数日後、見滝原の東側を歩きながら、俺は隣をちらりと見た。暁美ほむら。今日も同じ組み合わせだった。
「……今日もこの組み合わせか」
「不満ですか?」
「そういう意味じゃねえよ」
「そうですか」
またそれだ。最近、この「そうですか」にも何種類かあることが分かってきた気がする。本当に納得した時、どうでもいい時、そしてまったく信じていない時。今のはたぶん三つ目で、以前よりずっとやりづらい。
前の時間では、こいつとの会話一つ一つをここまで気にしていなかった。いや、単に俺が気にしていなかっただけかもしれない。前回の巡回では、ほむらが盾へ手を伸ばすタイミングを読んで先に触れ、止まった世界でもどこへ回り込むのかを身体が勝手に理解してしまった。
帰り道には、『以前、誰かと時間停止を使って戦ったことはありますか?』とまで聞かれた。ない、と答えたけれど、もちろん嘘だ。
だから今日は、知っていることを口から漏らさないだけではなく、前の時間で身についた動きまで身体に喋らせないよう意識している。言葉なら黙っていれば済むのに、経験まで持ち越してしまった身体はそう簡単にはいかない。
「マギカさん。さっきから私の方ばかり見ていますけど」
「横を見るくらいいいだろ」
「そうですね」
ほむらは何事もなかったように前へ視線を戻した。こいつも前より遠慮がなくなっている気がする。知り合って間もない設定はどこへ行ったんだ。
◇
歩きながら考えていたのは、前回の戦闘で思いついたスペッキオ・ファントムの別の使い方だった。
今までやっていたのは、相手が認識する俺の位置を僅かにずらすことだ。実際には右にいるのに半歩左へいるように思わせる程度でも、攻撃が飛び交う最中なら十分な差になる。狙いが外れ、一歩分の隙があれば刀も差し込める。
でも、前の結界で瓦礫を見た時にふと思った。俺を少し横へずらして見せるのではなく、その瓦礫そのものを俺だと思わせたらどうなるのか。
今までが「俺」という一つの認識を少しだけ動かしていたのだとしたら、次は俺と別の何か、その二つを相手の中で取り違えさせる。位置をずらすというより、二つを交換するように。
「……また考え事ですか?」
「何で分かるんだよ」
「歩く速度が落ちました」
「魔法のこと考えてただけ」
「新しい使い方ですか?」
「まだ思いついただけ」
「実戦では試さないでください」
「まだ何も言ってないだろ」
ほむらは答えず、そのまま歩き続けた。よく見ているし、こっちのやろうとしていることまで妙に早く察する。そういうところが怖いし、否定できないのがもっと腹立つ。
◇
それから十分ほどして、二人のソウルジェムがほぼ同時に反応した。場所は住宅地から少し離れた工事現場で、人影はなく、柵の奥には鉄骨や資材が積み上げられている。そのさらに向こうでは、空気だけが熱でも持っているように薄く歪んでいた。
「来たな」
「はい」
柵を越えて近づいた瞬間、景色が裏返った。
結界の中には灰色の柱が不規則に並び、その隙間を細長い使い魔が走り回っている。さらに奥には、大きな頭部だけを持ったような魔女が浮かび、こちらを認識したらしく口のような部分を開いた。
次の瞬間には、黒い塊が一直線に飛んできた。
「っ!」
横へ跳ぶと、黒い塊は俺の横を抜け、そのまま後ろの壁へ叩きつけられた。表面が大きく抉れ、灰色の欠片が辺りへ散る。
「狙った場所へ飛ばしてくるタイプか」
「近づくなら気をつけてください」
「ああ」
刀を抜きながら、今日は合わせすぎないともう一度自分へ言い聞かせる。
「俺が前行く」
「分かりました」
地面を蹴り、飛び込んできた使い魔の一体目を刀でいなす。横から伸びてきた二体目の爪にはスペッキオ・ファントムを重ね、俺の身体から僅かに外させた。
その直後、奥の魔女が再び口を開く。
「右です!」
ほむらの声を聞いた瞬間、次の動きまで頭に浮かんだ。このあと時間を止め、ほむらは右側へ回る。なら先にそこを空け、魔女をそちらへ誘導すればいい。
そこまで考えたところで、無理やり動きを止めた。
けれど、その一瞬の迷いで十分だった。飛んできた黒い塊が肩を掠め、身体ごと横へ持っていかれる。地面を転がり、反動を使ってすぐに立ち上がった。
「マギカさん!」
「平気!」
