使い魔が跳んだ。
俺は反射的に、ほむらを庇うように前へ出た。勝てるわけがない。武器もなければ魔法もないし、原作知識がどれだけあろうと、今の俺はただの女子中学生だ。それでも身体だけは勝手に動いた。
次の瞬間、黄色い何かが視界を横切った。
「――え?」
使い魔の身体へ細いリボンが巻きつき、一体、二体、その後ろまでまとめて拘束する。続けて銃口が並び、乾いた銃声が結界の中へ響いた。
「下がっていて」
一発目で一体。二発目でもう一体。さっきまで俺たちを追い詰めていた使い魔が、紙屑みたいに吹き飛んでいく。
金色の縦ロール。黄色を基調にした衣装。手にしたマスケット銃と自在に伸びるリボン。
巴マミ。
「もう大丈夫よ。怪我はない?」
「……たぶん」
自分でも妙な返事だと思った。でも頭がまだ追いついていない。
本物だ。いや、今さら何を言っているんだという話ではある。学校にはまどかもほむらもいたし、ここがまどマギの世界なのはもう疑いようがない。それでも、魔法少女として戦う巴マミを目の前で見るのは別だった。
銃声は思っていたよりずっと大きく、火薬の匂いまでした気がする。アニメなら数秒で流れる戦闘なのに、実際にその場へ立つと全部が近すぎた。
「田中さん……」
後ろから聞こえた声に振り返ると、ほむらも呆然としていた。無理もない。今日まで普通の中学生として生きてきた少女が、突然怪物と魔法の戦いを目の前で見せられている。
俺みたいに予習済みじゃない。
「大丈夫?」
今度は、もう一つ聞き覚えのある声がする。
桃色の衣装。赤いリボン。手には弓。
鹿目まどか。
「怪我してない? ほむらちゃんも大丈夫?」
「あ……はい」
ほむらの声が小さくなる。その視線は完全にまどかへ向いていた。
「よかった。もう大丈夫だよ」
「…………」
ほむらが息を呑む。
俺は何も言わなかった。たぶん、こういうところだ。俺が帰り道で何を言っても、この光景には勝てないし、勝つ必要もない。
この子を俺に懐かせるのは違う。
ほむらには、まどかがいる。
俺は少しだけ後ろへ下がった。
「彼女たちは魔法少女だよ」
「…………」
突然後ろから聞こえた声に身体が固まる。ゆっくり振り返ると、白い身体に長い耳、赤い目。一見すればかなり可愛く、ぬいぐるみと言われても通じそうな生き物がこちらを見上げていた。
キュゥべえである。◕ ‿‿ ◕
「……出た」
「ん?」
そいつが首を傾げる。
来た、例の害獣。
いや、正確には本人に悪意があるわけじゃない。感情の作りが人間と違うだけで、こいつ自身は本気で合理的に行動している。それは知っている。
知っているけど、だから何だ。
魔法少女の仕組みも、ソウルジェムの正体も、魔女が何なのかも全部知った上で見れば、可愛いマスコット扱いする気には到底なれない。こいつの本性まで知ってなお「キュゥべえ大好き」と言える人間がいるなら、ぜひ一度会ってみたい。
たぶん俺とは一生分かり合えない。
「君は僕を知っているのかい?」
「……いや。初めて見た」
危ない。口に出ていた。
「そうかい」
キュゥべえは、それ以上気にした様子もなく尻尾を揺らす。助かった。今の段階で「なんで僕を知っているんだい?」なんて詰められたところで、説明できるわけがない。
「キュゥべえ、この子たちをお願い」
マミが再び銃を構える。
「まだ終わっていないみたいね」
結界の奥から、使い魔とは違う低い音が響いた。もっと大きく、もっと重い。周囲の空気まで変わった気がする。
「魔女……?」
ほむらが小さく呟く。
「ええ。まどかさん、いける?」
「はい!」
まどかも弓を握り直す。さっきまで俺たちを心配していた普通の中学生だったのに、二人の空気が一瞬で戦う側のものへ変わった。
知っていた。まどかが魔法少女だということも、マミが強いことも。
でも、やっぱり画面越しとは違う。
空間が歪み、理解できない形をした巨大な何かが結界の奥から現れる。思っていたより大きい。
「怖っ……」
普通に怖い。
アニメなら「独特なデザインだな」で済むけど、現実でこっちを向いて動いていたらそんな感想では済まない。
「田中さん……」
ほむらが俺の袖を掴む。
「大丈夫」
反射的にそう答えた。根拠はない。ただ、今は目の前に二人いる。
巴マミと、鹿目まどかが。
マミのリボンが走って魔女の動きを止め、その隙を縫うようにまどかの矢が飛んだ。桃色の光が結界を切り裂く。
綺麗だ。
そう思ったのは一瞬だけだった。
光の向こうで魔女が苦しむように暴れ、地面が揺れる。風圧が頬を叩き、ほむらの手が俺の袖をさらに強く掴んだ。
これは演出じゃない。
