俺がマギカなのか……?改   作:きのこ大三元

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第31話 魔法少女が魔女になる時

「……まどか?」

 

 呼ぶと、まどかは少し疲れた顔のままこちらを見た。

 

「どうしたの、マギカちゃん?」

 

 返事そのものはいつも通りだった。ただ、声が細い。頬から血の気が引き、呼吸も浅くなっている。さっきまで弓を握っていた腕は力なく下がっているのに、それでも本人は自分より先に俺とほむらを気にしていた。

 

「二人とも、本当に大丈夫?」

「俺は――」

 

 答えかけて、また胸元へ目がいった。まどかのソウルジェムは、桃色だったはずの輝きをほとんど失っている。黒い濁りが内側いっぱいまで広がり、縁に残った僅かな色だけが、かろうじて元の宝石だったことを示していた。

 

 まずい。

 

 そう思った瞬間、口の中が急に乾いた。

 

「まどか、それ――」

「え?」

 

 まどかが自分の胸元へ視線を落とそうとした、その時だった。

 

「……っ」

 

 身体が折れた。

 

「鹿目さん!?」

 

 ほむらが先に動く。まどかは胸元を押さえたまま膝をつき、そのまま地面へ片手をついた。肩が大きく上下し、息を吸おうとしているのに途中で何度も詰まっている。

 

「まどか!」

 

 俺も立とうとしたが、足へ力が入らなかった。一歩目で膝が崩れそうになり、刀を地面へ突き立ててどうにか身体を支える。

 

「鹿目さん、どこですか!? 怪我したんですか?」

「分かん、ない……。胸……? 違う……なんか、違うの。身体の中が……変な感じで……」

 

 まどかは一度胸元へ手を当て、次には頭を押さえた。指先まで震えている。ほむらはその肩へ手を添えながら、腕、脇腹、服の破れた場所へ視線を走らせていく。

 

「どこが痛いんですか?」

「分かんない……。痛いっていうより……遠いの。手とか、足とか……私のなのに、ちゃんと分かんない……」

 

 その言葉に、背中が冷えた。細かな傷はいくつもある。でも、今の苦しみを説明できるような怪我は見当たらない。そもそも壊れ始めているのは身体じゃない。

 

 俺だけが、まどかの顔ではなくソウルジェムを見ていた。さっきよりさらに黒い。もうほとんど元の色なんて残っていない。中心へ押し込められた桃色の光が、濁りに圧迫されるように細くなっている。

 

前世で見た。

 

画面の向こうで、何度も見た。

 

 でも、待て。まだ――。

 

「ほむら、離れろ!」

 

 自分でも驚くくらい大きな声が出た。

 

 ほむらが振り返る。

 

「え?」

 

 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 

「何で――」

「いいから!」

 

 まどかまで苦しそうに顔を上げる。

 

「マギカちゃん……?」

 

 頭が回らない。それでも何か助ける方法があるはずだと記憶を探り、ようやく一つだけ思い当たった。

 

「グリーフシード! ほむら、持ってないか!? まだ使えるやつ!」

「え……」

 

 戸惑いながら盾へ手を入れたほむらの指が、途中で止まった。取り出した一本はすでに真っ黒に近く、穢れを吸える余裕なんてほとんど残っていない。慌ててもう一本取り出すが、それも同じだった。

 

「……ありません。全部……もう」

 

 声が掠れる。

 

 俺も自分の持ち物を探したが、使えるものは残っていなかった。ワルプルギス戦で使った。それ以前の戦闘でも使っている。残していたものは、とっくに限界まで穢れを吸っていた。

 

「そんな……ちょっと待て。待って、まだ……」

 

 誰に言ったのか、自分でも分からない。ほむらにも、まどかにも、自分自身にも向けた言葉だった。何を待つ。ほかに何がある。思い出せ。それでも、何も出てこない。

 

 俺の知識にあるのは、ソウルジェムが濁り切れば魔女になるという結末だけだ。その先から戻す方法なんて知らない。

 

知識はある。攻略法がない。

 

「二人とも……大丈夫、だから……」

「大丈夫じゃない!」

 

 ほむらがすぐに返した。

 

 まどかが少しだけ目を丸くした直後、身体がびくりと跳ねる。呼吸が一度完全に止まり、次に喉の奥から細い音が漏れた。

 

