俺がマギカなのか……?改   作:きのこ大三元

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第18話 次の俺へ

 俺は?

 

 答えは返ってこなかった。

 

 暁美ほむらの姿が、少しずつ遠ざかっていく。いや、距離が離れているわけじゃない。目の前にいるはずなのに、その輪郭だけが薄い膜の向こうへ移っていくように見えた。

 

「……待て」

 

 喉から掠れた声が出る。右腕は瓦礫に挟まれたまま、脚も動かない。追いかけるどころか、指一本まともに持ち上げられなかった。

 

「待っ……」

 

 呼び止めてどうする。

 

 ほむらには時間を越える魔法がある。俺にはない。

 

 成り代わり。認識をずらすこと。身体能力の強化。マミさんの力を借りること。今まで使えたものを頭の中でいくら並べても、別の時間軸へ移る方法なんて一つも出てこなかった。

 

 当たり前だ。

 

 俺はそんな願いをしていない。そもそも、自分が何を願ったのかすら分かっていない。

 

「……嘘だろ」

 

 そこでようやく、恐怖が追いついた。

 

 ほむらは次へ行く。鹿目まどかと出会う前へ。

 

 なら、この時間軸はどうなる?

 

 視線を動かす。燃えている建物は燃えたまま。道路を埋める瓦礫も、砕けた窓も、折れた街灯も、何一つ元には戻っていない。少し離れた場所にはマミさんが倒れ、その先にはまどかもいる。ワルプルギスに壊された街も、全部そのまま残っている。

 

 この世界は消えていない。

 

 ほむらだけが、ここから出ていく。

 

「……じゃあ」

 

 口の中が乾いた。

 

俺は、このままここに残るのか。

 

 田中として帰る家が残っているのかも分からない。避難所がどうなったのかも、さやかや仁美が無事なのかも分からない。それ以前に、時間軸を越えていくほむらの近くにいた俺自身が、この場所へそのまま残れるのかさえ分からなかった。

 

「俺……ここに置いていかれるのか?」

 

 死ぬ、とは少し違う。

 

 ほむらだけがやり直せる。俺は失敗した世界の続きに残される。マミさんに刀を教わったことも、まどかと笑ったことも、ほむらと学校で話したことも、全部ここには残っているのに、その本人たちはもういない。

 

 喉の奥が詰まった。

 

 それなら。

 

消えるより、こっちの方が怖いのかもしれない。

 

 ◇

 

 ほむらの輪郭がさらに薄くなる。

 

 周囲の空気が揺れ、景色まで僅かに歪んで見える。それでも街そのものには何も起こらない。炎は燃え、煙は昇り、瓦礫も崩れたまま。変わっているのは、ほむらだけだった。

 

「……こうなるのか」

 

 ほむらが過去へ戻ることは知っていた。でも、実際に目の前で見るまで考えたことがなかった。

 

 世界そのものが元へ戻るわけじゃない。

 

 この世界で起きたことは、このまま残る。マミさんが死んだことも、まどかが死んだことも、俺たちがワルプルギスに負けたことも、なかったことにはならない。

 

 ほむらだけが、別の時間軸へ移っていく。

 

 頭ではそこまで分かった。それでも今は、理屈より先に一つのことしか浮かばない。

 

「待ってくれ」

 

 届かない。

 

 ほむらはこちらを見ない。当然だ。俺が瓦礫の下でまだ意識を保っているなんて知らないし、学校で話した田中と、ここで倒れているマギカが同じだとも知らない。

 

 それでも、ほむらは行く。

 

 まどかを救うために。

 

「……マジかよ」

 

 魔女に殺されるなら、まだ理解はできる。身体が壊れて、ソウルジェムが砕けて、そこで終わる。

 

 これは違う。

 

 俺だけが、失敗した世界の後ろに取り残される。

 

 この街でそのまま死ぬのか、生き残るのか。それとも、時間軸を越えていくほむらの影響で、もっと別の何かが起きるのか。何も分からなかった。

 

「……まだ、終わりたくない」

 

 ほとんど声にならない。

 

 マミさんを助けられなかった。まどかも。ワルプルギスにも勝てなかった。さやかだって、この先どうなるか分からない。ほむらは、たった今ようやく自分の願いを選んだばかりだ。

 

 何一つ、ちゃんとできていない。

 

 最初の一回で、ここまでなのか。

 

 そう思った時だった。

 

 胸元が熱くなった。

 

「……?」

 

 二つ連なったソウルジェムを見る。

 

 一つは銀色。もう一つは、何も入っていないように見えていた透明な方。

 