肩が熱いものの、傷自体は浅く、動かすのにも問題はない。問題なのは、知らないふりをするために自分から反応を遅らせ、避けられたはずの攻撃を食らったことだった。
◇
魔女が再びこちらへ顔を向けた。近くには灰色の柱があり、その根元に崩れた岩のような塊が転がっている。
魔女の視界には、俺と岩の両方が入っていた。さっきまで考えていたことを試すなら、今がちょうどいい。
いつものスペッキオ・ファントムと同じように魔力を広げる。ただし今回は、自分の認識をずらすだけではなく、岩の存在にも意識を引っ掛け、二つをまとめて相手へ押し込んだ。
「……っ」
途端に魔力が重くなり、魔女の視線が俺から岩へ移り、また俺へ戻る。狙いは一瞬だけ揺れたものの、結局それ以上の変化は起きなかった。
「駄目か」
放たれた黒い塊が真っ直ぐ俺へ向かってくる。横へ跳ぶには少し遅い。
その瞬間、周囲から音が消えた。
すぐ横まで迫っていた黒い塊も、空中を舞っていた破片も、その場へ縫い止められたように動きを失う。背後から腕を掴まれ、振り向けばほむらがいた。
「こっちです」
俺の腕を引いたまま攻撃の軌道から外れ、数歩離れた場所まで移動する。
「悪い」
「戻します」
盾が動くと止まっていた世界が再び動き出し、黒い塊はさっきまで俺のいた場所を通過した。
「今、何をしようとしたんですか?」
「ちょっと試した」
「実戦中に?」
「実戦じゃないと分からないこともあるんだよ」
「危険です」
「……はい」
正論なので何も返せない。ほむらに助けられた直後では、なおさらだった。
◇
使い魔を斬り払いながら、さっきの失敗を頭の中で組み直す。
いつものスペッキオ・ファントムなら、相手が見ている「俺」を少しずらすだけで済む。干渉する認識は一つだ。でも今回は、俺と岩という二つを同時に扱った。その分だけ魔力も制御も必要になるのは分かる。
ただ、それだけではない気がした。
俺は岩を「俺」にしようとした。でも、本物の俺には何もしていない。それでは相手の中に、本物の俺と、俺に見える岩が同時に残ることになる。魔女が一瞬迷ったのは、そのせいじゃないのか。
「……違うな」
「何がですか?」
「こっちの話」
もう一度、魔女と岩を見比べる。岩だけを俺にするのではなく、俺を岩へ、岩を俺へ。片方を書き換えるのではなく、相手の中にある二つを互いに押し込む。
「交換……」
「何ですか?」
「ちょっと任せろ。一回だけ」
さっき止められたばかりなのに、自分でもよく言うと思う。それでもほむらは数秒だけこちらを見たあと、それ以上は止めなかった。
「……一度だけです」
「助かる」
そのやり取りまで妙に自然だったが、今は考えないことにした。
◇
魔女の正面へ出る。
「こっちだ」
こちらを捉えた口が開いた。
俺と岩、二つの対象を同時に意識する。今度は片方だけを書き換えるのではなく、相手の中にある二つの認識を、そのまま互いへ押し込む。
魔力を流した瞬間、さっきとは比べものにならない量が身体から引きずり出された。視界が揺れ、足元の感覚まで一瞬薄くなる。
自分はここに立っている。それは分かっているはずなのに、同時に数メートル離れた場所からこの身体を見ているような、妙な感覚が重なってきた。
魔女が撃つ。
黒い塊は真っ直ぐ俺へ向かって飛んできたように見えた。けれど、攻撃は俺の横を大きく外れ、その先にあった岩へ直撃する。
岩が砕け散った。
「……え?」
自分でやったくせに声が漏れる。
それなのに、いつものスペッキオ・ファントムとは明らかに感覚が違う。ただ視線や照準を逸らしただけなら、俺自身まで混乱する理由がない。
ほんの一瞬だけ、本当に自分が岩のある場所へ移ったように感じた。逆に、岩がこちらへ来たようにも思えた。実際には何も動いていないはずなのに、その区別だけが身体の中で曖昧になっている。
「……何だ、今の」
「マギカさん、後ろ!」
ほむらの声で我に返り、振り返りざまに刀を振り抜く。背後まで迫っていた使い魔の腕ごと斬り払い、改めて構え直した。
戦闘はまだ終わっていない。
◇
一度成功したことで、別の条件でも試したくなった。視界の先には使い魔が二体並んでいる。さっきは俺と岩だったのだから、今度は生き物同士ならどうなる。
同じ要領で二体へ魔力を伸ばした瞬間、頭の奥を針で刺されたような痛みが走った。視界が二重になり、二体の輪郭が互いへ重なって、自分でも一瞬どちらを見ているのか分からなくなる。
