朝から、空気がおかしかった。
窓を叩く風の音で目が覚めた時点で嫌な予感はしていたが、テレビをつけると、予報士が見たこともない規模の雲を指しながら何度も同じ言葉を繰り返していた。巨大積乱雲、スーパーセル、記録的暴風、河川の増水、飛来物。画面の端には、見滝原市全域へ避難を促す表示まで出ている。
「…………」
来た。
そう思った瞬間、机の上に置いていたスマートフォンが震えた。緊急速報。ほとんど同時に街のどこかからサイレンが鳴り始め、閉め切った窓越しでも低い音が部屋まで届いてくる。
「……いや待て」
テレビから目を離し、部屋を見回した。制服。教科書。昨日洗って伏せておいた弁当箱。机の隅には、二つ連なったソウルジェム。
転生して、学校へ戻って、ほむらと出会って、マミさんとまどかに会い、魔女と戦って刀を教わった。放課後には訓練して、キュゥべえにリードまで付けた。
妙に濃かったせいで忘れそうになるけど。
「俺、こっち来てまだ一か月くらいだよな……?」
一か月で世界最大級レイド攻略。
「無理ゲーだろ……」
口にした直後、もう一度警報音が響いた。
笑えない。
テレビでは学校や公共施設を避難所として開放するという案内が始まり、窓の外では朝とは思えない暗さの中で、街路樹が同じ方向へ大きくしなっている。時折、細かなものが道路を転がっていくのも見えた。
着替えながら、ふと一人の顔が浮かんだ。
さやか。
「……結局、魔法少女にならなかったな」
この時間軸では、美樹さやかはまだ契約していない。本来ならさやかが倒すはずだった魔女も俺たちが先に倒したし、キュゥべえと深く関わるきっかけがずれたのか、上条恭介との関係が違うのか、それとも単純にまだその時が来ていないだけなのか。そこまでは分からない。
最近のさやかを思い返してみる。学校では普通に笑っていたし、上条の話をする時も、俺が知っている原作ほど追い詰められているようには見えなかった。
「……もしかして、普通に上条とうまくいってたりする?」
そうなら、そのままでいてほしい。
魔法少女が一人増えれば戦力になる。ワルプルギスを前にすれば、そんな考えが一瞬浮かばないわけじゃない。
でも、それでさやかに契約してほしいとは思わなかった。
普通の女の子のままでいられるなら、その方がいい。
◇
学校は休校になった。
指定された避難所へ向かう途中、俺はさやか、仁美、ほむらと合流した。道路には同じ方向へ急ぐ人が溢れ、普段なら車が並ぶ大通りにも、今日は誘導員の声と警報音ばかりが響いている。
強い風が吹くたび、傘を持っている人まで畳むよう指示されていた。小さな子供の手を引いて急ぐ親、何度も後ろを振り返る老人、スマートフォンを耳に当てたまま早足になる人。
街全体が、いつもの見滝原ではなくなっていた。
「まどか、いないね」
さやかが人混みの向こうを覗き込む。
「家族と別の避難所なんじゃない?」
そう答えた俺より早く、ほむらが口を開いた。
「鹿目さんは……大丈夫でしょうか」
その声が少し強張っている。
「大丈夫だよ」
できるだけ普通に返した。
「でも……」
「頼りになる人と一緒だから」
マミさんがいる。俺も行く。だから、大丈夫。
そう思いたかった。
避難所の入口が見えてきたところで、ほむらの歩幅が少し遅くなる。周囲に流されながらも、まだまどかの姿を探しているらしい。
「田中さん」
「何?」
「もし、鹿目さんがここに来なかったら……私、探しに」
「駄目」
自分でも驚くほど早く言葉が出た。
ほむらが目を丸くする。
「絶対に避難所から出ないで。今日は本当に危ないから」
「でも、鹿目さんが」
「まどかは大丈夫」
少し強く言いすぎた。
ほむらの唇が僅かに閉じる。
「田中さんも?」
「…………」
一瞬だけ詰まった。
「……私も」
嘘だった。
このあと俺は、ここを出る。ほむらを置いて、ワルプルギスのところへ行く。
「約束してください」
眼鏡の奥から真っ直ぐ見られた。
こういう時だけ、妙に目を逸らさない。
「……うん」
口にした瞬間、胸の奥が少し重くなった。
◇
避難所へ入ってから十分ほど待った。
体育館の中では職員が慌ただしく走り回り、毛布や飲料水が運び込まれている。窓の外では風が鳴り続けていたが、建物の中には人の話し声と子供の泣き声が混ざり、妙に現実味のない騒がしさがあった。
さやかと仁美が受付の方へ向かい、ほむらも職員に呼ばれてこちらから目を離す。
