昨日分かったのは、ほむらが何をできるのか。
今日やるのは、その先だった。
「能力が分かっただけで満足しちゃ駄目よ。大切なのは、実際の戦いでどう使うかなんだから」
放課後。人目の少ない空き地には、マミさんが用意した木箱や空き缶が点々と置かれ、地面にはそれらを結ぶように黄色いリボンが伸びていた。
ほむらはその中央で、昨日と同じゴルフクラブを握っている。時間を止められることは分かった。だから今日は、止めたあとに何をするのかを覚える。
「まずは、この三か所を順番に回ってみて。速さは気にしなくていいわ。止める前に、自分がどこへ動くのか決めておくこと」
「分かりました」
ほむらが盾へ触れる。
一瞬だけ姿が消え、次に見えた時には数メートル離れた木箱の横へ立っていた。
外から見ると、本当にずるい。
マミさんはほとんど間を置かず配置を変えた。正面に木箱、左に空き缶、そして右には俺。
「今度は、正面から魔女が来たつもりでマギカさんを助けてみて」
「俺、被害者役?」
「実戦では仲間が都合よく安全な場所に立ってくれるとは限らないでしょう?」
「ごもっともで」
ほむらが少し困ったようにこちらを見る。
「お願いします」
「遠慮なくどうぞ」
盾が動いた。
次の瞬間には肩を引かれ、景色が一つ飛んだような感覚と一緒に、俺は二メートルほど横へ移動していた。ほむらの手はまだ俺の腕を掴んでいる。
「できました……?」
「できてる。けど、毎回これ食らう側は心臓に悪いな」
「す、すみません」
「褒めてる」
マミさんが小さく笑い、それからほむらの背後を指した。
「でも一つ失敗ね。後ろ」
振り返ったほむらのすぐ後ろに、木箱がある。
「……あ」
「助ける相手ばかり見て、自分の位置を忘れてる。時間を止めても地形までは消えないわ」
「はい……」
少し恥ずかしそうに木箱から離れるほむらを見ながら、俺は内心で頷いた。
昨日は能力の正体を調べていただけなのに、今日はもう、その力を使って失敗している。前の世界では、ほむらが契約した時にはマミさんはもういなかった。時間停止を一緒に分析して、その場で失敗を指摘してくれる先輩もいなかった。
今はいる。
その差は、たぶん大きい。
「マギカちゃん、なんか嬉しそう」
隣にいたまどかが、小さな声で言った。
「え?」
「さっきから、ほむらちゃんとマミさん見て笑ってる」
まずい。ニヤけてたか。
「いい先輩だなと思って」
「うん。マミさん、すごいよね」
まどかが嬉しそうに頷く。
それだけじゃないんだけど、説明できないからいいか。
訓練が一区切りついたところで、今度はマミさんの視線がこちらへ向いた。
「暁美さんばかりじゃ不公平よね。マギカさんの能力も、もう少し見せてもらえる?」
嫌な予感はしていた。
「俺の?」
「ええ。昨日の戦いでも相手の認識をずらしていたでしょう? それだけじゃないみたいだし」
まどかまでこちらを見る。
「マギカちゃんって、どんな固有魔法なの?」
困った。
俺も知りたい。
「……たぶん、認識をいじる魔法」
自分へ暗示をかける。相手から見える位置をずらす。そこまでは分かっている。
でも、それだけじゃない。
説明するより、実際に見せた方が早い。
「まどか。ちょっと実験に付き合って」
「私?」
一歩だけ身構えられた。
危ないことはしない。ただ、笑い方へ少し癖を足すだけだ。そう説明すると、まどかは余計に分からない顔をした。
相手を傷つけず、変化も分かりやすい。元へ戻せるかまで確認できるなら、実験としては悪くない。
頭の中で一つの笑い方を作る。
少し力が抜けていて、妙に耳へ残るやつ。
――うぇひひ。
まどかへ意識を向けると、ほんの僅かに魔力が抜けた。
本人は首を傾げている。
失敗かと思った、その時だった。
本人が一番驚いていた。
まどかは自分の口元を押さえ、何度か瞬きをする。マミさんも僅かに目を見開いたが、ほむらだけは驚くより先にまどかをじっと見ていた。
「……可愛いと思います」
「ほむらちゃん!?」
そこ評価するところ?