 銀色の宝石が、脈を打つように震えていた。一度、二度。そのたびに胸の内側まで何かが響き、細い糸ごと遠くへ引かれているような感覚が走る。

 

「なんだ……?」

 

 ほむらの輪郭が遠ざかるたび、銀色のソウルジェムも僅かに強く脈打つ。

 

 あっちへ行こうとしている。

 

 そんな気がした。

 

 でも、もう一つだけ違った。

 

 透明な方。

 

「……え」

 

 何もなかったはずの内部に、小さな光がある。

 

 透明な宝石の中心。針の先ほどの金色。それがゆっくりと細い糸のように伸びていく。

 

 亀裂じゃない。割れてもいない。濁りとも違う。透明な水へ金色の絵の具を一滴落としたみたいに、淡い光だけが内部へ残っていた。

 

 こんな状況じゃなければ、しばらく眺めていたかもしれない。それくらい綺麗だった。

 

「……なんだ、これ」

 

 触れようとしても腕は動かない。ただ見ているしかなかった。

 

 銀色の宝石が、また強く脈打つ。今度は胸の奥まで響いた。

 

 同時に。

 

『――』

 

「……?」

 

 聞こえた気がした。

 

 声と呼べるほどはっきりしたものじゃない。音ですらなかったかもしれない。誰かが名前を呼んだわけでも、意味のある言葉になっていたわけでもなかった。

 

 ただ、胸の奥を何かが掠めた。

 

 寂しいような、引き止めるような感覚。

 

 それが何だったのか確かめるより早く、銀色の光が強く瞬いた。

 

「今の……」

 

 その瞬間、身体が落ちた。

 

「っ!?」

 

 地面じゃない。

 

 瓦礫はまだ周囲にある。炎も、崩れた街も、その場に残っている。

 

 なのに、自分だけがそこから外れた。

 

 誰かに腕を掴まれたわけでもない。それでも身体の内側だけを強く引かれ、胃が浮き、頭の奥がひっくり返る。

 

 視界の中で、壊れた街が遠ざかっていった。

 

 巻き戻ってはいない。

 

俺の方が離れていく。

 

「待っ――」

 

 どこへ行くのかは分からない。上下すらなく、目を開けているのか閉じているのかも曖昧になる。

 

 それでも、どこかに俺が落ちる場所だけは決まっている気がした。誰かが待っているわけでもない。何かに呼ばれたわけでもない。それなのに、向こう側には俺が入る場所だけがあって、そこへ引かれていく。

 

 壊れた街が見えなくなる。

 

 ワルプルギスも、炎も、瓦礫も、全部そのまま残して。

 

 最後に見えたのは、胸元の二つの光だった。

 

 銀色。

 

 透明。

 

 その奥に残った、小さな金色。

 

 やがて痛みも音も、自分の身体がどこにあるのかという感覚まで消えていった。

 

 意識だけが、暗いところへ沈んでいく。

 

――死んだ?

 

 ◇

 

 目を開けた。

 

「…………」

 

 白い天井。照明。カーテン。窓から差し込む朝の光。

 

 何度も見てきた、自分の部屋だった。

 

「…………は?」

 

 しばらく天井を見たまま固まる。夢から覚めた直後みたいに、頭だけが状況についてこない。

 

 身体を起こしてみる。

 

 痛くない。

 

 右腕も動く。左脚もある。胸も痛くない。反射的に腹、腕、脚へ触れ、指を握って開いて、もう一度握る。

 

 全部動く。

 

「え、何」

 

 布団を捲る。

 

 パジャマ。いつもの身体。銀色の髪が肩から落ち、その感触まで妙に現実的だった。

 

「……俺、生きてる?」

 

 返事はない。

 

 当たり前だけど。

 

 ベッドから降りようとして、一度止まった。

 

 これは、いつだ。

 

 机を見る。

 

 教科書。制服。置いてある小物。机の端へ置いたままにしていたものまで、記憶の中と同じ位置にある。

 

 スマートフォンを掴み、画面をつけた。

 

「…………」

 

 日付を見る。

 

 もう一度見る。

 

 一度画面を消してから、またつけ直した。

 

「戻ってる」

 

 喉が乾いた。

 

 正確には、俺が戻ってきている。

 

 ほむらが転校してくる前。

 

 あの頃へ。

 

 数週間前の時間軸が、また目の前にある。

 

「いやいやいや……」

 

 ベッドへ座り直し、スマートフォンを握ったまま頭の中を探る。

 

 覚えている。

 

 マミさん。まどか。ほむら。キュゥべえ。魔女。訓練。

 

 マミさんに刀を教えてもらったこと。まどかと話したこと。ほむらと学校で過ごしたこと。ワルプルギスの夜。

 

