いつもとても励みになっています。
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放課後の見滝原は、昨日まで魔女だの契約だのという話をしていたことまで忘れそうなくらい平和だった。
校門を出てしばらくは、まどかとほむら、それにさやかと仁美も一緒だった。話題といえば次の小テストがどうとか、購買のパンがまた売り切れていたとか、そんなものばかりで、少なくとも俺としてはそのくらいでちょうどいい。
「じゃあ、私たちはこちらですから」
途中の交差点で仁美が足を止める。
「また明日ですわ」
「うん、また明日」
「ばいばーい」
さやかも片手を振り、仁美と一緒に別の道へ曲がっていった。
残ったのは、俺とまどかとほむら。
少し前なら、この三人で一緒に下校していること自体がかなり変な状況だった気がする。それも最近はだいぶ慣れてきて、まどかが話し、俺が適当に返し、ほむらが少し遅れて会話へ混ざる流れも、いつの間にか普通になり始めていた。
「田中さん、昨日のケーキどうだった?」
「美味しかったよ。普通に店で出てきても分からないと思う」
「だよね。マミさん、すごいよね」
実際、マミさんのスペックはおかしい。魔法少女として強いだけでも十分なのに、料理もできて、紅茶も淹れられて、面倒見までいい。何か一つくらい苦手なものを残しておいてもいいんじゃないだろうか。
横を見ると、ほむらも小さく頷いていた。
「巴さんのケーキは、美味しいと思います」
「ほむらちゃんも気に入った?」
「はい」
まどかが嬉しそうに笑うと、ほむらもほんの少しだけ表情を緩める。平和だ。こういうのでいい。
そのまま駅へ向かうつもりだった。
道の向こうを歩いていた男が、不自然な動きをするまでは。
「……ん?」
スーツ姿の男だった。三十代か四十代くらいに見える。
歩いてはいるものの妙に足取りが鈍く、ふらついているというより、身体だけを前から引っ張られているような歩き方だった。車が近くを通っても反応せず、信号が変わっても足を止めない。視線だけが、建物の隙間へ続く細い路地へ固定されている。
「まどか、あの人……」
「え?」
まどかも男を見る。
その時、男の身体が大きく傾いた。ずれた襟元から首筋が覗き、黒い紋様が見える。
そこで昨日の話が頭の中へ繋がった。
魔女に目をつけられた人間の身体へ現れることがある、異様な痕。――魔女の口づけ。
「まどか。あの人の首」
「首?」
「黒い痕がある。昨日マミさんが言ってたやつじゃない?」
まどかの表情が変わった。ほむらもすぐに男へ視線を向ける。
「……本当です」
俺たちが見ている間にも、男は細い路地へ向かって歩き続けていた。昨日までなら、ただ具合が悪そうな人としか思わなかったかもしれない。でも今は、田中のままでも魔女が人間へ何をするのか知っている。
「マミさんに知らせた方がいいよね」
まどかがすぐに頷いた。
「うん」
まどかが念話でマミさんへ連絡する。
俺たちは男へ不用意に触れず、少し距離を取って後を追った。呼びかけても反応は鈍いのに、路地へ向かう足だけは止まらない。何かに呼ばれている、と考える方が自然だった。
男が路地へ入る直前、足元から白い影が現れる。
『この先から、魔女に近い反応を感じるよ』
「うわ」
反射的に半歩下がりかけて、何とか踏みとどまった。昨日の今日でまた露骨に避けるのも、さすがに怪しい。
キュゥべえは気にした様子もなく、男の進む先を見る。
『あの人も、その影響を受けている可能性が高いね』
やっぱり男の先に結界がある。そこへ誘導されているんだ。
「止めた方が……」
まどかが一歩踏み出しかけた時、背後から足音がした。
「待って」
マミさんだった。
走ってきたはずなのに、息を乱した様子もほとんどない。俺たちの横を抜けると、まず男と路地の奥を確認し、それから指輪へ視線を落とした。
「反応があるわ。あの人が向かっている先ね」
男はもう路地の入り口へ差しかかっている。
マミさんが片手を伸ばすと、黄色いリボンが地面すれすれを走った。男の身体へ柔らかく巻きつき、転ばせないよう勢いを殺しながら、その場へ止める。
「大丈夫ですか?」