今しかない。
人の流れを逆へ抜け、建物の外へ出た。途端に風へ身体を押され、思わず壁へ手をつく。制服のスカートが強く煽られ、髪が顔へ張りついた。
そのまま建物の陰へ回り込み、誰もいない路地まで走る。背後から避難所の声は聞こえていたが、角を二つ曲がる頃には風の音に飲まれていた。
もう戻れない。
二つ連なったソウルジェムを握る。
光が身体を包み、制服の代わりに銀白の衣装が現れる。左胸へ二つの宝石が収まり、顔を覆う仮面と、鏡のように光を返す日本刀が形を成した。
足元の感覚が変わる。さっきまでの田中の身体から、戦える身体へ。
「……行くか」
声に出した時には、もう一人称も戻っていた。
◇
合流地点には、マミさんとまどかが先に来ていた。
まどかは既に変身している。弓を握る指が少し固く、何度か小さく握り直していた。
マミさんはいつもと変わらない。背筋も伸びている。声も落ち着いている。
少なくとも、そう見えた。
「来たわね」
「遅れてごめん」
「いいの。一般の人に怪しまれない方が大事だから」
マミさんは俺を一度見てから、まどかにも視線を向けた。
「最後に確認するわ。今から相手にするのは、今までの魔女とは違う。私も実際に戦ったことはないし、噂がどこまで正確なのかも分からない。危険だと思ったら、私の指示を待たずに退いて」
「うん」
「了解」
マミさんは少しだけ間を置いた。
「二人とも、生きて帰ること。いい?」
まどかが一度息を吸った。
「……うん」
「分かった」
その言葉だけは、妙に耳へ残った。
戦闘前に、マミさんが用意していた予備のグリーフシードで三人とも可能な限りソウルジェムの濁りを落とした。銀色の宝石から薄い濁りが抜けていくのを確認し、俺も胸元の二連ソウルジェムへ指を触れる。
今のところ異常はない。
地形も確認した。戦い方も決めた。グリーフシードも残してある。魔力も満タンに近い。
やれる準備は、やった。
「お前は?」
少し離れたところに座っているキュゥべえへ聞く。
「僕には戦闘のための能力はないよ」
「……羨ましい立場だな」
「そうかい?」
それ以上は返さなかった。
風が止まった。
さっきまで建物の隙間を唸りながら抜けていた暴風が、唐突に消える。旗も、木々も、髪の先まで止まった。
静かすぎる。
マミさんの表情が変わった。
「来る」
遠くから金属の擦れる音が聞こえた。何か巨大な歯車が回転するような響きに、舞台音楽めいた旋律と甲高い笑い声が重なってくる。
知っている。
この音を。
「来る……」
自分でも同じ言葉を呟いていた。
空が歪んだ。
◇
最初に見えたのは、歯車だった。
巨大な輪郭が雲の向こうから現れ、その下に逆さまの人形が吊り下がる。周囲では舞台装置が幾重にも回転し、その隙間を顔のない役者たちが踊るように飛び回っていた。
結界へ入った覚えはない。境目すらなかった。
それなのに、いつもの街の上へ別の舞台が重なっていく。空も、風も、建物も、その巨大な存在を中心にした舞台装置の一部へ変えられているようだった。
「……でか」
声が漏れた。
映像で何度も見たはずなのに、実物は全然違う。
画面の中では一枚絵だった。今は建物が比較対象になる。道路がある。電柱がある。その向こうへ、人間の尺度から外れたものが浮かんでいる。
大きさを理解したはずなのに、その数字を脳が受け入れてくれない。
何もされていないのに、膨大な魔力の圧だけで皮膚がざわついた。喉が妙に乾き、刀を握る手へ勝手に力が入る。
知ってる相手のはずなのに。
全然知らない。
「二人とも!」
マミさんの声で意識が戻る。
黄色いリボンが一斉に広がり、建物の壁や街灯へ絡みつきながら空中へ何本もの足場を作った。
「予定通り! 鹿目さんは後方から使い魔と飛来物を優先! マギカさんは私と一緒に前へ!」
「うん!」
「了解!」
最初に跳んだのはマミさんだった。
リボンを踏んで次の足場へ移る途中ですでに両手へマスケットを形成し、着地する前から銃声が続く。一発目で正面の使い魔を落とし、二発目は別方向から近づいていた一体へ。
射線から漏れた敵には、後方から桃色の矢が突き刺さった。
「まどか、右!」
「うん!」
まどかが身体ごと向きを変え、次の矢を放つ。
当たる。新人とは思えないくらい落ち着いている。
それでも、マミさんと並べれば差ははっきりしていた。
