テーブルの上には、見滝原の地図が広げられていた。駅前、住宅地、河川敷、工場区画。ここ数日で魔力反応を拾った場所にはマミさんが小さく印を付けていて、そのいくつかをペン先で繋いだところで手を止める。
「これだけ人数が増えたんだもの。毎回全員で同じ場所を回る必要はないと思うの」
「二組に分けるってこと?」
さやかが身を乗り出すと、マミさんは頷き、駅を境に地図を大きく東西へ分けた。
「ええ。ただし、全員ばらばらにはしないわ。今までは魔女を見つけたら全員で向かう形だったけれど、五人いるなら二つの区域を同時に見られるでしょう?」
単純に戦力が増えたから、強い相手を倒せる。それだけじゃない。探せる場所が倍になれば、魔女そのものを見つけられなくても、使い魔や口づけを受けた人間に早く気づける。戦う前の段階で助けられる人間も増えるわけで、いかにもマミさんらしい人数の使い方だった。
「ただ、美樹さんと鹿目さんはまだ二人だけにはできないわね」
「えー」
「えー、じゃありません。昨日契約したばかりでしょう?」
「……はい」
さやかが渋々引き下がると、その横でまどかが小さく笑った。
「まどか笑ったなー?」
「ご、ごめん」
「お前も初心者組だからなー」
「私は何も言ってないよ」
二人がじゃれ始める横で、マミさんは地図の西側へ指を置いた。
「今日は鹿目さんと美樹さんが私と一緒。駅の西側から住宅地を回りましょう。戦うことだけじゃなくて、巡回中に何を見るのかも覚えてほしいの」
そこから指が東へ滑る。
「そうすると、東側をお願いできるのはマギカさんと暁美さんね」
「俺と?」
「私と、ですか?」
ほとんど同時だった。マミさんは特に気にした様子もなく、俺の方を見る。
「昨日の様子を見る限り、マギカさんはもう一人でもある程度魔女と戦えるでしょう? 暁美さんの時間停止も、まだ大人数で合わせるより少人数の方が扱いやすそうだし。二人とも前へ出続けるというより、周りを見ながら動く方みたいだから」
邪魔にならないどころか、前の時間で一緒に戦った分まで含めれば相性は悪くない。もちろん、そんなことは言えない。
「なんか意外なコンビだね」
「そうか?」
「そうでしょうか」
また重なった。さやかが俺とほむらを交互に見比べてから、目を細める。
「……やっぱ似てない?」
「似てない」
「似てません」
一拍置いて、さやかが勢いよく俺たちを指差した。
「ほら!」
「偶然だろ」
「偶然です」
「また!」
まどかが吹き出し、マミさんまで口元へ手を当てる。ほむらは何も言わず地図へ目を戻したが、その反応が一番嫌だった。
◇
「その前に」
出発しようとしたさやかを、マミさんが呼び止めた。
「二人とも、ソウルジェムを見せて」
「え?」
「巡回前の確認よ」
まどかは素直にソウルジェムへ手を伸ばし、さやかも少し遅れて自分のものを覗き込んだ。
「まだそんなに濁ってないよ?」
「今濁っていないことと、確認しなくていいことは別よ。戦う前と戦った後、毎回見る癖をつけて。特に美樹さんは治癒でも魔力を使うんだから」
「はいはい」
「はい、は一回」
「昨日も言われた!」
「昨日言ったことを今日も言わせないで」
さやかは口を尖らせながらも、もう一度ちゃんとソウルジェムを確認した。その仕草を見ていると、前の時間で最後にグリーフシードが足りなくなったことや、それぞれがあとどれだけ戦えるのかも把握できていなかったことが頭をよぎる。もっと見ておけばよかった。
俺もつられて胸元へ手をやり、二連のソウルジェムへ触れかけたところで止めた。マミさんがこちらを見ていたので、何でもない顔をして手を下ろす。
◇
マミさんたちと別れて東側へ向かい、最初の角を曲がったあたりで急に静かになった。さっきまで五人で騒いでいた反動なのかもしれないけれど、それにしても会話がない。
「…………」
「…………」
前の時間では、ワルプルギスの夜まで一緒に戦った。止まった世界を二人で歩いたし、時間停止へ入るために手を繋いだことだってある。でも今は、知り合って数日しか経っていないことになっていて、普段なら何を話すのが自然なのかすら分からなかった。
「……暁美、だったよな」
分かりきった名前を確認する。
「はい」
「あの盾、何ができるんだ?」
ほむらの歩幅が僅かに変わった。
「時間を止めることができます」
「……時間?」
少しだけ眉を上げる。