声を掛けても、男はぼんやり前を見たままだった。
マミさんは無理に立たせず、壁際へゆっくり座らせる。まどかもすぐ隣へしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。
「聞こえますか?」
返事はない。でも呼吸はある。
「この人はここで保護しましょう。魔女を倒せば、影響も弱くなるはずよ」
マミさんの判断に、まどかとほむらが頷いた。
俺も少し安心する。昨日教えてもらった知識が、そのまま役に立った。原作知識でも何でもない。それが少しだけ新鮮だった。
「田中さん、教えてくれてありがとう」
マミさんがこちらを見る。
「気づかなかったら、そのまま結界まで入っていたかもしれないわ」
「たまたまだよ。首のところが見えたから」
「それでも十分よ」
褒められると少し困る。田中のままで役に立てたことも、何となく不思議だった。
でも、その直後にマミさんの表情が少し真面目になる。
「それじゃあ、田中さんは大通りまで戻って待っていて」
「……大通り?」
「ええ。ここは結界に近すぎるわ」
路地の奥へ視線を向けながら、マミさんははっきり言った。
「魔女の影響がどこまで届くか分からないし、結界が広がる可能性もある。普通の人をこの近くへ残しておくわけにはいかないもの」
正しい。完全に正しい。マミさんからすれば、俺は魔法少女の事情を知っただけの一般人だ。危険な場所に残す理由なんて一つもない。
「田中さん、本当に来ちゃ駄目だよ」
まどかまで念を押してくる。
「さっきの人みたいになったら危ないから」
「分かった」
ほむらもこちらを見る。まどかより言葉は少ないけれど、表情だけは少し硬い。
「危険です。安全なところにいてください」
「……うん」
三方向から止められた。ここまで言われて逆らえば、それこそ田中として不自然だ。
「気をつけてね」
俺がそう言うと、まどかが安心したように頷いた。
「うん。すぐ戻ってくるから」
男はキュゥべえが見張ることになり、マミさんを先頭に三人が路地の奥へ向かっていく。
俺も言われた通り、大通りへ戻った。
しばらく歩き、人通りの多い場所まで出る。買い物帰りの人や自転車で通り過ぎる学生もいて、さっきまでの路地とは違う、普通の日常そのものだった。
数秒だけ、その場で待つ。
「…………さて」
田中には、安全なところで待っていろと言われた。
マギカについては、誰も何も言っていない。
ものすごい屁理屈だけど、行かない選択肢もなかった。
◇
問題は、変身する場所だった。
放課後の市街地だから、当然人が多い。その場で変身して路地へ戻れば、魔女より先に正体が終わる。
俺は大通りから離れ、建物の間へ入った。人影がないのを確認してソウルジェムへ手を伸ばしかけたところで、背後から足音がする。
「――っと」
買い物袋を持った女性が、何も知らずに目の前を通り過ぎていった。
危ないので、もう少し奥へ移動する。今度こそと思えば、自転車が一台曲がってきて、また移動。
「正体隠すの、地味に面倒くさいな……」
魔法少女の変身といえば、もっと光に包まれて華麗に登場するものじゃないのか。現実は人目のない場所を探して路地をうろうろしている。ほとんど着替え場所探しだった。
ようやく誰も来そうにない建物の裏まで入り、念のためもう一度周囲を見る。今度こそ大丈夫そうだ。
胸元へ手を当て、魔力を通す。
二つ並んだソウルジェムが淡く光り、制服の感触が消える。銀白の衣装が身体を包み、左胸へ移った二連のソウルジェムを確かめてから仮面を付け、最後に鏡面の刀を呼び出した。
柄を握ると、さっきまで人目を気にして路地をうろついていた身体が自然と前を向く。
ほんの数分前まで「ここで待っていて」と言われる側だったのに、今は助けに行く側だ。
「……急ぐか」
一人称まで自然に戻っていた。
俺は地面を蹴った。
◇
路地へ戻ると、男はまだ壁際へ座らされていた。キュゥべえはこちらを見て、短く告げる。
『結界はこの先だよ』
『分かってる』
そのまま奥へ進む。
空気が歪み、景色が裏返った。
