた柄が木製の銃床へ変わり、その先に長い銃身が形作られていく。
マスケットが一本。そして左手側へ、もう一本。
見覚えしかない。
「いや、これもう自己暗示じゃなくない?」
誰もいない河川敷で、一人で呟いた。
試しに片方を構える。肩へ当てる位置も、頬の寄せ方も、銃口の向け方も迷わない。自分で考えて身体を合わせているというより、最初から知っている動作をなぞっている感覚に近かった。
「……撃てる」
遠くの地面へ向けて引き金を引くと、乾いた銃声と同時に土が弾けた。続けてもう一発。今度は、はっきり外れる。
「……やっぱり、マミさんほどじゃないな」
形は似ていても、中身まで同じじゃない。狙いはぶれるし、威力も弱い。構え方は分かっても、それを本物と同じ精度で使いこなせるわけじゃなかった。
さらにマスケットを増やそうとすると、三本目が半分まで形になったところで胸の奥が急に重くなった。
「ぐっ……」
魔力が一気に抜けていく。銃身は完成する前に崩れ、そのまま光へ戻った。
「二本が限界か」
次はリボン。
腕を振ると黄色い帯が一本伸び、近くの柵へ巻きついた。引けばきちんと固定される。もう一本出そうとした途端、今度は途中で絡まり、ほどこうとしても思った通りには動かなかった。
「……固定くらいなら使えるけど、これで相手を縛るのは無理そうだな」
かなり便利だ。使えるようになれば、戦い方そのものが変わるかもしれない。
でも、それ以上に。
思っていたより素直な言葉が出た。
◇
その翌日。
「この前のやつ、もうちょっと試したい」
いつもの訓練場所でそう切り出すと、マミさんは少しだけ目を細めた。
「この前の……私のリボンが出た時の?」
「うん」
「あなたも気になっていたのね」
「そりゃ気になるよ。俺の武器、刀だったはずだし」
マミさんは少し考えてから頷いた。
「分かったわ。私でよければ協力する」
「助かる」
今日はまどかも一緒だった。
「私は何すればいい?」
「見てて」
「見てるだけ?」
「たぶん」
「たぶんなんだ……」
まどかが少し不安そうに笑う。
マミさんは既に変身していた。
「じゃあ、まず普通にやってみるわね」
手を伸ばすと、黄色いリボンが指先から滑り出し、空中で束ねられて一本のマスケットへ変わった。マミさんはそれを受け取ると、ごく自然に構える。
一発目が標的へ命中する。銃を手放すと、落ちる前に輪郭が崩れ、その隣へ新しい一本が現れた。
俺は黙ったまま、その一連の動きを追う。指。肩。腰。足。呼吸。どこで力を入れて、どこで抜いているのか。
「そんなに見つめられると、少し恥ずかしいわね」
マミさんが苦笑する。
「ごめん。覚えたいから」
「覚える……」
マミさんが一瞬だけ俺を見る。
俺は気づかず、もう一度マスケットへ視線を戻した。
「もう一回お願い」
「ええ」
同じ動き。
でも、完全に同じではない。
魔法だからといって、全部が自動なわけじゃない。銃を出す瞬間、構える瞬間、次の動作へ移るタイミング。そこには明らかに、マミさん自身が積み重ねてきた癖が混ざっている。
そこまで含めて見る。今度は、本人が目の前にいる。
「やってみる」
鏡面刀を構える。
昨日浮かんだ言葉。今度は迷わない。
刀身が金色に染まった。
「……!」
まどかが息を呑む。
昨日より変化が大きい。銀白の衣装へ黄色が広がり、腰や胸元の形までマミさんの衣装に近づいていく。頭には小さな帽子。ブーツの輪郭も変わった。
それでも、まだ俺だ。
銀髪と仮面は残ったまま。銀白を基調にした衣装へ、巴マミだけが混ざっている。
鏡面刀が光り、マスケットへ変わる。一本。もう一本。昨日より形成が速い。
「……本当に私みたい」
マミさんの声が少し遠く聞こえた。
「俺もだんだん怖くなってきた」
そう返しながら、身体は既に構えへ入っていた。右足を半歩引く。肩へ銃床。狙う。
撃つ。
一発目は標的の中心近くへ当たり、二発目はその横へ大きくずれた。マミさんほど安定しない。
左手のマスケットを放り、そのまま黄色いリボンを引く。新しい銃が一本だけ形成された。
「……さっき見たやつ」
できた。
ただし、見た目だけなら。
次の一発を撃とうとした瞬間、銃身が僅かに揺れた。マミさんならほとんど途切れず繋げていた動作が、俺だと一つずつ意識しないと崩れる。
リボンも同じだった。床へ固定するだけなら使える。けれど途中で軌道を変えようとすると、黄色い帯は俺の指示に遅れて、あっさり地面へ落ちた。
