放課後、教室を出て昇降口へ向かう途中で、少し先に見慣れた三人組を見つけた。
まどか、マミさん、ほむら。最近ではそこまで珍しくもない組み合わせで、学校で見かける分には俺もいちいち気にしなくなっている。
問題は、その足元にいた。
白い身体に長い耳、赤い目。
どう見ても見間違えようのないキュゥべえが、三人のすぐ近くに座ってこちらを見ていた。
「…………」
足が止まり、向こうも同じように俺へ顔を向ける。赤い目とまともに視線がぶつかったところで、遅れて一つ大事なことを思い出した。
学校では田中で、少なくともこの時間軸ではキュゥべえとまともに接触していないことになっている。マギカとしてなら何度も会ったし、念話もしたし、できれば半径三メートル以内へ近寄ってほしくない程度には色々あった。
でも田中としては初対面。
つまり今ここでは、初めて見る妙な生き物として振る舞わなければならない。
「あ、田中さん」
先にまどかがこちらへ気づいた。
「今帰り?」
「う、うん」
もう逃げられない。
俺はできるだけ自然な顔を作りながら三人の方へ歩いていった。キュゥべえは相変わらずこちらを見たまま動かない。
こっちを見るな。余計なことも言うな。
そう念じながら、それらしい笑顔を作る。
「わー……なんだこの、魔法少女アニメに出てきそうな可愛らしいマスコットはー」
口に出した瞬間、自分でも分かった。
下手だ。
ものすごく下手だ。
声に抑揚がないし、普段の俺なら絶対そんな感想から入らない。まどかも僅かに眉を上げ、不思議そうな顔でこちらを見ている。
「田中さん……?」
「いや、かわいいなーって」
言い直しても大して改善しなかった。
もう少し何とかならなかったのか、俺。
そこへキュゥべえが、何の遠慮もなく顔を上げた。
『君は僕が見えるんだね』
話しかけんな。
そう思った瞬間、反射的に念話が返っていた。
『おい』
『なんだい?』
『今は初対面だからな』
『でも僕たちは以前――』
『言うな』
危ない。
表では何とか笑顔を維持しながら、頭の中だけ声が低くなる。
『余計な観測結果も喋るなよ。今それ言ったら話が終わるから』
『僕には、君が何を問題にしているのか分からないよ』
『分からなくていい。黙ってろ』
キュゥべえは当然のように悪びれない。こいつからすれば、俺が何を隠したがっているのかなんて知ったことじゃないし、観測した事実をそのまま口にする方が自然なんだろう。
だから厄介なんだよ。
「田中さん?」
またまどかに呼ばれ、慌てて顔を上げた。
「ん?」
「さっきから、その子のことじっと見てるけど……」
「いや、珍しい動物だなって」
言いながら一歩近づくと、キュゥべえもこちらへ一歩寄ってきた。
俺は半歩下がる。
キュゥべえがさらに寄る。
また下がる。
こいつ、絶対分かっててやってないか?
いや、たぶん本当に何も考えてない。それが一番腹立つ。
「……田中さん、動物苦手だったっけ?」
まどかが少し心配そうに聞いてくる。
「いや……別に?」
説得力がないのは自分でも分かっていた。触る気はないし、できるならそのまま一定距離を保っていてほしい。
それでもキュゥべえは懲りずに近づいてくる。
「近い」
思わず口から出た。
『どうして避けるんだい?』
『お前だからだよ』
『訳がわからないよ』
「…………」
一瞬だけ思考が止まった。
声は普通。
冷笑していないし、変な含みもない。
……wwがない。
よかった。
何に安心してるんだ、俺。
「……田中さん」
今度はマミさんだった。
さっきまでとは少し違う顔で、俺とキュゥべえを交互に見ている。
「今、キュゥべえの声が聞こえたの?」
「え?」
反射的に返してから、遅れて意味を理解した。
「……あ」
しまった。
初見演技に気を取られて、一番大事なところを完全に忘れていた。
見えている。
声も聞こえている。
しかも念話まで普通に返してしまった。
「田中さんにも見えるんだ……」
まどかも驚いたように、俺とキュゥべえを交互に見る。
「これ、普通じゃないの?」
一応聞いてみると、マミさんはゆっくり首を横に振った。
「誰にでも見えるわけじゃないの。むしろ、見えない人の方がずっと多いわ」
『僕の姿を認識できるということは、君にも魔法少女としての素質がある可能性が高いね』
「…………」
知ってる。
というか、もう魔法少女やってる。
でも言えるわけがないので、今度は初めて聞いた顔を作る。
「魔法……少女?」
ほむらがこちらを見た。
ほんの少し目が細くなった気がする。
まずい。
「ここで立ち話をする内容でもなさそうね」
マミさんが周囲を見回してから、俺へ向き直る。
「田中さん、時間はある?」
「まあ……あるけど」
「それなら、少し付き合ってもらってもいいかしら」
嫌な予感しかしない。
というか、もう何をされるか分かっている。
全部知っている内容を、全部初めて聞くふりをしながら聞く説明会。
俺は内心で頭を抱えつつ、それでも素直に頷いた。
「うん」
◇
しばらくして、俺はマミさんの部屋で紅茶を飲んでいた。
テーブルの上にはケーキ。向かいにマミさん、その隣にほむら。そして俺の隣には、当然みたいな顔でまどかが座っている。椅子そのものは別なのに、こちらへ少し身体を向けているせいで肩が触れそうな距離だった。
女子同士って、こんな距離感なのか?
