「昨日から、あたしも魔法少女ってわけ!」
さやかはそう言って、わざわざ胸を張った。青を基調にした衣装に剣、肩から落ちる短いマント。前世では何度も見た姿のはずなのに、実際に本人が目の前で嬉しそうに笑っていると印象がまるで違う。今のさやかには、魔法少女になったことへの恐怖より、できることが増えたという高揚の方がずっと強く見えた。
まだ何も失っていないし、何も背負い込んでいない。だからこそ、その先を知っている俺には妙に引っかかった。
「……何その顔」
「いや」
「新人だからって舐めてる?」
「そういう意味じゃねえよ」
さやかは納得していない顔のままこちらを覗き込んできた。やたら距離が近い。こっちからすれば知っている相手でも、今のさやかとは一応初対面なんだけどな。もっとも、本人はそんなことより、俺が妙な顔をしていたことの方が気になるらしい。
「美樹さん」
マミさんが少しだけ声を強くする。
「昨日契約したばかりなんだから、あまり前のめりになりすぎないこと」
「分かってますって」
「本当に?」
「分かってますってば」
返事だけはやたら元気だった。マミさんは少し困ったように笑い、それからさやかの剣と足元を順に見た。
「あなたの回復力が高いのは分かっているわ。でも、治せることと、傷ついていいことは別なのよ」
「はいはい」
「はい、は一回」
「はーい」
そのやり取りにまどかが小さく笑い、さやかもつられて笑った。マミさんも最後には肩をすくめる。何でもないやり取りだったし、今のところはそれでいい。
◇
少し場所を移したあと、マミさんが念のため全員の状態を確認した。俺はさっき一人で魔女を倒したせいで多少消耗していて、胸元のソウルジェムにも僅かな濁りがある。ほむらはまだ大きく魔力を使っておらず、まどかにも目立った傷はない。
その中で、昨日契約したばかりのさやかだけが妙に元気だった。
「それでさ」
剣を肩へ担いだまま、さやかがこちらを向く。
「さっきから気になってたんだけど、マギカってどういう魔法使うの?」
「なんで急に呼び捨てなんだよ」
「いいじゃん。あたしもさやかでいいし」
勝手なやつだと思いながらも、聞く気しかない顔をしているので諦めた。
「相手の認識を少しずらしたりする」
「……地味」
「おい」
さやかは不満そうに口を尖らせる。
「もっとこう、ドーン! とかバーン! とかないの?」
「お前、昨日なったばっかだろ」
「だからこそ夢があるの」
横では、マミさんが少し考えるように俺を見ていた。
「認識をずらす、というのは……相手から見えるあなたの位置を変えるようなもの?」
「近い」
「完全に姿を消すわけではないのね」
「そこまで便利じゃないよ。ちょっと見当を外させるくらい」
マミさんは俺の返事を聞きながら、頭の中で使い道を組み立てているようだった。
「なるほど。派手ではないけれど、使い方次第ではかなり厄介そうね」
「でしょ?」
なぜか俺より先にさやかが得意そうな顔をする。
「お前が威張るなよ」
「だって面白そうじゃん」
すると今度は、さやかの目つきが変わった。
「ちょっとやってみたい」
「何を」
「勝負」
「嫌だよ」
即答すると、さやかが露骨に不満そうな顔をする。昨日契約したばかりの新人と、何でいきなり模擬戦しなきゃいけない。
「いいんじゃない?」
まどかが言った。
「もちろん本気じゃなくて、少しだけなら」
さやかの顔が一気に明るくなる。
「さっすがまどか!」
「いや、まどかが決めることじゃ――」
「私も、条件付きならいいと思うわ」
マミさんまで乗ってきたので、俺は小さく息を吐いた。
「ただし、本気の攻撃は禁止。ソウルジェムは絶対に狙わない。危険だと思ったら、その時点ですぐ止めること。いい?」
「はい!」
「……了解」
俺の方が返事が遅かった。
◇
「じゃあ、始めるわよ」