結界へ入った瞬間、耳へ届く音が変わる。金属板を何枚も擦り合わせたような甲高い音が、薄暗い空間のあちこちから響いていた。壁なのか床なのか分からない黒い面が何層にも折り重なり、その隙間を細長い使い魔が這い回っている。
戦闘はもう始まっていた。
銃声が響き、その直後に桃色の光が闇を横切る。さらに一瞬だけ動きが抜け落ちたような違和感があり、その先でほむらの位置が変わった。時間停止だ。
音のする方へ走る。
少し先では、マミさんが複数の使い魔をリボンでまとめて拘束し、その後ろからまどかが矢を放っていた。ほむらも盾を構え、マミさんの指示を聞きながら攻撃の機会を探している。
三人だけでも戦えている。ただ、楽ではなさそうだった。マミさんは前線を維持しながら二人の死角まで見なければならず、まどかを狙う使い魔も多い。ほむらは時間停止で位置を変えられるようになったものの、まだその次の一手には一瞬考える時間がいる。
俺がいないと何もできないわけじゃない。でも、一人増えれば楽になる。
ちょうど使い魔の一体が、まどかの死角から跳んだ。
走りながら刀を抜き、その勢いのまま横へ振る。
鏡面の刃が使い魔へ食い込み、まどかへ届く直前で横へ弾き飛ばした。
「――っ!?」
まどかが振り返る。
俺は刀を構え直した。
「遅れた」
一瞬だけ目を丸くしたあと、まどかの顔がぱっと明るくなる。
「マギカちゃん!」
ほんの少しだけ、胸の奥に引っかかった。さっき田中には絶対来ちゃ駄目だと言っていたのに、今は来たことを喜んでいる。
まあ、当たり前だ。今考えることじゃない。
「来てくれたのね!」
マミさんもこちらへ一瞬だけ視線を向ける。
「ちょうど手が足りなかったところよ!」
「見れば分かる!」
刀を返し、迫ってきた使い魔の攻撃を受け流す。
「暁美さん、右へ! 鹿目さんはそのまま援護を!」
マミさんの指示に合わせてほむらが動き、まどかもすぐ弓を引いた。俺も自然に空いた場所へ入る。
前なら全員が自分のことで精一杯だった。でも今は、マミさんの声を聞けば誰がどこを埋めるべきか少しずつ分かる。
「スペッキオ・ファントム」
魔力を薄く広げると、こちらへ向かっていた使い魔の動きが僅かに逸れ、その隙にほむらの姿が消えた。次に見えた時には使い魔の真横へ移動し、盾から取り出した小さな爆弾を置いている。
前回の威力を知っているので、俺は反射的に一歩離れた。
「下がって!」
マミさんのリボンが広がった直後、小さな爆発が結界を揺らす。
今回は威力を調整したらしい。それでも使い魔を吹き飛ばすには十分で、ほむらの表情が少し明るくなった隙を、まどかの矢が抜けていった。
四人で戦う形が、ようやく身体に馴染み始めていた。
結界の奥から、ひときわ大きな影が現れる。
「本体よ!」
マミさんの声に、俺たちはほとんど同時に動いた。
◇
魔女そのものは、そこまで強くなかった。
厄介なのは、狭い空間を絶えず動き回る使い魔の数だった。俺がスペッキオ・ファントムで進路を乱し、ほむらが時間停止で位置を変える。その間にまどかの矢が魔女を追い込み、残った使い魔を俺が刀で押さえた。
最後に、マミさんのリボンが魔女の身体へ何重にも巻きつく。
「これで終わりよ!」
並んだマスケットが一斉に火を噴いた。
重なった銃声が結界を震わせ、拘束された魔女をまとめて撃ち抜く。少し遅れて周囲の景色へ細い亀裂が走り、そのまま結界が崩れていった。
◇
現実の路地へ戻ると、壁際へ座っていた男がゆっくり顔を上げた。
まだ状況を理解できていないらしく、ぼんやり周囲を見回している。それでも先ほどのように一点だけを見続ける様子はなく、首元にあった黒い紋様も薄くなっていた。
「よかった……」
まどかが安心したように息を吐く。
「しばらく休めば大丈夫そうね」
マミさんも指輪の反応を確認し、小さく頷いた。
これで終わり――ならよかった。
「あっ」
まどかが顔を上げる。
「田中さん!」
当然、思い出すよな。
「あの場所で待ってるはずだよね」
「ええ。迎えに行きましょう」
まずい。俺まで田中を迎えに行くわけにはいかない。
「俺はちょっと用事あるから、先に行く」
できるだけ自然に言って、その場を離れようとする。
「もう行っちゃうの?」
まどかに引き止められた。
困る。その顔で言われると、別の意味でも少し困る。