撃ちながら移動し、リボンで足場を増やし、飛んでくる瓦礫の軌道を逸らす。その間にも俺とまどかの位置を何度も確認し、まどかの死角へ入った使い魔を振り返りもせず撃ち落とした。
俺たち二人を戦わせながら、自分も主力として戦っている。
「マギカさん!」
「はい!」
リボンが腰へ巻きつき、身体が一気に上へ引き上げられた。
「うおっ!」
足元の街が遠ざかる。ワルプルギスへ近づくほど風圧が強くなり、息をするだけでも身体が揺れた。
「……高っ」
今さら刀を持ってきた自分に文句を言いたくなったが、そんな余裕もすぐに消えた。
横殴りの風に身体を持っていかれながら、腰へ巻かれたリボンを支点に足を伸ばす。どうにか姿勢を作り、そのまま踏み込んで鏡面刀を巨大な装甲のような部分へ叩き込んだ。
刃は確かに届いた。腕まで痺れる衝撃と火花が返ってくる。
それでも、相手が大きすぎて今の一撃が本当に意味を持ったのか分からない。俺が削った場所すら、一歩離れればどこなのか見失いそうだった。
マミさんのリボンが強く引かれ、身体が後方へ戻される。直後、さっきまでいた位置を巨大な影が横切った。
「ぼーっとしない!」
「ごめん!」
さらに三体の使い魔が左右から迫る。
ここなら。
スペッキオ・ファントム。
自分の位置を僅かにずらす。一体目が俺の横を通り過ぎ、そのまま二体目とぶつかった瞬間へ踏み込む。横薙ぎの一撃で二体まとめて断ち、残った一体が振り返るより早く返す刀を走らせ、その胴も切り裂いた。
崩れた足場へ着地しそうになったところへ、マミさんのリボンが一本伸びてくる。踏んで体勢を戻す。
「……よし」
前は何度も失敗した動きが、本番でも通用する。相手を完全に騙す必要はない。一度だけ判断を間違えさせ、その一瞬を斬ればいい。
成長している。
そう思った直後、ワルプルギス本体が動いた。
反射的に認識を右へずらす。ほんの数メートル。
意味がない。
巨大な腕のような影が振り抜かれ、誤認させた位置も実際にいた位置もまとめて薙ぎ払う。
「っ!」
風圧だけで足場が消し飛ぶ。
逃げるより早くリボンが腰へ巻きつき、身体が強引に後ろへ引かれた。
「位置をずらすだけじゃ駄目! 範囲が広すぎるわ!」
「分かってる!」
今、分かった。
右にずれても左にずれても全部吹き飛ぶ。使い魔には通じても、ワルプルギス本体相手では数メートルの誤認なんて誤差でしかない。
スペッキオ・ファントムだけでは噛み合わない。
なら、遠距離。
頭へ浮かんだのは一人だった。
マミさん。
鏡面刀を握り直す。
「成り代われ――巴マミ」
刀身へ金色が走り、銀白の衣装へ黄色い意匠が混ざる。肩から伸びたリボンと同時に刀の輪郭が崩れ、一本のマスケットへ変わった。
もう一本。
三本目を思い描く。
出ない。
そこまで。
本家より形成できる数はずっと少ないし、構えた瞬間から肩へ妙な重さが残る。
でも、届く。
「マギカさん?」
「借ります!」
マミさんが一瞬だけ驚いた。俺の黄色い意匠とマスケットを見て何か言いたそうに口を開く。
でも今は戦闘中だ。すぐに表情を戻した。
「なら、合わせて!」
「はい!」
本物の周囲には次々とマスケットが展開される。四本、六本、さらに増える。
俺の二本とは比べものにならない。
「鹿目さん!」
「うん!」
まどかが弓を構える。
マミさんの銃撃、俺の模倣、まどかの矢がほぼ同時にワルプルギスへ集中した。
爆音。火球。衝撃波に銀髪が大きく煽られ、思わず目を細める。
煙が逆さの人形を覆った。
「……効いてます?」
「分からない。でも、続けるしかないわ」
煙の向こうで、歯車は変わらず回っていた。
それでも俺たちは立っている。誰も脱落していない。避難所へ向かう瓦礫は止めている。使い魔も処理できているし、本体への攻撃も続けられている。
戦えている。
「左から来る!」
まどかの声に振り向く。
車体ごと巻き上げられた車が回転しながらこちらへ向かっていた。そのまま落ちれば、後方の住宅地へ突っ込む。
マミさんのリボンが車体へ巻きつく。
だが、風が強すぎる。
「鹿目さん!」
「うん!」
桃色の矢が車体へ突き刺さり、空中で爆ぜた。細かな破片が散り、俺は刀へ戻した武器で正面から飛んできたものだけを弾く。マミさんが残りをリボンで地面へ叩き落とした。
誰か一人では間に合わなかった。
でも三人なら間に合う。
連携できている。
原作より条件はいい。
マミさんがいる。俺もいる。準備もした。
もしかして。
変えられる?
