2026/09/23 18:00 追記:演出の特殊フォーマットを追加しました。
放課後の河川敷は、思っていたより風が強かった。川沿いの草が同じ方向へなびき、少し離れた遊歩道では自転車のベルが鳴っている。土手を下りた先には、誰が置いたのか分からない古びたドラム缶と木箱、それから今日のために用意したらしい何本かのゴルフクラブが並んでいた。
その一本を、暁美ほむらが両手で握っている。
頭の奥に、画面越しで見た光景が重なった。時間を止めて、ゴルフクラブで殴る。文字にすると物凄く雑なのに、これが暁美ほむらという魔法少女の戦い方の始まりになる。
「それじゃあ、まずはあなた自身が何をできるのか確かめましょう」
少し離れた場所で、マミさんがほむらへ向き直る。
「どのくらい時間を止められるのか。止めている間に何ができるのか。分からないことを、一つずつ試していけばいいわ」
「はい」
ほむらが緊張した様子で頷く。俺はその横で、左腕についた盾へ視線を落とした。
時間停止。その能力自体は知っているし、少なくとも俺の記憶の中では何ができるのかも大体分かっている。でも今のマミさんたちは知らない。ほむら本人だって、自分の魔法を使い始めたばかりだ。
ここで俺が先回りして答えを並べるのは簡単だけど、それじゃ駄目だ。知っているのは俺だけでいい。
「じゃあ、あのドラム缶を狙ってみましょう。まずは止めた時間の中を動いてみて、それから何度か叩いてみて」
「わ、分かりました」
ほむらはゴルフクラブを握り直し、少し離れた位置へ立った。まどかがその様子を心配そうに見つめている。
「ほむらちゃん、無理しないでね」
「はい」
返事だけで少し嬉しそうなのが分かる。
……まあ、今はいい。
ほむらが盾へ手を添えた。
「始めます」
「――え?」
いや、消えたんじゃない。
位置が変わった。
数メートル先に立っていたはずのほむらが、もうドラム缶の横にいる。そこまで認識した直後、ゴン、と遅れて音が響き、無傷だった金属の表面が一か所沈んだ。
続けてその隣も歪む。さらにもう一つ。ほとんど同時に何度も殴られたように凹みが増え、数秒もしないうちにドラム缶はあちこちがベコベコになっていた。
「わっ……」
まどかが目を見開き、マミさんも僅かに眉を上げる。
外から見れば、本当に一瞬だった。ほむらが構え、次に見た時には位置が変わっていて、その直後にはドラム缶だけがまとめて殴られた結果を残している。
こっちには、その途中が一切見えない。
「……すごい」
「確かに、とても強力ね」
まどかの呟きにマミさんが答える。ただ、その横ではほむらがゴルフクラブを杖みたいに地面へつき、肩を大きく上下させていた。
「はぁ……っ、はぁ……」
「暁美さん?」
「だ、大丈夫です」
「大丈夫には見えないわね。どのくらい止めていたの?」
「たぶん……三十分くらいです」
「三十分?」
マミさんが僅かに目を見開く。
「はい。最初は周りを歩いてみたり、どこまで普通に動けるのか確かめたりして……そのあと、休みながらたくさん殴りました」
俺は改めてドラム缶を見る。
なるほど。外から見ればほんの一瞬でも、ほむら自身は停止した世界の中で三十分近く過ごしていたことになる。歩き回り、周囲を確かめ、慣れないゴルフクラブを振って、途中で休みながら試行錯誤していたわけだ。
元々身体が強いわけでもない今のほむらなら、息が上がって当然だ。時間を止めても本人の身体能力まで急に強くなるわけじゃない。走れば疲れるし、重い物を振れば腕も痛くなる。
外から見れば、一瞬でドラム缶をボコボコにした。
中身は三十分かけた地道な作業。
理不尽な能力なのに、使っている本人は普通にしんどい。そこが妙に現実的だった。
「まず一つ分かったわね。時間を止めても、暁美さん自身の身体能力まで大きく上がるわけではない」
「……はい」
マミさんは、息を整えているほむらとベコベコになったドラム缶を見比べる。