使い魔たちも互いを見て足を止めたものの、岩の時のようにはいかなかった。認識が揺れただけで完全には入れ替わらず、その代わりに魔力だけが一気に抜けていく。
「……駄目だ」
膝から力が抜けたところへ、ほむらがすぐに駆け寄って肩へ触れた。周囲から音が消え、止まった世界の中でその肩を借りながら立ち上がる。
「立てますか?」
「……何とか」
そのまま安全な位置まで移動すると、ほむらは二体の使い魔の間へ爆弾を置いた。時間が戻ると同時に爆発が起こり、二体まとめて吹き飛ぶ。
「無理をしないでください。二回目です」
「数えてたのかよ」
「数えます。戦闘中に動けなくなったら、新しい魔法が使えても意味がありません」
「……分かったって」
「本当に?」
「多分」
ほむらは何も言わず俺を見た。分かっていないのは、自分でも分かっている。
◇
残りは余計なことを試さず、今までのやり方で戦った。
俺が前へ出て使い魔を押さえ、スペッキオ・ファントムで魔女の狙いを外す。ほむらは必要なところだけ時間を止め、俺に触れて停止した世界へ引き込みながら位置を調整する。
前回のように先回りしないよう意識している分、動きは少しだけぎこちない。それでも完全に合わせない方がむしろ難しく、ほむらが盾へ手を伸ばせば自然と目に入るし、何度も一緒に戦った動きは身体のどこかに残っている。無理に無視すれば、さっきのように自分から隙を作るだけだ。
最後は俺が魔女の照準を外したところで、ほむらが時間を止めた。肩へ手が触れ、二人で停止した世界を死角まで移動する。
「戻します」
「ああ」
世界が動いた瞬間、俺が前から進路を塞ぎ、横へ逃げた魔女へほむらの攻撃が入る。その一撃で魔女の身体が崩れ、結界もゆっくりとほどけていった。
◇
現実へ戻ると、身体の重さが一気に押し寄せてきた。
「……疲れた」
近くの壁へ背中を預け、胸元の二連ソウルジェムを見る。戦闘前より明らかに濁っていて、普通に戦っただけならここまで消耗していないはずだった。
「さっきの魔法、かなり魔力を使っていました」
「……いつもの倍くらい?」
「私に聞かれても分かりません」
「だよな」
正確な量は分からなくても、身体に残る重さは普通のスペッキオ・ファントムとは比べものにならない。
ほむらはしばらく俺のソウルジェムを見たあと、今度は顔へ視線を移した。
「今の魔法は、いつ覚えたんですか?」
「今」
「……今?」
「今」
ほむらは少し考えてから続けた。
「初めて試したにしては、使い方を変えるのが早いですね」
岩を俺に見せる方法が失敗したあと、すぐ二つを入れ替える形へ修正したことを言っているらしい。
前の時間で、俺は何度も魔法を使った。マミさんにも教わり、失敗して、死にかけて、そのたびに別の方法を試してきた。だから新しい能力そのものは初めてでも、失敗した時に何を変えればいいかを考えることには慣れている。
でも、今のほむらにそれは言えない。
「まあ……才能?」
自分で言っておいて胡散臭い。
「そうですか」
今のは完全に、まったく信じていない時の「そうですか」だった。
「その顔やめろ」
「普通ですが」
「嘘つけ」
ほむらは少しだけ顔を逸らした。その口元がほんの僅かに緩んだように見えたのは、気のせいかもしれない。
◇
集合場所へ戻るまでの間、新しくできたものを頭の中で整理する。
今までのスペッキオ・ファントムは、俺という一つの対象を別の位置へずらして認識させるものだった。今日成功したのは、俺と岩という二つの対象を、相手の中で取り違えさせるもの。
少なくとも、今の俺にはそう見えている。
使い魔同士では失敗した。単純に必要な魔力が多すぎたのか、生き物の方が情報として複雑なのか、相手自身の魔力や意思が邪魔をしたのか、それすらまだ分からない。
それ以上に気になるのは、成功した時に俺自身の認識まで揺れたことだった。敵を騙しただけなら、どうして術者の俺まで自分がどこにいるのか分からなくなる。
「また考えてますね」
「ほっとけ」
「転ばないでください」
「そこまでぼーっとしてねえよ」
◇
集合場所へ戻ると、マミさんたちはすでに待っていた。
「おかえりなさい」
「おかえりー」
まどかとさやかが手を振る横で、マミさんは俺を見るなり少し眉を寄せた。