笑いそうになるのを堪えながら、今度は付け足したものを外すように意識する。
「……どう?」
まどかが恐る恐る口元を緩めた。
「ふふっ」
普通だ。
「よし。今度はちゃんと戻せた」
「今度?」
ほむらの声が飛んできた。
しまった。
適当に誤魔化したものの、視線はしばらくこちらへ残った。最近こういう失言が多い。
一方、マミさんは笑っていなかった。俺とまどかを交互に見ながら、さっきの現象を考えている。
「今の、本当に認識を変えただけなのかしら」
俺たちからそう見えただけなら、それで説明できる。でも、まどか本人にも普段とは違う笑い方をした自覚があった。
「俺としては、笑う時だけそうなるように癖を足した感じなんだけど」
まどかはまだ少し警戒するように口元へ触れている。
戻したはずだ。
たぶん。
……たぶんって便利だな。
「まだ決めつけない方がいいわね。今の一回だけじゃ、見え方が変わった結果なのか、本当に本人の行動へ触れたのか分からないもの」
便利だけど、よく分からない。
俺の能力、大体これだな。
「他には?」
促され、俺は鏡面の刀を呼び出した。
「他人の能力を……少しだけ再現できる」
三人の空気が変わる。
一度目の世界では、マミさんとの訓練中にようやく形になった使い方だ。あの時と違って、今は何を呼び出そうとしているのか分かっている。
刀の鏡面へ、金色の髪が映り込む。
「ちょっと試す」
巴マミ。
銃。リボン。足運び。射線の作り方。何度も隣で見て、教わって、自分の中へ残ったものを拾い上げる。
胸元の二連ソウルジェムが光った。
銀と白だった衣装の縁へ黄色が差し、肩や腰の意匠も僅かに変わる。鏡面の刀は輪郭を崩し、その代わりに一本のマスケットが手の中へ収まった。
「わ……」
まどかが小さく声を漏らす。
マスケットを持ち上げる。
前より安定している。
前回は気を抜けば輪郭が揺れたのに、今は銃床も銃身も崩れない。空いた手へ魔力を流せば、二本目もすぐに形になった。
「……できた」
その時、自分の声へ僅かな違和感を覚えた。
背筋が勝手に伸びている。銃を持つ腕は刀の時より高く、足幅まで自然に整っていた。指先から細い黄色のリボンが伸び、身体の方が「こう動くものだ」と知っているみたいだった。
前の世界より明らかに扱いやすい。
「前よりかなり安定してるな……」
「前より?」
ほむらの声で口が止まった。
まずい。
「前に、一人で試したことがあるんだよ」
雑な言い訳だった。
ほむらの目が僅かに細くなる。たぶん誤魔化せていない。
けれど、マミさんはそこへ食いつかなかった。代わりに、俺の足元と手元をじっと見ている。
「少し歩いてみてくれる?」
言われた通り数歩進む。
いつもより足の運びが軽い。踵を置く場所も、体重を移すタイミングも自然だった。意識して整えているわけじゃないのに、身体が勝手に無駄の少ない位置へ収まる。
「次は構えてみて」
マスケットを肩へ上げ、頬を寄せる。左足が半歩前へ出た。
そこで気づいた。
どこへ足を置くかも、どう銃を持つかも、身体が先に知っている。
マミさんも一本のマスケットを出し、銃口を上げ、足を引き、腰を捻った。
俺も動く。
いや。
真似している、という感覚すら薄い。
見てから追うんじゃない。銃床を寄せる角度も、指を置く位置も、自然にそこへ収まる。
「今、私を見てから真似したわけじゃないでしょう?」
図星だった。
マミさんは自分のマスケットを消し、今度は武器ではなく俺を見る。
「私に近づこうとするほど、動き方まで変わっている。立ち方も、銃を持つ指の位置も、歩いた時の重心移動も。最初のあなたとは明らかに違うわ」
能力を再現しているなら、その影響じゃないか。
そう答えようとして、少し引っかかった。
武器や魔法を借りるだけなら、身体の癖まで変わる必要があるのか。
思い返せば、前の世界でも違和感はあった。マミさんの力を使った後だけ姿勢が良くなったり、口調が僅かに変わったりした。
紅茶が飲みたくなったこともある。
「それに、さっきから話し方も少し違うわ」
まどかが俺とマミさんを見比べた。
言われた瞬間、マスケットを下ろす手が止まる。刀ならもっと雑に下げる。こんなふうに銃口の向きまで確かめてから腕を落としたりしない。
俺、こんな下ろし方してたか?