「……難しいな」
「形はかなり似ているけれど」
マミさんが落ちたリボンを見る。
「まだ、私と同じではないわね」
「うん。見た目より全然使えない」
「そこまで落ち込む必要はないわ。私だって、最初から今みたいに使えたわけじゃないもの」
その言い方に少しだけ安心する。
ただ、続けて銃を増やそうとしたところで、胸の奥が熱くなった。魔力の減り方が明らかに速い。三本目まではどうにか形になったが、その先へ進もうとしたところで手元が揺れた。
「マギカさん、そこまで」
マミさんの声で手を止める。
「まだいける」
「駄目。魔力の減り方が早いわ」
「……はい」
素直に銃を下ろす。
その返事をした瞬間、自分で少し違和感があった。
声がいつもより柔らかい。言葉の切り方も違う。
「マギカちゃん」
まどかが近づいてくる。
俺は反射的に手を伸ばした。
「危ないから、もう少し下がっていて」
まどかが止まった。
マミさんも俺を見る。
「何?」
「今……」
まどかが、マミさんと俺を交互に見た。
「え?」
言われてから気づく。
確かに、俺なら「危ないから下がって」とか「もうちょい離れて」とか、そのくらいだ。
まどかを見る。
その瞬間、胸の奥へ強い感覚が浮かんだ。
守らないと。
それ自体はおかしくない。まどかを危険に晒したくない気持ちは元からある。
でも今のは、俺がその場で思ったというより、最初からそこにあったものを拾い上げたような感覚だった。
「マギカさん」
マミさんの声が少し低くなる。
「一度、解除して」
「うん」
元へ戻ることを意識すると、黄色が薄れ、マスケットが光へ戻っていく。手の中には鏡面刀。衣装も銀白へ戻った。
いつもの俺。
大きく息を吐く。
「……今の、俺の感情か?」
誰へ聞いたわけでもなかった。
マミさんは少し黙ってから、俺の前まで歩いてくる。
「ねえ、マギカさん」
「ん?」
「便利だからって、あまり深くやりすぎない方がいいかもしれないわ」
「なんで?」
すぐ聞き返すと、マミさんは少しだけ眉を寄せた。
「あなたと、成り代わった相手の境目が曖昧になりそうだから」
成り代わった。
さっき自分で口にした言葉と同じだった。
「でも……催眠とか、自己暗示みたいなもんじゃない?」
「自分への暗示で、他人の魔法や服まで再現できるのかしら?」
返す言葉が出ない。
横でまどかが、申し訳なさそうに小さく頷いている。
味方がいない。
「俺としては、もっとこう……認識をずらしてるとか」
「その可能性はあると思うわ」
マミさんは否定しなかった。
「でも、自分の認識を変えただけで、私のリボンが実際に物を縛れる?」
さらに、さっき俺が撃った標的へ視線を移す。
「銃弾も、本当に当たっていたでしょう?」
「……そうなんだよな」
頭を掻く。
分からない。
ただ、分からないからこそ、もう少し試したい。
そこで視線を感じた。
少し離れたところに、白い姿が座っている。
キュゥべえ。
「さっきから僕を見ているけれど、何か用かい?」
自分には効く。
なら。
「実験させて」
「構わないよ」
即答。
軽いな。
◇
キュゥべえを前へ座らせ、マミさんとまどかには少し離れたところから見てもらう。
「何をするんだい?」
「考え中」
自分を別人だと思い込むことで、服や武器まで変わる。なら逆に、他人へ「お前はこういう存在だ」と押しつけたらどうなる。
キュゥべえを見る。感情がない。表情もほとんど変わらない。声にも、人間みたいな感情の抑揚はない。
普通にやっても、変化が分かりにくい。
だったら、分かりやすいものにすればいい。
冷笑系。
何でも一歩引いて見る。微妙に上から目線。真面目な話にも皮肉を挟む。感情そのものはなくてもいい。ただ、声の抑揚や言葉の間だけ妙に人間臭く、相手を小馬鹿にしているように聞こえる。
そして何故か。
「……よし」
「何がよしなんだい?」
「決まった」
手を伸ばし、キュゥべえの頭へ触れる。
魔力を少し流す。
しばらく沈黙が続いた。
見た目は変わらない。耳も尻尾も赤い目も、そのまま。
「……失敗?」
「これでいいのかなww」
「…………」
俺は手を離した。
「どうしたんだい?ww」
「うわ、腹立つ」
マミさんが口元へ手を当てる。
まどかは完全に笑いを堪えていた。
「成功……なの?」
「多分」
キュゥべえが俺を見上げる。