マミさんの声と同時に、さやかが剣を構えた。正面から迷いなくこちらへ向け、合図を聞き終えるより早く地面を蹴る。
「行くよ!」
思っていたより速い。刀を抜きながら、わざわざ真正面から受ける必要はないと判断する。薄く魔力を広げ、さやかの認識だけを僅かにずらした。
さやかの視線がほんの少し外れ、俺がいると思った場所へ剣が振り下ろされる。その横へ回り込み、刀の切っ先を首筋の手前で止めた。
「はい、終わり」
「ちょっと待った! ズルくない!?」
「正面から全部受ける方が馬鹿正直なんだよ」
「ズルい能力!」
「能力にズルいも何もあるか」
まどかは声を押し殺して笑い、マミさんも口元へ手を当てていた。ほむらだけは少し離れた場所から、こちらの位置関係とさやかの剣筋を静かに追っている。
マミさんはさやかが空振りした場所と、俺が立っている位置を交互に見た。
「今の、姿を消したわけじゃないのね」
「そう」
「見えている位置と、実際にいる位置を少しずらした……やっぱり、そういう魔法なのね」
一度説明しただけで、実際の動きを見ればもうかなり正確に把握している。
「相手にすると厄介って言ったでしょ?」
「さすがマミさん」
「だから何でお前が得意そうなんだよ」
さやかは聞いていない。
「もう一回。今のは初見殺し!」
「そういう魔法なんだけど」
「次は当たる!」
どこから出てくるんだ、その自信。
俺がマミさんを見ると、向こうは少し考えたあとで頷いた。
「……もう一度だけね」
許可が出ると、さやかは今度こそ少し距離を取り、さっきより真面目な顔で剣を構えた。
また真正面から来る。ただ、今度は振り方が違った。大きく踏み込み、剣を横薙ぎに振る。
範囲が広い。認識をずらしても、剣そのものの軌道がこちらまで届く。
「だったら、どっちにいても当たるようにすればいい!」
「脳筋かよ!」
後ろへ退いたが完全には避けきれず、剣の腹が肩へ軽く当たった。鈍い痛みが走り、俺は少し距離を取る。
さやかは満面の笑みだった。
「当たった!」
「それで喜ぶな」
「今ので一勝一敗!」
「一回目お前負けてるからな」
「初見はノーカン!」
都合のいいルールを作るなと思いつつ、少し感心もした。一度見ただけでちゃんと対策を考えている。理屈自体は雑だが、認識をずらされるなら攻撃範囲そのものを広げるという判断は有効だった。
勢いだけに見えて、戦闘勘そのものは悪くないらしい。
「美樹さん、前に出すぎよ」
マミさんが声を掛ける。
「相手だけを見ないで、足元と周囲も見ること。真正面から押し切れる相手ばかりじゃないわ」
「はーい」
「返事だけはいいわね」
さやかは肩をすくめたが、注意そのものはちゃんと聞いているようだった。
◇
今度はマミさんの指示で、簡単な動きの練習になった。さやかが前へ出て、まどかは少し後ろ。俺は横から相手の動きを崩し、マミさんが全体を見る。ほむらはまだ無理に混ざらず、少し離れたところからそれぞれの動きを観察していた。
さやかは勢いに任せて剣を振るところがあるものの、注意されたことは次の動きでちゃんと試していた。最初は手だけで振っていた剣も、マミさんに腰を使うよう言われると、次の一撃では標的が大きく揺れる。
「今のはよかったわ」
「よし!」
褒められると、そのまま顔に出る。本当に分かりやすい。
その勢いで次へ行こうとして足を滑らせ、咄嗟に手をついた。
「うわっ……いったぁ」
掌を小さく擦っている。
その様子を見て、俺は僅かに息を止めた。さやか自身はそんなことに気づかず、擦った掌を眺めてから魔力を集める。青い光が傷口を包み、赤くなっていた皮膚がゆっくり元へ戻っていった。
「おおー……やっぱすごいな、これ」
傷が消えると、さやかは指を開いたり握ったりしながら本気で感心している。
「だからって、治るからって無茶するなよ」
「マミさんにも言われた」
「じゃあ聞け」