「それにしても、最初から三十分近く維持できたのは大きいわ。ただ、今のところは『時間を止められること』と『その中で強く戦えること』は別みたいね。そこは覚えておきましょう」
「はい」
ここでは、それ以上は決めつけなかった。見えたものだけを整理して、その先はまだ試す。
マミさんらしい。
「それと――あなたが持っている物は、停止した時間の中でも動かせたのよね?」
「はい。これは普通に動きました」
「なら……人はどうなのかしら?」
ほむらが瞬きをする。
「人……ですか?」
「ええ。あなた一人だけが動けるのか。それとも、何か条件を満たせば誰かを一緒に動かせるのか。試してみる価値はあると思うわ」
知ってる。できる。
喉まで出かかった答えを飲み込んだ。今は俺が知っていることより、ほむらが自分で知る方が大事だ。
「じゃあ、俺で試す?」
「マギカさん?」
「止まるだけなら怪我もしないだろ。たぶん」
「たぶんって……」
「分からないから試すんだろ?」
「それは、そうですけど……」
ほむらは少し迷ってから、こちらへ左手を差し出した。
「じゃあ……お願いします」
「ああ」
その手を取る。
細い。
そんな感想が先に出た。まだ戦い慣れていない手だ。何周もした後の、あのほむらとは全然違う。今のこいつは、止まった世界で三十分動いただけで息を切らす新人だった。
「行きます」
ほむらが盾へ手を添える。
風も、草も、川面も、遠くを走っていた自転車も、その瞬間の形のまま止まっている。少し離れたところでは、マミさんとまどかも完全に静止していた。
俺は自分の手を開いて、閉じる。首を回しても普通に動く。呼吸もできる。
ほむらの手だけが、俺の手をしっかり握っていた。
「やっぱり……触れていれば、マギカさんも動けるみたいです」
「みたいだな」
知っていた。
でも、実際にこの中へ入ると想像以上に気味が悪い。音も風もなく、世界中から俺たち二人だけが切り取られたみたいだった。
さっき外から見ていた時は一瞬だったのに、今は違う。この中では、ちゃんと時間を過ごしている。
「……これ、長くいると精神的にもきそうだな」
「え?」
「いや、何でもない」
ほむらはまだ能力の確認で頭がいっぱいらしい。それでいい。
「接触が条件なら、離したらどうなる?」
「え?」
「試してみよう」
「でも、もし何かあったら……」
「止まるだけだろ。たぶん」
「また、たぶん……」
困った顔をされたが、それでも検証しないと分からない。
「じゃあ、離すぞ」
「待っ――」
声が続いた。
瞬きをすると、ほむらがさっきより少しだけ近くに立っている。しかも、もう俺の手を握っていた。
「……え?」
「マギカさん?」
「今、何かした?」
「え?」
ほむらも戸惑ったあと、握った手を確かめるように見る。
「手を離したら、マギカさんが止まりました。急に動かなくなって……」
「俺が?」
「はい」
言われて自分の身体を見ても、何も変わっていない。止まっていた感覚も、意識が途切れた感じさえなかった。
手を離した。
次の瞬間には、ほむらがまた触れていた。
「……マジか」
ぞっとするほど、何も分からなかった。敵からすればこれだ。気づいた時には、もう全部終わっている。
「どのくらい止まってた?」
「十秒くらいです。その間に少し離れてから、また戻って触りました」
「全然分からなかった」
周囲を見る。世界はまだ止まったまま。
つまり接触している間だけ、俺もこちら側にいる。離れれば、何の感覚もないまま世界と一緒に止まる。
「条件は接触っぽいな」
「はい」
ほむらが俺の手を見下ろし、握る力をほんの少し強めた。
そこで、ふと考える。
仲間を停止した時間へ連れていける。
文字にすればかなり強い。
でも。
俺は繋がったままの手と、自分のもう片方の手を見る。
「……これ、実戦でずっと手を繋ぎながら戦うの?」
「え?」
ほむらもこちらを見る。
想像してみる。
右手には刀。左手はほむら。
ほむらも片手で俺を掴みながら、もう片方で盾なり武器なりを使う。
「…………」
「…………」
ものすごく戦いづらそうだ。