◇
時間の感覚がなくなっていった。
何分戦っているのか分からない。銃声と風の音と笑い声が混ざり、耳がずっと遠い。足場に着地したと思った次の瞬間には跳び、刀を振ったと思えば銃へ変える。
それでもワルプルギスの夜は最初から変わらなかった。
マミさんの銃撃を浴びても、まどかの矢が刺さっても、俺が斬っても反応らしい反応を見せない。怒りもしなければ、こちらを睨みもしない。
ただ巨大な歯車を回し、笑いながら舞台を続けている。
「……こいつ、俺たちと戦ってるつもりあるのか?」
誰も答えない。
実際、そう見えた。
俺たちは敵として認識されていないのかもしれない。災害の中で、人間が勝手に抵抗しているだけ。
その間にも街は壊れていく。
看板が飛び、電柱が倒れ、窓ガラスが砕ける。屋根が剥がれ、道路にあった車まで空へ巻き上げられる。
避難所へ向かっていた大きな看板が見えた。
「まずい!」
ワルプルギスへ向けていた銃口を下げる。
俺が撃つより早く、マミさんのリボンが看板へ絡みついた。
「マギカさん、本体を!」
「はい!」
看板はマミさんが止める。
俺は戻る。
次の瞬間には、まどかの背後へ使い魔が一体回り込んでいた。
「まどか!」
振り返ったまどかより早く銃弾が飛び、その使い魔の頭部を撃ち抜いた。
マミさんだった。
「前を見て!」
「ご、ごめんなさい!」
マミさんは看板を止めながら、まどかまで助けている。その直後には自分のマスケットをワルプルギスへ向けていた。
見えている範囲が違う。
本体を攻撃しながら使い魔を処理し、飛んでくる瓦礫を防ぎ、避難所への被害まで気にする。そのうえで、まどかと俺の位置まで見失えない。
守るものが多すぎる。
「こんなの……一人でどうにかできるわけないだろ」
誰にも届かない声で呟いた。
原作を見ていた時には分からなかった。ほむらがどれだけ火力を集めても、どれだけ武器を用意しても、これ全部を一人で相手にするなんて。
無茶だ。
◇
顔のない役者が、空中を踊っていた。
その中の一体が視界へ入る。人型で、スカートのような輪郭を持ち、手には武器にも見える何かを持っている。
「……あれ」
どこか、魔法少女に似ている。
そう思った次の瞬間、遠くで何かが弾けた。
「っ――」
どこから来た。
視線を振る。
正面じゃない。上でもない。
横。
巨大なコンクリート片が、建物の陰から回り込むように飛んできていた。
しかも一つじゃない。大小の瓦礫がばらばらの軌道で巻き上がり、どれがこっちへ来るのか最後まで読めない。
「マギカさん!」
黄色いリボンが身体へ巻きつき、強く引かれる。
身体が宙へ持ち上がった直後、さっきまでいた場所を瓦礫がまとめて薙いでいった。空気が破裂するような音が響き、衝撃だけで耳の奥が痛む。
「集中して!」
「……ごめん!」
地面へ降ろされても、心臓だけがまだ速かった。
読めない。
ワルプルギスの攻撃には、分かりやすい順番も予備動作もほとんどない。舞台装置も、使い魔も、風も、瓦礫も、それぞれ勝手に動いているように見えるのに、結果だけは全部こちらを巻き込んでくる。
しかも範囲が広すぎる。
少し位置をずらしたところで意味がない。どこへ避けても、別の何かが飛んでくる。
原作を知っているとか、そういう話じゃない。
これは最初から、攻略手順を覚えてどうにかする相手じゃなかった。
映像で知っていたのは、せいぜい「ワルプルギスの夜という、とんでもなく強い魔女が来る」という大枠だけだった。実際にその中へ立ってみれば、攻撃の順番も、風の向きも、どこから瓦礫が飛んでくるかも分からない。
原作知識は役に立つ。
でも。
生き残るための答えまでは、載っていない。
考えている暇はなかった。
歯車の音が変わった。さっきまで一定だった回転音が低くなり、腹の底へ響く。