無意識に少し身体を引くと、まどかもこちらへ顔を向けた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
今度は引きすぎた気がして、少しだけ元の位置へ戻る。
何やってんだ、俺。
「それじゃあ、最初から説明するわね」
マミさんが紅茶のカップをソーサーへ戻した。小さく陶器の触れ合う音がして、それまでの柔らかな表情が少しだけ真面目なものへ変わる。
「この街には、普通の人には見えない存在がいるの。魔女って呼ばれているわ」
「へえ……」
知ってる。
「魔女は結界っていう特殊な空間を作って、その中から人間に悪い影響を与えるの。事故や自殺に見えることでも、実は魔女が関わっている場合があるわ」
「そんなものが……」
そこも知ってる。
でも説明としては分かりやすい。いきなり専門的な話へ行かず、人間側に何が起きるかから入っている。初心者向けとしては悪くない。
気づけば俺は紅茶を飲みながら、完全に説明会を採点する側の頭になっていた。
「魔女には使い魔がいることもあるわ。使い魔だけなら魔女ほど強くはないけれど、放っておけば人を襲うこともある」
そこはもう少し詳しく説明してもいい気がする。
使い魔が成長すると魔女になるとか。
……いや、初心者相手に一度で全部詰め込む必要はないか。
「そして、その魔女と戦うのが私たち魔法少女」
マミさんが自分の指輪へ軽く触れる。
「キュゥべえと契約して、一つ願いを叶えてもらう。その代わりに、魔法少女として魔女と戦う力を得るの」
「へえ……」
知ってる。
全部知ってる。
むしろ、その先の方が問題だ。
魂とか、ソウルジェムとか、魔女化とか。契約時点では説明されない部分の方が、後になればよほど重大になる。
そこも言おうぜ。
反射的にそう思ってから、すぐ考え直した。
マミさんは知らない。
知らないから、説明できない。
俺が知っているからって、マミさんまで知っていることにはならない。
そう考えると、少しだけ胸が重くなった。
マミさんは本気で俺に説明してくれている。危険かもしれない世界へ不用意に踏み込まないように、自分が知っていることをできるだけ丁寧に伝えようとしている。
俺は全部知っているのに、知らないふりをして聞いている。
何だか少し申し訳なくなってきた。
「……田中さん?」
マミさんがこちらを見る。
「何か分からないところがあった?」
「いや。大丈夫」
俺は一度カップを置いた。
「ちゃんと説明してくれて、ありがとう」
そこだけは演技じゃなかった。
マミさんは一瞬だけ目を丸くし、それから少し照れたように笑った。
「どういたしまして」
その横から、まどかが身体を寄せてくる。
「最初はびっくりするよね。私もそうだったし」
「うん……まあ」
まどかは気にした様子もなく、テーブルの上のキュゥべえを指しながら言葉を続ける。
「私も最初にキュゥべえを見た時、すごくびっくりしたんだよ。でも、マミさんが説明してくれて。魔女のことも、最初は全然分からなかったし」
「そ、そうなんだ」
話しながら、まどかの肩が触れそうになり、反射的に数センチだけ身体を引く。
「田中さん、さっきから座りにくい?」
「いや。全然」
即答すると、まどかが首を傾げた。
危ない。
別方向でも嘘が下手になってる。
しかも、こういう時に限ってほむらがこっちを見ている気がする。
◇
話が契約に戻った頃から、ほむらだけ少し様子が変わった。
それまではマミさんの説明を黙って聞いていたのに、キュゥべえが俺の素質へ触れた辺りから、何度もこちらへ視線を向けている。膝の上で重ねた指にも少し力が入り、表情も僅かに硬い。
『君が望むなら、僕はいつでも君の願いを叶えることができる』
キュゥべえが、いつもの調子で言った。
『どんな願いでも、一つだけ』
「今はいいかな」
反射で答えた。
言ってから気づく。
早い。
いくら何でも拒否が早すぎた。
キュゥべえが少し首を傾げる。
『まだ願いの内容すら聞いていないけど』
「なんとなく」
苦しい。
マミさんも少し不思議そうにこちらを見るし、まどかも同じだ。
ほむらだけは少し違った。
驚いているというより、俺の拒否の速さそのものに何か引っかかったような顔をしている。