「便利な魔法だと思うわ」
マミさんは否定しなかった。
「でも、便利だからこそ気をつけた方がいい」
空気が少し変わった。
「あなたは今、私の魔法だけを借りているつもりなのかもしれない。でも、本当に借りているのは魔法だけ?」
銃。
リボン。
立ち方。
話し方。
そこまで並べれば、言いたいことは分かった。
冗談で返そうとした。
でも、何も出なかった。
一度目は「使える」「強くなれる」で済ませていた。今だって、前より安定していることを喜んでいた。
なのに今のマミさんは、初めて見ただけで俺が見過ごしていたところへ先に気づいた。
「……考えすぎじゃない?」
ようやく出た言葉は、自分でも少し弱かった。
「そうかもしれないわ。まだ一度見ただけだもの」
マミさんも断定はしなかった。
「でも、分からない力なら、分からないまま無理に使わない方がいいでしょう?」
否定できない。
ほむらは昨日、自分の能力を使って限界を知った。
俺はまだ、自分の限界すら知らない。
「一度解除してみて」
「分かった」
意識を自分へ戻す。
黄色いリボンがほどけるように消え、二本のマスケットも光へ変わった。衣装から黄色が抜け、肩や腰の形もいつもの銀と白へ戻る。
ただ、身体の感覚まではすぐに消えなかった。
背筋を伸ばしていたくなる。手を下ろす時、無意識に指先まで整えてしまう。薄くなってはいるけれど、確かに何かが残っている。
手を握って、開く。
声はいつもの俺。
立ち方も、さっきより雑になった。
なら大丈夫。
そう思ったところで。
「……紅茶飲みたい」
口から勝手に出た。
まどかが瞬きをする。
俺も瞬きをした。
何で今。
別に喉が渇いているわけじゃない。それなのに妙に飲みたい。しかもティーバッグを雑に沈めたやつじゃなく、ちゃんと淹れたやつがいい。
嫌な予感がして、マミさんを見る。
向こうもこっちを見ていた。
「うちに来る?」
「行きます」
反射だった。
マミさんが吹き出し、まどかも口元を押さえて笑う。
「ふふっ」
普通の笑い方だった。
よし。
そっちは戻ってる。
「マギカちゃん、今私のこと確認した?」
「してない」
「したよね?」
「気のせい」
ほむらだけが少し不思議そうに俺たちを見ていた。
笑われながら、左胸へ手を当てる。二連ソウルジェムは、何も答えない。
まどかへ付けたものは消えた。
でも、俺の中にはまだ少し残っている。
たかが紅茶。ただ飲みたくなっただけかもしれない。
それでも、今は無視しない方がいい。
前の世界より能力は扱いやすくなった。武器も増えた。リボンも出せる。身体の動きまで補ってくれる。
便利になったからこそ、使い方を間違えた時が怖い。
昨日、ほむらへ向けられた言葉が、そのまま自分へ返ってきた気がした。
能力は、持っているだけじゃ意味がない。
そこまで考えて、初めて自分の力になる。