「腕とか、服でも大丈夫なのかな」
「試してみますか?」
「それは試した方がいいな。手を繋いだまま戦うの、絵面はともかく実用性が終わってる」
「絵面……」
ほむらが少しだけ困ったように手元を見る。
いや、別に嫌って意味じゃない。
ただ、魔女を相手に仲良く手を繋いで突撃する戦術は、さすがに何か違う。
「今日はそこまでにしよう。さっき三十分使ったばかりだし」
「……はい」
ほむらも少し疲れを感じているのか、素直に頷いた。
「戻そう」
「はい」
ほむらが盾へ触れる。
途端に風が頬へ戻り、川の音も、草の擦れる音も、遠くの自転車のベルもまとめて耳へ流れ込んできた。マミさんとまどかは、ほとんど同じ姿勢のままだ。
「どうだった?」
「動けました。暁美さんに触れている間だけ」
「離れたら?」
「止まったらしい。俺には全然分からなかったけど」
まどかが目を丸くする。
「止まってたのに、分からないの?」
「何も。手を離した次の瞬間には、もうまた掴まれてた」
「……ちょっと怖いね」
「うん」
まどかの感想が一番正しい。
相手からすれば、本当に何もできない。時間を止められ、触れている相手だけがその中へ入り、離された瞬間にはまた止まる。
「それと、接触を続けないと駄目みたいです」
ほむらが繋いでいた手を少し持ち上げる。
「ずっと?」
「今のところは」
マミさんが少し考える。
「強力だけれど、実戦ではかなり重要な条件ね。手を繋いだままでは、二人とも使える手が一つ減ってしまうもの」
「ですよね。二人で仲良く手繋ぎ戦闘は、さすがに厳しい」
「な、仲良くって……」
ほむらが少しだけ声を詰まらせた。
まどかが俺たちの手を見る。
「でも、ちょっと可愛いかも」
「まどか?」
そこ評価するところ?
マミさんまで口元を緩めた。
「見た目の話はともかく、次は手以外でも条件を満たせるか確かめましょう。腕でもいいのか、服越しでもいいのか。それだけで使い勝手はかなり変わるわ」
なるほど。手を繋ぐしかないのと、肩や腕へ触れていればいいのとでは、実戦での自由度がまるで違う。
強い能力ほど、こういう細かい条件が重要になる。
でも、ほむらを見ると、また少し呼吸が荒くなっていた。
「暁美さん、今日はここまでにしましょう」
「え。でも、まだ……」
「駄目よ。能力の限界を知るのも訓練のうち。倒れるまで試すのは、訓練とは言わないわ」
「……はい」
ほむらは少し名残惜しそうにゴルフクラブを見たあと、ようやく力を抜いた。ポケットから白いハンカチを取り出して草の上へ丁寧に広げ、その上へ腰を下ろす。
まどかがすぐ隣まで寄った。
「ほむらちゃん、大丈夫?」
「大丈夫です」
「ほんと?」
「はい。少し休めば……」
答えながらも、肩はまだ小さく上下している。
「お水、飲む?」
「あ……ありがとうございます」
まどかからペットボトルを受け取り、ほむらは両手で持って少しずつ飲み始めた。自分で敷いたハンカチの上へちょこんと座り、まどかに心配されながら水を飲んでいる姿だけ見れば、さっき一瞬でドラム缶をベコベコにした本人とは思えない。
俺は少し離れた場所から、その様子を眺める。
いい。
かなりいい。
ほむらが頑張って、まどかが心配して、ほむらが少し照れながら世話を焼かれる。
「マギカちゃんも座ろ?」
「俺?」
「うん」
「俺は別に疲れてないけど」
「でも時間が止まってる間、一緒にいたんでしょ?」
「まあ……そうだけど」
「じゃあ、休憩」
断る理由が思いつかない。仕方なく近づくと、まどかは当然のように自分の隣を軽く叩いた。
結果、左にほむら。真ん中にまどか。右に俺。
いや、座りたくないって意味じゃない。むしろ普通に嬉しい。でも違う。
俺の予定では、もっとこう、まどかとほむらが二人で自然に距離を縮めて、俺は少し離れたところから「よしよし」と見守る役だったはずだ。
なんで俺まで並んでるんだ。
「マギカちゃん?」
「何でもない」
「ほんと?」
「ほんと」