さやかは治った手をもう一度開き、確かめるように指を曲げる。
「でも、これなら多少無茶しても平気じゃん」
軽い冗談だった。本人も笑っているし、まどかも困ったように笑った。ただ、マミさんだけは少し表情を曇らせる。
「美樹さん」
「冗談ですって」
「ならいいけれど」
それ以上は続かなかった。今はまだ、その程度の言葉で済む。
◇
休憩に入ると、さやかは地面へ座り、剣を横へ置いた。走り回った直後だというのに、疲れたと言いながらも表情はまだ明るい。
「昨日契約したばっかで動きすぎ」
「楽しいんだから仕方ないじゃん」
「楽しい?」
「そりゃそうでしょ」
即答だった。まどかも隣へ腰を下ろし、楽しそうにさやかを見る。
「さやかちゃん、昨日からずっと嬉しそうだもんね」
「そりゃね。願いも叶ったし」
その言葉に、俺の視線が止まる。
知っている。でも、今の俺は知らないふりをしなきゃいけない。
「何を願ったんだ?」
さやかは少しだけ頬を掻き、一度まどかを見る。どうやらまどかはもう事情を知っているらしい。
「別に隠すほどじゃないんだけどさ。幼馴染が入院してるんだ。事故で腕やっちゃって、そいつ音楽やっててさ。バイオリン」
知っている。でも黙る。
「もう演奏できないって言われてた」
そこだけ、さやかの声が少し低くなった。ただ、次に顔を上げた時には笑っていた。
「だから治してもらった。昨日、ちゃんと動いたんだよ。腕。本人もびっくりしててさ、先生も何が起きたか分かってなくて」
「そりゃそうだろ」
「でしょ? まだバイオリンはちゃんと触ってないけど、あれならまた弾けると思う」
さやかは自分のことみたいに嬉しそうに笑った。
その顔を見ていると、すぐに何かを言う気にはなれなかった。この願いが、この先さやかを追い詰めていくことを俺は知っている。上条恭介を巡って何が起こるのか、その果てにさやかがどうなるのかも、大まかには覚えている。
でも、それはこれからの話だ。今ここでは、一人の少年の腕が治り、失いかけていた音楽をもう一度取り戻せるかもしれない。そして何より、さやか自身がそのことを本気で喜んでいた。
未来を知っているというだけで、その願いを最初から間違いだったと言えるのか。俺には言えなかった。
「……そっか」
「何その反応。もっと感動してよ」
「要求多いな」
「人の奇跡の話だぞ?」
「自分で言うな」
さやかが笑い、俺も少しだけ口元を緩めた。今は、このくらいの距離の方がよかった。
◇
休憩が終わると、今度はまどかが簡単な射撃練習を始めた。
「まどかー! もっと派手に!」
「無茶言わないでよ」
「そこはドーンって!」
「さっきも言ってたわね、それ」
マミさんが呆れたように笑う。まどかの矢が標的へ刺さると、さやかはすぐに駆け寄り、二人で顔を見合わせて笑った。親友なんだと、見ていれば分かる距離だった。
そこへ俺が割って入る理由はないので、少し離れたところからその様子を眺める。
さらにその向こうには、ほむらがいた。目が合うと、ほむらはすぐに視線を逸らした。
今のほむらは、まどかを助けるために戻ってきた。でも戻った時点で、まどかはもう魔法少女で、さやかまで契約している。俺だけじゃない。ほむらもまた、未来を知っているつもりでここへ戻ってきた。
「マギカさん」
マミさんに呼ばれ、そちらを向く。
「少し考えすぎるところがあるわね」
「……急だな」
「さっきの模擬戦よ」
当然だけど、ちゃんと見られていた。
「美樹さんは一度決めたら前へ出るのが早い。あなたは逆に、相手を見すぎて一拍遅れることがある。どっちがいいって話じゃないけれどね」
マミさんはまずさやかへ視線を向ける。
「美樹さんは、もう少し周りを見ること」
「はーい」
今度は俺を見る。
「マギカさんは、考えながらでも身体を止めないこと」
「難しい注文するなあ」
「できそうだから言ってるのよ」