「っ、あ……」

「鹿目さん!?」

 

 ほむらがその手を握る。

 

「ここにいますから。鹿目さん、私を見てください」

「ほむら……ちゃん……」

「はい。ここにいます」

 

 まどかも握り返そうとした。でも最初に動いたのは親指だけだった。他の指は遅れて僅かに曲がり、自分の手なのにどう動かせばいいのか分からなくなったように止まる。

 

「怖い……身体が……私じゃなくなってくみたい……。ほむらちゃんの手、握ってるのに……触ってるの、遠くなってく……」

 

 ほむらの顔が歪む。

 

「大丈夫です。離しませんから」

「うん……離さないで……」

「離しません」

「お願い……」

「はい」

 

 何が起きているのか分かっていなくても、ほむらは両手でまどかの手を包んだ。それでも、まどかの指から少しずつ力が失われていく。

 

 俺にも何もない。魔法少女が魔女になることを知っている。それなのに、ただ知っているだけで、目の前のまどかへ何一つしてやれない。

 

「……待て。ちょっと待てよ」

 

 その時、ソウルジェムの奥で何かが動いた。

 

 黒い濁りの中を、表面の下から影が這ったように見えた。光じゃない。ひびでもない。見間違いかと思う間もなく、硬い宝石のはずの輪郭が僅かに伸び、戻り、今度は別の場所が内側から押されたように膨らんだ。

 

「……何?」

 

 ほむらも気づき、二人でまどかの胸元を見る。輪郭が一度、また一度と脈打っている。まるで心臓みたいだった。

 

「何、これ……」

 

 ほむらが呟くが、俺は答えられない。

 

 まどかも自分の胸元を見た。

 

「私の……?」

 

 言葉が途中で途切れる。ソウルジェムが歪むたび、まどかの身体まで小さく震えた。胸元に触れていないのに、何かを直接捻られているように肩が跳ね、喉の奥から息が漏れる。

 

「痛い……痛いよ……マギカちゃん……」

 

 何もできないまま、俺は刀を握る手に力を込めた。

 

「胸じゃないの……頭でもない……どこか分かんないのに、全部痛い……」

 

 それは当然だった。そこにあるのは心臓でも脳でもない。

 

 まどか自身だ。

 

 ソウルジェムそのものが、形を失おうとしている。

 

「まどか」

 

 呼ぶと、涙で濡れた目が俺を捉えた。

 

「マギカちゃん……助けて……」

 

 呼吸が止まりそうになった。

 

 何か言わなきゃいけない。でも、大丈夫なんて言えるわけがない。助けると言っても、どうやって助ければいいのか分からない。

 

「俺は……」

 

 続かなかった。

 

 その間にも黒い濁りが最後の桃色を押し潰していく。まどかにもそれが見えていた。

 

「やだ……消えちゃう……」

 

 ほむらが顔を上げる。

 

「何がですか?」

「分かんない……でも、私……私が……」

 

 言葉の途中で、まどかの瞳から焦点が外れた。

 

「まどか?」

 

 黒の中に残っていた最後の桃色が、針の先みたいに細くなる。

 

「ほむら……ちゃん……」

「はい」

「マギカ……ちゃん……」

「いる。ここにいる」

 

 ほんの僅かに、まどかの口元が動いた。何かを言おうとしたのだと思う。

 

 でも声になる前に――。

 

最後に残っていた光が、潰れた。

 

 ◇

 

 まどかの身体が大きく跳ねた。

 

「――っ」

 

 悲鳴すら出なかった。背中が弓なりに反り、握っていたほむらの手へ一瞬だけ強烈な力が加わる。爪が食い込むほど握り締めたかと思えば、次の瞬間には全身から力が抜けた。

 

「鹿目さん?」

 

 ほむらが手を握り返す。

 

「鹿目さん」

 

 返事はない。ただ、その胸元で黒く染まったソウルジェムだけが、まどか本人が動かなくなったあとも動き続けていた。

 

 縁が細く伸び、中央が沈む。表面が捩れ、宝石だった形が内側から何度も押し潰され、別の輪郭へ組み替わっていく。それを見るたび、理解したくないものが少しずつ理解へ変わっていった。

 

 見覚えがある。魔女を倒した後に残るものだ。

 

グリーフシード。

 