しまった。
知ってる側の拒否速度が出た。
「まあ、すぐに決めるようなことでもないでしょう」
マミさんが助け舟を出してくれた。
「願いは大事なものだから、もし考えるとしても焦る必要はないわ。願いを叶えるということは、それだけ大きな選択でもあるもの」
「うん」
俺が頷いた、その時だった。
「田中さん」
ほむらが口を開いた。
声が少し硬い。
そちらを見ると、膝の上で両手を握り、俺から視線を逸らさずにいた。
空気が少し変わった。
まどかもマミさんも、同時にほむらを見る。
キュゥべえだけは相変わらず何も変わらない。
俺も今回は軽口を返さなかった。
「そんなに危ないの?」
あえて聞く。
ほむらの唇が僅かに動いたが、すぐには言葉が出てこなかった。何か言おうとして、止める。視線が一度だけテーブルへ落ち、それからもう一度俺へ戻った。
「……危ないです」
それだけだった。
具体的な理由はないし、説明としては全然足りない。
それでも、その一言が軽くないことだけは分かる。
「そっか。じゃあ、覚えておくよ」
ほむらが少しだけ目を見開いた。もっと聞かれると思っていたのかもしれない。
やがて、ほんの僅かに肩の力が抜けた。
「……はい」
その返事は、少しだけ安心したように聞こえた。
まあ、俺の認識ではもう魔法少女なんだけどな。
そう思って紅茶へ視線を落としたところで、キュゥべえの声が割り込んだ。
『やっぱり君は興味深いね』
俺は顔を上げる。
「何が?」
『君は魔法少女に近い。でも、契約対象としても認識できる』
胸の奥が、僅かに冷えた。
「それって変なの?」
『通常は両立しないね』
「そうなの?」
『そうだよ。だから興味深い』
「ふーん」
できるだけ何でもない顔で返す。
マミさんも気になったのか、カップを持ち上げかけた手を止めた。
「どうしてそうなるの?」
『今の僕には説明できない』
キュゥべえはそれ以上何も言わなかった。
こいつが分からないと言うなら、本当に分かっていないんだろう。その方がまだいい。
ただ、一つだけ引っかかった。
魔法少女に近いのに、契約できる。
俺としては、もう契約しているようなものだと思っていた。
じゃあ、何で。
指先でカップの縁をなぞる。
ソウルジェムもある。
変身もできる。
魔法も使える。
それなのに、キュゥべえから見ればまだ契約できる。
答えは出なかった。
だったら、今は放っておくしかない。
問題を棚に上げるのは得意になってきた。
◇
マミさんの部屋を出る頃には、外はすっかり暗くなり始めていた。
まどかとほむらとは途中まで一緒だったが、分かれ道で別れた。最後までまどかは「本当に無理して契約しなくていいからね」と念を押してくれていたし、ほむらも隣で黙ってこちらを見ていた。
ありがたい。
ありがたいけど、一人になって今日のことを思い返すと、どうしてこうなったという気持ちの方が強い。
本来なら、田中と魔法少女の世界は分けておくつもりだった。学校では田中、戦う時はマギカ。その二つを分けていれば、少なくとも日常側へ余計な面倒を持ち込まずに済むと思っていた。
なのに一日で、田中まで完全に魔法少女側の人間になった。
「……なんで田中まで魔法少女側に入ってるんだよ」
自分で自分へ突っ込む。
これで今後、田中としてマミさんたちと魔法少女の話をしても不自然ではなくなった。正体を隠すという意味では、むしろ便利になった部分すらある。
でも秘密が一つ減ったというより、管理しなきゃいけない設定が増えただけな気もする。
田中はキュゥべえが見える。
魔法少女のことも知っている。
でも契約はしていない。
そして、マギカとは別人。
……設定資料でも作った方がいいんじゃないか、これ。
歩きながら、さっきのほむらの顔を思い出す。
『契約しない方がいいと思います』
理由は何も言わなかった。
でも、あれは本気だった。
俺が契約する可能性そのものを、まるで何か取り返しのつかないことみたいに嫌がっていた。
前の世界のことを覚えているほむらが、田中に何を思っているのか。そこまでは分からない。
ただ、心配してくれていることだけは伝わった。
「まあ……」
小さく息を吐く。
するつもりなんてないけどな。
そう思いながら、俺は家への道を歩いた。