「二人とも、離れて!」
マミさんが叫んだ。
次の瞬間、風が爆発した。
◇
「っ――!」
足場が消えた。
身体が持ち上がり、腰へ巻きついたリボンだけが俺を空中へ繋ぎ止める。さっきまでの暴風とは違う。風というより、街全体を掴んで振り回している。
視界の端で街灯が折れ、破片が空へ吸い上げられた。
「まどか!」
「大丈夫!」
まどかもリボンで固定されながら、飛んでくる瓦礫を次々と射抜いている。
一本目。二本目。
三本目で、僅かに弓を引くのが遅れた。
マミさんの銃声が重なり、その瓦礫を先に砕く。
「無理に全部撃たなくていい! 私も見るから!」
「うん!」
俺もマスケットを形成する。
一発目の反動が肩へ重く残る。二発目では腕が僅かに下がった。
それでも本体へ撃つ。マミさんも撃つ。まどかの矢も続く。
攻撃は間違いなく当たっている。それでも歯車は止まらず、笑い声すら変わらない。
向こうだけが、何も変わらない。
こちらの消耗だけは、嫌になるほど分かった。
マミさんの呼吸が少し速くなっている。さっきまで着地のたびに全くぶれなかった足が、今は一度だけ僅かに滑った。
まどかの射撃間隔も長くなってきた。俺の腕も重い。
胸元へ視線を落とすと、二連ソウルジェムには戦闘前にはなかった薄い濁りが戻り始めていた。
相手の消耗だけが見えない。
「まだいける!」
自分に言い聞かせるように声を出した。
マミさんがこちらを見る。
「ええ。崩れないで! まだ戦えるわ!」
その声だけで、身体がもう一度動いた。
やっぱり。
マミさんがいる限り、まだ崩れない。
「次、合わせるわ!」
黄色いリボンが何本も伸び、ワルプルギスの周囲へ絡みつく。
一部はすぐに千切れた。それでも残った数本が食い込み、巨大な歯車の回転をほんの僅かに鈍らせる。
「マギカさん!」
「はい!」
成り代わった状態のままマスケットを形成する。
二本。
もう一本。三本目。
「ぐっ……」
指先まで痛みが走り、三本目の輪郭が何度も崩れかける。
でも、消さない。
マミさんを見る。本物はもっと多い。まだ動いている。
なら。
「鹿目さん、中央!」
「うん!」
まどかが弓を引き絞る。桃色の光が矢へ集まり、風に煽られていた髪まで淡く照らす。
マミさんの銃口。俺の銃口。まどかの矢。
三人の狙いが一つへ重なる。
「今!」
一斉に放った。
轟音と衝撃で視界が白く染まり、腹の奥まで震える。近くの窓という窓が遅れて砕け、爆煙が巨大なワルプルギスの姿を覆い隠した。
今までで一番大きい。
荒い息を整えながら、煙の向こうを見る。
一秒。二秒。三秒。
さっきまで聞こえていた笑い声まで、一瞬だけ途切れた気がした。
煙が流れる。
歯車が見えた。
「…………」
まだいる。
逆さの人形も、巨大な輪郭もそのまま。何事もなかったように回転し、また同じ笑い声を響かせ始める。
マミさんの表情が、一瞬だけ硬くなった。
ほんの一瞬だった。でも、見えた。
「まだよ」
短い声。
初めてだった。マミさんの声に、僅かな焦りを感じたのは。
ワルプルギスの歯車が、さらに大きく回転する。
舞台音が変わった。低い音が空へ広がり、足元の地面まで僅かに震える。
空気が重い。
頭上で、今までとは比較にならない魔力が膨れ始める。
何かが来る。
身体がそう理解するより早く、マミさんが俺たちの前へ出た。
無数のリボンが広がる。一枚の壁みたいに。その周囲へ次々とマスケットが現れた。
「マミさん!」
「大丈夫!」
こちらを振り返らないまま、マミさんが言う。
「二人は私に合わせて!」
迷いのない声だった。少し前まで荒くなっていた呼吸すら、もう声からは分からない。
まだ頼れる。
まだ強い。
この人が前にいるなら。
まだ戦える。
そう思った瞬間だった。
それまでとは比べものにならない魔力が、頭上で弾けた。