「一定時間だけですが」
「へえ」
「……あまり驚かないんですね」
来た、と内心で身構える。
「魔女だの魔法少女だの見たあとで、今さら時間停止くらいで腰抜かすかよ」
「そうですか」
その返事だけで、絶対に納得していないのが分かる。
「逆に聞いてもいいですか?」
「何?」
「マギカさんの魔法は?」
今度は俺の番らしい。
「相手の認識をずらす……と思ってる」
「思ってる?」
「まだ俺も全部分かってないんだよ」
これは嘘じゃない。相手から見た俺の位置をずらし、自分へ別の何かを重ね、誰かへ近づくように姿や能力まで変わる。同じ魔法の延長にある気はするけれど、その中心が何なのかは俺にも分からない。
「位置をずらすだけですか?」
「……色々試してる途中」
「そうですか」
またそれか。お前だって時間停止しか話してないだろ、と喉まで出かかった。時間を遡ったことも、どうしてここへ戻ってきたのかも、ほむらは伏せたままだし、もちろん俺も同じだ。初対面のふりをした二人が、互いに何を隠しているのか探っている。
面倒くさい関係だな。
◇
河川敷を抜け、工場区画へ近づいたところでソウルジェムが反応した。
「……こっちです」
「ああ」
ほむらが先に細い路地へ入り、俺も続く。奥へ進むほど空気が重くなり、壁の一部が薄く歪んで見えた。
「結界か」
「はい」
中へ踏み込むと景色が切り替わった。結界はそれほど広くなく、少し先に使い魔が数体、そのさらに奥には魔女本体も見えている。
「俺が前行く」
「分かりました」
返事が早い。俺もそのまま前へ出てから、距離も役割も何一つ打ち合わせていないことに気づいた。それなのに、ほむらはもう俺の少し後ろを歩いている。
二体の使い魔が左右から飛び込んできた。
薄く魔力を流すと、一体目の爪が俺の身体を外れ、何もない場所を抉った。その脇へ刀を滑り込ませる。
もう一体が横から迫った。
「マギカさん、手を」
「手?」
ほむらの左手が俺の手首を掴み、右手が盾へ掛かった。
次の瞬間、音が消えた。飛びかかっていた使い魔は空中で止まり、細かな破片も、結界の奥で揺れていた飾りも、全部その場へ縫い付けられている。動いているのは俺とほむらだけだった。
「……なるほど」
「私に触れている間は、マギカさんも動けます。離れないでください」
「便利だな、それ」
手首を掴まれたまま使い魔の横へ回る。初めてのふりは、まだできている。たぶん。
ほむらは爆風の届かないところまで俺を連れていき、使い魔の足元へ小さな爆弾を置いた。
「ここで止めます」
「了解」
盾が動き、音が戻る。
「離れて!」
爆発が使い魔を巻き込み、火と煙が広がった。俺はもう爆風の外にいて、刀を構え直すだけで済む。
「……すごいな」
一拍くらい遅らせたつもりだったが、ほむらは何も返さず、そのまま魔女の方へ向き直った。
「来ます」
魔女本体が動き出す。俺は前へ出て意識を引きつけ、伸びてきた攻撃を刀で受け流した。スペッキオ・ファントムを重ね、狙いをほんの少しだけ外へ流す。
その向こうで、ほむらの右手が盾へ伸びた。
身体が先に動いた。半歩下がり、そのまま左手を掴む。
「――え?」
ほむらの声で気づいた時には遅かった。盾が回り、また音が消える。
「…………」
「……何?」
「いえ」
ほむらの指が、俺の手の中でほんの少し動いた。
一度教えられたのだから、次から自分で触れてもおかしくはない。問題は、俺が触れた時にはまだ何も言われておらず、盾すら動いていなかったことだ。今のは考えてやったんじゃない。
「行きます」
「分かった」
ほむらが握り返し、そのまま魔女の右側へ回る。止まった世界を二人で走り、ほむらが右へ、俺は左へ移る。その瞬間、次に何が起きるかまで自然に頭へ浮かんだ。いや、考えたというより、思い出した方が近い。
「戻します」
音が戻る。魔女の一撃が空を切り、俺は左から踏み込んで逃げ道を塞ぐ。
魔女が右へ逃げ、その先にはもうほむらがいた。攻撃が直撃し、俺は刀を下ろしかけて止める。ほむらもこちらを見ていた。
今のは、さすがに綺麗すぎる。
「マギカさん」
「何?」
「……いえ」
これはまずい。
◇
二度目からは、ほとんど説明がいらなかった。ほむらが盾へ手を伸ばせば俺が寄り、触れたまま時間を止めて位置を変える。戻った瞬間に俺が追い込み、その先でほむらが待つ。一度繰り返すたびに言葉が減り、最後には「右」も「今」も必要なくなっていた。