音も、揺れも、恐怖も。
全部、本物だ。
「マミさん!」
「ええ!」
二人の攻撃が重なった。
次の瞬間、結界が砕けた。
◇
気づけば、俺たちは元の街へ戻っていた。夕方の道路、信号、車の音。さっきまでの異様な景色が嘘だったみたいに、見滝原の日常がそのまま続いている。
「……戻った」
「もう大丈夫よ」
マミが微笑む。まどかも変身を解き、いつもの制服姿へ戻っていた。その瞬間だけ見れば、本当に普通の中学生だ。少し前まで魔女と戦っていたとは、とても思えない。
「二人とも、本当に怪我はない?」
「はい……」
「俺も大丈夫」
「よかった」
まどかが嬉しそうに笑う。
ほむらは、そんなまどかをじっと見ていた。学校で見た時とは明らかに違う。少し眩しそうで、少し憧れているような目だ。
ああ。
もう始まってるな、これ。
「鹿目さん……あの、今日はありがとうございました」
「ううん」
まどかは少し照れたように笑う。
そして、人差し指を唇の前へ持っていった。
「クラスのみんなには内緒だよ!」
「…………」
来た。
これだ。
知ってる。名場面。
生「クラスのみんなには内緒だよ」だ。
やばい。ちょっと感動する。いや、かなり感動している。原作で何度も見た場面が、本物の鹿目まどかによって目の前でそのまま起きている。
しかも弓を使う魔法少女が。
「…………」
弓を見た瞬間、余計な記憶が頭をよぎった。
白い服。眼鏡。弓――石田雨竜。
違う。
お前じゃない。
なんで出てきた。
しかも最悪なことに、脳内では完全にCV.杉山紀彰さんの声までついている。
『クラスのみんなには内緒だよ』
「…………っ」
やめろ。
石田雨竜の声で再生するな。
そこからは早かった。パズドラ。BLEACHコラボ。石田雨竜。そして、クラスのみんなには内緒だよ。
駄目だ。
笑うな。
今笑ったら完全に不審者だ。
「田中さん?」
まどかが不思議そうに首を傾げる。
「……なんでもない」
「そう?」
「うん」
頼む。今は石田を出さないでくれ。
目の前にいるのは本物の鹿目まどかだ。こっちが本家だ。それなのに一度思い出したせいで、杉山紀彰さんの声だけが妙に鮮明に残っている。
パズドラ。
お前のせいで完全に汚染されてるじゃねえか。
必死に表情を戻して横を見ると、ほむらは俺の葛藤など知らず、まだまどかを見ていた。
「…………」
その顔を見た瞬間、俺の中の笑いが静かに引いていく。
そうだ。
これは、名場面なんかじゃない。
少なくとも、今ここにいる俺たちにとっては。
さっき本当に死にかけた。使い魔に追われ、ほむらは走れなくなって、俺は何もできなかった。その俺たちを、まどかとマミが本当に助けた。
昨日までなら、全部「作品」だった。
鹿目まどかも、巴マミも、魔女も、キュゥべえも。全部画面の向こう側にいて、知っているつもりでいられた。
でも、今は違う。
俺は魔女の結界を走った。使い魔に殺されかけて、ほむらの手を引いて、銃声を聞いて、まどかの矢を見た。
全部、本物だった。
「田中さん?」
もう一度、まどかが俺を見る。
「大丈夫?」
「ああ。大丈夫」
今度は少しだけ間を置いて答えた。
身体は、たぶん。
でも、昨日までの俺と今の俺では、もう同じ感覚ではいられない気がした。
「ねえ、田中さん」
今度はキュゥべえがこちらを見る。
来るな。
嫌な予感しかしない。
「君も、魔法少女に興味はあるかい?」
「ない」
即答した。
キュゥべえが首を傾げる。
「まだ何も説明していないよ」
「なんとなく」
「そうかい?」
「そういう気分じゃない」
我ながら雑だ。でも今ここで契約の話なんてされたくない。
こいつが何を言ってくるのかは知っている。願いを一つ叶える。その代わりに魔法少女になる。そこだけ聞けば最高の話だ。
問題は、その「その代わり」の中身を、俺だけが知っていることだった。
「まあ、いきなりこんなことがあったんですもの。今すぐ決める必要はないわ」
「そうだね」
マミが少し困ったように笑い、キュゥべえもあっさり頷く。本当に、こういうところだけ見れば可愛いのにな。
「それより、少し場所を変えましょうか」
「場所?」
「ええ。魔女のことも、魔法少女のことも、あなたたちにはちゃんと説明しておいた方がいいと思うから」
「…………」
知っている流れだ。
キュゥべえ。願い。契約。魔法少女。
俺が知っている物語が、少しずつ現実の順番で並び始めている。
でも、もう「原作イベントだ」と眺めるだけではいられなかった。
この世界は、ちゃんと痛い。
そして。
ちゃんと怖かった。
ちょうどBLEACHもアニメやってますね…