 砕けたマミさんのソウルジェム。倒れたまどか。泣いていたほむら。

 

 そして。

 

『鹿目さんとの出会いをやり直したい』

 

 全部残っている。

 

 どこか曖昧な夢の記憶じゃない。誰がどこに立っていたか、何を言ったか、どんな顔をしていたか。

 

 嫌になるくらい覚えている。

 

「夢……じゃない」

 

 それに、最後に見たものがある。

 

 慌てて机へ向かう。

 

 二つ連なったソウルジェムは、そこにあった。

 

「……あった」

 

 手に取る。

 

 一つは銀色。もう一つは透明。

 

 形も、繋がり方も同じ。傷もない。砕けてもいない。

 

 見た目だけなら、最初の日と何も変わっていなかった。

 

 でも、窓から入る光へ透かした瞬間、息が止まった。

 

「……これ」

 

 透明な宝石の中心に、金色がある。

 

 ほんの少し。埃と見間違えるくらい小さな光。

 

 角度を変えても消えない。指で表面を擦っても取れず、宝石を裏返しても中心から動かない。

 

「なかったよな……これ」

 

 この宝石はずっと透明だった。何も入っていない。キュゥべえにもそう言われた。

 

 なのに今は、中心にだけ小さな金色が残っている。

 

 あの時間軸の最後に見たものと同じだった。

 

 ベッドへ戻り、二つの宝石を掌に載せる。

 

 何が起きた?

 

 ほむらの魔法に引っ張られた可能性はある。でも、ほむらが移動したのは本人の願いと魔法によるものだ。俺まで一緒に連れてくる理由はないし、あの時のほむらは俺がマギカだということすら知らない。

 

「俺の魔法……?」

 

 成り代わり。

 

 それが時間軸にまで作用した?

 

 俺自身が、次の何かへ成り代わった?

 

「……いや、なんだそれ」

 

 自分で言っていて意味が分からない。そんなことをした覚えも、発動した感覚もなかった。

 

「それとも……田中の?」

 

 口にしてから、銀色の宝石を見る。

 

 こっちが何なのかすら、まだちゃんと分かっていない。俺が知らないだけで田中側に何か別の魔法があるのか、それとも二つ連なっていること自体に意味があるのか。

 

 透明な方も同じだ。何も入っていなかったはずなのに、今は金色が一つ増えている。

 

 あの最後に聞こえたものもある。

 

『――』

 

 思い出そうとしても、やっぱり言葉にはならない。

 

「キュゥべえに聞く……いや、あいつも分かるのか?」

 

 考えれば考えるほど、分からないことばかり増えていく。

 

 でも、一つだけ確実に分かったことがある。

 

俺も来た。

 

 ほむらとは別の何かに引かれて、この時間軸へ。

 

「……俺も戻ってきたんだ」

 

 掌の中のソウルジェムを握る。

 

 声にした途端、胸の奥が急に熱くなった。

 

 怖くないわけじゃない。あの最後を覚えている。ワルプルギスの強さも、マミさんが死んだことも、まどかを助けられなかったことも、自分が瓦礫の下で動けなくなったことも。

 

 もう一度同じところまで行けば、また同じ目に遭うかもしれない。次はもっと早く死ぬかもしれない。

 

 でも、全部覚えている。

 

 なら、今度は知っている。

 

 何が足りなかったのか。どこまで準備しても届かなかったのか。どんな場面でマミさんが無理をしていたのか。まどかがどこで消耗したのか。俺の魔法がどこまで通じて、どこから通じなくなったのか。

 

 一度経験したなら、前よりはやれる。

 

 マミさんはもっと強くなれるかもしれない。俺ももっと戦えるようになれる。グリーフシードも集められるし、ワルプルギスへの準備だってもっと早く始められる。

 

 マミさんに、あんなに全部背負わせなくてもいいかもしれない。

 

 まどかも。

 

 今度は。

 

「……もう一回、か」

 

 怖い。

 

 それでも、少しだけ笑った。

 

 一度失敗したなら、次はもう少し上手くやれる。

 

 掌の上には、二つのソウルジェム。

 

 一つは銀色。

 

 もう一つは、ほとんど透明。

 

 ただ、その中心にだけ、前にはなかった小さな金色が浮かんでいる。

 

 まだ、それが何なのかは分からない。どうして俺までここへ来たのかも、これが何を意味するのかも。

 

 何一つ。

 

 それでも、この時の俺は本気でそう思っていた。

 

次は、もっと上手くやれる。

 

 次の世界にも。

 

また俺がいた。

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