魔女が崩れ、結界がほどけていく。
「……終わったな」
「はい」
足元に残ったグリーフシードを拾う。前の時間のことを思えば、もう数を曖昧にはしたくない。これで一つ。
「マギカさん」
「何?」
少し間があった。
「初めて一緒に戦ったとは思えませんでした」
「相性いいんじゃないか?」
「そうでしょうか」
「そういうことにしとけ」
返事はなかった。ほむらは眼鏡を押し上げてから、もう一度だけ俺を見る。
前の時間では、俺は魔法少女が魔女になることを知っていた。ワルプルギスでも、知らないはずのことを知っているように動いた。そして今度は、初めて見たはずの時間停止へ勝手に合わせている。
口を閉じていれば何とかなると思っていたけれど、持ち越しているのは記憶だけじゃなかったらしい。盾へ伸びる指、止める前の呼吸、どちらへ回るのか。そんな細かいところまで身体が覚えている。
強くなった分だけ、余計なものまで持ってきてしまった。
◇
集合場所へ戻ると、マミさんたちも先に到着していた。さやかの腕には浅い傷の跡があり、青い光が消えたところだった。
「治った!」
「美樹さん」
「分かってますって。今回はちょっと当たっただけだから」
「その『ちょっと』を減らすの。治るからといって、怪我を前提に戦わないこと」
「はーい」
さやかが渋々ソウルジェムを確認する。その横で、まどかは弓を抱えたまま少し俯いていた。
「鹿目さんも、さっきのことは覚えておいてね」
「……はい」
「美樹さんが怪我をしたのが見えて、一瞬攻撃が遅れたでしょう?」
まどかがさやかを見る。
「心配するのは悪いことじゃないわ。でも、そこで鹿目さんまで止まったら、美樹さんを助けられる人が一人減るの」
「……はい」
「心配することと、動けなくなることは別よ」
まどかは今度こそ強く頷いた。
「大丈夫だって、これくらい」
「だから、それを言わない」
「はい」
今度は一回だった。
「そっちはどうだった?」
「特に問題なし」
「問題ありませんでした」
さやかがものすごい勢いで振り向いた。
「ほら! 報告の仕方まで似てる!」
「似てねえって」
「似てません」
「そこも!」
もう突っ込む気力もなくなってきた。
マミさんが笑いながら地図を広げる。
「今日は二つの区域を同時に確認できたし、どちらも大きな問題はなかったわ。この形自体は続けてもよさそうね」
西と東へ新しい印が付く。五人になった意味が、地図の上へ形になって残った。
「ただし、毎回この組み合わせにする必要はないと思うの」
「変えるんですか?」
まどかが聞く。
「ええ。誰と組んでも動ける方がいいでしょう? それぞれ戦い方も違うんだから、色々試した方がいいわ」
さやかがすぐに俺を見る。
「じゃあ次、マギカと組もうかな」
「嫌だ」
「何で!?」
「うるさい」
「またそれ!?」
マミさんが地図を畳む横で、ほむらは黙っていた。
◇
帰り道では、少し前をマミさんとまどかとさやかが歩き、俺とほむらが後ろに並んだ。偶然だと思いたい。
「マギカさん」
「何?」
ほむらは前を向いたままだった。
「一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「……以前、誰かと時間停止を使って戦ったことはありますか?」
足は止めなかった。
「……ないけど」
もちろん嘘だ。
「そうですか」
それだけ言って、ほむらは眼鏡の位置を直し、前を向いたまま歩き続ける。信じてはいない。
「二人ともー! 置いてくよ!」
まどかの声が飛んできて、さやかまで振り返る。
「やっぱ仲良いじゃん!」
「違う」
「違います」
一拍置いて、さやかが笑った。
「ほらー!」
俺が横を見ると、ほむらも同じタイミングでこっちを見た。二人ともすぐに前を向く。
……だから合わせるなって。
少し歩く速度を上げながら、さっきの戦闘を思い返した。
スペッキオ・ファントムは、俺がいると認識する位置を少しずらす。それなら、ずらせるのは位置だけなのか。たとえば俺とその辺の瓦礫を同時に見た時、俺がどちらにいるかを誤認させるのではなく、瓦礫そのものを俺だと思わせることはできないだろうか。
今までより少しだけ、認識そのものを大きくずらす。
「…………」
「どうしました?」
「いや」
まだ思いついただけで、本当にできるかは分からない。ただ、次に試すことは決まった。