少しだけ笑ってから、二人を見比べる。
「二人を足して二で割ったら、ちょうどよさそうね」
「それは嫌」
「ちょっと、何で!?」
「うるさそうだから」
「失礼!」
さやかが食ってかかり、マミさんとまどかが笑う。少し離れたところにいたほむらまで、ほんの少しだけ口元を緩めた。
それを見て、俺は少しだけ安心した。
◇
訓練が終わる頃には、空が夕方の色へ変わっていた。
「いやー、今日は充実した」
「昨日契約した人間の台詞じゃない」
「才能ってやつ?」
「調子乗るな」
さやかは笑いながら剣を消し、それから俺を見る。
「でも今度は絶対、あのズルい技破るからね」
「まだズルいって言うのかよ」
「ズルいもんはズルい」
さやかが笑い、俺もつられて少しだけ笑った。
たぶん、こういう距離になるんだろう。特別に仲がいいわけでもない。かといって敵でもない。会えば軽口を叩いて、気が向けば一緒に戦う。そのくらいの距離。
「じゃあねー!」
途中でさやかが手を振った。
「明日、恭介のとこ行かなきゃ」
「お見舞い?」
「うん。腕治ったし、何か持ってこうかなって」
「私も行こうかな」
「いいじゃん」
二人はそのまま話しながら先へ歩いていく。俺は少し後ろから、嬉しそうなさやかとその隣のまどかを見ていた。
今だけ見れば、何もおかしくない。むしろ全部うまくいっているように見える。
少し前を歩いていたマミさんが足を止め、後ろを振り返った。
「暁美さん?」
ほむらはすぐには答えなかった。何か言いかけたまま一度マミさんを見て、それから、なぜかこちらへ視線を移した。
眼鏡の奥の目と合う。
前の時間で、ほむらはマミさんへ真実を話すと決めた。魔法少女が最後には魔女になることも、キュゥべえがそれを知っていたことも、もう隠したままにはしないと。
それでも、今すぐ口にするつもりではないらしい。
ほむらの視線は、ほんの少しだけ俺のところに残った。
「……何?」
聞くと、ほむらは一度だけ唇を開いた。
「いえ……」
それだけ言って、視線を外す。
何か聞きたいことがある。それくらいは分かった。
前の時間の最後、俺が魔法少女の真実を知っていたことは、ほむらにももう知られている。今の俺はそのことまで知らないふりをしているけれど、向こうからすれば、もう一度確かめたくなるのは当然だった。
ただ、ここにはマミさんもいる。少し先にはまどかとさやかもいて、二人の声まで普通に届く。聞くには向いていない。
ほむらも同じことを考えたらしく、それ以上は何も言わなかった。
「どうしたの、暁美さん?」
マミさんがもう一度尋ねる。
「……何でもありません」
ほむらはそう答えた。マミさんは少し不思議そうな顔をしたものの、無理に聞こうとはしなかった。
そのまま歩き出す。ほむらも少し遅れて後を追った。
俺はその背中を見ながら、嫌な予感だけを残された。
前の時間より、ほむらは俺を見ている。それも当然だ。俺自身が、見られるだけのことをしている。
◇
翌日の昼休み、田中として机へ座っていると、さやかがこっちへやって来た。
「田中」
「何?」
「明日ヒマ?」
「急だね」
「まあまあ」
さやかは机へ片手をつき、少しだけ声を落とした。
「恭介のお見舞い行くんだけどさ。まどかも行くんだけど……せっかくだし、あんたも来る?」
知っている名前だった。
上条恭介。画面越しでは何度も見たけれど、現実ではまだ会ったことがない。
「私も?」
「嫌ならいいけど」
少しだけ考える。さやかが願いを使った相手で、腕を治した相手。今のさやかを、あんなに嬉しそうにしている理由でもある。
「行くよ」
「ほんと?」
「うん」
「じゃ決まり!」
さやかが笑った。
その顔を見ながら、もう一度考える。この願いは、少なくとも今は誰かを救っている。そして、さやか自身も救われたみたいに笑っている。
だったら、見てみるか。