「……なんで」

 

 ほむらの声が掠れた。

 

 手の中には、まだまどかの手がある。体温だって残っている。なのに、その人間の魂だったものは、ほむらの目の前で魔女の卵へ形を変えていた。

 

「鹿目さん……? 鹿目さん、起きてください」

 

 返事はない。それでもほむらは手を離さず、顔を覗き込んでいる。

 

「……鹿目さん」

 

 声が震えた。

 

 目の前で起きていることと、自分がこれまで知っていたものが繋がっていない。当然だ。魔法少女のソウルジェムが、そのままグリーフシードへ変わるなんて、誰も教えていない。

 

 俺だけが知っていた。

 

 黒い種のような形が完成する。まどかの身体はまだそこにあるのに、もうこれは嫌な予感なんかじゃない。この先に何が起こるのか、俺は知っている。

 

「ほむら、下がれ」

「でも鹿目さんが――」

「下がれ!」

 

 ほむらがこちらを見る。その顔に浮かんだ疑問は一瞬だった。

 

 どうして知っているのか。なぜ、そんな顔をしているのか。

 

 それでも今は問いたださず、すぐにまどかへ視線を戻した。

 

 空気が歪む。

 

 グリーフシードの周囲から、道路の白線が曲がって見えた。遠くにある瓦礫の輪郭まで引き延ばされたように揺れ、黒い模様が地面から空へ広がっていく。影とも染みともつかないものが這い、まどかの身体を中心に、現実の形が少しずつ崩れていった。

 

「……何?」

 

 ほむらが一歩下がる。それでも手だけは、まどかの指を掴もうとしていた。

 

 けれど距離が開き、指先が滑る。

 

「鹿目さん……」

 

 ほむらの手から、まどかの手が落ちた。

 

 その直後、グリーフシードの外側が開く。割れたというより、内側から押し広げられた。硬い殻の中へ無理やり詰め込まれていた何かが、一気にこの世界へ溢れ出してくる。

 

「鹿目さん!?」

 

 ほむらが反射的に手を伸ばす。

 

 届く前に、空間そのものが捩れた。まどかの身体とほむらの間へ、存在しなかったはずの距離が割り込む。ほんの一歩だったはずなのに何メートルも離れたように見え、次の瞬間には道路そのものが別の景色に塗り替えられた。

 

「鹿目さん!」

 

 ほむらが叫ぶが、まどかは答えない。

 

 色が変わり、形が増える。崩れた街の上へ見覚えのない模様が重なり、現実を別の何かが食い潰すように広がっていく。

 

 結界。

 

 そう認識した時には、もうまどかの身体すら見えなくなっていた。

 

「まどか!」

 

 俺も名前を呼ぶが、返事はない。黒い塊が膨らみ、その中から生き物とも物とも言えない輪郭が少しずつ現れ始める。

 

 一瞬だけ、羽化という言葉が浮かんだ。でも違う。虫が成長したわけじゃない。まどかの中に別の何かが潜んでいたわけでもない。

 

 あのグリーフシードから、まどかだったものから――。

 

まどか自身が、別の存在へ変わった。

 

「……鹿目さん?」

 

 ほむらの声は、今度はほとんど聞こえなかった。

 

 魔女が動く。それだけで結界の一部が大きく歪み、ほむらが反射的に一歩前へ出る。

 

「待て!」

 

 腕を掴んだ。

 

「離してください!」

「駄目だ!」

「鹿目さんが!」

「もう――」

 

 言いかけて、喉が止まった。

 

 もう何だ。もうまどかじゃない、とでも言うのか。そんなこと、言えるわけがない。ほんの少し前まで俺たちの名前を呼び、怖いと言って、助けてと頼んでいた。それが数十秒で、目の前のこれになった。

 

 でも、目の前にいるのは――。

 

 言葉が出なかった。

 

 その時、背後から声がした。

 

『なるほど』

 

 振り返ると、瓦礫の上に白い身体と赤い目があった。キュゥべえがいつからそこにいたのか分からないまま、いつもと変わらない顔でこちらを見ている。

 

「キュゥべえ……」

 

 ほむらの声が低くなる。それでも視線は魔女から外さない。

 

「これは……何?」

 

 キュゥべえは僅かに首を傾げた。

 

『彼女のソウルジェムが限界に達したんだよ』

 