「君がそういう概念を僕に与えたんじゃないかww」
「自覚あるの?」
「何のことだい?ww」
「ないのかよ」
表情も声質も変わっていない。それなのに、言葉の切れ目へ妙な間が入り、語尾だけわずかに跳ねたり、どうでもよさそうに落ちたりするせいで、感情なんてないはずなのに、どう聞いてもこっちを小馬鹿にしていた。
「……腹立つな、これ」
すごい。
しゃがみ込み、もう少し近くから顔を見る。
「キュゥべえ」
「なんだい?ww」
「いつもの契約台詞」
「最悪」
まどかが吹き出した。
「ご、ごめん……!」
マミさんも横を向いている。肩が震えていた。
「もう一個」
「まだやるのかい?ww」
「じゃあ、魔法少女について説明して」
「願いを一つ叶える代わりに、魔女と戦ってもらうんだよww」
少し間を置いて、いつもの無表情のまま続ける。
「とても単純な契約だと思うけどねww」
「内容は普通なのにクソムカつくな!」
「僕には違いが分からないよww」
「違う。絶対違う」
今まで何度も聞いた説明なのに、全部どこか上から煽られているように聞こえる。本人にそんな感情はないはずなのに、間と抑揚だけが綺麗に煽ってくるせいで余計に腹立つ。
「じゃあ、あれ」
「あれ?ww」
「ほら。いつもの」
キュゥべえが首を傾げる。
「それだよそれ!」
「何がそんなに嬉しいんだい?ww」
「うるさい」
まどかがもう隠す気もなく笑っている。
「マギカちゃん、それ気に入ってるでしょ」
「ちょっとだけ」
「ちょっと?」
「かなり」
マミさんが小さくため息をついた。
「遊びすぎよ」
「はい」
十分すぎるくらい遊んだ。
「よし」
キュゥべえの頭へ手を置く。
「戻って」
「どうやって?ww」
手が止まった。
「……どうやって?」
「僕に聞かれても分からないよww」
マミさんの顔から笑いが消える。
「マギカさん?」
嫌な予感しか含まれていない声だった。
「戻し方、考えてない」
まどかの笑顔まで止まった。
「マギカちゃん?」
「いや、大丈夫。多分」
「その多分は信用していいの?」
「今から確認する」
キュゥべえを見る。
「普通のキュゥべえになれ」
「僕は元からキュゥべえだよww」
変わらない。
「冷笑系じゃなくなれ」
「冷笑系というものが何なのか、僕にはまだ分からないんだけどねww」
これも駄目。
「成り代われ――普通のキュゥべえ」
もう一度、魔力を流す。
しばらく待つ。
「…………ww」
「随分と無責任だねww」
「正論をその口調で言うな!」
「僕は普通に話しているだけだよww」
「それが問題なんだよ!」
マミさんが額へ手を当てた。
「だから、慎重にって言ったでしょう?」
「言われた直後でしたね」
「そうね」
「反省してます」
「しているようには見えないわ」
「してるよ」
半分くらい。
◇
それからしばらく、思いつく限りの方法を試した。
魔力を切る。別の認識を上書きする。自分自身へかけた時と同じ感覚で解除しようとする。どれも反応はなく、キュゥべえは相変わらず語尾へ妙なものを付けたままだった。
「じゃあ僕は行くよww」
「待て」
歩き出そうとしたキュゥべえの尻尾を掴む。
「何だい?ww」
「そのまま行くの?」
「特に活動へ支障はないからねww」
「いや、あるだろ」
「具体的には?ww」
「契約率とか」
「確認していないから分からないよww」
「絶対落ちるだろ」
「根拠はあるのかい?ww」
「今のお前と契約したいかって聞かれたら、俺なら嫌」
「君は既に魔法少女だよww」
「そういう話じゃない」
尻尾を離す。
「……あんまり人前で喋るなよ」
「僕を認識できる人間は限られているけどねww」
「そういう問題じゃねえ!」
キュゥべえは気にした様子もなく歩き出した。
白い尻尾が草の向こうへ遠ざかっていく。
しばらく見送ってから、遅れて嫌な考えが浮かんだ。
「今さら?」
まどかに言われた。
もう遅かった。
◇
その夜。
住宅街の一角で、一人の少女が塀の上から自分を見下ろしている白い生き物へ足を止めた。
「……猫?」
「僕は猫ではないよww」
「え?」
少女が少し後ずさる。
キュゥべえはいつもの無表情のまま尻尾を一度揺らし、妙に含みを持たせた調子で続けた。
「君には素晴らしい素質があるww」
少女の眉が少し寄る。
「どんな願いだって叶えられるよww」
さらに一拍。
「……なんか嫌」
即答だった。
キュゥべえが首を傾げる。