「まあ、ちょっとな」
「一緒に田中さんのところまで行かない?」
「いや、それは……」
絶対無理だ。俺と田中が同時に同じ場所へ現れる必要が出る。
世界で一番参加してはいけない迎えだった。
「また今度な」
軽く手を上げる。
まどかは少し残念そうだったけれど、それでも頷いた。
「うん。またね、マギカちゃん」
「またな」
三人から離れ、角を曲がったところで一度だけ振り返る。まどかたちはもう、大通りへ向かい始めていた。
急がないと、待っている本人がいない。
◇
来た時と同じように、人目のない場所を探す。今度は時間がない。
一つ目の路地には人がいて、二つ目には猫がいた。
猫ならいいか。……いや、キュゥべえのせいで四足歩行を見ると若干警戒する身体になっている気がする。
「どうでもいい」
誰もいないことを確認して変身を解除すると、銀白の衣装が消え、身体へ制服の感触が戻った。仮面もなくなり、髪へ一度手を入れて乱れを直す。
制服、鞄、顔。問題なし。
念のため呼吸も整える。さっきまで魔女と戦っていた人間が、何事もなかった顔で「ずっとここで待ってました」をやらなきゃいけない。
本当に面倒な生活だ。
大通りへ戻ると、何とか間に合った。
少しして、向こうから三人の姿が見えてくる。
「田中さん!」
まどかが俺を見つけるなり、歩く速度を上げた。思っていたより安心した顔をしている。
「よかった……!」
「え?」
「ちゃんとここにいてくれたんだね」
胸の奥が少しだけ痛んだ。
ちゃんと、ではない。普通に抜け出して、戦場まで行っていた。
まどかは俺が魔女の近くで待っていると思って、本気で心配してくれていたんだろう。
「うん。大丈夫だったよ」
嘘をつく。最近こればっかりだ。
「魔女は?」
俺が聞くと、まどかの表情が一気に明るくなった。
「倒したよ!」
「そっか」
「それでね、途中からマギカちゃんも来てくれたんだよ!」
「へえ」
少しだけ間を空ける。
「そうなんだ」
俺です。
「すごかったんだよ。私のところに使い魔が来た時、急に刀が入って、それでマギカちゃんが――」
まどかは身振りまで付けながら、一生懸命説明し始める。
知ってる。全部知ってる。やった本人だから。
「マギカさんが来てくれて、かなり楽になったわ」
マミさんもそう言う。
「四人になってからは、ずいぶん動きやすかったもの」
「そうなんですね」
ほむらも小さく頷いた。
「マギカさんが前に出てくれたので、私も動きやすかったです」
「へえ。そんなに頼りになるんだ」
自分で言いながら、妙な気分になる。
ほむらは少し考えてから答えた。
「はい。でも……少し無茶をします」
またそれか。
「暁美さん、前にもそんなこと言ってなかった?」
「言いました」
即答だったので、俺は笑いそうになるのを堪えた。
「そっか」
まどかはその横でまだ楽しそうに話している。
「ほむらちゃんもすごかったんだよ。時間を止めて、また爆弾使って」
「鹿目さん」
ほむらが少し慌てた。
「え? あ、言っちゃ駄目だった?」
「……別にいいです」
「へえ。暁美さん、爆弾使うんだ」
何も知らない顔を作って聞いてみる。
「……はい」
ものすごく気まずそうな返事が返ってきた。昨日、ネットで爆弾について調べていた本人とは思えない。
「すごいね」
「……ありがとうございます」
それも全部見てたけど。
まどかはその後もしばらく、マギカがどう戦ったかを楽しそうに話し続けた。マミさんも、ほむらも、時々そこへ補足を入れる。
話題の中心にいるマギカだけが、そこにはいない。
いや、本当はいる。田中として、三人の前に立っている。
「マギカちゃんが来てくれて助かったんだ」
まどかが嬉しそうに言う。
田中は守られる側で、マギカは一緒に戦う側。正体を隠している以上、それで正しい。
なのに、自分の話を他人の話みたいに聞いていると、自分の中から一人分だけ切り離されて、それを外から説明されているような妙な感覚があった。
まあ、今はそれでいい。学校では田中、戦う時はマギカ。自分でそう決めたんだから。
俺はそう考えて、まどかの話にもう一度頷いた。
「マギカって、すごいんだね」
自分で言うと、ものすごく変だった。