「限界……?」

 

『穢れを抱えきれなくなったソウルジェムは、グリーフシードへ変わる。そして魔法少女は、魔女になる。この国では、成長途中の女性のことを少女って呼ぶんだろう? だったら、やがて魔女になる君たちのことは、魔法少女と呼ぶべきだよね』

 

 それだけだった。天気の話でもするみたいに。

 

「……何を」

 

 ほむらの声が震える。

 

『今、君が見た通りだよ』

 

 キュゥべえは怒っても、笑っても、悪びれてもいない。ただ目の前で起きた事実を説明しているだけだった。

 

「そんな……そんなこと……」

 

 ほむらは魔女を見て、それからキュゥべえを見る。その先の言葉は続かなかった。

 

 俺も同じだった。

 

 魔法少女が魔女になることも、ソウルジェムが濁り切れば終わることも、それがグリーフシードへ変わることも全部知っていた。前世で何度も見ている。画面の中なら、ほんの数秒だった。

 

 でも今は違う。

 

 まどかは身体が自分じゃなくなると言った。痛いと言った。怖いと言った。ほむらの手を握り、俺へ助けてと頼んだ。そして最後まで、自分に何が起きているのか分からないまま消えた。

 

 俺はその全部を見ていた。知っていた。それでも何もできなかった。

 

「……嘘だろ」

 

 自分でも驚くほど普通の言葉が出た。

 

 知っていたのに、それしか出なかった。

 

 ◇

 

 魔女が動くたび、結界はさらに広がっていく。壊れた街の輪郭が、別の景色へ少しずつ飲み込まれ始めていた。

 

「離れるぞ」

 

 俺はほむらの腕を引く。

 

「でも――」

「今の俺たちじゃ無理だ!」

 

 ほむらは動かない。目は魔女だけを見ている。

 

「鹿目さんが……」

「分かってる!」

 

 声が荒くなる。分かってる。分かってるからこそ、ここにいたら駄目だ。このまま残れば、今度はほむらまで失う。

 

「ほむら!」

 

 名前を呼ぶと、ようやくこちらを向いた。その視線が俺の顔で止まり、何かを思い出したように僅かに変わる。

 

 まずい。

 

 さっき俺は、ソウルジェムが変わる前に「離れろ」と言った。グリーフシードを探した。誰も何が起こるか分かっていない時に。

 

 ほむらも、それに気づいた。

 

 でも今は質問しなかった。盾へ手を掛ける。

 

「……掴まってください」

「え?」

「時間を止めます」

「お前、もう――」

「少しなら。ここから離れるだけです」

 

 声に力はない。それでも、もう決めている。俺は一瞬だけ迷い、その手を取った。

 

「無理するなよ」

「今更です」

 

 ほんの少しだけ、いつものほむらみたいな返しだった。

 

 盾が動く。

 

音が消えた。

 

 ◇

 

 魔女も、結界も、広がりかけた影も止まっている。その中で、ほむらと俺だけが動いた。

 

 少し前まで、この止まった世界は作戦を考える場所だった。誰も動かない街を二人だけで歩きながら、マミさんをどこへ置くか、まどかの射線をどこへ通すか、そんなことを話していた。

 

 今、その二人はいない。

 

 聞こえるのは、俺とほむらの足音だけだった。

 

「……行きます」

「ああ」

 

 手を繋いだまま結界から離れる。ほむらの手はずっと震えていた。疲れているからだと思いたかったけれど、それにしては握る力が妙に強い。

 

 俺も何も言わなかった。

 

 十分に距離を取ったところで、ほむらが盾へ手を掛ける。

 

「戻します」

 

 時間が動いた。

 

 風の音、サイレン、遠くで建物が崩れる音。止まっていたものが一斉に世界へ戻ってくる。

 

 それでも、ほむらは俺の手を離さなかった。

 

 さっきまで握っていたのは、まどかの手だった。

 

 今は俺の手を握っている。そのことに気づいたけれど、何も言えなかった。

 

 ほむらはしばらく魔女の方を見つめたあと、ゆっくりこちらを向く。

 

「……マギカさん」

「……何?」

 

 ほむらは口を開いた。

 

 けれど、一度だけ閉じた。

 

 何も言わない。

 

 ただ、その目だけが、さっきまでとは違っていた。




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