反対側では、ほむらがペットボトルを持ったままこちらを見ていた。ついさっきまで止まった世界の中で手を繋ぎ、その直後にはまどかを挟んで三人で並んで座っている。
まだ出会って間もないはずなのに、距離感がおかしい。
……俺だけ中身の感覚が一周分進んでいるせいもあるか。
「暁美さん。改めて聞くけれど、今の感覚はどうだった?」
マミさんがこちらへ歩いてくる。
ほむらは水を持ったまま、少し考え込んだ。
「時間を止めること自体は、そこまで難しくありません。でも、その中で動き続けると……思ったより疲れます。それに、止めても私自身が強くなるわけではなくて……」
視線が、置かれたゴルフクラブへ向く。
「殴っても、あまり威力がありませんでした」
「ええ。それに、人を一緒に動かせることも分かった。ただし、今のところは接触を続ける必要がある」
マミさんはそこで一度、今日試したものを確認するようにドラム缶と俺たちを見回した。
「ここまで見た感じだと、あなたの固有魔法はかなり特殊ね。三十分近く時間を止め続けられて、触れた人までその停止から外せる。その一方で、止めた時間の中でもあなた自身の身体能力はそれほど変わらない」
ほむらが静かに聞いている。
「たぶん、魔法少女として使える力のかなり大きな部分が、時間を止めるという固有魔法へ割かれているんだと思う」
三十分近い停止。その中での疲労。身体能力の変化の少なさ。他人まで停止した世界へ連れていけること。そして、そのためには接触が必要らしいこと。
そこまで試した上での、マミさんなりの答えだった。
「だから、時間停止そのものはとても強力。でも、止めた後の攻撃まで勝手に強くなるわけじゃない。そこは武器や戦い方で補う必要がある。それに、誰かを一緒に動かす場合も、ずっと手を繋いで戦うわけにはいかないでしょう?」
「……はい」
ほむらが少しだけ気まずそうに頷く。
「でも逆に言えば、接触の条件さえ上手く使えれば、この魔法は暁美さん一人だけで完結させる必要もないわ」
「一人だけで……?」
「仲間との連携よ」
マミさんが微笑む。
「危険な場所にいる仲間を触れて逃がす。停止した時間の中で安全な位置へ運ぶ。攻撃できる人を有利な場所へ連れていく。腕や肩に触れているだけでも成立するなら、一緒に戦う方法だって増えるでしょうね」
ほむらの視線が隣へ向く。
そこには、すぐにまどかがいた。
「うん。一緒に考えよう、ほむらちゃん」
「鹿目さん……」
「私にもできること、きっとあると思うから」
「……はい」
返事は小さかったけれど、さっきよりずっと明るい。
そうそう。
その方向でお願いします。
時間を止められる。でも本人の身体まで急に強くなるわけじゃない。長く動けば疲れるし、攻撃する方法も必要になる。仲間を連れていけても、接触という条件まである。
でも、万能じゃない。
そして万能じゃないからこそ、工夫する余地があるし、誰かと組む意味もある。
「……使い方」
「そう」
マミさんが頷いた。
「能力は、持っているだけじゃ意味がないの。どう使うか考えて、初めて自分の武器になるわ」
その言葉が、俺にも引っかかった。
一度目の世界でも、マミさんは俺へ似たようなことを言っていた。
認識をずらすこと。自分へ暗示をかけること。そして、成り代わること。
使えるものは増えた。でも、それが何なのかまではまだ理解していない。
ほむらだけの話じゃない。
俺も同じだ。
無意識に左胸へ手を当てると、二連ソウルジェムの硬い感触が指先へ返ってきた。
「マギカちゃん?」
まどかの声で手を離す。
「何でもない」
「ほんと?」
「ほんと」
また少し疑うような顔をされた。
反対側では、ほむらがもう一度ゴルフクラブを見ている。さっきまでの「上手くできなかった」という顔ではない。どうすれば使えるか、その次をもう考え始めていた。
たぶん、ここからだ。
暁美ほむらは、ただ時間を止められるだけの魔法少女じゃなくなる。自分で考えて、失敗して、武器を探して、仲間と組んで、自分の戦い方を作っていく。