「何かあった?」
「何で?」
「少し顔色が悪いわ」
誤魔化そうとするより先に、隣のほむらが答える。
「新しい魔法を試しました」
「おい」
「事実です」
案の定、さやかがすぐに食いついた。
「新技!?」
「言い方」
まどかも心配そうに近づいてくる。
「大丈夫なの?」
「平気。ちょっと魔力使っただけ」
マミさんの視線が胸元のソウルジェムへ落ちた。
「ちょっと、ではなさそうだけれど」
やっぱり誤魔化せない。
◇
俺は近くに落ちていた小石を二つ拾い、地面へ並べた。
今までのスペッキオ・ファントムは、自分の位置を少しずらして相手へ認識させるもの。今回は俺と別の対象、その二つを相手の中で取り違えさせようとしたことを説明する。
最初は岩を俺だと思わせようとして失敗し、次に俺と岩、両方の認識を入れ替えるようにしたところ一度だけ成功した。さらに使い魔同士でも試したが、そちらは魔力だけを大きく消耗し、まともに立てなくなった。
「……実戦中にそこまで試したの?」
「……はい」
「マギカさん」
「すみません」
横からさやかの笑い声が聞こえた。
「マギカ、怒られてんじゃん」
「お前もよく怒られてるだろ」
「仲間だね」
「嫌だ」
それ以上さやかに構う前に、マミさんが二つの石へ視線を戻す。
「二つの認識へ同時に干渉する分、制御が難しくなった可能性はありそうね。ただ、使い魔同士で負担が増えた理由まで同じとは限らないわ。生き物だからなのか、魔力や意思が関係するのか、それとも別の理由なのか。今の段階ではまだ分からないでしょう?」
「……そうだな」
すぐに答えを一つへ決めないところは、やっぱりマミさんらしい。
「だから、しばらく生き物相手の練習は禁止」
「え」
「禁止」
「……はい」
さやかがまた笑っているが、今度は無視する。
「それと、成功したあと、自分の位置が分からなくなったんじゃない?」
今度は俺が黙る番だった。
「……何で分かった?」
「さっきから何度か足元を確認してるもの。それに、歩き出す時だけ少し重心が遅れてるわ」
そこまで見ていたらしい。
「自分の魔法に、自分の認識まで引っ張られたのかもしれないわね。もちろん今の段階では推測だけれど、自分まで混乱するなら実戦で気軽に使っていい段階じゃないことだけは確かでしょう?」
「……はい」
「よろしい」
完全に先生だったけれど、言っていることは正しい。
◇
「で、名前は?」
待ちきれなくなったらしいさやかが割り込んでくる。
「いらない」
「いるでしょ。新技なんだから」
「別に『交換』でいいだろ」
その一言に、マミさんが小さく反応した。
「交換……」
嫌な予感しかしない。
「やめろよ」
「まだ何も言ってないわ」
「顔が言ってる」
マミさんは少しだけ楽しそうに笑った。
「スカンビオ、なんてどうかしら」
「ほら来た」
「スカンビオ?」
まどかが首を傾げる。
「イタリア語で『交換』よ」
「またイタリア語かよ」
「格好いいじゃない」
さやかも何度か口の中で繰り返し、すぐに気に入ったらしい。
「いいじゃん、スカンビオ」
「お前そっち側かよ」
「じゃあ、スペッキオ・ファントム:スカンビオね」
「長い」
「格好いい!」
「まどかまで!?」
まどかが少し照れたように笑う。
「何となく必殺技っぽいよ」
「必殺技じゃねえよ」
また名前が増えた。
俺の意思とは関係なく。
◇
帰り道でも、さやかは「あたしと敵を交換したらどうなるの」とか「敵と岩ならできるのか」とか好き勝手に聞いてきたけれど、俺にもまだ答えはない。そもそも、本当にやっていることが「交換」なのかすら怪しい。
しばらく歩くうちにマミさんたち三人が少し先へ出て、また俺とほむらが後ろに残る形になった。
「マギカさん」
「何?」
「あなたの魔法、本当に『認識をずらすだけ』なんですか?」
その問いに、歩みが僅かに遅くなった。
すぐには答えが出ない。自分の手を見る。
岩を俺だと思わせただけのはずなのに、成功した瞬間は俺自身まであちら側へ引かれたように感じた。もし本当に認識だけを弄っているなら、どうして術者の俺まで巻き込まれる。
最初に考えていたものより、少しだけ深いところへ触れているような気がする。
「さあな」
ほむらを見る。
それだけ答えて、また前を向いた。